5章
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「…でも…本当に、ごめんなさい、…謝っても謝りきれませんわ…」
「いいよ、大丈夫。だから泣かないで?」
咲季が笑って野梨子を諭す。
さっきから同じことの繰り返しだが、咲季は何度も「いいよ」と言い、野梨子も何度も「ごめんなさい」と繰り返すばかり。
やっと落ち着いてきたのか、野梨子はぎこちなく笑う。
野梨子の笑顔を見て安心した咲季は、さっきよりも少し優しい笑顔を見せた。
「…あ・・・皆にも、帰ってきたことを知らせないと…」
「あ、そ、それはやめて!!」
「っ?え?」
野梨子が笑顔で言った言葉に、今度は咲季が笑顔を曇らせる。
野梨子は予想外の言葉に驚きを隠せずにいた。
「ど、どうしてですの??」
「あ…いや…」
正直、日本に帰ってきても、皆と顔を会わせる勇気はなかった。
ウィーンではあれほど恋しかった皆の笑顔も、いざ会うとなると、思うようにいかない。
照れくさいのもある。
きっとみんな謝るだろう。でも、裏切ったのは自分だ。
また離れてしまったら?
…考えるだけで、怖くなる。
「黙って行っちゃったから…さ。…しかも、黙って帰ってきたし…」
「でも……」
「とにかく!皆には内緒にしてて?…連絡取り合おうよ。携帯、今日ちゃんと契約して新しいの買うから!」
野梨子は咲季の考えていることがうっすらと読みとれたのだろう。
少し黙っていたが、すぐに「わかりましたわ」と納得し、咲季に微笑みかけた。
「でも、学校に行けば帰ってきたことがバレますわよ?」
「あ」
学校のことを考えていなかった。
咲季は一応『休学』という形でウィーンに行っていた。
それが一週間で帰ってきてしまったのだ。
校長が見たらなんというか…
「少しの間、学校には行かない…ことにするよ」
「すっかり、サボることに抵抗がなくなってますわね」
「う…」
苦笑いの咲季に、野梨子も笑った。
二人で笑いあった秋の空、傾きかけていた日差しもすっかり夕焼け色になっていた。
そろそろ帰ろう、と咲季が促し、二人で歩きなれた道を歩きだす。
咲季はふと先ほどのことを思い出した。
「ね、野梨子」
「はい?」
「さっき、男の人と話してなかった?」
「!……あ、少し…助けてもらって…」
先ほど起こったことを話すたびに、あの男が自分の肩に触れた時のことを思い出す。
どうしてあの人は嫌じゃなかったんだろう。
どうして…?
「そっか、それで、あの男の人は嫌じゃなかった、と」
「っ!……はい…」
咲季に言われて恥ずかしさを感じていると、咲季は笑ってそっかーと少し早く歩きだした。
そしてこちらに向き、後ろ歩きで進む。
「なんか、いいね」
「…と、言いますと…?」
「青春!って感じだね」
そう言ってまた前を向く咲季に、野梨子は何も言えず早歩きで咲季の隣に追いつく。
咲季は「いつでも話聞くよ。」と言って道を曲がった。
いつの間にか、分かれ道に来ていたのだ。
全く気がつかなかった自分。
それほどあの男の人のことを考えていたのだろうか。
「あ…!咲季!」
「ん?」
「あの…!もう、会えないわけじゃないですわよね?」
「…うん!」
自分の問いかけに笑顔で答えてくれた咲季に安心して、野梨子は咲季の後ろ姿を見送った。
家に帰りつき、野梨子はそのまま着物を身につける。
毎日身に着けていれば、むしろ着物は着心地も楽だ。
両親がいる和室に行くと、父が出来上がった画を眺めていた。
「おお、野梨子。おかえりなさい」
「画、完成しましたのね」
「ええ…我ながら、見事なできですよ…!」
三つの掛け軸は『雪月花』というらしい。
母がお茶を淹れながら微笑む。
「野梨子、お前のお嫁入り道具に持たせてあげますからね」
「よかったですわねぇ、野梨子」
「…」
二人の会話は聞こえているが聞いていない。
頭の中で、今日の帰りのことがずっと繰り返される。
自分に絡んできた男たちを殴る姿。…野蛮だとは、ちっとも思わなかった。
よろけた拍子に自分の肩をつかんだ大きな手。…気持ち悪いとは、ちっとも思わなかった。
どうして…かしら…。
***
翌日。放課後が近づき、この後の予定を話し合う面々を見ながら、野梨子はいつもの席に腰かけた。
本を読んでいる清四郎の隣で画面に気を付けながら、メールを開く。
昨日夜に考えていた内容を、今まで会えなかった分たっぷり咲季にメールとして送り付けたのだ。
恥ずかしい気持ちでいっぱいではあったが、初めてのことでどうしようもない野梨子には、咲季へのメールの文面を考えることで、結果的に少し冷静になることができた。
『そうかそうか…。青春だね!でも、言わなきゃ、と思った時には行動しなきゃだめだよ?
