5章
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「か…ぁ………たすけっ…!」
「…………。」
みるみる赤くなっていく金剛の顔は、目は見開かれ、口からこぼれる声はもはや清四郎にしか聞こえないほどに小さかった。
酸素が足りない、やめてくれ、そう訴える彼の瞳は涙で揺れるが、清四郎には届かない。
「どう?うまくいった?…!」
「咲季!!しっかりしろ!」
「咲季!」
機嫌よく降りてきた美童が、目の前に広がる光景に息をのみ、痛々しい姿をしている咲季の名前を呼ぶ。
すぐさま携帯電話を取り出し、菊正宗病院に電話をかけ、バンで待っている可憐と野梨子を呼びに走った。
遠くからサイレンの音が聞こえる。呆然としていた魅録は慌てて大声で清四郎に呼びかけた。
裕也の縄を解いた悠理が咲季のもとに駆け寄り、声を上げる。その声に気を取られ、首を絞めていた力が緩んだ。金剛はすでに気絶しており、ばたりと重力に従って床に身体が投げ出された。
それでも清四郎は息の根を止めるため、その手にめいっぱいの力を入れた。
「邪魔をしないでください!!」
「やめろって!今はそれより咲季だろ!!」
「!」
悠理のその言葉にはっとして、清四郎はぐったりしている咲季の近くまで駆け寄った。
「咲季?」
「……。」
姿を見ると急に体中から力が抜け、清四郎は咲季のもとにゆっくり歩み寄る。悠理が泣きそうな声で名前を呼ぶが、返事はない。
どうにかして助けてよ。咲季が起きないんだよ。そう訴える悠理の目は、自責の念にとらわれて動かない清四郎だけを捉えていた。
携帯を取り出して連絡をし、魅録の腕に抱かれる咲季を取り上げる。
魅録はちょ、と声を出したが、すぐに引っ込めた。とても声をかけられる状態ではない。
「裕也さん!……っ!?」
「ごめん……ごめんっ…。」
ばたばたと駆け込んできた野梨子たちが目にしたのは裕也でも雪月花でもない。
魅録が抱きかかえている、動かない咲季だけだ。
裕也は腹を押さえながら雪月花を野梨子に手渡し、ただひたすら謝罪の言葉を口にした。
「ほんとに…ごめん…っ。」
「いえ…、…無事で、よかった…。」
「でも…!俺…、あんたの友達を…っ。」
その表情に野梨子は口をつぐんだ。今回の事態は自分の所為だ。帰ってきたばかりの咲季がこんな目に遭って。
自分が清四郎たちに声をかけていればこんなことにはならなかったんじゃないか。
そう思うと鼻がつんとする。泣く資格なんて私にあるかしら。
「咲季…」
誰も何も言葉を発しない。遠くからサイレンが聞こえるが、おそらく警察だろう。
ここはどうにかなる。だけど咲季は?
清四郎が一言名前を呼んで、その場にしゃがみ込み、魅録の手から咲季を取り上げた。
皆が見ている。彼女は、どうなるのだろうかと。
しばらくして、魅録の父と菊正宗病院の救急隊員たちがやってきた。
ただ事ではないみんなの雰囲気に、せっかく取り戻した雪月花を手にする野梨子の表情も晴れない。
「先に戻っていてください。」
静かに、ただはっきりと清四郎はみんなにそう言った。
誰も、何も言わなかった。彼女がいなくなってから変わってしまった彼を見ていた皆には、清四郎の気持ちは考えなくともわかるのだ。
申し訳なさと不甲斐なさでふさぎ込む彼を元に戻せるのは、ほかでもない咲季だけだということ。
去っていった背中を見つめながら、魅録は手のひらに視線を落とす。
この手に残る、咲季のぬくもりと重さは、妙にしっくりこなかった。彼女の背中が待ちわびる感触は、自分ではないのかもしれない。
それが無性に悔しくて、魅録ははぁ、とため息をついた。途端に涙腺が緩む。
怖い、悲しい、だけども安堵するような。
俺なら、助けられたんじゃないのか?
