6章
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カサル王子の帰国から数日後。
キール王国のクーデタなどの一連のニュースも少し落ち着き、学園も落ち着いてきた。
12月に入り、寒さも本格的になってきたのもあって、学生たちの車での登校率も増えてきた。
そんな中、有閑倶楽部の部室ではいつものように朝もらったプレゼントが机の上に散らばっており、その中には旅行やパーティーのお誘いの手紙もちらほら見られ、12月特有のラッピングも目立つ。
それを囲みながら6人は今日もそれぞれ自分たちの好きなことをして時間をつぶしていた。
珍しく野梨子がパズルではなく携帯電話を手にしていること以外は、いつもと変わらない有閑倶楽部の姿だ。
「あー……暇だ…。」
「なんかゲームでもする?……トランプとか。」
「トランプ…うーん、でも昨日もずーっとダウトしてたしね。」
「あ!!!」
その言葉に思い出したように魅録が声を上げ、部室に届いたプレゼントの中からジェンガの箱を取り出した。
それを見た悠理の顔が明るくなり、皆でやるぞ!と大声を上げる。
その声に可憐と美童が机の上を片づけ始めた。
本を読んでいた清四郎も、仕方ないですね、と満更でもないような顔で片づけを手伝う。
プレゼントの山は別のスペースの机の上に置き、包装紙はゴミ箱に捨てる。
こんな掃除のときには率先して動いているイメージなのだが、そんな野梨子は携帯電話を見てぼーっとしていた。
「野梨子、やらないの?」
「え?ああ、もちろん参加しますわ。」
美童が声をかけると小さく声を上げ、はっとした表情で美童の方を見た。そしてすぐに野梨子は携帯電話をポケットにしまい、机の片づけを手伝い始めた。
先ほど、この後開かれるお茶会の用意について母親からメールが届いていたためそれを確認していたのだ。
カサル王子の帰国から、咲季と顔を合わせることはめったになくなった。
メールもなぜかあれから一通も来ず、クラスの授業に行っても音楽の特別講座を受けていたりして、確実に彼女との接点が少なくなってきていることを野梨子は感じていた。
しかしそれは、彼女がわざとそうしているようにも感じられた。
そしてこれが彼女の答えでもあるのかもしれないと思うようになり、野梨子は今、自分からメールを送ることを避けている。
がさごそと音を立てながら机の上の包装紙を適当に片づけると、可憐がちょっと待って、と皆を制止する。
「ただやるだけじゃ面白くないわよ。」
「じゃあ、負けたら1か月部室掃除とか?」
「いいねぇ。」
可憐と美童の提案に皆が乗り出し、全員がそれぞれの位置に座り、机の真ん中のジェンガを取り囲む。
皆が一様に気合を入れ、トップバッターの魅録が気合を入れたところだった。
突然、バタン!と大きな音を立てて誰かが部室に入ってきた。その音に驚いた魅録は取りかけのピースを持ったまま体がびくりと跳ねる。
「あ゛!!!」
がらがらとジェンガは倒れ、机の上に無残に散らばった。
そこまでは一瞬で、その様子に「あら」と声を上げる女性。そちらを確認し、魅録はまたもや大きな声を上げた。
「千秋さん!!」
机の上の残骸にぱちぱちと何度か瞬きをした後、千秋さん、と呼ばれた女性はパチッとウインクをし魅録にいたずらっぽく笑いかけた。
「はぁい、魅録ちゃん。元気にしてた?」
いかにも高級そうな毛皮を羽織った女性がサングラスを取り、自分の名前を呼んだ魅録の方に小さく投げキッスをした。
***
咲季の頭の中ではまるで音符が踊っているようだった。
これはただの比喩のつもりだが、今の彼女の様子を絵で描けば、頭の上にはひよこではなく音符が回っているかもしれない。
「調音苦手…意味わかんない…。」
歌は小さいころから好きだったが、音楽を小さいころからしっかりやってきたわけではない咲季にとって、楽典は苦手だった。
音楽はまるで数学、と言っていた父の言葉を思い出す。音楽の才能はまるでない父だが、楽典となっては母よりも理解が早かった。それを見るたびに母がムッとしていた。
「数学好きじゃないしな…調音も音はわかるけど…」
先生の奏でる音を聴き、楽譜におこす作業は普段の授業よりも集中力を必要とする。聞き逃しはもってのほかだが、聞いた音を覚えなければならないのも苦しい。
咲季はここ数日の音楽の特別補習で楽典に悩まされていた。
シュミット先生はこちらに戻ってくる条件として、向こうでやるはずだったレッスンの半分を行うことを命じた。
技術的な部分はもちろんだが、音楽の専門学科にいるわけではない咲季にとっては、楽典などの知識の面に関して不足が目立ったのだ。
