序章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
時は移って昼休み。
4限目の生物の教科書を片づけていると、その存在を思い出させるかのように、かさばるファイルに手が触れた。
そして、自然と今朝のことが思いだされ、ため息が出てしまう。
それにしても周りは今から生徒会室に向かうための準備を始める子たちばかりだ。
昼休みという最も長い休み時間には有閑倶楽部が独自に決めた面会時間が設定されており、彼らの目標はそれである。
そんなクラスメイトをしり目に、昼食の用意をしていると、なにやらプリントを持った後輩がやってきた。
おどおどしながら話しかけてきたのは、1年生の代議委員だっただろうか。
「委員長…、この用紙の期限、延ばしてもらえませんか…?」
彼の顔と持っているプリントから、自分の記憶が正しいことを確認する。
3年生のクラスに入ってくるだけでも緊張したのだろう、若干声が震えているのが妙にかわいらしい。
とはいっても、相手は男子。そこまで得意な部類ではない。
「期限?…私に出すプリントなら大丈夫だけど…」
この時期に出してくるものなのだから、書類はおそらく神無祭関係のものだろう。
もちろん、わが聖プレジデント学園も参加する。大規模なイベントだけに、全国の学校が様々な役職を割り振られ、その準備に追われているのだ。
そんな書類の提出先なんて、確認をしなくてもわかっている。
もちろん、“生徒会長迄”。
「ダメですかね…?」
「………………頑張ってみる。」
当然、私がどうこうできるようなものでもない。
直談判をするにも、こんな貧弱な態度じゃ生徒会…もとい、有閑倶楽部の面々に気圧され何も言えないままになるのは目に見えている。
依頼の内容自体は、簡単なものだ。そして、おそらく希望も通るだろう。
今は生徒会役員としての関わりだけだが、長く付き合ってきた幼馴染のことなど容易に想像できる。
自信はないが大丈夫だろう。
なにより、困ったような目、震える声で後輩に頼まれては、断ることはできない。
そんな彼は、私の返答にぱぁっと笑顔になり、ありがとうございます!と勢いよくお辞儀。
相当必死だったのだろう。
確かにあの生徒会室に堂々と乗り込むなんてこと、できる生徒のほうが少ないのだ。
ただ、咲季自身もあの部屋に乗り込むのは得意ではないのだが。
彼の眩しい笑顔が心に刺さった。
安心して去っていく後輩の背中を見送り、腕時計をちらりと見る。
昼休み終了まではまだ時間があるようだ。
「…ついでにファイル返しにいこうかな。」
いつまでも手元にあっては落ち着かない。
教室を出るついでに、先にファイルを返しておこう。
おそらく数分は捕まるかもしれないが、後ろに用事を残しておけば出ていく口実にもなるだろう。
机の中に眠る今ファイルを取り出し、私は教室を後にした。
***
ファイルを返すとなると、もう一度あの異様な雰囲気を醸し出す校長たちのところにも向かわねばなるまい。
「…あ、そっか。」
用紙はいくら生徒会が回収しているとはいえ、それをさらに統括しているのは校長先生ではないか。
だったらわざわざ清四郎のところに行かなくても、最初から先生に交渉しに行けばいい。
「冴えてるー、私」
一人で自分を褒めながら日差しの温かな廊下を歩いていく。
秋めいてきたとはいえ、ずっと日を浴びていると少し暑いような気もしてきた。
「日焼けしそう…」
「咲季~!!」
校長室に向かう廊下に差し掛かり、日差しを避けたところで後ろからやたらと元気でよく通る声がする。
そして間違いなく自分の名前を呼んでいた。
「あ…。」
重箱やら何やらを抱えて、声の主である剣菱悠理がこちらに向かってくる。
彼女とは仲が悪いわけではない、というよりむしろ仲は良いほうなのだが、とにかく今は絡まれてはいけないような気がした。
