4章
夢小説設定
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ゆっくりと目を開けると、周りは暗い青色だった。
夢の中の明るいオレンジはどこにもない。
「…夢……か…。」
いや、おそらく夢であって夢ではないのだろう。
あの光景は嘘ではない。想像でもない。
紛れもない私がたどってきた過去だ。
「約束…。」
小さく呟いて、窓のほうに目を向ける。空は暗い。
朝方なのだろうか。
時差の計算は苦手だ。ただ、今はそんな余裕もないというのが事実だが。
ふと横を見ると、諒は眠っていた。
周りの乗客も寝ているのだろう。
私はさっきまで眠っていたが、もう一度無理矢理眠ることにした。
ずっと空を見ていると、泣きそうになったからだ。
今頃向こうは何時くらいだろうか。
気がつくと皆のことを考えてしまっている自分に笑いが零れる。
馬鹿馬鹿しい、皆に黙って、皆を疑って、勝手にここまで来たのは自分なのに。
期待してしまうのだ。
追いかけては来ないか、と。
最後に私の名前を呼んだ清四郎の声が今でも頭の中に残っている。
あんな必死な声、いつもの清四郎じゃ想像できない。
そこに期待してしまう。
「でも…もう…。」
もう、諦めるしかないのだ。
***
「…?……咲季…」
「………ん…」
体をゆっくりと揺さぶらて、目を開ける。
諒が心配そうな顔でこちらを見ていた。少しずつ覚醒する頭の中。
目に入ったのは窓から見える真っ青な空だった。
ポーンという電子音がして、シートベルトを締めるように促すアナウンスが流れる。
「え…もう、着くの?」
「おん。…ずっと寝てた?」
「あ、…う、うん」
本当は一度目が覚めたが、それは黙っておくことにした。
私はシートを垂直にし、ベルトをきちんと締め直す。
ようやく目が覚め、完全に覚醒したころには、飛行機が着陸態勢に入り、体の中が持ち上がるような感覚。
「まぶしい…。」
「はは、ずっと寝てたからやな。」
旋回して、一瞬窓から差し込む日差しが思っていたよりも明るくて、目を細める。
ふっ、とあの夢の夕焼けを思い出した。
私はこれから夕焼けを見るたびに、こんな風に目を細めてしまうのかも知れない。
そんなことを思いながら夢の内容を静かに思い返す。
そうこうしているうちに大きな衝撃を感じる。どうやら飛行機は無事着陸したようだ。
私たちは人の流れに沿ってそのまま歩き出し、飛行機を後にする。
空港にて荷物を受け取り、待っていた車に乗り込んだ。
「今から大学のほう行って、その後その大学の近くにある家に行くから。」
「家?」
「ああ、広い家を大学が用意してくたらしい。ピアノとか楽譜とかもそろってるし、防音やって。」
「へぇ、すごいね!」
「おん。一緒に住むことにはなるけど、家自体がかなり広いらしいから、気使わんでもいけると思うで?」
「わかった、ありがとう。」
車に揺られながら、私は明るいウィーンの街を眺める。
これから私は評価される場に向かうのだ。
それだけで、あの独特の緊張感を感じる。
「…咲季」
「ん?」
「大丈夫か?」
「…うん。って、何が?」
明るく笑ってとぼけると、諒はなんでもない、といって同じように笑った。
しばらくすると、車が減速を始める。大学の構内。ある建物の前で車は停止した。
***
「咲季!久しぶりね!」
「レナ先生、こんにちは。」
前回オーストリアに来た時にお世話になったレナ・シュミット先生は、笑顔で私を迎えてくれた。
彼女は日本語も達者で、こちらがドイツ語を使わなくとも平気である。
「長旅で疲れているでしょう?…今日はもう帰ってゆっくり休みなさい。」
「あ…はい。」
ぽんぽん、と肩を叩かれ、そのまま歩き出す先生。
予定は明日決めましょうね、と言われ、先生は出て行ってしまった。
去り際に後ろにいた諒に何かを呟いて行ったが、私にはよく聞こえなかった。
「…先生、諒に何か言った?」
「え?…いいや、ただ、明日からがんばれって」
「そっか」
私たちは先生に言われた通り、今日は用意されている家に戻ることにした。
大学から歩ける距離にある住まいは、日本にあるごく普通の一軒家よりも断然大きかった。
大きな家が二つ、くっついたような形で、話によると、右半分は全て防音加工が施された音楽をするための部屋が3部屋ほどあるらしい。
「おっきいね…」
「ほんまやな…俺もここまでとは思ってなかったわ…」