もしまた会ったら、ちゃんと名乗って、相手の名前も聞くくらいしなさい!(笑)』
咲季の言葉がそのまま文章になったかのような文面。
野梨子はそっと画面に指を這わせた。
もう何度目かわからない、あの人の笑顔を思い出す。
きっと不器用なんだろうと思った。
ぎこちない笑顔で去って行ったあの人。
もう一度会えるのだろうか。
「言わなきゃ…と、思ったら…」
「え?」
文面をいつの間にか声に出していたみたいで、隣にいる清四郎が聞き返してきた。
野梨子は慌てて我に返り、何でもないです、と笑うと、清四郎は納得いかなそうにそうですか、と返した。
これは、もしかしたら咲季自身のことを言っているのかもしれない。
清四郎がまた本に視線を戻したので、野梨子は携帯に顔を向け、横目で清四郎を見た。
皆、自分のことになるとどうしようもなくなるのかもしれない。
だったら、咲季が言ってくれたように、頑張ってみようか。
(が、頑張るって…!まるであの人のことが好きみたいな………!絶対に違いますわ!!)
ぎゅっと目をつぶって、一気に力が抜ける。
小さくため息をつく。周りの皆は気が付いていないようだった。
「お、そろそろいい時間だな」
「うし!行くか!!」
魅録と悠理が皆に促す。
今日は二人の友人のいる店に行くのだそうだ。
野梨子は携帯を閉じ、帰り支度をする。皆の後についていき、二人の友人の店へと赴いた。
***
携帯を閉じてため息をつく。
野梨子のメールに返信して、咲季はベッドに倒れこんだ。
「暇…」
今日一日、荷物を片付けたり、部屋の掃除をして過ごした。
このマンションはこの周辺でも特に大きく、その最上階は普通の一戸建てよりも広いかもしれない。
実際自分が使わない部屋のほうが多いかもしれないほどだ。
近くには菊正宗総合病院があり、時折救急車の音が聞こえる。
またその病院の敷地の分だけ離れた所には白鹿邸。
その隣に咲季の実家がある。
その一角から少し離れたところに、このマンションがある。
夕方や夜にうかつに出歩けば、野梨子や清四郎に遭遇するほどの近さだ。
時差ボケを解消するために、昨日は夜まで起きて、今日の朝起きた。
無理矢理お昼の間は体を動かしたが、今。
夕方になって、疲れと眠気がどっと押し寄せてくる。
ベッドに横になって閉じた携帯を手に、ボーっと宙を見る。
「野梨子…大丈夫かな…」
メールの返事がないのが気になるが、きっと有閑倶楽部の皆と遊んでいるのだろう。
しかし、メールの内容からして、落ち着いてはいないのだろうと思う。
自分なりに考えて送ったメールだが、これで本当に野梨子があの男と出会ったら、どうなるのだろうか。
生粋のお嬢様である野梨子には、到底釣りあわないような風貌だ。
見た目はいいかもしれないが、何よりあんなどこにでもいる普通の若者が、はたして野梨子のようなお嬢様と…。
そこまで考えたところで、ここがいけないのかもしれない、と自分を省みる。
行動する前に、考え過ぎてしまうのが自分の悪い癖だと思った。
だからこそ、思い立ったら行動しようと野梨子に告げたはずなのに。
考えれば考えるほど悪い方向に向かう。
考えずにはいられないのが現実だが。
「…はぁ」
ため息をついて目を閉じる。
このままだったら寝てしまうかも、と思ったが、どうでもよくなった。
しばらくは学校にも行かないんだから、何時に起きようと、何時に寝ようとかまわない。
少しずつ戻していけばいい、と自分に甘くなる。
咲季はそう自分で結論付けて、そのまま素直に眠りに就いた。
***
「…」
魅録と悠理の友人の店にやってきて1時間。
野梨子は一人、皆の会話に参加できずにいた。
正確には、参加していなかった、と言うべきかもしれないが。
この店に入って、悠理と魅録が独特の挨拶をした相手は、間違いなく昨日の男だった。
野梨子は一瞬でそのことに気づくが、突然すぎて立ちつくしてしまう。
そこで咲季のメールを思い出したのだ。
"思った時には行動"
そこからは自分でも思っていたよりスムーズに会話ができた…と思う。
有閑倶楽部のメンバー以外の男とまともに話をしたこと自体が、自分にとっても、皆にとっても驚異なことではあるが。
皆の冷やかしも相手にせず、軽く飲み物を頼んでいつものように会話に花を咲かせる。
上の空の自分を清四郎が見ていることも知っているが、知らんふりをした。
刈穂裕也さん…。
先ほど聞いた彼の名前を心の中で復唱する。
彼は今度から自分の名前を呼んでくれるだろうか?
…今度?会うことは…できるのだろうか…。
「何?」
「……へ?」
声がして、目の焦点が合うと、目の前には裕也の顔があった。
野梨子ははっと息をのむと、なんでもありません、と一言、目を泳がせて視線を下に。
悠理のお代りを持ってきた彼の顔を凝視していたようだ。
そう、と一言言って、去っていく裕也の足音を聞きながら、やけに自分の鼓動がうるさいことに気づく。
どうしたらいいのか、まったくわからない。
にやついている皆の視線に気づき、野梨子は目の前の飲み物に手を伸ばして飲んだ。
それからまたしばらくそこで時間を過ごし、裕也の店を後にした。
皆で帰りながら、ひとり、また一人と、それぞれ自分の家へ帰っていく。
いつの間にか暗くなり、清四郎が車を近くに呼ぶことにした。
野梨子も同乗することになり、二人で歩く。
清四郎の背中がやけに寂しそうで、野梨子は何も言えずにいた。