きっと彼女の状況から、考えられる言葉は一つである。
「一緒に飯食おーぜ!!」
「やっぱり…。」
予感は的中。満面の笑顔で悠理がほれ、とあんまんを差し出す。
「う。」
彼女とは仲がいいのだ。
たとえばこんな風に、私の好物を知っているという点でも。
「ほら!!」
「……。」
ずいずいと目の前に大好物をちらつかせられて、受け取らない人はいない…と自分を納得させて受け取る。
だって、そう、お昼ご飯だって食べていないのだから、仕方ない。
受け取った姿を見て同意ととった悠理はより一層笑顔になって嬉しそうに詰め寄ってくる。
「飯まだだろ?一緒に食おうぜ!」
「え、あ!ちょちょ、…悠理!」
どかっとタックルされ、そのまま歩いていく悠理。あんまんをつかむ左手をがっしり掴んで引きずられるようについて歩いた。
加減はしてくれているだろうが、彼女はとんでもない力持ちだ。
無視して歩いていくことなんて、さすがにできはしない。
まして、小学部のころからの友人。断れる要素はどこにもないという状況である。
「次なんだっけなー…あー古典か!じゃあサボりけってー!」
「…ゆ、悠理…!」
当たり前のようにさぼりの予定まで立てて、彼女はどんどん歩いていく。
行く先は私がさっきまで行こうとしていた場所ではない。
どんどん歩いていく悠理が行く先なんて、ひとつしかなく、そして今一番自分が行きたくない場所でもある。
連れて行かれながら、ふと気付く。
あ……ファイル!!
手には今朝返しそびれたファイルがある。そして、清四郎に目を付けられているのだ。
今持っていけば絶対に…清四郎が見逃すはずがない。
「あの…、悠理、私…!」
「飯食うぞー!」
「悠理~…!」
私は心の中で泣きながら有閑倶楽部の部室に入った。
というよりは入らされた、という表現が正しいだろう。
手にはあんまん。もう片方には用紙と、ファイル。
すでに面会時間が終了し、自由な時間を過ごしている生徒会室の中に入ると、そこには、否が応でも毎日聞かされる名前の方々。
そして、一番に目があった、幼馴染たち。
「咲季!」
「あ、野梨子ー…」
ああ、もうどうにでもなれ。
入って早々、幼馴染の白鹿 野梨子が席を立ち、ぱっと花が咲いたように笑顔になった。
そこまで喜んでもらえるのは光栄である。
私も、今日このタイミングでなければ同じ表情になっただろう。
「久しぶりですわね!」
どうぞ、と椅子を勧められる。私は左手のファイルを自分の背に隠しながら椅子に向かい、できるだけあんまんに視線が向くように工夫しながら席に着いた。
しかし、もう一人の幼馴染、清四郎はしっかりファイルを視線にとらえている。
「ほら!もう一個あるぞ!」
「あっ…いや、ありがと…。」
焦りに焦っている咲季にお構いなしでおかわりを勧めてくる悠理。
一言お礼を言って断ると、悠理はならあたいが、とぱくりとあんまんにかぶりついた。
ほかのメンバーの視線も気になるが、一番気になるのは隣にいる幼馴染、菊正宗 清四郎の視線である。
私が隠そうとぎこちない動きをしているのも、おそらく彼にはお見通しだろう。
すかさず、預かっていた用紙を彼の目の前に出す。
「あの、これの期限、延ばせそう?」
「これは…来週くらいまでなら構いませんよ。」
「あ、そ、そう。よかった…」
簡単に仕事は終了。あっさりと終ったので動揺はしたが、これで意識はそらせただろう。
後はさっさとここから出ていくだけ…なのだが。
清四郎は視線をさっと私の手元に向け、急に切り出した。
「そのファイル…今朝のですよね?見せてください。」
「な!?なんのことでしょう…か…?」
「早く。僕はまだ確認していないのですが」
そりゃそうでしょうね。心の中で大きく突っ込みながら、しまったと、我に返る。
こんな時、顔に出るタイプの自分は損だと思う。