車の中で運転手に渡された合鍵を使って中に入る。
大きな荷物を運び込み、部屋の間取りを確認して、それぞれの部屋を決める。
これから始まる新しい生活。
「頑張らなきゃね…」
「せやな」
私の呟きに、諒がうなずいた。
これから私は頑張らないといけない。あの日の約束。
歌を、聞いてもらうためにも。
こうして、私の新しい生活が始まったのだ。
***
一方、日本。
すでに咲季が日本を去って一週間が経とうとしていた。
聖プレジデント学園では、「高天原 咲季がオーストリアに留学した」という話が学園中に広まっていた。
しかし、彼女の実力はすでに周知されている。
「さすが、咲季様ですわね」
「でも、突然いなくなってしまわれて、寂しいですね…」
咲季を慕っていた生徒たちからは、こんな言葉も聞こえる。
その言葉を聞きながら、ふらふらと歩く男が一人。
「…っあああー…もう一週間か…」
中庭のベンチに寝そべっていた松竹梅魅録は、ゆっくり起き上がると、頭を二、三度掻いて歩き出した。
「部室…あ、でも…はぁ…帰ろっかな…」
咲季が去ってからというもの、なんとなくやる気が起きない。
このままではいけないとはわかっているのだが、皆の様子もさほど変わらない。
「お」
特に何をやるかも決まらないまま歩いていると、女の子に囲まれている美童を発見した。
魅録を見つけた美童は女の子たちに別れを告げて、魅録の元にやってくる。
「こんなところにいたんだ」
「うん。…ちょっと寝てた」
美童も心なしか元気がないようで、ふっと笑うと空を見上げる。
天気いいもんね、と付け足したが、空の端に飛行機を見つけると、そこを意味もなくじっと見つめる。
結局、考えてることは皆同じ、ということか。
魅録はそう考えると自分も空を泳ぐ飛行機を見上げる。
同じようにその飛行機を眺めている人物が、生徒会室にもいることを知らずに。
生徒会室は以前よりも少し、活気がなくなっていた。
その理由は考えずともわかる。
皆が楽しそうに会話をしている頭の端で、同じ人物のことを考えていることぐらい、皆わかっているのだ。
「…もう、一週間ですのね…」
生徒会室の窓から、ゆっくり進む飛行機を眺めながら、野梨子はため息をついた。
あの飛行機に咲季が乗っているわけでもないのに、音が聞こえるとつい見てしまうのだ。
もしかしたらあの飛行機で、咲季が帰ってくるんじゃないか、と。
「………」
そんなわけがない、わかってはいるのだ。
でも、自分はまだ咲季に謝ることさえできていない。
電話をかけても、彼女にはつながらないし、メールを送っても返事が来ない。
昨日試してみると、契約を解除しているのか、「使われておりません」と一言。
ただ、清四郎に言われて、泣くことだけはやめた。
家でも父が新しい画の完成を間近に、ピリピリした雰囲気だ。
「野梨子ぉ~…」
「…っ!はい?」
「お茶、いれてくんね?」
そんな自分の苦しみを察知したのか、申し訳なさそうな顔に無理矢理笑顔を貼りつけた悠理が話しかけた。
先ほど淹れた紅茶のお代りを求めているのだろう。
ずっと悲しげに窓の外を見つめる野梨子を、悠理はもう見たくなかったのだ。
野梨子は手際よく紅茶を準備し、悠理のカップに注いだ。
「どうぞ」
「さんきゅ。……野梨子、」
「…はい?」
悠理がいつになく真剣な顔をして、野梨子に話しかける。
野梨子は返事をし、隣の席についた。
「あのさ、あんまり考え過ぎんなよ…?」
「…」
「咲季もさ…あたいたちがこんな風になっちゃうとは、思ってないと思うんだ…」
「!…そう、ですわね……」
悠理が言っていることはわかる。
きっと彼女のことだ、自分たち6人が今でも笑って過ごしていると思ってくれているだろう。
むしろ、自分たちがこんな状態にあると思えば、なおさら自分のせいだと思うに違いない。
「…あたい、今日は帰るね。…明日は、6人揃うといいな!」
「ええ……そうですわね…」
悠理は紅茶を飲みほして、カバンをひっつかむと生徒会室を出て行った。
食べ物を残すことのない彼女が食べかけのショートケーキを置いていったことに、野梨子は驚く。
ふと、野梨子は、そのケーキの最後の一口をフォークにさし、頬張る。
甘い。でも、なんだか物足りないような。
「イチゴが、ないからですわね…」
ショートケーキの間に挟まっているイチゴが、すでになかった。
ああ、なんだか自分たちみたいだと、思う。
なくても大丈夫なようで、実は本当に必要な、そんな存在。
