5章
夢小説設定
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車の待っている場所につくころには、あたりはすっかり真っ暗だった。
すぐに陽が落ちてしまうものだ、と野梨子は思いながら、何か言いたそうな清四郎の背中を見て歩く。
「…あまり、裕也という男とは、親しくならないほうがいいと思いますよ」
「…え?」
急に何を言い出すのかと思えば、裕也のことで、野梨子は少し面食らった。
しかし、その発言に疑問を感じた野梨子は、素直に理由を尋ねた。
「どうしてです?」
「彼とは……野梨子は、住む世界が違いますから」
その質問に清四郎は、目をあわさずに、自分が納得しているかのように答える。
野梨子は清四郎の答えに納得がいかない。
裕也は魅録と悠理の友人だ。
なのに自分が、どうして?
「私はあの二人とも住む世界が違うと言うことですか?」
「そういうことを言ってるんじゃありませんよ……!…あの…」
語気を強める野梨子に否定し、狼狽しながら、清四郎は言葉を濁す。
なんだ、と言わんばかりに清四郎を見据える野梨子に、清四郎はますます顔をそむけながら呟いた。
「友達なら…いいんですけど…」
「?」
野梨子はますます清四郎が何を言いたいのかわからない。
気まずそうに顔を歪めながら、清四郎は言葉を切れ切れに発した。
「一人の…男として親しくなるのは……反対、です」
「…おとこ」
清四郎の発言に、野梨子はキョトンとする。
何が言いたいんだ、全く。
野梨子の反応に、清四郎は、今度ははっきりと言った。
「つまり…、惚れるな、と」
清四郎のやけに真剣な顔に、野梨子は吹き出した。
「ふふ…ふふふ………」
「…」
「嫌ですわ…清四郎…ふふっ…」
こみ上げた笑いが止まらないので、思わず手で口を覆う。
清四郎は真剣な顔のままで野梨子の言葉を待った。
「私、まだ彼のことを何にも知らないんですのよ?」
それは嘘ではない。
「好き」だとかそんな感情はよくわからないし、小説で読んでも、経験したことのない感情は理解するのも難しかった。
裕也のことは気になるが、これが「惚れた」とか「好き」とかそういう感情なのかは定かでない。
まだ何も知らないのだ。
やっと、彼の名前を知ることができたくらいで。
「まぁ、そうでしょうけど……」
清四郎は野梨子の言葉を肯定しつつも、まだ言葉は穏やかではない。
野梨子は笑みを湛えながら清四郎の顔を見る。
清四郎は顔をそむけて呟いた。
「普通はそんなの関係なしに、恋に落ちるんですよ……」
そう言った清四郎の言葉を聞き逃したりはしない。
その言葉に頭をよぎった人物は、野梨子も清四郎も同じだろう。
「だったら、清四郎…」
「はい?」
少し眉間にしわを寄せながらこちらを向いた清四郎に、野梨子は微笑みながら問う。
「自分のことは、いいんですの?」
「!!」
野梨子にそう言われ、清四郎は目を見開いた。
「何を…」
野梨子はふふっと笑った。
きっとさっきの清四郎の言葉は、自分でわかっているから言ったんだろう、と思ったからだ。
「…」
そう、何を知っていて、何を知らない。
そんなことは関係ないのだ。
ただ、気が付いたら好きになっていた。
これは、紛れもない事実。
「とにかく、あの男とは…」
「清四郎、まるで私のお父さんみたいですわ。」
「なっ!?」
先ほどの雰囲気とは打って変わって野梨子が笑うので、清四郎は力が抜ける。
まぁいいだろう、幼馴染の恋くらい、応援してやらないこともない、が。
清四郎は諦めて野梨子を車に乗るよう促した。
彼女はずっと笑っているが、もういいだろう。
清四郎もふっと微笑みながら、車に乗り込んだ。
***
寒い。
そう思ってゆっくり目を開けると、外は真っ暗だった。
いや、よく見ると東の空が少し明るくなりつつある。
それも、ほんの少しだが。
「今…何時………?」
手元にある携帯を開いてみるが、真っ暗な画面のまま。
電源が切れてしまったらしい。
咲季は起き上がって、机の上の時計を見る。
「4時…」
ふぅ、とため息をついて、まだ覚醒していない体で立ち上がる。
携帯を充電器に差し込み、シャワーを浴びるべく部屋を出た。
秋ともなると、朝は寒い。
浴室は最新の機能のおかげで寒くはないが、まだ湯になりきってなかった水は冷たかった。
さっとシャワーを浴びて、ゆったりした格好になる。
時差ぼけがまだまだ解消されていないのか、目が冴えて眠る気にもならない。
咲季は書斎に向かい、楽譜を眺めることにした。
自分がこちらに戻ってきたのは、歌が歌えないからだ。
先生は咲季に「取り戻してこい」と言った。
取り戻すって、一体何を取り戻せばいいのだろう?
