6章
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ゆっくりと重たい瞼を開けると、窓の外はうっすらと明るくなっていた。
咲季が重たい体を起こすと、重力に従って薄手の毛布が床に落ちる音がする。
「朝…。」
手の中の携帯電話に気づいて、画面を開くと、何件かのメールと不在着信が残っていた。
咲季はそれを確認する前に顔を洗ってこようと思い、冷たいフローリングに足を下した。
そばにあったスリッパをひっかけて洗面台に向かう。
途中の壁掛け時計は午前7時ごろで、そろそろ学校に行く用意もしなければなぁとぼんやり考えた。
「目、腫れてるし…」
11月も終わりに差し掛かっている。
蛇口から流れてくる冷水も、手に沁みるようだった。
そのまま何度か顔を洗うと目が冴えてきて、鏡に映った自分の顔がはっきりと見える。
瞼がなんとなく赤く腫れぼったくなっていて、瞼に触れると少しだけ熱を持っていた。
リビングに戻ってきてテレビを何気なくつけると、何時も見ている朝のニュースが付かない。
どうしたのかと思い、いくつかのチャンネルを回していると、ふと今日が日曜日だということを思い出した。
はぁ、とため息をついてソファに座り、テーブルに置きっぱなしにしていた携帯を開く。
メールと着信を確認していると、テレビから日曜のニュースが流れてきた。
「こんなことがあったんだ…。」
ニュースでは綺麗にまとめられた誘拐事件の一部始終が流れており、咲季はそれを食い入るように見つめた。
ところどころでコメンテーターや専門家らしき人間が何かを喋っているが、これらの計画はすべて清四郎が考えたことなのだろう。
彼らでは到底、清四郎の計画の半分も思いつかないだろう。
結局解放された二人にもけがはなかったらしく、それは咲季の携帯に届いていた野梨子からのメールでも語られていた。
がんばって打ちこんだのだろうか、相当な量の文章で書かれた事の一部始終は、ニュースのまとめ映像よりも鮮明に有閑倶楽部の皆の動きを思い出させるものだった。
メールは野梨子からだけで、あとはよくわからないメールマガジンや生徒会からの連絡メールだった。
着信を確認すると、一件は野梨子から、もう一件は学校からだった。
「学校から?なんだろ…。」
8時になれば学校の事務室も開くと思い、咲季は携帯をテーブルに置いて朝食の用意をすることにした。
***
朝食の用意を済ませ、ダイニングテーブルに料理を並べて椅子に座ったところでタイミングよく携帯が鳴った。
ちかちかと青いライトが点滅しており、咲季は携帯を手に取ってその画面を確認する。
気が付けば8時を軽く回っており、そういえば電話し忘れた、と思いながら通話ボタンを押した。
電話の向こうからは朝早くとは思えない、何時もの能天気な声が聞こえてきた。
『おはようございます!!!』
声の主は校長先生だ。
遠くの方からさらに甲高い声が聞こえるところから、そばには教頭もいるのだろう。
しかし日曜の朝からいったい何の用だろうか。
「どうも…。」
『急にすみませんねぇ…ところで、ニュースはご覧になりましたか?』
「え?」
『カサル王子の!誘拐事件!ですよ!』
こっそり通話のボリュームを下げて、もう一度校長の声を聴きとると、どうやらカサルのことらしい。
今朝見たニュースや野梨子からのメールを思い出しつつ話を聞き流した。
『これでもうカサル王子の安全も確保されたわけです!』
「はい…」
『というわけで!カサル王子は今日のお昼に帰国なさることになったのですよ!』
「………帰国?今日ですか?」
適当に聞き流していた咲季だったが、その言葉を聞いてはっとする。
こんなにすぐに帰国なんて早すぎやしないだろうか。
そう思ったが彼も、これから一国の主となる男だ。そう簡単にはいかないのだろう。
それから校長に、カサルは帰国の前に一度学校に挨拶に来るらしいことを聞かされた。
咲季は連絡をくれたことにお礼を言い、電話を切ると早々に朝食を取り始める。
帰る前にカサルに挨拶をしておきたいと思ったのだ。
そういえばこのことを可憐は知っているのだろうか。
昨日からのニュース映像で、可憐の胸にカサルからもらったであろうペンダントが輝いているのを何度か見た。
