序章
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一斉に部室に集まった6人に圧倒されている私に、ある一人が近寄ってきた。
何よりそのきらびやかなオーラが眩しい。ふわりと香るバラの匂い。
バラの香りの香水なんて、趣味がいいのか悪いのかわからない。
「初めて近くで見るけど本当に美しいね…!僕は美童グランマニエ。美童って呼んで?」
「あ、どうも…。」
目の錯覚だろうか。彼の背後のバラが見えた気がした。
くるりとターンを決めて、胸に手をやり、紳士的に挨拶をしてくれた。
確かにこれは女の子たちの心を射止めるだろう。端正な顔立ちはだれがどう見ても美しいの部類に含まれるだろうし、私も思わずその近くにある青い瞳に飲まれそうになった。
しかしだ。
「ひっ!」
私の手を何の抵抗もなく優しくとると、ちゅっと音を立ててキスをした。
その瞬間に私の中の美童君という存在は美しいものではなくなる。ただただ恥ずかしいし、何より少し、ほんのすこし、気持ち悪い。
今までに受けたことのないこの挨拶には、私はあまりいい気がしなかったようだ。
しかし、それはその相手が愛想を振りまく彼だからということもあるかもしれない。
呆然とする私とニコニコしている美童君との間に、鋭い幼馴染の声が飛んできた。
「美童はそんな挨拶しかできないんですか?」
訝しげな目を向ける清四郎に、美童君はこれも予想していたかのような反応で言葉を返す。
まるでいつものことのようだ。
「なんだよ清四郎!これが僕のいつものスタイルじゃん!」
「それが誰にでも通用するとは思わないことです。」
そうですわ、と付け足す野梨子が美童を同じように鋭い目で見やる。
二人に圧倒されたのか、ごめんよ、困っちゃうなぁという美しい困り顔で私にウインクをした。
それが余計なのではないかとも思ったが、適当に笑って流しておいた。
「どいて。」
「うっ!痛いよ可憐~…。」
隣を陣取っていた美童君を押しのけて現れたのは黄桜可憐。
彼女とは中等部のころに少し仲良くしていたので、すでに顔見知りだ。
「おはよう、咲季。中等部で話して以来ね!」
「わ…可憐!久しぶりだね」
役員会にもあまり出席しないことで有名な彼女とは、もう長いこと話をしていない。
それでも彼女が自分を覚えていてくれたのは嬉しいことだ。
相変わらず手入れされたつやつやの爪や髪の毛。化粧も完璧でスタイルも完璧である。その努力は尊敬もの。
可憐は小悪魔という代名詞がぴったりの笑顔で肘で私の腕をつついた。
「昨日魅録に聞いたわよ~、スパイ役を見つけたって!」
「はい?…ちょ、ちょっと、本当にスパイなの…!」
突如脳裏に浮かんだのはあの校長と教頭の姿。あれを相手にどうすればいいというのだろうか。
しかも現時点であの人たちから得られる情報なんてたかが知れてる。
私は松竹梅君(後で魅録でいいよと訂正された)のほうに慌てて身を乗り出した。
「あ~…悪い。でも、絶対適役だからさ。」
いつも食べているような気がする練り飴を振りながら笑ってごまかす彼に何も言えなくなって、私はまた席に着いた。
そんなふうに言われたら、少しその気になってしまう。
あくまで、ほんの少しだけだが。
「頑張ってね!代議委員長!」
きらりとスマイルひとつでそういうと、可憐はそのまま今日もらったという手紙の一つを手に取り開封し始める。
まるで誰かの誕生日かというように、みんなが囲むテーブルにはプレゼントやら手紙やらが散乱している。
「あ…うん…」
その量とそれを当然に思うみんなを見ながら、この中で埋もれないようにしようと心でつぶやいた。
そう意気込む彼女をリラックスさせるように飴を含んで片方の頬が膨れている魅録が声をかける。
「頑張って。俺は魅録でいいよ。」
「よろしく…。あ…、私は咲季でいいから。」
もはや逃げられない。それならば楽しむしかないだろう。
これからおそらく1日の大半を共に過ごす仲間に、私は声を大きめにして言った。
少しの勇気を出して。
***
自己紹介が終わると、かれらはいつものルーチンワークのように各々が好きなことをし始めた。
自分がどうしたらいいかわからぬまま全員を観察していたが、しばらくして、つまらない、そう言って可憐が立ち上がった。