ウィーンに行って無くしたもの…。
わかってはいるが、あれが果たして自分の歌に影響があるというのだろうか。
「うーん…」
ぱらぱらと手に取った楽譜をめくる。
一度歌った曲の楽譜には、いろんなところにマークやコメントを書いてある。
貪欲に、ただ歌だけを見つめてきたあの時。
"夢"だから。じゃあ、今は?
(夢には、違いないのに…。)
手に持っていた楽譜を元あった場所に戻した。
小さな明かりだけをともした書斎に、少しだけ日差しを感じる。
東の窓から、少しオレンジがかった空が見えた。
「もう、朝…」
今日は掃除の続きをして、買い物にでも行こう。
そんなことを考えながら、また別の楽譜を手に取った。
掃除は意外と早く終わったが、ウィーンにあった荷物が届き、その整理に追われてしまった。
と言っても、4時くらいにはすべて片付き買い物に出かけた。
秋は日が暮れるのが早い。
咲季は歩道をゆっくり歩きながらそんなことを考えていた。
数メートル先の道路わきに軽トラックが停まっており、その横の歩道には作業着を着た男が立っている。
よく見るとその男は一点を見つめて立ちつくしているようで、不思議な光景だった。
「なんだろ…」
だんだん近づいていくにつれ、そのまた前方に今度は見慣れた後ろ姿を見た。
「野梨子?」
その姿をじっと見ていた男が、ぼそりと呟いた。
「こんなに…ちゃんと怒られたの、いつ以来だ…………」
怒られた?
野梨子に何か言われたのだろうか?
話しかけていいのか迷ったが、咲季はその男に話しかけてみることにした。
「あのー…」
「っ!?」
驚いて振り返ったその顔は、あの時すれ違った顔と全く同じだ。
やっぱり、野梨子が言っていたあの男だろう。
「野梨子の…お友達、ですよね?」
「……あー…うん、そうだけど……」
「あ、いや、野梨子の後ろ姿を見かけたからもしかしたらそうなのかなって…」
ぎこちないが会話をする。
名前を尋ねると、彼は「刈穂裕也」という名前らしい。
咲季が話を続けようとすると、携帯の着信音。
「あ、ごめんなさい!…じゃ、私はこれで…」
「ああ、うん。…それじゃ」
咲季はそそくさとその場を後にする。
直後に、彼が携帯に出る声がした。
彼は仕事中だったのだろうか?だとすれば仕事中に野梨子と会おうとしたことを怒られたのかもしれない。
真面目な彼女のことだ、その辺は厳しいだろう。
そう思いながら通り過ぎようとしたその時だった。
「…え!?おふくろが!?」
聞えた声に振り返るが、彼は電話を切り、急いで車に戻って行った。
車は猛スピードで咲季の横を横切って行く。
咲季はそれをただ見つめるしかできなかった。
***
翌日。
野梨子は学校に向かわず、刈穂裕也と共に近くの港に来ていた。
先ほど悠理に休むと言ったはずなので、大丈夫だとは思う。
いや、「頭痛が痛い」と言ったような気もするが…気にしないでおこう。
そんなことよりも、だ。
「ちょっと、帰ってやろうと思ってさ…。」
「………」
裕也は彼の地元の金沢に帰るつもりらしく、そのことを急に告げられて、野梨子の頭の中は少し混乱していた。
展開が何もかも、早い。
「もう……東京には…、」
「…。」
野梨子がいい終わる前に、裕也は首を横に振った。
もう、会えない。
そう思うだけで、胸の奥がチクリと傷んだ。
期待しても、会うことはない。
それが今まで以上に苦しいことなのかと、自分でも思うほどに。
「俺さ…、」
裕也が沈黙を破って口を開いた。
嫌だ、聞きたくない。波の音だけ、それだけでいい。
でも、もっと声を聞きたい…。
「あんた見てると、…ドキドキするんだ」
「…!」
野梨子は少しだけ目を見開いて、ちらりと裕也を見た。
裕也は海に視線を落としながら、淡々と続ける。
その言葉の節々に期待をしてしまう。
どうして。
どうして、今になってこんなことを…?
もう会えないのに、そんなことを言わないでほしい。
でも野梨子は口を開けなかった。
今口を開けば、なんと言ってしまうのだろう。
自分でも、わからない。
ただ鼓動だけがどんどん早くなっていく。
波の音よりも。裕也の声よりも。
「ごめんな、こんなこと言って…」
その言葉に野梨子は首を振った。
違う、謝らなくていい。
声に出ないが、伝わるように、何度も首を振った。
ずっと俯いたままの裕也に、野梨子は何と言っていいのかわからなかった。
伝えたいことが多すぎて、でも、言葉にならない。
"言わなきゃ、と思った時には行動だよ!"