「咲季…ごめんな」
その言葉は警視総監の大きな声にかき消される。悠理だけがその言葉を聞いて魅録を見据えた。
悲しげな瞳が揺れて、しょんぼりした彼女の考えは手に取るようにわかる。
助けたかったんだ、でも。どうして彼女が、と。
「ほんとに…戻ってきたんだな…」
その言葉に、みんながこちらを見た。現実味のない、願っていた現実。
予想外の事件に、みんなも困惑してるようだった。埃の舞う暗い部屋の中、すべての事件は解決したのに気が晴れない。
魅録の父が犯人逮捕を促す。警察たちの声だけが騒然と響く中で、6人はただ立ち尽くすだけだった。
清四郎は咲季を腕に抱えながら、呼び出した救急車を待つ。腕の中で眉をしかめながら目を閉じた彼女は、埃で頬が汚れていた。
薄明かりの中で、冷たい風から彼女を守るように腕に力を込めた。
「咲季、僕は…」
「…。」
「咲季に謝りたいことがあります」
返事はない。彼女の頭には今、何が浮かんでいるだろう。その閉じられた瞼の向こうで何を見ているのだろうか。
そこには、自分はいるか?
聞きなれた自分の病院の救急車のサイレンが近づいてきた。規則的に回転する赤色の光を見つめていると無性に泣けてきた。
腕の中にいるのに。うまく声をかけられない。どんな反応をするんだろうか。笑顔の彼女に会えるんだろうか。
こんな風に彼女を助けても、それは自分の自己満足でしかない。
救急車が到着し、そこに乗り込んだ。すばやく処置を施していく隊員の手助けを、今回は見ているだけだった。
身体は重力に忠実で、重くて動きそうにない。振動に合わせてただ車に揺られて、治療されていく咲季を見て。
「咲季…」
消えそうな声でつぶやくと、隊員の一人が「清四郎様、」と声をかけてくれた。現実に引き戻されたように、僕は顔をあげる。
明るい光の下で見る彼女の顔は、長い間見ていなかったかのように、より鮮明に僕の幻想を塗り替えた。
少しだけ疲れたような、そんな、本物の彼女がそこにいた。
しばらく走って、処置を施した彼女を、菊正宗総合病院ではなくそのまま自宅へと運んでもらった。
静かな家の中ではすでに、家族が眠りについているようで、出迎えてくれたのは見慣れた顔のメイドだった。
「清四郎様…もしや…」
「部屋まで運びます。…何か飲み物を」
「………かしこまりました」
長年ここで働く彼女は、僕の些細な変化にも敏感だ。飲み物の要求だけでは彼女の疑問など拭えはしないが、彼女は何も聞かずスタスタと廊下を歩いて行った。
その後ろ姿に安堵し、足音を極力立てないように自室へと歩いた。
部屋に入り、ベッドに彼女を下す。咲季の重みがなくなった腕は軽くなったが、なんとなく彼女がいなかった空虚な時間を思い出す。
彼女と過ごす日常はいつからで、離れて、触れて、そしてどれくらいの時間が経ったんだろう。
強くなるまで途方もない時間が必要だと言われて必死に頑張ったあの日も。彼女がいない空しさを噛みしめていたあの日も。
「たった一週間の間で、変わりました」
コートを脱いで、腕にかける。いつの間にか顰めた眉は元に戻っており、安定した呼吸に自分も安心する。
何も返答はないが、僕はそのままそばに腰を下ろして言葉をつづけた。
「…空港で、ああやって走ったのは、久しぶりで、……咲季がいなくなって、………授業に出たのも、久しぶり、で…」
何も答えない彼女に、僕は恐ろしく長く感じていた1週間を思い出す。憤りも、悲しみも、寂しさも、愛しさも。
全部感じながら無力な自分と向き合った1週間。
「本当は目が覚めてほしくない。ただ眠って、ここにいてくれたら、…どんなにいいか」
ゆっくり手を伸ばして頬をなぞる。そういえば泣きそうな顔をした咲季の頬に触れたあの時はいつだったか。
遠くない過去のことだ。彼女の顔もまともに見ることができなくて、後ろめたかったあの時。
「咲季…僕は、君に伝えたいことがあるのに……何を伝えたらいいか、……わからないんだ…」
そういいながら、言いようのない気持ちに胸が苦しくなる。
そこで言葉が詰まり、僕は「は、」と笑いながら息を吐き、震える手をぐっと握った。
