8章
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良く晴れた日の朝、聖プレジデント学園の廊下のざわめきは数日前とはまた違うものになっていた。
緑川の一件で校内がひどくざわめいたのもつかの間、クリスマスが近づくにつれてそのざわめきは段々と明るいものに変わっていった。
やはり高校生ともなればクリスマスは子供のころとは違う特別なイベントとなっているようで、この学園の生徒たちもお目当ての相手と過ごせる一日を待ち望んでいるようだった。
また、この学園の生徒ならではともいえるが、クリスマス付近にはクリスマスパーティーや忘年会が各界で行われるようで、その子息令嬢である生徒たちも1年の内でも多忙な1か月となるようだ。
心配されていた期末テストも無事終わり、緑川の一件であわただしかった学園理事側も冬はゆっくり休むようにと理事長からのお達しが出た。
結果として冬の補講はなくなり、代わりに各科目担任特製の課題が追加されるにとどまった。
緑川の退任に伴い、学年主任も交代となったが生徒たちに親しまれている日本史を専門とするベテランの男性教師に引き継がれていた。
咲季自身もあの一件の後、野梨子から送られてきた全員の連絡先を登録し、なんとなくそわそわした日々を過ごしていた。
補講が中止になった時には理事長からウインクが飛んだが、それを受け取った咲季はあえて知らないふりをしてその場をしのいだ。
週明け、喜ぶ悠理の声が学園中に響いたと同時に有閑倶楽部へのクリスマスのプレゼントが生徒会室に運び込まれるようになった。
あるものは食べ物を、あるものはプレゼントや招待状を片手に生徒会の面々を自宅で開催されるパーティーに誘うために足しげく生徒会室に通っていた。
「あれ…。」
そんな浮ついた学園の空気を肌で感じながら、自分自身もなんとなく落ち着かずいるとポケットに入れていた携帯が震える。
その振動に気が付いた咲季は廊下を歩く足を止め、少し窓際によってから画面を開いた。
差出人は野梨子で、生徒会室にある飾りかけのツリーの写真と共にクリスマスパーティーをしないかという誘いのメールであった。
最初から自分に送るつもりで撮影したのか、写真の端には飾りを選別する清四郎やプレゼントを物色する美童と可憐、ギターを演奏している魅録と、こっちをむいてピースサインをするクリームを口の端に付けた悠理が映っていた。
「サンタの帽子、似合わないなー…」
込み上げてくる笑いを抑えられず、くすっと笑って、無意識の内に仏頂面のくせに可愛いサンタの帽子をかぶる幼馴染の部分を拡大する。
清四郎のことだ、写真にとられていることだってわかっているのだろう。
きっと本当は帽子を脱ぎたいに違いない。
そんなことを思うと余計に笑わずにいられない。
季節が夏から秋に変わる頃、この場所には自分もいたのだろう。
あれから季節はどんどん進んで、その間にずいぶんつらい気持ちも味わった。
それでも自分の気持ちに気づいて、そして日本に戻ってから、周り道をしながらもこうして自分が彼らとつながっているということにも不思議な感覚を抱いた。
「変なの。」
拡大を戻し、改めて写真を見ていると、以前なら自分の居ないことに劣等感を抱いていたはずのなのに、それを落ち着いて受け止められている自分に気づく。
思わずそう呟いて、写真を保存し携帯をしまった。
相変わらず手入れされた中庭に見慣れない光を感じて目をやると、たくさんのパトカーが中庭に入り、停車した車からは武装した特殊部隊がずらずらと現れる。