咲季のメールが頭をよぎって、野梨子はゆっくり、口を開いた。
何を言おうか迷ったが、思ったままのことを伝えようと思った。
彼になら、もう、言ってもいい。
正直になろう、そう思うから…。
「…私も、変ですの………。」
そう、自分でもわからないくらい。
貴方に、出会った時から。
「ずっとずっと…変ですの…」
「…。」
ちらりと、彼の様子を見る。
呆れた?引いたかしら?でも、仕方ない。
それでも今、自分の胸の鼓動が速くなる。それは嘘じゃない。
「貴方を見ていると、ドキドキして…。」
「…。」
「貴方にも、聞こえそうで…。」
そこまで言って、言葉に詰まってしまった。
何を言えばいいんだろう、どう言ったら、わかってくれる…?
わからない。
ドキドキして、苦しい。
「…」
泣きそうになって、野梨子は俯いた。
何を言えばこの気持ちが裕也に届くのか、わからないのがもどかしい。
その直後、だった。
「!」
ばっ、と引き寄せられ、野梨子はそのまま裕也の胸の中にいた。
強引に引き寄せたその力は強くて、一瞬意味がわからなくなる。
でも、嫌ではなかった。
むしろ心地いいくらいで。
聞えてくる彼の鼓動は自分と同じくらい早くて、とても温かい。
ああ、やっとわかった気がする。
「小説に書いてあることって…本当ですのね…。」
「……ごめんな、初めて触れる男が、俺なんかで…。」
野梨子は裕也の言葉にゆるゆると首を振った。
船の汽笛の音が大きく響いたのに、裕也の声はしっかりと野梨子の耳に届いた。
それは、彼が、初めて自分の一番近くに来てくれたからだと、思った。
――有閑倶楽部内では、悠理がいきさつを報告して、ある一人を除いて、応援ムードが漂っていた。
「頑張れ野梨子ー!」
「そうこなくっちゃー!」
その言葉に、清四郎は苛立ちを抑えきれないまま口を開く。
「まぁ…」
「??」
「お嬢様が好きになるのは、決まってああいうタイプですから…。」
イライラしていたのは、野梨子をあの男にとられたから、とかそういうことではない。
咲季がいないこんな時に、浮ついているとか。
忠告したのにも関わらず、こんな結果になってしまったことだとか。
「まぁ…しょうがないんでしょうけど。」
でも一番は。
自分がうまくいかないからだと、思う。
こちらは会いたくても会えないのだ。
その苛立ちが、自分をこうさせているのだろうと。
そう思うと今度は自分に腹が立ってきた。
魅録がこちらを見ている気がしたが、気にしないことにする。
清四郎の言葉に、美童や悠理が納得し野梨子を茶化しているが、そんなことはどうでもよかった。
***
「お。野梨子?」
夕方。
時差ボケ解消のために頑張って起きていた咲季のもとに、野梨子から電話がかかっていた。
<もしもし…?>
「どうしたの?」
いつにも増してしおらしい野梨子に、咲季は優しい声で返事をする。
野梨子はしばらく黙っていたが、やがてゆっくり口を開いた。
<今日、裕也さん…あの男の人と会ってきましたの。>
「ああ…それで?なんかあった?」
<裕也さんが…金沢に帰ると…>
「!…そっか……。」
昨日の電話のせいだろう、と咲季は思った。
だけど、野梨子の様子を見ると、その理由は告げていないようだ。
咲季は敢えてその理由は黙っておくことにした。
それが裕也の選択なら、自分が邪魔をするわけにはいかない。
「もう会えないわけじゃないじゃん…?だから…元気だしなよ」
<っ…!はい…>
「連絡だって、取れるし」
<そう…ですわね…。なんだか、元気が出ましたわ…。ありがとう、咲季…>
「いえいえ、いつでも話し聞くからね」
それでは、と電話を切った野梨子の声は明るくなっていたので、安心した。
自分で言っておきながら、悲しくなってくる。
連絡を絶ったのも、会うのをやめているのも自分なのに、何を言っているんだと、思った。
それからしばらく考え込み、すっかり暗くなった。
そろそろ夕ご飯の支度でもしようかと立ち上がる。
軽く自分の食べる分を作る。
執事やメイドたちは、母に言いつけられて、咲季のやることにめったに介入しない。
今は咲季の自立支援のために、極力自分のことは自分でやるように言われているのだ。
皿を持っていき、机に置いて、リビングのテレビをつける。
特に興味のある番組でもないが、寂しいので付けた。
「…ん?」
画面の上にテロップが出た。
地震速報や気象速報かと思ったが、そこに出ていたのは。
「白鹿画伯の絵、盗まれる………って!!ええええ!?」
咲季は料理を食べずに、部屋に戻ってコートをひっつかみ、家を出た。
向かうは白鹿邸。
そこに誰がいるかも考えず、咲季は急いで野梨子の家に向かうのだった。