彼女が離れるのも、彼女が傷つくのも怖かった。何より、嫌われるのが。
魅録があの時言っていた。咲季が泣いていた、と。
理由は分からないが、原因は自分だろう。あの時一瞬でも自信を無くした自分。
その結果が招いたんじゃないのかと、考えれば考えるほど手には汗がにじんでいく。
これ以上いたら目を覚ました咲季にみっともない姿を見せてしまうかもしれないので、僕は部屋から出た。
ふぅとため息をついて携帯を取り出し、連絡を見る。
ふと目をやると、僕の部屋のドアから少しだけ離れたところに、さっきのメイドが水とグラスの乗った盆を持って、立っていた。
「あ…そういえば、」
「清四郎様、大丈夫ですよ」
やんわりと笑って彼女は中に静かに入り、やがて戻ってきた。一礼して去ろうとする彼女を呼び止める。
少し驚いたように振り向き、こちらに戻ってきた。
「どうかなさいましたか?」
「いや…朝方彼女が目を覚ました時、僕がいなかったら、帰らないように伝えてください」
「あら、お出かけなさるのですか?」
さっきの連絡の中に、明日の朝のバスで裕也が金沢に帰るので見送りをしたいというメールがあった。
僕は客間で仮眠をとることと、朝出かける用事があることを伝えて、階段を下りた。
そのメイドが去っていく清四郎の姿を振り返ってみると、その背中はいつもの頼もしいものではないようだった。
高校生とは思えない聡明さ、武道も嗜む完璧な彼は、今自分が何をなすべきか迷うただの子供だった。
「一緒にこられたのは、高天原のお嬢様…」
よく一緒に遊んでいることも知っていた。幼いころから彼はあのお嬢様を大切に思っているようだった。
幼い恋心でも必死に彼女を守ろうとしていたことをよく覚えている。
彼にとって、彼女は唯一無二の本当のお嬢様なのだ。
「何か、あったのかしらね」
数か月前から急にいつもに増して楽しそうに学校に向かい、そして数日前は急に元気をなくしてしまっていた。
メイドたちも、彼を指導する医師たちも、そして家族も心配していた。
そしてこの状況だ。
彼には重すぎるのかもしれない。大切に思いすぎて、完璧でありたいために。
彼女が尊すぎてどうしたらいいのかわからないことが、彼を苦しめているのだろう。
純粋であるがゆえに、それしか見えない彼は、まだ子供で、ひどく綺麗な恋心を秘めているようだった。
***
ひんやりした空気に目を開ける。見慣れない場所だが、不思議と安心した。よかった。
声にも出たが、部屋は次に思い浮かべたよりも広かったらしい。虚空に響いた。
「…ここは………」
病室を想像していた咲季は、広いベッドと生活感のある部屋に、少し驚きながら体を起こす。
薄暗い部屋には誰もいない。布団の香りは匂い慣れた幼馴染のものだ。
「清四郎…?」
ずきっと痛む腕には包帯が巻かれていた。周りを見渡しても部屋の主である清四郎はいない。
時計を見ると6時過ぎ。清四郎はどこで寝たのだろう?ここにいないなると、私はどうすればいいのだろうか。
布団から起きだして立ち上がると、机の上にメモがあった。手に取ってみると、きれいな字が並んでいる。
「裕也さんの見送りに行ってきます。戻ってくるまで帰らないように。…見送り?」
そういえば、野梨子が金沢がどうとか言っていたな。そんなことより、帰らないようにって…。
そんなの、気まずくて会えたもんじゃない。勝手に離れて行って、勝手に戻ってきて。
皆の前に現れたかと思ったら迷惑をかけて。怒られる。怒られなかったとしても、何を話していいのかわからない。
何より、有閑倶楽部に引き戻されでもしたら、それこそ気まずいじゃないか。
「帰ろう…」
綺麗に畳まれていた服を抱えて、清四郎の家を出る。誰も起きていないのか、それとももう病院にいるのか、家の中は静かだった。
そろそろと足を忍ばせて、階段を下りる。玄関に気配を感じて、足を止めると、見慣れたメイドさんが私を見つけた。
「あ、ら…咲季様!」
「お、おはようございます…」
お手伝いさんは私たちが生まれたころにここにやってきた人で、良く知っている。驚いた顔をしてこちらにやってきたので、私は恐る恐る挨拶をした。