というより、清四郎相手にごまかすなんて考えたほうが愚かだったのだと、思う。
その証拠に、うまく隠した(つもりだった)ファイルだって、完璧に清四郎は捉えていたし、今は自信満々のやたらと癇に障る笑顔でこちらを見つめてくる。
勝てるわけがないのだ。この人には…。
しばらく視線を受け止めたが、どうにも耐えられなくなってきた。
おまけにその言葉を聞いていたほかのメンバーまでもが私のひざ元に隠しているファイルを気にしている。
もう隠し通すのは無理だろう。観念した私はそっとファイルを円卓に置いた。
「…どうぞ……。」
心の中で校長先生に謝りながら、ファイルを差し出す。
さっと受け取り中身を開くと、清四郎はため息を一つ。
「校長も暇なんですねぇ…」
机の上に開かれたファイルは有閑倶楽部の全員の前に晒され、全員が一様に焦りも何も見せない。
「うっぜぇなぁ…。」
「私たちをよっぽどマークしてるんですね…煩わしいですわ。」
もういいや、と半ば諦めて、私はあんまんを頬張りながら目を泳がせる。
誰とも目を合わせないように気を付けたけれど、副会長である松竹梅君とチラッと目があった。
「高天原さんってさ、メガネ達と仲良いよね。」
「はっ?」
急に松竹梅君に話し掛けられる。ギターを抱えてにやっと笑う彼は人懐っこい犬みたいに見えた。
しかし、仲がいいとは心外だ。あっちが一方的に自分に話しかけてくることが多いだけで、私は仲がいいと思ったことはない。
むしろ、自分たちのほうが仲がよさそうに見えますけど?
そう心の中で反論していると、松竹梅君はちら、何かを訴えるような、面白そうなことを思いついた子供のような目を清四郎に向けた。
とてつもなく嫌な予感しかしない…。
「清四郎、」
「考えていることは多分同じですね。」
にやりと口角を上げて笑う清四郎と嬉しげな松竹梅君。
あら、と声を上げたのは野梨子。
「私の考えも同じですか?」
「それって…もしかして…!」
嬉しそうな野梨子と悠理。私はただ、みんなの顔を見回すだけ。
「咲季を有閑倶楽部に入れるんだろ!?」
悠理の声がこだまする。それに同意する野梨子。
私は小さく「は?」と間抜けな声を出した。
「先生の評判も良いですから、スパイなんて良いですね。」
「早速美童と可憐に連絡するか!」
携帯を取り出す松竹梅君。私を取り残して話が進んでいく。
悠理が私の手を取り、ぐっと握った。
握手のようだが、握力が強すぎるうえにぶんぶんと上下に揺さぶられるとその勢いに押されてしまう。
「そーゆーわけだから、よろしくな!咲季!」
「え…!」
「これで咲季も、有閑倶楽部の一員ですね。」
「嬉しいですわ~。」
いや、どういうわけだよ。
ほっこりとうれしげな表情でこちらに微笑んでくる野梨子の表情は、握られている手よりもなかなかダメージが強い。
あまりにも急な展開で、思考回路が追い付いていない私に、清四郎がふっと笑った。
何を言ったところで、私に拒否権はないらしい。
そして私は同時にこう悟った。
きっともう二度と、平穏は帰ってこないだろう。
今までおとなしく過ごしてきた2年半は終わり、これから彼らと過ごすであろう半年は2年半を凌駕するかもしれない。
何より今ここで微笑んでいる幼馴染たちに、私は圧倒され、そして少しの不安を感じさせる。
何年ぶりにこうして3人、一堂に会しただろうか。
私はただ4人の反応を見ているくらいしかできなかった。
それほどまでに、この決定は私のこれからを大きく変化させるものだということを、この時点で理解したからである。
「あっ、本鈴鳴ってる。じゃあ、私はこれで!」
昼休み終了のチャイムが鳴り、私は無理やり生徒会室から引き揚げた。
「まじめー!」と悠理に叫ばれたが、頭の中はそれどころではない。
明日から、いったいどうなるのだろうか。