6章
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お昼休みになり、教室の緊張がずいぶんほぐれた頃にカサルの持っていた携帯が震えた。
周りの皆はカサルと一緒に食事をしたそうにしていたが、この教室から出ると警護の人がどこまでもついてくると言うのを聞いて引き下がった。
カサルに送られたメールは日本語で書かれていたため、隣にいる咲季に内容を聞いてみると、昨日連絡先を交換した可憐からのお昼のお誘いであると言うことがわかった。
「どうします?」
「え、いや、行ってきたらいいんじゃない?」
「咲季は行かないんですか?」
適当に返事をすると、カサルは不思議そうに尋ねてきた。
もちろん咲季は行くつもりはない。
咲季が困った顔をしていると、カサルは立ち上がって笑い、そんな彼女の手をとった。
「カサル?」
「行きましょう。」
「まって、ちょっ、」
カサルは咲季の声を無視して手を引き、可憐達が待つ中庭のある一角に向けて歩き出した。
手をぎゅっと握られているせいで妙に緊張して断ることができない。
咲季はカサルに引きずられるまま中庭に向かった。
外に出ると周りにいた生徒たちがどよめく。
今日やって来たかっこいい王子様が、いきなり学園の生徒の手をひいて歩いているのだ。
視線や話し声が気になって、咲季はグッと立ち止まりカサルの手をほどいた。
「咲季、」
「カサルだけで行ってきなよ。」
「どうして?」
「え…いや…。」
何故と聞かれると言葉に詰まってしまった。だって皆とはもう会わないって言ったから、とは言えない。
大体カサルは自分が彼らと関わりがあったことを知らないはずだ。
適当に言おうとしても、それくらいでは手を離してくれなさそうで、咲季はなにも言えないまま言葉を必死で探した。
するとカサルはにこっと笑って咲季の顔を覗き込んだ。
「大丈夫、みんないい人たちですよ!」
「カサル…。」
咲季と有閑倶楽部のメンバーの間に関係があったことを知らないカサルは、咲季が不安がっているのだと思い、励ましたようだった。
咲季はカサルの言葉にそれを悟り、何も知らないふりをして「…恥ずかしいから。」と話を逸らして繋いでいた手をほどく。
そうだ、いい人たちだ。
そんないい人たちから逃げて、避けようとしているのが私だ。
考えているうちに卑屈になって、咲季はうつ向いて小さく息を吐いた。
「やっぱり、カサルだけで行ってきて。」
「え?」
「ちゃんと待ってるから。…可憐はきっとカサルとご飯食べたいんだよ。」
かっこよくてお金持ちで王子様のカサルを可憐が放っておくわけがない。
メールの文面からもそれが窺える。
咲季は顔を上げて微笑んだ。カサルは咲季の言葉とその様子から、もう一度つなごうとした手をおろした。
「わかりました。でも、待っててくださいね。すぐ戻ってきます。」
「いや、いいよ!私のことは気にせず行ってきて。」
「そうですか…。」
遠慮がちに笑うと、カサルは咲季の気持ちを理解したのか、手を取ることをやめた。
一瞬残念そうな表情を見せたが、咲季が「待ってるよ」と付け足したのを聞いて、ふっと表情を緩めた。
「早くしないと可憐たちが待ってるよ。」
咲季の言葉にカサルはあっ、と声を出していってきますとその場を後にした。
去っていくカサルの背中を見つめながら、咲季は小さくため息をつく。
一緒に行けるわけがない、と思いながらカサルとは反対の方向に歩き出した。
***
ブルーシートを敷いて準備をしていた可憐は、校舎の方からやってくるカサルを見つけた。
来た!と悠理が言ったのを聞いて、わくわくする気持ちが抑えられずにその場で立ち上がる。
今日のためにたくさんお弁当を作った。早くカサルに食べてもらいたい、そんな気持ちでいっぱいだ。
「…咲季は?」
魅録がそう言ったのが聞こえた。皆も、警察に囲まれてやってくるカサルを見てその周囲に咲季がいないことに気づく。
一緒に食べようと誘ったつもりだったのに、彼女の姿はどこにもない。
遅れてすみませんと謝るカサルに、清四郎がいち早く質問をした。
「高天原さんとご一緒では?」
どことなくよそよそしい呼び方だな、と悠理は思ったが、カサルにしてみれば今日会ったばっかりだから当然だろうとそこは口をつぐんだ。
清四郎の問いに、全員がカサルの方を見る。可憐は複雑な表情をしていたが、何も言わずに言葉を待っていた。