それはまるで映画の撮影のような光景で、いくらこの学園で一般の高校で起こらないような光景が見えるとは言え、初めて見る光景だった。ものものしい雰囲気に妙な無騒ぎを感じて、咲季は目を凝らして状況を確認する。
周りにいる学生たちも気が付いたのか、ちらほらと廊下に出てきては窓に張り付き様子をうかがっている。
「何かの訓練かしら?」
「なんだろうな。」
仮に抜き打ちの訓練があったとしても、生徒会役員にまで秘密にしてすることはないだろう。
自分だけ何も聞かされていないわけではあるまい。先ほどの写真を見るに、生徒会長である清四郎でさえこのことは知らないように見えた。
急いで教務室に行かなければ、と思っていた矢先、警察がざわつき始める。
かすかにガチャガチャと装備がぶつかる音が聞こえ、一瞬で空気がピリッと糸を張ったように緊張した。
「何…?」
パンッ。
小さくつぶやいたところで、何かが破裂するような音が聞こえた。
自分だけかと思ったが、窓の外に並んで様子をうかがっている生徒の中にもその音を聞いたものがいたようで、えっ?と反応を示していた。咲季は記憶の中から聞こえた音の主を探る。
いや、立ち止まっている暇はない。その音にはじかれるように中庭の警察たちが一層騒がしくなったのだ。
「まさか、…でも…」
咲季の頭にふっとよぎったのはマラソン大会だった。
いや、走るという意味ではない。その始まりを告げる大きな破裂音は、先ほど聞こえた音にそっくりではなかったか?
だとしたら、あの音は。そしてその場所は?
ばたばたと激しい足音が校内を駆け巡る。行先は特別棟に続く階段だ。
もはや確信に近いものを抱きながら、咲季も急いで走り出す。
生徒会室に急がなければ。
生徒会室に近い場所にいた生徒たちは、もっと明確にその音を聞いていた。
銃声だよな?と話す男子生徒の話し声だけがなぜかすんなり頭の中を通り抜け、走っていることによる息切れより、今まさに起こりつつあるとんでもない事態への焦りと不安で鼓動が耳のそばで鳴る。
階段下ではすでに生徒たちの人だかりができ、騒然としていた。
がやがやと声が聞こえ、かすかに教頭や校長の声も聞こえる。
騒ぎを抑えようと近くにいた教師たちが生徒たちを押さえており、咲季はそこで足止めを食らう。
『魅録君!銃を捨てなさい!これ以上罪を重ねてはいけない!』
「やっぱり銃声だ!」
「松竹梅さんが?」
拡声器を通して聞こえる警察か誰かの声が響き渡り、生徒たちのざわめきが一層大きくなる。
大きく響き渡る魅録の否定の声と、叫ぶ校長の声がする。
段々と人だかりも大きくなる中、バタバタと足音が聞こえた。
焦りの表情で否定し続ける魅録を機動隊が左右から捕まえて歩いており、その後ろから生徒会の面々が現れる。
人だかりを押しのけて歩いていく彼らを、機動隊と大量の生徒が囲み、小柄な咲季はその姿を視界にとらえることができなかった。
***
そこからは大変だった。
生徒会室に一番近い階段下でタイムリーに音を聞いた生徒の中に新聞部の部長がいたこともあってか、瞬く間に号外が作成された。
教務室には各種テレビ局や新聞社からの電話がひっきりなしにかかってきて、教師は対応に追われていた。
あたふたしながら対応する教師たちを尻目に、生徒会長を含めた生徒会のほぼ全員が警察庁へ取り調べに連行されたとあり、ただ一人残った咲季は生徒たちの混乱をまとめることに尽力するしかなかった。
各クラスの代議委員に連絡をとり、クラス内で待機するよう伝える。
しかしこの状況でそのような指示がすんなり入ることはなく、学校中にちりばめられた号外を見ては生徒たちの動揺が波紋のように広がっていくばかりだった。
そのうちテレビでの速報が入るようになり、学校の前にも取材陣がちらほらと現れ始めるころには、学園のほぼ全員がこの事態を理解していた。