カサルからの婚約の申し込みがあったということを意味している。
それを可憐が身に着けていたということは、可憐はそれを受け入れたということだ。
ならば可憐は一緒にカサルと帰ってしまうのだろうか。
「……キール王国って、遠いかな。遠いよね…。」
ぼそりと呟くと反応するように洗濯機の音が鳴り響いた。
咲季はハッとして洗濯物を籠に入れるために洗面所に向かう。
朝食をとって、昨日放置した家事の残りを済ませたら、学校に向かおうと決めた。
***
「………。」
沈黙が流れる部屋の中、5人は困っていた。
さすがになんと声をかけていいかわからなかったのだ。
椅子に座りこんで微動だにしない可憐の姿を見て、あの悠理でさえも何も言葉をかけられず、ひきつった笑顔で魅録を見つめている。
「………い…。」
「え?」
微かに聞こえた可憐の声に、美童が聞き返す。
ぷるぷると震えているのだろう。可憐の絹のように細い髪が同じように震える。
「ひどい……。」
「可憐、」
「ひどすぎるわよ!」
バン!と大きな音を立てて机を叩きながら立ち上がった可憐の勢いに、慰めようと一歩近寄った野梨子がびっくりして飛び上がる。
周りで見ていた4人も野梨子と同じように驚き、目を丸くして可憐の方を見た。
「一夫多妻なんて聞いてない!それに急すぎるわよ!!あたしまだ何にもしてないのよ!?食事だって屋台だったし!お買い物も!映画も!」
「か、可憐……。」
落ち着けって、と魅録が焦った様子で可憐をなだめる。未だかつてない可憐の姿に全員がどうしたものかと困り顔だ。
「………最後に一言言わないと気が済まない!」
可憐はそう言って振り返った。
その目にはうっすら涙が溜まっており、それを見た美童がふっと表情を崩す。
それにつられるように皆も可憐の表情を見て微笑み、慰めるように野梨子が可憐の手を取った。
「何よ…。」
「可憐、一言言ってやりましょう。」
野梨子がそう言って微笑むと、皆もふふと笑う。可憐は野梨子の言葉に少しだけ驚いた顔を見せたが、泣き笑いの表情で「うん」と答えて歩き出した。
日曜日の学校には人がほとんどいなかった。
聖プレジデント学園では大会前以外、日曜日の部活は禁止されている。それはキリスト教系の学園であるということもあるのだが。
静かな校舎の中を歩きながら窓の外を見ると、中庭の大きな広場の前の道路に黒塗りの車が止まっているのが見えた。魅録はそれをぼーっと見つめながら、皆について歩いていく。
今日はあったかそうだな、と太陽の光を浴びる車を見ていると、ふと広場のところに人影を見つけた。
「………。」
二人のうちの一人は独特のベールをかぶっている。あれはもしかしたらカサルかもしれない。
片方は聖プレジデント学園の制服を着た女子生徒だ。
少しずつ歩いていくうちに、その女子生徒のシルエットが咲季であることが分かり、魅録はわざとそこから目を逸らした。
そして前を行く見慣れた後姿を見つめる。
野梨子と話でもしているのだろう、清四郎は咲季の姿には気づいていないようだ。
他の皆も気づいていないらしい。魅録は少しだけほっとして、また窓の外に視線を戻した。
今度は広場の二人より、もっと遠くの方を見るようにしたが。
***
今日はいつもより暖かいのかもしれない。
お昼前の太陽の光がぽかぽかとしており、風も強くないからか、広場で突っ立っていてもそんなに寒さを感じなかった。
ここに向かうために学校までの道のりを歩いているところで、カサルから直接連絡をもらった咲季は言われたとおりに学校の中庭の中央にある大きな広場に来ていた。
前の大きな通りには車が停まっており、カサルの用が終わるのを待っているようだった。
「咲季、来てくれたんですね。」
「来ないわけないでしょ。……もう帰っちゃうんだね。」
あまりにも短すぎる滞在に、咲季は寂しさを隠せずについそう口に出してしまった。
すぐにハッとしてごめんね、と返したが、カサルはそれでも笑ったままだった。
「少しの間しか一緒に居なかったけど、咲季のことはずっと気になっていました。」
「……。」
「咲季を初めて見たときから、咲季は僕に似ていると思ったんです。」
「似てる…?」
カサルは表情を変えず、笑顔のままでそう言うと、そこから何も言わなくなる。咲季はカサルの言葉の意味が分からず、ただカサルの次の言葉を待つことにした。