感情や感性で歌うことは出来ても、知識なしでは楽譜を読み取ることは出来ない、というシュミット先生の考えに基づいている。
抱えた楽譜と音源をぎゅっと抱きしめ、教室へと歩く。
次の授業のために早足で歩いているところで、誰かにぶつかりそうになった。
「危ないですね!!!ちゃんと前を向いて歩きなさ……高天原くん!」
「あ、すみません。……あれ?」
「………あら、咲季ちゃん?久しぶりねー!」
大きな声をあげる教頭にハッとして顔を上げると、派手な毛皮を身にまとった女性がいた。
そしてその人は、咲季がオーストリアにいたときに出会った女性・千秋だった。
「えっと、千秋、さん?」
「覚えててくれたの?うれしい!!」
可憐な投げキッスをして喜ぶ千秋さんと、2人に面識があったことに驚いている理事長たち。
中々にカオスな状況に咲季が何も言えなくなっていると、千秋が咲季の手をとった。
「この後、時間ある?校長たちとバカ息子の話をしたら2人で一緒に遊びに行きましょ!」
「バカ息子?」
「松竹梅魅録。生徒会副会長だっけ?あのこ妙に目立ってるのよねー。」
「え!?」
千秋はそういって悩ましげにため息をついた。
その言葉に目を真ん丸にする咲季。その様子に千秋は驚き、アハハと笑った。
「その様子じゃ知ってるのね?ふふふ~魅録も隅に置けないわね。」
「いや、あの、」
「すぐに話終わらせるから、支度して理事長室の前で待っててね。」
「え、ちょっと、えっと」
じゃあね!!と手を振り足早に去っていく彼女の後姿を見つめるしかできず、咲季は諦めて帰り支度をすることにした。
千秋と話をしたのはちょうど2か月ほど前のことだ。
あの時にも少し話をして気がまぎれたことを覚えている。千秋は強引だが、こちらの気持ちをわかってくれる頼りがいのある存在だ。
魅録の母親だということは衝撃だが、2人で、と言っていたので信じることにしよう。
ふと歩いていると生徒会室へと続く階段の前を通った。今日は珍しくにぎやかな声は聞こえない。
カサルが帰ってから数日したころにここを通った時には声が聞こえた気がするのに。
野梨子からも連絡はない。もちろん、他の人からも。これは野梨子が何かを言ってくれたからなのだろうか。
誰とも連絡を取らず、以前の生活に戻っていた。咲季自身も少しずつ元の生活に慣れてきていた。
与えられた仕事をただこなしていく毎日。すべて投げ出していたあのころとは違う。
「満足と、慣れは違うけどね……。」
自嘲気味に呟いて、咲季は階段の前を通り過ぎた。
腕の中の荷物はさっきよりも冷たく重く感じた。
***
海の見えるオープンテラスで乾杯をする。
ワインを一口飲み、上品に味わっている千秋さんをちらりと見て、私はミックスジュースを一口飲んだ。
「付き合ってもらっちゃって悪いわね。」
「いえ、私もすごく楽しいです。」
さっきまでのハイテンションと違って、穏やかな様子の千秋さんは私にそういって謝罪した。
かくいう私も、さっきまでのなんとなく暗い感情が少し晴れたような気がして、笑顔で千秋さんにお礼を言う。
千秋さんは何言ってるの、と言ったが、彼女は何でも見抜いているようにも感じた。それでも何も言わずに一緒に居てくれるところは何だか魅録に似ているとも思う。
「ここのエステは最高でしょ?私が見つけたから当たり前だけど。」
「ふふ、はい。でもほんとにお代はいいんでしょうか…」
「何言ってるの!私の我儘に付き合わせてるのにお金とるわけないでしょ!」
ばかねぇ、と言ってまたワインを一口飲んだ。
私は苦笑いを返し、テラスから遠くに見える観覧車に目をやった。
その様子をちらりと窺って、千秋さんが話しかけてきた。
「ねぇ、あの話はどうなったの?」
「え?あの話?」
「なんか誘拐されたとか…あと、恋愛も。」
「あ、ああ…」
あの時はそう、悠理が誘拐されたけど私自身はオーストリアにいて、何もできなかったんだ。
ふとそれを思い出したが、何もできなかったのは今も同じだと思った。
恋愛の方もそうだ。今はこの気持ちに名前がついているが、あの頃だってきっと同じ気持ちだっただろう。
「浮かない顔ね。」
「いやぁ…あはは…」
「女はね、恋をしている時が一番なの。その人のためになんでもできる気がするのよ。」
「…。」
「でももっと面白いのはね、その人がまるで世界のすべてになったみたいな気がしちゃうのよ。」
くすっと笑って千秋さんは遠くの観覧車を見た。そこからは何も言わず、そこをずっと見ているようだった。
私は千秋さんの言う言葉の意味をもっと知りたかったが、知っているような気もした。