「咲季は、…何か用事があるみたいでした。」
カサルは咲季の様子から、彼女がただ単に遠慮をしているだけではないということにうすうす感づいていた。
朝、剣菱家の車から降りたとき、警察と周りの生徒に囲まれて異様な雰囲気だったあの場所で、カサルは違和感ばかりを感じていた。
隣にいる悠理も不機嫌そうだったし、自分がいることでこの学校の日常の空気というものを壊してしまったのではないかという一抹の不安を感じたことを今でも覚えている。
そんな時に、目の前に咲季が現れた。
彼女のふわりと笑った笑顔が印象的だった。何より彼女の笑顔に安心したのだ。
初めまして、と差し出してくれた手はやわらかくて温かく、優しかった。
しかしその後にもっと気になったのは彼女の視線だ。隣にいる悠理の声かけに対して反応を示したのにもかかわらず、何も答えなかった。そして一緒に歩き出したとき、寂しそうに目を逸らしたのを目撃した。
彼女が悠理たちと何かかかわりがあったのだろうということはこの時になんとなく察していた。
そしてこの昼食の件だ。
「そうですか、ありがとうございます。」
目の前で少し微笑んだ彼は、まるで咲季と同じように笑うなぁとカサルは感じていた。
期待をしているのに、仕方ないと言い聞かせるような笑みだ。
カサルはそれに対して応える言葉が見つからなかった。
「カサル!これ作ったのよ。食べて?」
可憐に勧められるままにおかずを口に入れる。
彼女は料理が上手だな、そう思いながらおいしいですと感想を述べると可憐はうれしそうに笑った。
がやがやと周りの声が聞こえる。
あれが王子だって、こっちむいて、警察がずっとついてるな、有閑倶楽部の皆と一緒か、
「落ち着きませんわね…。」
野梨子がそう呟くと、周りの皆も周囲に立つ警察や周りの生徒をゆっくり見まわした。
カサルも同じように区切られた一角の周囲を見渡す。
どこにも咲季の姿はない。待ってると言っていたが、教室にいるのだろうか?
どこにも根拠はない。そういう確信もない。だけどもカサルは咲季のことを心配する気持ちが強くなっていた。
カサルは箸をおき、その場を立った。周りの皆が驚いたようにカサルを見上げる。
慌てて可憐が尋ねた。
「カサル?もういいの?」
「ごちそうさま、可憐、ありがとう。」
カサルは笑顔で可憐にそういうと黄色いテープをまたぐ。
咲季が一人でいるような気がしたのだ。
彼らと一緒に居たいのに、我慢していたように感じたのだ。
しなくてもいい心配をして、感じなくてもいい不安を抱えている。
それを一人で抱えながら待っているのなら、自分がこの場を奪ってはいけない。
「それじゃ、」
カサルの様子に可憐たちは何も言えず、カサルが出ていくのに合わせて警察もみな周りを離れた。
***
土曜日。咲季はコートを羽織って自宅マンションの隣にある菊正宗病院へと向かっていた。
先日の腕の傷を診てもらいに来るよう、野梨子からメールを受け取ったため、咲季は少し緊張しながらもマンションを出た。
「寒っ…。」
もう上着がないと出られないくらいに寒い季節になっていた。
咲季の家の隣に菊正宗病院の大きな駐車場があり、その向かい側に野梨子の家がある。隣といってもそれなりの距離がある。
清四郎に会ったらどうしよう、と考えながら歩く。先日のある出来事から、咲季はずっと清四郎のことを考えていた。
カサルの誘いを断って、一人で教室に戻ったあの日、咲季が持っていた昼食を教室で食べていると思っていたよりも早くカサルが戻ってきたのだ。
咲季の姿を見てカサルは安心したように笑い、隣に座って咲季が食べていたお弁当の中身を一つとって食べた。
お昼を食べたんじゃないのかと尋ねると、カサルは笑いながら、「咲季が心配になったんです」と答えたのだ。
咲季はその答えに面食らいながらも、お礼を言った。自分の様子が少しおかしかったことを、カサルは気づいていたのだ。
だが、そのあとにカサルが付け足した言葉に、咲季はドキッとしてしまう。
「清四郎も心配していましたよ。」とカサルは言った。
まるで自分の考えていたことがばれていたのではという気持ちに似た感情が喚起され、咲季は何も言葉が返せなかったのだ。
自分のことを心配しているなんて、そんなはずない。
仮にそうだったとしても、自分は彼に合わせる顔がないと思っていた。
空港に走ってきてくれた時も、自分がけがをして助けてくれた時も、どちらも清四郎の好意を無視して裏切ってきたのだ。