「余計なことを…」
咲季はぼやきながら新聞部への指導に入る。
委員たちに号外回収を頼んでおき、新聞部の部長へ厳しめに指導をした。
部長は少し不満を持ったようだが、このままでは自分たちも危険な目にあってしまうことを伝えるとやや納得したのか印刷をやめ、各自の教室に帰っていった。
臨時職員会議によって全員下校が決まり、しばらくして報道陣のの車よりも送迎の車のほうが多くなっていった。
咲季も他の代議委員に教室の施錠後に下校するように伝え、自分は一人残って新聞部の号外を回収することにした。
手伝いを申し出るものもいたが、基本的に生徒たちは報道陣に捕まる前に下校するように言われており、咲季自身も担任や主任教師に無理を言って残らせてもらっているため、後輩たちには帰るように伝えた。
大変な渋滞になり少しパニックになっていたが最後の送迎者が学園を出るころにはすっかり日も傾き、東の空は暗くなっていた。
学園の広さがこんな時は憎く思え、どこに行っても号外がそこかしこに落ちているのを見るとうんざりしてくる。
今頃魅録たちはどうしているだろうか。先ほど教務室に戻った時には学年主任が残っており、「取り調べを受けてるみたいだよ」と困ったような笑顔で話していた。
何故笑っているのかと思ったが、自分が鍵を借りに背を向けた瞬間に小さくため息が聞こえたことに気づき、この状況に一番困っているのは先生たちだろうと半ば同情する。
各教室の施錠を終え、空もすっかり暗くなったところで鍵を返しに教務室に戻ると帰り支度をする主任教師がいた。
残るは特別棟だけだが、警察によって黄色いテープで立ち入り禁止にされていることもあり、施錠は難しいかもしれない。
「高天原は帰らなくていいのかい?」
「最後に特別棟の施錠を確認して帰ります。」
「悪いな。本当はこういうことをするのは教師の仕事なんだが…理事長も具合が悪そうで、今日はもう早めに帰ることになったんだ。」
「そうなんですか。」
「僕たちは生徒を信じたいからね。聞けば銃もプレゼントに紛れていたとか。お前ももう帰りなさい。」
優しい先生だな、と感心しながら、咲季はお礼を言って教務室を出た。
言われた通り自分も早く帰ろうと月明りの差し込む廊下に出る。
今日の午後には所狭しと並んでいた警察はもうおらず、人工的な光と月明りで妙に明るい中庭に目を落とした。
「あれ…魅録…?」
見下ろした先に金属の光を感じ、咲季が目を凝らすと高級な大型二輪車が止まっていた。
あんなものを乗り付けるのはこの学園に一人しかいない。
持ち主である魅録はその場にはおらず、バイクだけがその場に残されている。
念のため周囲を確認するが、報道陣は学園には張り付いていないようで、咲季は息をなでおろした。
そのうちかすかに足音が聞こえ、自分と同じ特別棟に向かっているのだろうか、人の気配が近づいてくるのがわかる。
魅録はつい先ほど学園についたのだろう、彼の動向が気になり咲季は足音のするほうへゆっくり近づいた。見つかって悪いことはないのだが、なんだか近寄りがたく感じて咲季は魅録と思われる足音を少し離れたところから追いかけた。
こちらの思惑通り、足音は生徒会室の方に向かっていた。後ろをついていきながら、一瞬これが魅録ではなかったらどうしようか足を止めたが、ふわふわと廊下に漂う独特の香水の香りから、その影が魅録であることの確信が得られた。
魅録のバイクブーツが階段を上りきる音が聞こえたところで、きしんだ音を立てて生徒会室の扉が開かれる。ドアが閉まる音はしない。
咲季は息を殺して見つからないように階段を一段一段上る。