席について皆を観察していた私は、その声に可憐のほうを向く。皆にとってはいつもの朝の風景なのかもしれないが、大量のお菓子と弁当と手紙とプレゼント。それを無視した難しそうな本。
その横に広がるのは知恵の輪(すでに解かれている)、そしてよくわからない機械の部品。つまらないなんて、よく言えたものだと思うが。
「それにしても咲季は昔から綺麗よねぇ…。」
「いやいやいや、可憐には負けるよ!」
大量のラブレターも飽きてしまったのか、可憐が咲季の真後ろに移動し、結っていた髪ゴムをほどいて髪の毛を触り始めた。
やわらかい香水の香りに包まれる。なるほど確かにこれは魅力的だな、と思いながらさっきの言葉を全力で否定する。
私なんて、この「美の塊」のような彼女に比べたら、その辺の石ころと同じなんじゃないかとしか思えない。
「髪巻いたりしないの?」
「うーん…面倒じゃない?」
中等部のころから綺麗にパーマが当てられていた可憐の髪の毛は、どうしてだか艶々していてまったく痛んでいる様子がない。
私はというと髪の毛をいじるような興味もなければ、それをこなす技量もなかった。
「まぁそれはあるかもね~」
「大会とかに出たときには少しアレンジしてもらったりはするけど…。」
「大会?」
いつもお世話になっているスタイリストのお姉さんを思い浮かべながら説明すると、話していた可憐の声より先に、違う声が飛んできた。
反応したのは魅録。イレギュラーな反応に、私は少々驚きながら説明する。
「ええと、声楽の大会だよ。」
「へぇ…声楽ってオペラみたいな?」
「咲季は小学部の時から声楽を習ってますから…またあの歌を聞きたいですわ。」
まぁそんな感じ、と答えを濁しておくと、「へー」と興味があるのかないのかわからない顔をした。
野梨子が微笑みながらこちらも見ていて、そういえば昔は私の適当な鼻歌を野梨子が楽しそうに聞いていたことを思い出す
もう何年も昔の話だけども。
「そんなに前から習ってるの?」
「うん、幼稚舎のころから歌のレッスンしてたんだ。」
「すごーい!英才教育じゃない!」
「あはは…。」
いつの間にか皆が私の方を見て、話しに参加していた。
取り留めもなく自分たちの好きなことをしているのかと思えば、急に皆で盛り上がる。
有閑倶楽部のスタンスは、いかにも楽しみに飢えているようで、ただ何となく毎日を過ごしていた自分とは全く違っていた。
どんなことにでもそれぞれが反応を示し、そして時間が過ぎていく。
私が思っていたよりも、彼らとの時間は過ごしやすいかもしれない。そうでなくとも、私に今まで無視してきた楽しい時間を与えてくれるかもしれないと微かに感じた。
「この間も大会があったんだよな!」
「そうそう。悠理のお母さん、審査委員だったね。」
悠理にそういわれて、少し前にあった声楽のコンクールのことを思い出す。
ほかのどの審査委員よりも貫録があり、目を引く派手な衣装を纏った女性。剣菱悠理の母、剣菱百合子だ。
何よりその衣装がまさしく彼女に似合っていたことが、驚きなのだが。
「ああ~…行きたかったなぁ~…」
残念そうに項垂れる美童に、私は彼が声楽に関心でもあるのかと少し期待する。
ほかのメンバーも少なからず驚いたようで、野梨子が問いかけた。
「美童も歌に興味がありますの?」
「違うよ、咲季が見られるからだよ!」
「…」
なんとなく想像できる答えに、皆が一斉に疑問や興味を断ち切ったのが分かった。この空気、美童はいじられキャラ、という位置なのだろうか。
これも、有閑倶楽部の中にいなければ知らなかった彼の一面だろう。そうでなければ彼はいつまでも、私の中では自分大好きなナルシストのままで終わっていたかもしれない。
「僕は見に行きましたけど。」
「えっ?」
その空気の中で、当然だといわんばかりの顔でそう発言した清四郎に、皆の視線が一斉に注がれた。私も例外ではない。
一気に恥ずかしさが込みあがってきて、私は間抜けな声を出してしまった。
別に見られて困ることはないが、どうして清四郎が?という疑問に頭がいっぱいになる。
「なっ、清四郎、抜け駆け!?」
「いや、違うだろ。」
美童の一言に魅録がすかさずツッコミを入れた。うぅ、と小さなうめき声を上げて美童が私を見る。
何とも可愛らしい目でこちらを見るが、動機が不純すぎて同情の余地はない。