今更のこのこ現れることはできない、そう考えながらゆっくり歩く。
「…清四郎、いるのかな」
もし病院で会ったらどうしよう。そんなことを考えてしまう自分にも少し嫌気がさしていた。
清四郎に会って話すことは何も思いつかない。謝るとか、約束の話をするとか、聞いてみたいことや話したいことはあるが、いざ話すとなれば何を言えばいいのかわからないのだ。
でも今の自分は、病院で清四郎に会えるんじゃないかと期待していた。そんな不安を感じながらも、咲季自身は清四郎に会いたいと思っているのだ。
そんな中途半端で意地っ張りな自分が嫌だった。
「はぁ………」
ため息をついて菊正宗病院の門をくぐる。病院の前の通路に警察車両がずらりと並んでおり、壮観だった。
しかしここは病院だ。なぜここまでパトカーやら何やらがいるのか見当がつかなかった。
ふと見てみると入口の前に救急車が停まっている。何かあったのだろうか。
「お前、何やってるんだ!!!!」
怒鳴り声を上げる警官に、咲季はびっくりしてそちらの方を見る。
そういえばカサルが学校に来た時もこんな感じだったっけ、そう思いつつ救急入口をよけて一般外来への入り口に向かう。
野梨子にメールで言われたとおりに3階の整形外科に向かうためにエレベーターに乗り込んだ。
この病院に行けというメールも、清四郎が野梨子に送れといったのだろう。
清四郎の気遣いは咲季の自己嫌悪をさらに加速させていた。
***
診察を済ませ、ロビーで清算を済ませた咲季はカバンにもらった薬や包帯を入れながら広い病院のロビーを見渡していた。
3階での診察の後、広い1階の総合精算窓口で清算をした。もう少しで抜糸できるということで、咲季は一安心で薬をカバンに入れる。
広いロビーにはたくさんの患者やその家族がいた。菊正宗病院は院長やそのほかの医師の技術がいいというのもあるが、なんといっても設備が充実していることが人気の最大の理由である。
そのため、全国から患者が押し寄せてくる。
「咲季?」
カバンを持って立ちあがり、帰ろうとすると後ろから声をかけられた。聞き覚えのある声に咲季が後ろを振り向くと、驚いた顔をして立っている魅録の姿があった。
なぜか救急隊員の恰好をしており、咲季は急にここで出会ったことよりもそちらに気を取られてしまった。
「魅録……!な、何その恰好。」
「え?あ、いや…これは…ちょっと。」
咲季がクスっと笑ってそういうので、魅録は緊張と驚きが緩和され、苦笑いした。
さっきまでカサルと可憐を外に連れ出すために一芝居うち、その後片付けを済ませたところだったのだ。
後は服だけ、と車に戻ろうとした途中で見慣れた横顔を見たのだが、どうしても声をかけられずにいた。
しかし、その場を離れて帰ろうとする姿につい声をかけてしまっていた。
久しぶりに発した彼女の名前に少し緊張し、またこの間のようにいなくなってしまうのかと思ったが、彼女は意外にもその場にとどまり、自分の姿を見て笑ってくれた。
魅録はそれだけで緊張がほどけ、そして少し胸が温かくなるのを感じていた。
「また何かやったんだ。」
「……はい。」
「ふふ、変わってないんだね。」
咲季が楽しそうに笑ってそういうと、魅録はこの前までの彼女が嘘のように感じた。
一方の咲季も、魅録や有閑倶楽部の皆がまた何かやったんだろうというのはすぐに予想がついていて、いつも楽しそうだなと思っていた。
しかしその後に、自分がいなくても楽しそうね、という言葉が浮かんできて自己嫌悪の感情が浮かび上がる。
咄嗟にそれを隠そうと言葉を探していると、魅録の向こう側に見えたもう一人の人間に、咲季は言葉を失った。
「魅録、こっちは終わりましたよ。……咲季…?」
「!」
その声に魅録は振り返り、清四郎が大きく目を見開いて立ち尽くしているのが見えた。
魅録は一瞬、やってしまったと思うと、清四郎が眉間に小さく皺をよせて悲しそうな表情をしたのが見えた。
その姿にはっと我に返り、咲季のほうを向き直ると、咲季は視線を落として気まずそうにしていた。
「咲季、」
「私、そろそろ帰るね。…じゃあ。」
ばいばい、と言って遠慮がちに笑い、魅録の向こう側にいる清四郎には視線を向けずに咲季は振り返って去って行った。
魅録はその姿を呆然と見送ると、近づいてくる足音に気づく。
ゆっくり振り返ると、そこには予想した通り清四郎の姿があった。
「……。」
「俺、着替えてくるわ」