生徒会室からはどかどかと部屋を歩き回るような音が聞こえ、魅録が部屋の中で何かを探しているかのような様相がうかがえた。
階段を上りきり、かすかに閉まり切っていないドアの隙間から中の様子をうかがった。ドアの前には立ち入り禁止と書かれた黄色いテープが置かれているが、魅録はそれを無視して入ったのだろう。何の意味もないテープを足音に気を付けながらまたいで、咲季は隙間に顔を近づけた。
暗くてよく見えないが、手元に持った何かを見ながらうろうろしている。上を向いてはきょろきょろと顔を動かすので、咲季は自分が見つからないように細心の注意を払った。
しばらくすると魅録は向きを変えた。
ドアの方に向いたので、魅録が手に持っているものもかすかに見えた。
それは小さな紙切れのようなもので、魅録はそれを何枚か持っており時折紙を入れ替えては何かを探していた。
写真ほどのサイズの紙切れはどれも不自然にボロボロで、咲季はそれがなぜだかわからず不安になったが、暗がりでよく見えない。
「…?」
やがて魅録は足を止め、きょろきょろと何かを探していた動きを止めた。
そして思い立ったように脚立を取り出し、壁際に寄る。
かすかに開いたドアからは魅録は見えなくなり、がたがたという音でしか状況が把握できない。
すぐに脚立から降りる音がし、手元を見る魅録の背中が見えた。
何かを見つけたのだろうか。
固唾を飲んで見守っていると、魅録が大きく振りかぶって何かを床に投げつけた。
咲季はそれに心底驚き、声を出さないようにはっと息をのんで口を押える。
「くそっ…」
そう吐き捨てドカッと座り込む魅録が端に見えたと思えば、魅録の投げつけた物体がドアの前に転がっているのが見える。
月明りに照らされたそれは真ん中に小さなレンズがついており、暗がりの中でもそれがカメラのようなものだということが分かった。
まさか、部屋の様子を撮られていたということか?
咲季は意を決してドアの向こうでうなだれる魅録に声かけることにした。
「魅録…?」
「…っ!咲季…なんで…。」
勇気を出して声を出したが、思った以上にか細い声になった。
声が届くや否や魅録は勢いよく立ち上がり反応を見せたがその声の主に気が付いて、すぐに力の抜けた返事を返した。
ゆっくり部屋に入り、立ち上がっている魅録に近づくと魅録の口の端が切れていることに気が付く。
月明りだけではよく見えないが、その分一層火薬のようなにおいが鼻について咲季は一気に不安が増大する。
「こんな時間になんで学校にいるの?けが、してるし…大丈夫?」
魅録は咲季の質問には何も答えず、うつむいた。
ゆっくり歩み寄り咲季は魅録の正面に立つ。他にもけがをしているところはないか確認したが、やはり暗がりでよくわからない。
その代わりに魅録の手に握られている写真を見つける。握られた手の隙間から焼け焦げた穴が見えて、背筋が凍るのを感じた。
「魅録、これ…」
「俺のせいなんだ。」
「え?」
遮るようにそう言って、魅録はまた黙り込んだ。
咲季はその言葉の意味が分からず、ただ聞き返す。
「俺が、気づいてたら…こんな、」
「何言ってるの?」
「全部俺のせいなんだ、俺が」
「待って魅録。」
微かに震えながら魅録はそう言葉を吐く。
まるでこちらの声など届いていないかのような言葉の羅列に、咲季は彼が何を言いたいのかわからなくなった。
それでも彼はまだ何かを言いかけては息をのんで、何かの感情に飲み込まれるのを怖がっている。
「皆を危険な目に合わせた…。」
「…。」
「ごめん、俺、謝ってすむかわかんないけど、俺、咲季にも」
魅録を襲っていたのは大きな自責の念だった。
謝りたいことが山ほどあって、伝えたい思いも山ほどあって。
目の前のいる彼女に対しても、自分は謝らなければいけないことがある。
