2章
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<元気にしてたー?>
「う、うん」
電話越しに聞こえる母親の声に、まわりの皆も静かになる。
こちらの様子が気になるか、他の面々も電話の内容に耳を澄ませた。
<母さんね、明後日からオーストリアなのよ!>
「ああ、そうなんだ…それで、急にどうしたの?」
<咲季、あなたもちょっとこっちに来なさい!>
「…は?」
母の言葉に、返事がつまってしまった。その咲季の様子に、野梨子と清四郎は目を見合わせる。
いくらなんでも唐突すぎやしないか、と咲季が言いかけると、母はそれを遮るようにケタケタと笑った。
<もーたった1週間だから大丈夫よ!>
「そんな急な…」
<留学先候補の先生と偶然話が盛り上がってね?だったら体験入学してみなさいって。こんなチャンスないわよー?>
「うーん…それは確かに…」
電話の向こうではなにやら大人の人たちの歓声が聞こえる。時間として向こうは夜中のため、何かのコンサートの打ち上げだろう。
おそらくはその会場で向こうの先生と会い、話が盛り上がってそのままこちらに電話をかけてきたに違いない。
<ま、そういうわけだから明日のお昼の飛行機に乗ってね。チケットはさっき購入して家に送ったから>
「え、ちょ」
<準備だけきちんとしといてね>
「いや、話聞いてる?ねえ」
<じゃあ母さん打ち上げ中だから!じゃあね!>
「ま、待って、ちょっと!………切れた」
電話から聞こえるのは規則的な電子音。焦る私を見ていた皆が面白そうに、気の毒そうに笑っている。
思った通り、打ち上げだったな。
いや、そんなことよりも、動き出したら止まらない母親の言葉をもう一度思い出す。
明日出発で1週間滞在ならば準備にも時間がかかるだろう。
咲季は事情を簡単に説明し、疲れた体を無理矢理動かして自宅に戻ることにした。
***
結局あの後すぐに帰宅して準備を始めたが、気が付くとすっかり夜になっていた。
帰るなり、玄関口で執事にチケットを手渡され、私はやむなく旅行の準備をはじめたのだった。
「明日…皆に会ってからは行けないなぁ…」
チケットには12時45分と書かれている。これに乗るには9時には家を出なければならない。向こうに着くのはお昼くらいだろうか。
ピラピラッと手元でチケットを遊び、もう片方の手で携帯を見つめる。
咲季の母は世界的に有名なマエストロだ。
有名なオーケストラの楽団や、オペラ歌手の間でも一目置かれた存在で、留学希望先の学校も、母の母校だから入学できるようになった。
しかし、おそらくは母と比べられることにはなるだろう。そう考えると逃げ出したくなるような不安も浮かび上がった。
カチカチと時計の針が秒を刻む音がやけに大きく感じる。
咲季が携帯の画面を確認すると「23:49」の文字が並ぶ。
もうお風呂は明日の朝に入ろう、そう考え、咲季は着替えて布団に潜り込んだ。
明日から忙しくなる。
自分とは反対に、暇だ暇だと喚いていた悠理の顔が不意に頭をよぎって、私は微笑みを浮かべ眠りについた。
***
翌日、昼間の生徒会室は大いに賑わっていたが、やっと生徒たちが去っていたところで野梨子がため息をついていた。
「はぁ、やっと出ていきましたわ…」
「……」
うんざりしている野梨子を、清四郎が一瞥する。
暖かな陽射しが窓から差し込み、二人が挟んでいる碁盤とその上の碁石を照らしている。
「暇だあああぁあああぁ!」
咲季が思い浮べた暇だ暇だと喚いている悠理は、やはり喚いていた。
「今頃咲季は飛行機のなかかぁ…」
「向こうに着く頃にはこっちは夜ですね」
「咲季がいないと淋しいよー…」
悠理はうりうりと人差し指でパンを突きながらいじけているが、そればかりは同意できると皆が頷き、聖プレジデント学園の昼がすぎていた。