「咲季様、…知ってると思いますが、清四郎様がお帰りになるまで、お待ちいただけますか?」
「え…」
彼女は困った顔で帰ろうとする私を止める。でも、言われたとおりにするわけにもいかない。
清四郎に会ったところでメリットはないのだから。
私はメイドさんの制止を振り切って、玄関に向かい、丁寧にそろえられた靴に足をかけた。
「ダメです」
「…でも…」
会ったら泣いてしまうよ。
そういうのが嫌で、唇をぐっと噛んで押し黙る。メイドさんはちょっと困った顔をしたが、一息吐くと、どうぞと玄関のドアを開けてくれた。
私は意外にもあっさりと引き下がってくれた彼女に驚きながらもお礼を言う。
「あ、あの…ありがとう、ございます」
「どうぞ。………ですが、清四郎様のお気持ちも考えてあげてくださいね。……あなたをここに連れてこられたとき、とてもつらそうなお顔でしたから」
彼女の言葉に何も言えず、私は足早に菊正宗邸を後にした。出ていく前に、彼女は出過ぎた真似をしたと謝っていた。
冬の風が冷たく、体を縮めながら、さっきの彼女の言葉を思い返す。出過ぎてなんか、と心の中で否定しながら、何とも言えない気持ちで帰路についた。
「ただいま…。」
帰ってきて服を洗濯機に投げ込む。カバンから携帯電話を取り出すと、大量のメールやら着信履歴が残っていて、見る気が失せて閉じた。
腕が痛む。どうやら深く刺されたようで、このまま放置しておくわけにはいかないらしい傷だった。
「痛い…はぁ、なにやってんだろ」
ソファに身を投げ、ため息をつく。こちらに帰ってきて、歌も歌わず何をやってるんだろう。
先ほど閉じた携帯を充電器につないで、メールを一つ一つ見ていく。向こうで頑張っているらしい諒のメール。よくわからないメールマガジン。
野梨子のメール。着信履歴には心配したらしい高天原家の執事の電話もあった。
“とてもつらそうなお顔でしたから”
そういわれたことが頭から離れなかった。どうしてつらかったのかはわからない。私が帰ってきたことか、けがをしたことか。
あの時皆と最低な別れ方をして、自分勝手に戻ってきた。真面目な清四郎なら絶対に怒ってるだろう。
何よりこれからどうすればいいのだろうか。学校にも行かずだらだらと過ごすわけにもいかないけれど。
そう考えていると、手に持っていた携帯が震えた。
着信だ。
「もしも、」
<あんた今どこにいるの?>
「あ、えっと…」
<学校は?日本にいるんでしょう?>
痛いところをつかれ、私は言葉に詰まる。黙っていると電話の向こうで、明らかに怒っているらしい母がため息をついた。
<あのね、事情は聞いてるわ。でも、日本にいるなら学校に行きなさい。何もしないなんて甘えてんじゃないわよ。>
「はい…。」
<理事長先生には話してあるから、明日からでも学校行きなさいよ。>
「…」
<………無理しなくていいから。>
「!……ありがとう、ごめんなさい……」
<はいはい、もういいから明日学校行くのよ。>
幾分優しくなった母の声に安心しつつ、なんと理事長先生に説明したのかが気になった。
明日から学校か、そう考えてはたと気づく。学校に行ったら、私はどうしたらいいんだろう。
皆とどう接したらいいかわからない。話しかけられても、うまく笑えるかわからない。
今日だって清四郎の言うことを聞かずに出てきた。どこまで勝手にしたか。
「もう有閑倶楽部にはいられない…」
私は自分に言い聞かせるように言った。未練があるのかといわれれば、それはもちろんある。
皆と過ごした時間が恋しいのも本当。だけど、それよりも耐えられないのは清四郎に嫌がられること。
「ごめんね、清四郎。…でも私、怖いんだ……」
皆に、そして清四郎に嫌われるのが、怖いんだよ。
そんな言葉が浮かび上がり、それは言葉にならずに涙になった。
***
翌日。よく晴れた聖プレジデント学園では、可憐が天秤にラブレターをかけ、またしても野梨子に惨敗していた。
「なんでよ…もう!!」
「まぁまぁ」
初恋が儚く終わった野梨子はまた一つ大人になったようで、静かに器を満たすお茶を見つめる。