「僕が日本に来て、この学園の人にも迷惑をかけてしまいました、」
「そんなこと…。」
「はい、皆そう言ってくれました。咲季と同じように。」
彼の言う「皆」とはおそらく有閑倶楽部の皆のことだろう。
カサルは楽しそうにこの週末の話をしてくれた。おなかが痛いふりをして、病院に運ばれたこと、日本の皆と同じような普段着を来て可憐と出かけたこと、屋台で食べたラーメン、お金を入れるとジュースが出てきたこと……初めて救急車に乗りました、と言うカサルに、咲季は思わず笑ってしまう。
「迷惑をかけてしまって、とても申し訳なかった。でも彼らは言ったんです。それが"ダチ"ってもんだろ、って。」
「ダチ……。」
「迷惑をかけられて、迷惑をかけるのがダチ、なんだそうです。僕の父と悠理の父がきっとそうなんだと思います。そして、彼らと僕、僕と咲季も。」
「カサル…。」
カサルが笑顔を一層深くし、咲季に微笑みかけた。
彼の言葉は拙いが、咲季の心に深く突き刺さるような気がする。
咲季は何も言えないまま、カサルの顔を見るしかできなかった。
すると車の方から運転手がやってきて、カサルに一言告げる。どうやらそろそろ行かなければならないようだ。
カサルは運転手に何かを告げ、それを聞いた運転手が頷くと、また笑顔でこちらに向きなおった。
「咲季と、皆は違うんですか?」
咲季がその言葉に目を丸くすると、カサルは小さく笑って歩き出した。
車の方に向かうカサルの背中をぼーっと見つめながら、カサルの言葉をかみしめる。
私と、皆?
「カサル!」
少し遠くから聞こえた声に、咲季とカサルは一緒に振り向く。
可憐が複雑そうな顔でその場に立ち止った。その少し後ろでは、他の有閑倶楽部の面々が同じような顔で二人を見ている。
「………私は…。」
「皆、いい人たちですよ。」
ね?とカサルが皆を見て笑顔で手を振る。咲季はそんなカサルを見て恐る恐るそちらの方を見た。
笑顔がまぶしくて、うまく見られないな。
そんな考えが心の中に浮かんで目をふっと逸らし、咲季は寂しそうに笑った。
「そう、だね。皆いい人たちだと思う。カサルのこと、きっと忘れないよ。」
「咲季」
「……皆、とっても素敵なの。私じゃ敵わないくらいに。」
咲季がそう答えたところで、カサルの表情から笑みが消えていた。
小さくなる彼女に、やはり彼らと彼女の間には何かがあるのだろうということを悟った。
そしてその悲しそうな笑顔はやはり清四郎に似ているな、とも思う。
そう思ったところで、カサルは思わず彼女に歩み寄り、手を伸ばしていた。
可憐は目の前で起こったことに驚いて目を丸くしていた。
それは周りの皆も同じで、野梨子がハッと息を飲む声が聞こえたことからもうかがえる。
カサルの大きな腕の中に咲季の姿がすっぽりと隠れてしまっていて、咲季の表情を見ることはできないが、カサルの真剣な表情に、可憐は何も言うことができなかった。
可憐の手に、握りしめているペンダントの重みがやけにしみてくる。
「咲季、僕が初めて見たときから、僕に似ていると思ったのは、そういうところです」
カサルが咲季の耳元でそういうと、咲季はもそもそと腕の中で体をよじった。
それを制止するように、カサルが腕の力を強くする。
咲季は規則正しく聞こえてくるカサルの胸の音と、優しく響くカサルの声に動きを止めた。
咲季の動きが止まったのを確認して、カサルは落ち着いた声で言葉をつづける。
「誰かのことを気遣って、自分を殺して、…自分の所為で誰かに迷惑をかけることを恐れている。」
「…。」
「でもそれは、間違っています。それでは誰も嬉しくなんかないんです。自分に正直になって。」
そう言い終えたところで腕の力を緩めると、咲季が勢いよくカサルの体を押しのけた。
咲季はカサルの胸に手を当てて俯いたまま、何を言うでもなくコクコクと頷いている。
わかってる、それはわかってるんだよ、という心の声が聞こえた気がして、カサルは小さく震える咲季の肩を優しく両手で包んだ。
「咲季、迷惑をかけることが恐ろしいのは、その人に嫌われるのが怖いんです。怖くなるほど、その人のことが好きだから。」
「………。」
「だから、臆病になってしまうんですよ。」
「私は…っ…!」
カサルの言葉を遮るように、咲季は震える声を上げた。