世界のすべてだから、否定されたくないんだと。世界のすべてだから、受け入れてほしいのだと。
「あら、」
しばらく一人で考えていると、千秋さんが小さく声を上げ、笑顔になって手招きをした。
そちらに目をやると、お茶会帰りなのだろうか、綺麗に着飾った野梨子が驚いたようにこちらに向かってきた。
「咲季!…どうしてここに?」
「知り合いだったの?じゃあちょうどいいわ!野梨子ちゃんもどうぞ。」
千秋さんに促されるまま席に着いた野梨子と目を合わせて、ふっと笑いあった。
ああ、この感じ好きだな。そう思ってミックスジュースを飲んだ。野梨子の柔らかな香水の香りがする。落ち着く。
「千秋さんに誘われて、2人で一緒にエステいってたの。」
「あら、そうなんですの。」
「野梨子ちゃんはお茶会帰り?」
「はい。少し早く終わったので散歩でもしようかと。」
しばらくすると野梨子の頼んだ紅茶が来て、一息つく。
野梨子の話によると、今日は千秋さんたちの結婚記念日なのだそうだ。幸せそうな千秋さんの表情にこちらも思わず笑みがこぼれる。
先ほどから目をやる観覧車は、その思い出の遊園地なのだそうだ。
2人の思い出話を聞いていると、野梨子の携帯が震えた。
ちらりとこちらを見たため、私はそれが有閑倶楽部の誰かからなのだと悟る。
ふっと目を逸らすと野梨子は携帯を持って席を立った。
野梨子が席を離れた後、何気なしに千秋さんが尋ねた。
「野梨子ちゃんと幼馴染なのね。ていうことは、清四郎ちゃんとも?」
「あ、いや、はい…。」
「ふーん、そうなの…。」
私の歯切れの悪そうな返事に何かを察して千秋さんはそれ以上聞かなかった。
話をする野梨子の後姿を見ながら、私はばれないように小さくため息をつく。千秋さんがそれを聞き逃すはずもなく、しかしそれを問いただすようなことはしなかった。
「こうやって何十年も一緒に居たって、不安になるときだってあるのよ。」
「え?」
「私に花束を持ってきてくれる。そう信じてるわ。それでもね、完全に、100%、信じ切ってるわけじゃないの。」
「そう、なんですか…?」
「不安になるときだってあるの。でもそれをね、いつだって消し去ってくれるのよ。時宗ちゃんは。」
うふふ、と笑う千秋さんに、私はじっと目を向けていた。そんなに愛し合っていても不安になるの?じゃあ私の気持ちなんてすぐになくなってしまうんじゃないだろうか。
そして少しでも期待した清四郎の行動だって、信じられるの?
「でも覚えておきなさい。不安になるときはいつだって、自分の中にその不安は生まれてるのよ。」
そういうと、おかえり、と野梨子に声を掛けた。
私はその声で野梨子が戻ってきたことに気づく。野梨子は申し訳なさそうに「大事な用ができた」と言った。
さっきまでの千秋さんの話が心に引っかかって、私は野梨子に適当に返事をした。
それでも心にまた暗い雲が広がる。私はいつまでこうしているの?
「千秋さん。」
「ん?」
「それは、今の千秋さんたちには当てはまるかもしれません。」
「……。」
「でも、私は違います。だってまだ、始まってもいないし。」
信じ合う関係を築くチャンスはとっくの昔に過ぎていた。それを放棄したのは私か、向こうか。
それはわからない。私は清四郎を信じる強さもないが、自分の気持ちを信じる強さだって、ない。
「もう、終わっちゃったっていうか。」
あは、と軽く笑ってみたが、思いのほか口角が上がらず中途半端な表情になってしまった。
それは私の心のままだ。
何もかも中途半端で、どうしようもなくなってからもがく。
「そう、」
「だから、もうダメなんです。だめだって、思わなきゃ、やっていけない」
「…。」
「期待して馬鹿を見るのも嫌だから。」
そこまで言い終わると、千秋さんは私の肩をそっと抱いて、私の頭に自分の頭をこつんと引っ付けた。
そうね、と呟き、肩を抱いたその手を頭に添えて優しく頭を撫でてくれた。
「そうね。怖いわよね。」
「っ…。」
「信じることには何万倍も勇気が、いるもの。」
千秋さんの言葉で、胸がぎゅっと苦しくなった。
今にも泣きそうになって、ぐっと唇をかみしめる。規則正しいリズムで私の頭を撫でる千秋さんの手が優しい。
私はこれ以上甘えることが怖くなって、すっと千秋さんから離れた。
千秋さんは少し驚いたようだったが、何かを考えると笑ってこういった。
「よし、咲季ちゃんの話は聞いたわ。今度は私のために、一緒に時宗ちゃんを待ってくれるかしら?」
「へ?」
思いもよらない言葉だったが、千秋さんは遠くの観覧車を指さし、こちらにウインクを飛ばした。
私はきょとんとして千秋さんの指の先にある、大きな観覧車を見つめた。