序章
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今日の目覚めはどちらかというと悪い。
いや、むしろ最悪と言っても過言ではないかもしれない。
神様、今日まで私は恥ずかしい生き方はしていないつもりでした。
だからこそ、罰が当たるようなこともないと思っていました。
…なんて、何考えてんだろうか。
前言撤回、最悪というほどでもないかもしれない。
小学生のころ、遠足に行く前の日のような。
そしてそこではぐれたらどうしようとか、そういう不安。
とてつもなく嫌な予感がする、でも、どこか期待したような、そんな。
「どうしよう…。」
昨日のことは嘘だったんじゃないか、とそのことばかり考えながら制服を身に着ける。
鏡に映る自分は若干疲れた顔をしているが、いつも通り、何一つ変わっていない。
そもそもあの後だって、結局いつも通り授業に出て、清掃のころには有閑倶楽部の皆様は帰っていたし、自分には何一つ連絡などなかった。
何一つ嘘でした!とかいうオチだったりして…、と期待をしてみるが、それはそれで悲しいような気もする。
しかし言ったことは実行するあの清四郎、そして言い出したら聞かない悠理を筆頭に、あそこまで言われたのなら、きっと今日からは今まで通りの生活とはいかないだろう。
なによりあの有閑倶楽部だ。学園中の人気者グループに自分が加わるなんて、尋常じゃないことくらい誰が考えたってわかる。
うーん、と考えていると携帯が鳴った。”携帯依存”なんて言葉とは無縁な私だが、携帯電話を持ち出したのは最近のことではない。
しかし、以前は着信が疎ましく常に音が鳴らないようにしていた。
結果、電話に気づかず、メールにも気づかず、無視をしたこともしばしば。周りに注意され渋々着信音が鳴るようにした。
「朝から誰…?」
こんな早くから連絡してくるような人は、私の周りにはそうそういない。
両親だってこちらの生活を気にしてくれるだろう…というより彼らはこんな時間に電話をかけてくるほど暇ではないのだ。
はぁ、とため息をついて携帯電話を手に取ると、画面には“着信 菊正宗 清四郎”の文字が。
「せ、清四郎?…こんな早くになんの用よ…。」
清四郎からの連絡なんて、1か月に一回あればそれはすごいことだ。
その一回は大体業務連絡のようなもので、効率重視の彼にとっては、メールで一言連絡→終了。という流れが常套なのに。
「もしもし?」
しかし、無視する気にもなれず、携帯の通話ボタンを押した。
ゆっくり耳に携帯を当て、返事をすると、こんな朝早くなのにもかかわらず、普段と何一つ変わらない声が聞こえてきた。
***
なんで…?いや、うちの場所を知ってるのは当たり前だけど…ううん…そういう問題じゃない…!
私の頭の中は「なんで」という言葉がぐるぐると駆け巡っている。
「………………」
「おはようございます。」
「…お……おはよ…」
「乗ってください。」
なんでうちの前にいるんだろうか。
電話口で清四郎には一言「降りてきてください。」と言われた。
まさか、いや、そんなはずは。
そう考えながら、そう考えたのにもかかわらず、私は言われたとおりに支度をしてマンションの前に出て行った。
そうしたら、これだ。
マンションの前には一台の高級車。サイドドアには菊の紋章。
そしてその前には清四郎が立っていて、爽やかな笑顔でお出迎え。
何が乗ってくださいだ。迎えをよこしたのかと思ったら、まさか本人まで出てくるとは予想していなかった。
「なんで…」
「学校に行くんですよ。」
「いや、それはそうだけど…」
「話したいこともありますから。」
どうぞ、ドアを開けて、私が乗るのを促してくる。
有無を言わせない清四郎の視線が痛かったので、私は車に乗り込んだ。
ふわりと清四郎の香り…というより、幼いころによく通った菊正宗家の香りがする。
上品な香りだ。野梨子とはまた違うけれど。
落ち着かなくてスカートのすそを直したり、カバンの金具を撫でてみたり。