自分が皆を、彼女を危険に晒していて、それでもなお何もできない自分が殺したいくらい憎いのだ。
それでも心のどこかで許してもらえることを願っていたのも事実だった。
優しく自分の名前を呼んでくれる彼女に「大丈夫」と言ってほしくて、魅録はすがるように言葉をつづけた。
そんな不甲斐ない自分を心の中の冷めた部分で見つめていると、途端に情けなくなってくる。だめだ、涙が。
「魅録、大丈夫。」
「っ……。」
静かな部屋の中に優しい彼女の声が、ほしかった言葉が響いた。
そして小さいくせにやたらと暖かな手のひらが腕に添えられる。
ここに来る前に蹴られたところだったか、と思うほど痛みともしびれともいえる感覚が腕に伝わってきて、我慢しようとしていた涙がぼたぼたと重力に沿って床に跡を残す。
「魅録は悪くない。…落ち着いて、大丈夫だから……。」
子どもをあやす様に一定のリズムでぽんぽんと腕を叩く咲季の腕が優しすぎて魅録はもう泣くのを我慢しなくなった。
それでも声をあげるのだけは恥ずかしいと思い、声を噛み殺した。そしたら余計に涙になって出てきてしまった。
止まることのない涙を見ながら、咲季はずっと腕をぽんぽんと叩き続けた。
大丈夫、と彼が泣き止むことをかすかに願いながら呟き続けていると、まるで自分に言い聞かせているような気持ちにもなった。
見上げると魅録の長い前髪がゆらゆら揺れていて、ぽたぽたと目の前を落ちていく彼の涙が色々な気持ちを含んでいることを思い知らされる。
彼の涙はなんだか自分の固く絡まっていた苦しみを溶かしていくようで、咲季は落ちていく涙を見ながら綻んでいく自分の気持ちに切なさを感じていた。
「…。」
しばらくすると少しずつその涙の勢いは収まり、魅録の震えも収まっていた。
咲季がそんな変化に気づきながらも腕に触れていると、うつむいていた魅録の頭がゆっくりと持ち上がった。相変わらず表情はよく見えないが、前髪の向こうで魅録の目がちらっと光ったかと思ったところで魅録の腕がゆっくり伸びてきて、反対に咲季の両肩にそっと触れた。
「それでも、ごめん。」
「みろ、」
今度はさっきまでの狼狽えた声とは違う、はっきりとした声で謝罪を述べた。
そして、咲季の発言をかき消すようにぐっと咲季の身体を引き寄せて抱きしめる。
咲季はその衝撃に一瞬息をのみ、自分の肩の向こうで魅録が大きく息を吐いたのを感じ、その謝罪が何のことを指すのかわからなくなった。
何も言わない魅録に、咲季は「うん」とだけ答えた。
強く胸板が押し当てられ、咲季は動くことも言葉を発することもできず、ただただその感触を感じながら時間が過ぎる。
何かから自分の身を守るように、あるいは自分を何にも触れさせないようにすっぽりと抱きしめた魅録が体は大きくともどこか小さなものに思え、咲季は心の中で「あなたは悪くない」と呟いた。
それからしばらくした後、魅録はゆっくり咲季を引きはがした。
すん、と鼻をすすって「ごめん」と今日何度目かわからない謝罪を口にする。ここに入ってきたころより幾分落ち着いて見え、改めて咲季は事のいきさつを尋ねた。
「ねえ、何があったの?けがしてるし…その写真も…」
落ち着いたものの魅録はやはり何も言わない。
そして、ふう、とため息をつくと足元にころがっていった黒い物体を手に取りポケットに入れた。
それは先ほど魅録が床に投げつけたカメラのようなものだ。
「それは何?」
「…。」
やはりだんまりを決め込む魅録に少しの苛立ちを感じながら咲季はじっと魅録を見つめる。
それでも魅録は何も言わない。
「黙ってちゃわかんないよ。…大変なことに巻き込まれてるんじゃないの?」
「…別に。」