「違いますよ、招待状が来たんです。」
清四郎の淡々とした答えに真っ先に反応したのは共通の幼馴染である野梨子だった。
大きな目をさらに大きく見開いて、声を大きくする。
「わ、私のところには来ませんでしたわ!」
「…?私、誰にも出してないけど…。」
清四郎が見に来たという事実でさえ恥ずかしいのに、自分で招待状なんて出せるわけがない。
ならいったい誰だろう?あの時のことを思い出そうとしてみるが、ぴったり当てはまるような事実もなく。
考えていると清四郎が、事実を知らない私に少々驚きつつ答えてくれた。
「ああ…咲季のご両親から来たんですよ。」
「えっ?」
何があって清四郎なんかに招待状をよこしたのか。予想外の答えに私は面食らった。
もちろん一同も、一瞬の沈黙。
こんなところで私たちの接点を知るとは思いもしなかっただろうに。
「その大会の時、ちょうど白鹿では大きなお茶会がありましたからね…。それで招待状を寄越さなかったんじゃないですか?」
「そういえば……。」
野梨子が納得した表情で頷いているが、私は納得がいかない。そういう問題でもない。
どうして当事者同士がまったく接点がないことを知っていて、招待状なんか送り付けるんだろう。
見られたくもないのに。
別に両親が悪いわけでもない、見に来た清四郎に腹が立つわけでもないけど。じっと清四郎を見つめながらまた思案する。
「…なんですか?」
「いや、なんでもないけど…。」
その視線に臆することもなく、清四郎は私に声をかけた。周りの皆は悠理のお母さんの服の話だとか、美童のガールフレンドのコンサートだとかの話に盛り上がっている。
よくもまぁそんなに話が膨らむものだ。私はまた考えていた。ぐるぐる、私を取り巻く声をなんとなく聞き流しながら。
「言いたいことであるんですか?」
「は?何もないけど…。」
「ずいぶん変な顔ですね。」
「へ、変な顔!?」
眉間にしわを寄せて、清四郎を威嚇する。それでも清四郎は顔色を変えずに、いやむしろどこか楽しげに私を見ていた。
「…何が可笑しいの。」
「いえ、別に。」
ふっと笑って清四郎は私から視線を外して机の上に積まれた本を一冊手に取った。
完全に遊ばれている。しばらく見ないうちにまた性格が悪くなったな。
途端にもやもやと胸に違和感を覚えた。朝の出来事といい、今の表情といい、清四郎は私にちょっかいを出すことを楽しんでいる。
嫌だな。なんで嫌なのかわからないけれど。自分のペースを乱されている感覚が気持ち悪い。
それが清四郎だってことも。
「咲季?」
「…。」
「どうかしたんですか?」
「わっ!」
隣に座っていた清四郎が、急に私の顔を覗き込んだ。清四郎のことを考えていたせいか、突然の登場に、私の胸が跳ねる。
大きな声に、話をしていた皆がこちらを向いて、知らない間に清四郎の顔は離れていた。
平穏無事な学校生活は、それこそ平穏すぎてここまで心が揺れるようなことがなかった。
勝手に跳ねる心臓や、思い通りにいかない表情は、懐かしい感覚を取り戻しているようだ。
「ああ!もう!清四郎むかつく!」
「なんですか急に。」
「ふん!」
吐き出すようにそういうと、清四郎は律儀に反応する。私の言葉など無視できるのに、わざわざこうも拾ってくれることが少し嬉しく感じる自分がいる。
清四郎が楽しそうに見えた。いつの間にかみんなも笑みを湛えながら私たちを見守っている。
「ふふっ。」
「野梨子?」
「まったく…二人とも、昔とちっとも変りませんわね。」
他の4人は野梨子の言葉に笑った。私たち二人だけが、面食らったように目を見合わせた。
しかし確かにその通りだ。いつもこうやって私が言い張り、清四郎がいなして、野梨子が微笑んでいる。
決して長いとは言えないが、それでも長らく味わっていなかったこの感覚は、不思議なことに居心地がよかった。
「う…でも清四郎はともかく私は違うよ。」
「はぁ…咲季はともかく僕は違いますよ。」
「ほら。」
ね?と野梨子が笑うと、ますます清四郎と私は何も言えなくなった。
周りのみんなは少しずつ片鱗を表している私に優しい目を向けてくれていて、馴染めそうでよかったとつぶやく清四郎の優しさに少しだけ気恥ずかしさを覚えた。
私はすっかり彼らと打ち解け、そして彼らとともに、今までの学校生活で初めて授業をサボったのであった。