話があると言い出したのは自分のくせに、話し出さない清四郎にしびれを切らした私は、自分から切り出した。
「で、話って?」
「…。」
「……ちょっと。話があるって言ったのは…」
「咲季は小学部の時から変わりませんね。」
私がイライラして強く言い出したところで、ずっとこちらを見ていなかった清四郎が、横目で私を見て言った。
ニヤッっという擬態語がぴったりの、彼のお決まりの笑い方でこちらを見る姿は、悔しいが、きれいな顔だ。
しかしそれ以上に、私のことをバカにしているとしか思えない。
妙に腹が立ってきた私は、そのまま彼に言い返すことにした。
「…そういう清四郎だって変わらないよ?」
「そうですか?」
「そうだよ!そうやっていっつもニヤニヤしてるところとか…!」
「はぁ……本当に昔から変わりませんね。」
清四郎は一言そう言って、視線を前に向けた。私は身を乗り出して清四郎に詰め寄っていたことに気づき、あわてて姿勢を元に戻す。
そろそろ学校だ。ちらほら見える生徒たちは、この後現れる有閑倶楽部のメンバーを待つために早めにやってきた子たちだろう。
そんな彼らを一瞥し、ふぅとまた息を小さく吐いた。
その横顔はなんとなく優しそうだ。そういう私も、最初の警戒心などとっくの昔に忘れ、少し頬が緩んでいた。
どうしてかは、わからないけれど。
「有閑倶楽部には、毎日顔を出してくださいね?」
「え。放課後だけでいいでしょ…!?」
「…悠理がそれで我慢できますかねぇ…」
「それは…。」
「ま、その辺は任せますよ。」
悠理がどうしてほしいかなんてわかるくせに、と私はぼそっとつぶやいた。
窺うように清四郎を見てみると、窓の外を見て笑っている。
わかっているのにやるのは本当に変わらない。なんてタチが悪い男だ。
あーあ、授業サボるのか…。昨日まで内申点を基準に行動していた自分がこんなことになるなんて…やはり私の平和は、どこか遠くに行ってしまったようだ。
ふと窓の外を見ていた清四郎が、こちらを向いて口を開く。
突然のことで私はびっくりして目をそらす。どうもしばらく一緒にいない間に、妙に意識をしてしまっている自分が嫌だ。
「咲季と僕は生徒会で事実上のトップですからね。」
「え?……そう、かなぁ…いつも清四郎じゃない。」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって小学部の時からそうだもん。」
話しているうちに、自分の頭は昔のように慣れてきているらしい。普段の気を抜いた喋り口調がそのまま口から出てしまった。
そんな私に清四郎は、はて、と視線を前に戻す。
そうだ、いつもいつも、私は代議委員長で、清四郎は生徒会長。
名前は違えど、この二つの役職は、清四郎の云う通り、生徒たちを統括する役割を担う大役に遜色ない。
小学部のころから変わらない私たちは、そのころから何か先生に仕事を任されれば、二人で処理していた。
時々野梨子が手伝ってくれてはいたが。
放課後に二人で山ほどあるアンケートの集計だってさせられた。しかし、結局報告は生徒会長の仕事。
代議委員長である私は、こなした仕事の割には、その存在にそこまで影響力はない。
そう…言ってみるなら、側近のような感じだ。
その上どこかの道場に通ってたのか知らないけど、その頃の清四郎はよく私を取り残して帰ったりした。
今思えばひどい話だ。まったく割に合ってない。
その感想を読み取ったのか知らないが、清四郎はまたもや、ふっと笑い口を開く。
「でも、今は対等ですよ。特に…有閑倶楽部にいれば、ね。」
「…まぁ楽しそうだしねぇ…。」
「……………それほど小学部の時のことを覚えているなら……。
「…?」
「約束も、覚えてますか?」
「約束?」
さっきまでとは違う真剣な目に、私は何だか緊張した。どうしたの急に。
目を逸らそうにも、逸らせないのは、予想以上に清四郎の目が真剣だからだ。
さっきまで私をからかい、時にはバカにし、飽きれていたさっきまでの目ではない。