「そんなバレバレの嘘つくの?」
「…。」
「心配なんだよ…こんなの、放っておけない…。」
心配そうに自分を見上げる咲季をみて、魅録は不謹慎にも心がときめいた。
しかしそれと同時に彼女がこれまで涙を流したり恐怖におびえたりしていた時のことを思い出す。
「これは俺の問題だから、咲季は関係ない。」
「…。」
切り捨てるように吐いた言葉に、咲季は少し目を見開くと、うっすら悲しげな表情をした。
月明りに照らされてとても綺麗で悲しい顔に、これまでの彼女の表情と同じように、なぜか清四郎の顔もちらついた。
「ごめん…。危ない目に合わせたくないんだ。」
「そんなこと、」
「咲季のこと、もう傷つけたくない。」
「魅録。」
「分かって。俺は自分が傷つくよりも、皆が、…咲季が傷つくほうが怖いんだよ…。俺の気持ちわかって。俺はっ………!」
お前のことが好きだから。
そう言いかけて、魅録はぐっと言葉を飲み込んだ。
今までのどんな時より、苦しい瞬間だった。
咲季は困った表情をしたが、魅録の様子をみてそれ以上は何も言わなかった。
少しの静寂の後、魅録は何もなかったかのように「帰ろう」と声をかけて歩き出した。
送るから、と付け足すと、咲季は小さく「うん」と返事をし、歩いていく魅録の後ろについていった。
中庭に出ると冷たい空気が二人の顔に吹き付けた。
魅録は慣れた手つきでバイクにまたがるが、咲季はどうしたらよいかわからずその場に立ち尽くす。
「バイク乗るの初めてかも…。」
「怖い?」
「…魅録の運転、危なくないの?」
「危なくねぇよ。ちゃんと捕まってたら落ちないし。」
手渡されたヘルメットを手に落ち着かない様子で質問をする咲季がおかしくて、魅録は笑いそうになる。
真剣な表情でヘルメットを見つめ、咲季はその視線を魅録に移した。
「落ちたらどうなるの?」
「…だから捕まっててほしいんだけど。」
「はい…。」
ぎこちない手つきでヘルメットをかぶり、咲季もバイクにまたがった。
よほど落ちたくないのだろう、まだエンジンをかけてもいないのに細い腕でしっかりしがみついてくる咲季に魅録は不覚にもドキッとした。
こんなに細い腕でさっき自分を慰めてくれたのかと思うと愛しさがこみあげてくる。
緊張を紛らわせようと早々にエンジンをかけ、走り出す。
しがみつく腕の力が一層強くなった。その強さに心地よさを感じながら帰路につく。
途中で少し清四郎の顔がちらついたが、今だけは許してくれと心の中で頼み込んだ。
それだけ離れがたい感触だった。
ほんの数分で咲季の住むマンションにつき、咲季をおろすとホッとした表情の咲季がヘルメットを魅録に手渡した。
「明日学校来るよね…?」
「まあ、一応。…あんまり気にすんなよ、俺の問題だから。」
くぎを刺すように言われた咲季は少し面食らいつつぎこちなく頷いた。
その様子にひとまず安心した魅録はさらに忠告する。
「あと、一人にはなるな。俺じゃなくても、とにかく、誰かと必ず一緒にいるようにしろよ。……清四郎とか、さ。」
「え…でも、迷惑してるって…。」
瞳の揺らぐ咲季をみて、魅録は以前自分がしたことを思い出し一瞬たじろぐ。
それでも魅録はぐっとこぶしに力を込めて口を開いた。
「それは…そんなこと…ないと思う。お前も見ただろ、カジノん時の清四郎の顔。」
そこまで言ってから、咲季の返事を聞かずに「中入って」と咲季を促した。
咲季はその言葉には従わず、見送ると一言返してその場にとどまった。
魅録はそれを聞いて一度ため息をつくと、観念したのかヘルメットを被りなおして前を向いた。
そして大きなエンジン音を出して走り去る。
咲季は遠くなる魅録のバイクのランプを見て少しだけ胸がざわつくのを感じた。