一段落した今回の事件、皆にとっては良い暇つぶしになったようだ。
「ほんとに大丈夫なのかよ?」
「…はい?」
魅録が訝しげに清四郎に声をかける。みんなには聞こえないように。
清四郎は咲季のことについて、ちゃんと手当をして家に帰したと言っていた。
ちゃんと無事だから、と。それを聞いたみんなは最後の不安を解消し、こうしてまた徐々に平穏に戻りつつある空気に馴染んでいた。
「怪我…もだけど、あいつ日本にいるんだろ?だったらなんで学校に来ないんだよ」
「…それは、僕にもわかりません」
本当を言うと、咲季は家にはいなかった。見送りを済ませ、一度家に戻るとそこに咲季はいなかった。
メイドから話を聞いて、追いかけるのをやめた。
僕に会いたくなかったのだろう、そう考えると追いかける気力も起きなかったのだ。
結局皆には本当のことを言えていない。怪我が治ればまた戻ってくるとみんな信じているからか、いつにも増して楽しそうである。
「大丈夫かな、あいつ…」
「…」
魅録の言葉に僕は何も言えなかった。咲季をこんな目に遭わせたのは、すべて自分の所為だ。
彼はただ真っ直ぐに咲季を見据えているようだった。それがうまくできない自分が恥ずかしく思う。
愚直ながらも僕に向かってきたあの時のように、咲季を守ると言っていたあの時のように、今も彼女を想っているのだろう。
「白鹿さん!」
「うわ!何しに来たんだよ!!」
ばん!と音を立てて入ってきたのはだらしない笑顔を浮かべた校長と教頭だった。なぜか手には花束を持っている。
まったく訳が分からない。どうやら雪月花を巡り、野梨子のもとにやってきたようだった。
「騒々しい…」
「だな」
こつこつと開け放たれたドアから聞こえる足音に、清四郎が目を向けた。
校長たちの声に皆は気づいていないようだが、誰かがこちらに向かっているような気がするした。
それが咲季ならと心の片隅で思い、それを払拭するようにドアから目を逸らした。
***
久しぶりに上る生徒会室への階段は思っていたより長かった。ゆっくり一段一段上ると、美童とここから落ちたことを思い出した。
なんだかんだ言いながら、たくさんの思い出があるじゃないかと思うと、これから自分がやらねばならないことへの躊躇が生まれた。
「しっかりしなきゃ」
意気込んで早足で残りの階段を上りきると、ドアが開け放たれた生徒会室から校長や教頭の声が聞こえた。
理事長先生から、きっと生徒会の皆のところだわ、と聞いていたが、確かにそのようだ。
「元気だな…結構先生たちはみんなのこと好きなんじゃないの?」
ふっと笑って進もうとしたが、足が止まった。
もう少しであの見慣れた場所に入って、少し前まで一緒に騒いでいた仲間に別れを告げるのだと思うと、視界がぼやけた。
泣いちゃダメでしょう、そう自分に言い聞かせる。自分で選んだんだもの。こうすることを、望んだもの。
ぐっとこぶしを握って、部屋へと続く廊下を見る。ぼやける視界、容量を超えて、涙が頬を伝った。
「っ…ダメ、でしょ…」
今までの私のように、凛として、背筋を伸ばしたら世界が変わる。
断ち切れ、すべて。
「もーやめろって!」
「!」
開いたドアから悠理の大きな声が聞こえた。はっと我に返る。涙は止まっていた。
楽しそうなあの世界を一度裏切った私が、もう一度そこに戻ることはできない。
優しい彼らなら受け入れてくれるかもしれない。でもそれは私の心が許さない。
野梨子の涙を見たでしょう?清四郎が辛そうしていたでしょう?
共に音楽をしようと約束した諒をも裏切って。
まだまだ未熟な私だから、これ以上甘えたくはない。
そして清四郎、あなたに守られずとももう生きていけると言えるように。
これまで守ってくれてありがとう。
私はまた歩を進める。もうすぐだ、涙をぬぐって、息を吸って。
「咲季!」
「高天原君!」
「お久しぶりです、校長先生、教頭先生。オーストリアから戻ってきました」
「なななななな、なぜここに………!」
私は先生たちだけを見ていた。
皆のほうが向けなかった。強く、ならなきゃ。