その真剣さから、すぐに答えが出てこない私は困惑する。
そんな目で見られても、そんなに真剣な表情をされても、そして何度も思い返しても、清四郎の言う”約束”が思い浮かびもしない。
我ながらひどいものだが。本当に微塵も頭に浮かばないのだ。
「…………ごめん…覚えて、ない…」
しばらく考えたものの、結局頭には浮かばなかった。正直に謝る。あまりにも清四郎が真剣だったので、ごめんと笑い飛ばすこともできず。なんだか期待に応えられなかったようで、思ったより悲しくなった。
窺うように清四郎の顔を見上げると、清四郎はそこまで悲しそうな顔でもなく、そうですか、と平然と答えたので、それはそれでまた、悲しくなった。
内容は薄いものなのか?とも思ったが、あんなに真剣な顔だったのだ、おそらく清四郎のことだから、自分にはわからないように表情を隠したのだろう。
「まぁ、昔の話ですから。気にしないでください。」
そういって微笑まれると、申し訳なさは倍増だ。そして、答えられなかったこの約束の内容も気になる。
小学部のことなんて、5年以上も前の話だ。清四郎がいくら頭がいいからと言って、どうでもいいことまで覚えているはずがない。本当に大事なことなのだとしたら、早く思い出したいのも本音だ。
「そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。」
「ぅ、え?」
一人で目を伏せ、考え込む私の頭にやわらかい衝撃がきた。ぽん、と頭に受けた大きな手に、私は思わず声を上げ、顔を上げる。
その一瞬見えた清四郎の顔が、見たこともないほど優しかったので、そこから声も出ず、その様子に満足したのか、清四郎は笑顔で「さ、行きましょうか。」とだけ言い、車を降りて行った。
な、何だ!?今のスキンシップは!
呆然としている私を、外から運転手と清四郎が待つ。はっと我に返った私は急いでシートベルトを外し、車を降りた。運転手が一言声をかけてくれ、それに返事をした清四郎が歩き出す。私は運転手にお礼を言い、清四郎の後を追った。
…なぜ自分が清四郎の後についていかなければいけないと思ったのかは自分でもわからない。
ただ、置いて行かれたくなかったのは事実だ。
とにかく彼の後を追い、中庭を歩く。
久しぶりに定刻の少し前に歩いていることもあって、普段自分が登校しているところを見ていない生徒たちも自分のほうを見ている。これでも、有閑倶楽部の面々がここを歩いているときよりは、生徒数は少ないのだが。
普段の自分からしてみれば十分な生徒の数である。もっとも今は清四郎の斜め後ろを歩いているので注目度で言えば普通以上だ。
「あっ!!!」
「ん?」
「高天原さん!!」
大きな声が上がり、そちらを向くと、爛々と目を輝かせている男の子たち。
しかし全く面識はない。そんな彼らが一斉にこちらに走ってきた。
「な、何!?」
それに気を取られ、清四郎とははぐれ、瞬く間に彼らに囲まれる。小さめではあるが、普段有閑倶楽部の面々が相手にしている類の集団だ。
彼らは寄ってたかって何かを言っているようだが、かの有名な太子様でもなんでもない私には、何を言っているのかさっぱりだ。
「先輩!こっち向いてください!」
「は、はい?」
「咲季さん!!」
集まってきた生徒にもみくちゃにされ、私は身動きが取れなくなってしまった。
女の子の群がるバーゲンさながら、もう少し統制が取れてもいいんじゃないだろうか?それほどの混雑具合である。
とにかく自分が有名人のようにこんな扱いをされるとは思ってもいなかったので、まったく対処の方法がわからない。
「ちょっ…離れてって…」
もう我慢の限界だ。もみくちゃにされながらも私が一喝してやろうとしたとき、ぐい、と腕を引っ張られた。
突然の強い力とその手の大きさに、出そうとした声も引っ込んでしまう。これは意外と怖いかもしれない。
どうしたらいいのだろうか。とにかくこの手を離してもらわなければ。
「ちょっと…!離して…!」