清四郎の姿に苛立ちを覚えて、魅録はそう言い捨てると清四郎とすれ違うように歩き出した。
咲季の笑う姿を見られたのに、こいつのせいだ。
そんな気持ちがもやもやと浮かんできて、魅録は大きく息を吐く。
咲季を悲しませた清四郎が、どうして同じように苦しそうな表情をするのか、魅録には理解できなかった。
否、理解したくなかったのである。
彼女の笑顔は久しぶりだったのに。
そう思いながらやけに綺麗な病院の中を足早に歩いた。
***
病院を出て家に帰り、咲季はソファにぼふっと座り込んだ。
期待通り、清四郎に会うことができたというのに咲季の心は喜びとは違う負の感情が浮かんでいた。
魅録と話していて、かつて7人で過ごしていたときのような楽しさを微かに感じていた。
何より彼らは自分が有閑倶楽部に帰ってくるのを待ち望んでいる。
自分が去って行ってしまったという負い目はあるが、ああやって話しかけてくれたことはとてもうれしかった。
しかしだ。
「清四郎……。」
小さく幼馴染の名前を呼んでみると、鼻の奥がつんとした。同時に胸が苦しくなって、上を向いて天井の模様を意味もなく見つめる。
清四郎が自分を見て驚いた顔をしていたのが、今も頭の中に残っていた。
そのあとの表情はわからない。咲季はどうしたらいいかわからなくなって視線をそむけたのだ。
魅録の表情もよくわからないまま、自分が慌てて病院を出たことを少しだけ後悔する。
もしかしたら話ができたのかもしれないのに。
「馬鹿だ…。」
そう呟いて顔を戻し、はぁとため息をついた。
もう何度目だろうか。こうやってため息をついては清四郎のことを考えるのは。
清四郎のことが好きだと気づいてから、目に見えるものがいろいろと変わっていた。
今まで何も求めているつもりはなかったのに、気づいてからは求めてばかりだった。
自分を見ていてほしいとか、特別でありたい、だとか。
考えるたびにつらくなるのだ。もしも自分がそうでなくなったら、いや、もともとそんな存在ではなかったらと思うだけで悲しくなる。
清四郎に会うとつらくなるのだ。
でも考えているのは清四郎のことで、そんな自分に嫌気がさす。
意地を張るのはもうやめたい。でもやめたところでまた元に戻れるのかと思うと怖くてできなくなる。
「もうやだ。」
そう呟いてソファに倒れこむ。
一粒涙が伝っていった。何に悲しいのかわからない。だけど胸が苦しかった。
どうして心配してくれるのか、どうして気にかけてくれるのか。
自分を想っていてくれるのか。
私はどうしてこんなにも清四郎が好きなのか、なにもかもわからないままだ。
***
「今何時……?」
次に目が覚めたのは夕方で、外はもう真っ暗だった。
あのまま眠ってしまっていたらしく、咲季はソファから起き上がり、机の上のカバンから携帯を取り出して時間を確認する。
もう6時か。そう思いながらソファに座りなおす。
変な寝方をしたのか体が痛い。咲季は伸びをしてリモコンを取り、テレビをつけた。
『ここで臨時ニュースです……・・』
ニュースで映し出されたのは人質解放の文字だった。無事保護、犯人グループを逮捕、何か物騒なことでもあったのだろうか。
速報と赤い字で書かれているニュースのテロップを見て、映し出された次の映像に、咲季はぼんやりしていた頭が一気に覚める。
「カサル……!?」
映し出された映像にはつかまった犯人グループとカサル王子が映っており、まとめられた犯行の一部始終が流れた。
総監の通訳をしている野梨子と、カサルと共に人質になる可憐の姿。
眠っている間になんてことが起こったんだ、そう思って連絡をしようと携帯を手に取る。
そこでふと気づいた。
「……連絡、ない。」
よく考えれば当たり前だ。自分はみんなと縁を切るようなことをした。
連絡が来るわけがない。
しかしやはり寂しいものだ。
大きな衝撃を受けたわけでもなく、咲季はただ茫然と画面を見て、何の期待もせずにメールの問い合わせをする。
結果は0件。わかっていた結果に、彼女は何の反応も見せずに携帯を持っていた手をゆっくりおろした。
暗い部屋の中で一定のボリュームを保ち、ニュースが流れていく。
ぼんやりと目に映る彼らは、見慣れた顔だったはずなのに、遠く感じた。
私は、ここまで距離が離れてしまっていたんだ。
次第にぶわっと視界がぼやけ、頬を涙が伝う。
今度はぐっと胸が苦しくなった。
咲季はただ手の中で冷たく動かない携帯を握って、黙って液晶越しに彼らを見ていた。