咲季が涙をためながら顔を上げると、カサルは笑顔で頷いた。
無言でそのまま咲季の頭を撫でる。
カサルの言葉が思いのほか心に響き、咲季はその場にいられないような気持ちになって、カサルの言葉を遮りたかった。
これ以上現実を突き付けられたくない。自分の気持ちに向き合うことが怖い。
咲季はカサルに「さよなら」と呟くと、頭をなでるカサルの手を振り払って走り出した。
カサルはその後ろ姿を見ながら、「頑張って」と同じようにつぶやく。
新しい妹ができたようだな、とその後ろ姿を見送った。
「カサル…。」
「可憐、」
ふと隣から声がするので見てみると、可憐が複雑そうな顔で立っていた。
さっきまでのやり取りを見ていたのだろう、力を込めた握りこぶしの中に、カサルが渡したペンダントがあった。
「これ返す。」
「可憐………。」
「日本には、また遊びに来てよね。………皆で待ってるから。」
可憐の言葉にふっと笑みが漏れ、カサルは元気に返事をした。
皆の顔には笑みがあるが、少し違和感を感じるのはさっきの咲季とのやりとりの所為だろう。
「咲季が言ってましたよ。…皆、とっても素敵な人達だ、と」
「え?」
カサルは視線を清四郎に向けてそう言うと、清四郎は驚いたような顔で声を漏らした。
その姿が少し面白くてカサルは思わず笑ってしまった。
気にしないふりをしていてもやっぱり考えているのだろうな、と思いながら先ほどの咲季との会話を思い出す。
「そろそろ行きます、皆さん、ありがとう。」
カサルはそう言って車に乗り込んだ。
見えなくなるまで手を振っているカサルに皆は微笑み、その車が見えなくなるまで見つめている可憐を慰めながら、また校舎までの道のりを歩いた。
***
少し走ったところで、咲季は前にもこんなことがあったなぁと考える。
そうだ、それでこの後清四郎に電話をしたんだっけ?
でも今はそんなこと、簡単にはできない。
頭の中でカサルが言っていた言葉を思い出して、また泣きそうになる。
「私、最近泣いてばっかりじゃん…。」
思えば彼らに出会わなければこんなことにはならなかったのに。
平凡な3年間を送るだけでよかった。
どうしてこんなにも心を動かされながら、翻弄されながら生活しなければならないのかな。
好きだなんてことは、とうの昔にわかっていたはずなのに、突きつけられるとどうしていいかわからなくなった。
自分に正直になれるのならなりたかった。
でも、それができていたらと後悔してももう遅いのだ。
ここからどうすれば軌道修正できるのかなんて見当もつかない。
走るのをやめてとぼとぼと歩き始める。
家までの距離が遠いけれど、皆への距離はもっと遠く感じた。
***
「やっぱり……あたい、咲季と一緒に居たいよ。」
部屋に戻ってきた6人が席に着くと、悠理が一言そういった。
その言葉に美童が頷く。
他の皆も同じように悠理の言葉を真剣に受け止めていた。
ただ一人を除いては。
「私は…。」
「なんだよ野梨子、咲季と一緒に居たくないのかよ。」
歯切れの悪そうな野梨子の様子に悠理が少し語気を強くした。
他の皆も、野梨子の予想外の反応を少し不審に思いながら野梨子の言葉を待つ。
「私は、咲季の気持ちを尊重したいですわ…。」
「咲季の気持ち…。」
魅録が野梨子の言葉を繰り返し、口にくわえていた練飴を舌で遊ぶ。
咲季の表情がいくつか浮かんできたが、彼女の気持ちを言葉で聞いたことがないことに気づき、魅録は眉を寄せた。
「咲季が決めたことを私たちの我儘で変えることが、果たして咲季にとって幸せなのかしら…。」
咲季自身がここに居たいと望んでくれるまでは、無理矢理に連れてきてもまた同じことになってしまうだろう。
これは自分たちだけが問題なのではない。
咲季の気持ちと態度だって、こんな結果を招いた原因でもあるのだ。
「それでも、一緒に居たいって言ったら?」
皆が野梨子の言葉に考え込んでいるところで、魅録の声が響いた。
そして魅録はその言葉の後、清四郎の方を見つめる。
「俺は咲季と一緒に居たいんだけど。」
その言葉に、今度は清四郎が眉を寄せた。挑発するような口ぶりに、清四郎は口を開こうとしたがそれをやめる。
今の自分にそれを口にする権利があるのか、清四郎はそう考えると、魅録の言葉に目を逸らすことしかできなかった。