私の腕を掴んだ人は、声を無視してぐんぐんと進んでいく。どこに連れて行くつもりだ。砕氷船のようにその人が人ごみを押し開き、集団の中から抜け出すことができた。対象を失った人だかりは、半ば仕方ないという風にばらばらと分解していく。
いや、そこは追いかけてこないの?とも思ったが、あまりにも急に私が出て行ってしまったものだから、彼らも諦めざるを得なかったのだろう。
しばらく進んだところで、私は冷静さを取り戻し、いまだに腕を掴んでいる手に疑問を持つ。
ここまでくれば話してくれてもいいだろう。
私は苛立ち紛れに手を振りほどこうとする。
「…いい加減離してくれない?」
「まったく…助けてあげたというのに、ひどいですね。」
心外です、という顔であきれた声を上げた手の主は、先ほどさっさと行ってしまったかと思われた清四郎だった。
私はその意外な顔に驚き、あわてて「ごめん。」と謝る。
清四郎はふぅと息をつき、掴んでいた腕を離してまた先に進んでいった。さっきよりも歩くスピードが緩くなっているような気もしたが、そんなに優しい清四郎は何かをたくらんでいるに違いない!と疑いながらついていく。
しかしそこからは特に何も起こらず、あっさり生徒会室に到着したのだった。
「…疲れた。」
生徒会室に着いて、私は椅子に座って机にへばりついた。この部屋に入って緊張感がなかったことなんて今までにはなかったに等しいが、生まれて初めてグランマニエ君のような待遇を受けて、私はすっかり疲弊していた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない…」
そんな私の姿を見かねたのか、清四郎がねぎらいの言葉をかけてくれた。全く、あの人だかりもそうだが、この幼馴染の謎の優しさにも戸惑う。
全てに疲弊している咲季はありきたりな否定の言葉だけを返した。
そんな彼女の鼻をくすぐるコーヒーの香り。突っ伏していた顔を上げ、隣を見ると、かわいらしいカップを手に席に着いた清四郎の姿があった。
「咲季は結構人気なんですから…気を付けてくださいよ?」
「だって…まさか私がグランマニエ君みたいになるなんて思ってなかったんだもん…。」
「気付いてなかったんですか?」
少し目を見開いて、驚いた様子の清四郎に、うん、と一言だけ返した。
清四郎が鈍感ですね、と一言付け足して来たので、ちらっと睨んでコーヒーを一口。
もともと苦いものはそんなに好きじゃない私だったが、口の中に広がるコーヒーの苦味はまろやかで、ほんのり甘い。
咲季の口に合うように、ちゃんとミルクと砂糖がたっぷりである。
「口に合いますか?」
そう尋ねる清四郎の顔は不安げでもなんでもない。むしろ、その次の私の答えが予測できているかの如く、得意げな顔だ。それが悔しい。なにせ、彼の淹れたコーヒーは…
「…おいしい。」
「よかった。」
笑った清四郎の顔を見て、さっきまでの悔しさよりも恥ずかしさがこみあげてくる。
あわててコーヒーの中に視線を戻すと、清四郎のクスリと笑う声が聞こえた気がして、また少し顔が赤くなる。
なぜか今日は朝からドキドキしっぱなしだ…と振り返り、慌てて「なんで私がドキドキしてんの?!」と心の中で突っ込む。
自問自答していると、勢いよく部屋のドアが開く。
それと同時に響く大きな大きな声。
「おっはよー!」
お弁当やお土産を両手いっぱい抱えて、元気よく悠理が入ってきた。
ナ…ナイスタイミング?私の先ほどまでの思考は一瞬で消え去った。
その後ろから、野梨子やグランマニエ君、黄桜さん、松竹梅君もやってきた。
全員揃うとやはり圧巻だ。先ほどまでの恥ずかしさなど忘れ、雰囲気に気圧されながら、私はおずおずとお辞儀をした。
「全員揃いましたか。」
そして、一人小さくなった私に、さらなる試練が降り掛かる。
自己紹介だ。
全員が席に着き、一堂に会した有閑倶楽部に、一人。
私はただみんなの楽しそうな表情を順々に見まわし、自己紹介のために頭をフル回転させるしかなかった。