当の本人は気付いていないのだ、そのことに。
「皆、変ですわ………かくいう私も、ですが」
悠理や自分だけじゃない。
6人全員、何かが変なのだ。それを誰も口に出さないだけで。
連れ戻したい気もするが、彼女の夢のため。
せめて、話だけでもできたらいいのに。
その願いさえも、今は叶わない。
有閑倶楽部の6人が、複雑な気持ちで過ごしていた一週間。
咲季は異国の地で一人、奮闘していた。
「…咲季?」
「あ、…ごめんなさい」
今日何度目かわからないミスをして、先生の声色も固くなる。
咲季はただ謝ることしかできず、そのまま俯いた。
「今日何度も言ったわよね?ここの発音はそれじゃあダメなの」
「はい」
「返事だけなら誰でもできるのよ、咲季」
「…はい」
怒られるのも無理はない。
発音一つ、楽譜にも書き込んだし、気に掛けることができるはずなのだ。
でも、声の伸びを気にするあまり、忘れてしまう。
「…」
思うように歌えない。
それがここにきて最初に感じたことだった。以前のように声がうまく前に飛ばせない。
「…正直、」
「…?」
「貴方の能力を買いかぶっていたようね」
「!」
先生の冷たい言葉に、足が固まる。
筋肉が強張った感触がした。
先生の冷たい言葉は、そのままのしかかる。
「やる気、あるの?」
「!」
やる気は、ある。愚問だ。
でも、思うようにいかないのだ。心も、体も。
「しばらく来なくていいわ」
「え…!」
「貴方のために、レッスンを断った子だっているのよ?……早く帰りなさい。」
「……失礼しました…」
先生の目は有無を言わさず、私は素直に部屋を出た。
歌えないのは自分が悪い。
でも、なぜこんなにも歌えないのか、私にはわからなかった。
とぼとぼと歩いて、家に帰ってくると、珍しく先に諒が帰っていた。
スケジュールが全く違う二人は、朝くらいしか会うことがない。
同じ屋根の下にいても、お互い課題をこなすために防音のレッスン室でこもりっぱなしなのだ。
「咲季!早いやん!」
「…ただいま」
「一緒に飯食う?」
「いい」
冷たく一言放ち、台所に行き、水を一口飲んだ。
リビングのソファーにいた諒が、咲季のところにやってくる。
咲季はそれを気にせず、また一口水を飲んで、ため息をついた。
「どしたん?」
「…。」
「なんかあった?」
「別に…何もないよ」
いつもよりも低い声で、反抗的に言葉を返すと、諒は少しムッとしたような顔になった。
咲季はこれ以上何も聞かないで、という意味も込めてもう一度「本当に何もないから」と念を押す。
「何もないわけないやろ?」
台所のせまい道をふさぎ、諒は咲季に問いかけた。
これではどこにも逃げられない。向かい合う形になったが、咲季は顔を横にそらした。今は一人になりたい。
その気持ちを隠す余裕さえ、ない。
「…少し、歌の調子が悪いだけ」
「ああ、先生から聞いた。ここ一週間、そうらしいな」
「!」
諒の険しい口調は、音楽家ならではだった。
音楽に対しての姿勢は、本当に厳しい人だとこの一週間でわかったのだ。
しかし、咲季だって同じだ。
歌を真剣にやりたい、その気持ちに嘘はない。
…ただ、思うとおりに歌えないだけで。
「自分、それが嫌ならちゃんと努力しいや」
「…!」
「こっちもパートナーなんやで?…少しくらい相談してくれても…」
「諒には何にもわかんないよっ!!!」
一気に。そう、一気に声に出して叫んだ。
諒は面食らった顔をして、開いた口をそのままにして止まってしまった。
「…何にも…っ…わからない……!」
お腹の底から、たまっていた息を声にして吐き出したのはいつぶりだろう。
どろどろした黒い感情を、思い切りぶつけた。
いつからたまっているのか、定かではないそれに、諒は何も言えない。
「どうして歌えないのか…!私が知りたいくらいなの…っ!」
そう言って遮る諒を強行突破して部屋まで走った。
部屋に入るとドアを閉めて、鍵をかける。
楽譜や教本の入ったカバンをベッドに投げ捨てて、床に座り込んだ。
「はぁ…はぁ…」
勝手に涙が出てきて、私は顔を覆った。
声は、でない。ただ、涙だけで。
ゆっくり立ち上がって、ピアノの上に置いてあった携帯電話を手に取る。
すでに契約を解除していて、電池もない、ただの動かない機械。
ここにきて最初の2日くらいは、これがいつも光ったり、鳴ったり…
「もう…やだ……」
歌えない。戻れない。
何のために、ここにいるの?