***
咲季はというと、予定通り昼に飛行機に乗ったが、やはり時差というのは怖いもので、空港に着いたのはやっぱりお昼であった。
わかっていてもつらいものである。
「咲季!」
「お母さん」
ロビーに着くと母さんがバタバタと走ってきた。
しばらく前に見た時は結っていた髪が短くなっており、カールした毛先が走る動作に合わせて揺れる。
「疲れてるでしょ?もう車呼んであるから」
「うん」
ねぎらいの言葉をかけたのち、少しの目配せでスーツの男の人が私の荷物を手に取った。
案内されるままに歩くと黒い車が停まっており、そこに乗り込む。走っている間に母は今回の公演の話をしてくれた。公演中に泊まる予定のホテルが見えてきたのは、空港から少し走ったところにあった。
そこはオーストリアで公演をする際にいつも母が泊まっているホテルで、幼い頃にも来たことがある場所であった。
大きな荷物は最初に荷物を持ってくれた男性が運び込んでくれたため、咲季は財布などが入ったカバンだけを手に、案内された部屋に向かった。
ロイヤル調のスイートルーム自分の部屋よりも少し広くて、シャンデリアが眩しい。相変わらず空は明るくて、一日が本当に長く感じた。
「あーあ…学校は明日からだし…暇だなぁ…」
体験入学は明日からの予定のため、今日一日、暇な日が続く。
手持無沙汰になった咲季はカバンから携帯を取り出す。すると、早速チカチカとイルミネーションが光っていた。メールが届いているようだ。
確認すると差出人は野梨子だった。
少しは暇をつぶせると期待してメールを開いたが、そこにある文字に咲季は呆けていた頭が一瞬でサッと冷えていった。
「…え?誘拐………!?」
メールには悠理が誘拐された、と一言書かれていた。咲季は思わず声を上げる。
携帯を手に、ただ茫然としていると、新たにメールを受診した。
「ゆ、悠理!」
今度の差出人はその本人である悠理だった。咲季は急いでメールを開くと、そこには楽しそうに誘拐された事を報告する一文があった。
「今誘拐されてます、星マーク……いや!意味わかんないし!」
なんだそれ、と呟き、一瞬の間に気持ちを弄ばれたようで謎の疲労感が襲ってきた。
一旦電話でもかけてみるか?と考えながら、そわそわした咲季は部屋にこもらずにホテル内でも散策して連絡を待つことに決め、携帯と財布をミニバッグに入れてホテルのロビーへ向かった。
ため息を一つ、咲季はロビーのソファに座った。
このホテルは正解的にチェーン展開されており、各国の客たちが訪れる。
観光シーズンでなくとも、常に客であふれかえっていた。
ホテルのロビーには様々な場所にソファがおかれ、ラウンジとして広く開放されている。
その一角で、咲季はあれから返事のない携帯を握りしめている。
向こうの時間はきっと7時くらいだろう。
悠理が誘拐されたと聞いて、先程から気が気でない。
悠理から気の抜けたメールが来たところから、本人は平気なのだろう。
野梨子のメールは淡々としていたし、おそらく真剣だろうが、如何せん本人のメールが明るすぎる。
それを考えると、また何か悠理が企んだに違いない。
野梨子が見たら激怒しかねない文面だった。
「大丈夫なのかな…」
さっきから何度目かわからないため息を吐いてつぶやく。
何もわからず黙っているというのは、こうまでもどかしいものなのかと実感させられていた。
「ため息ばかり吐いてたら、幸せにならないわよ?」
「へっ?」
突然の声に驚き、声のするほうを向くと、鏡を見ながら睫毛をチェックしている可愛らしい女の人。
どうやらいつの間にか隣に人が座っていたようだ。
先ほどまでのつぶやきが聞こえていないか気にしながら黙り込むと、その女性はそのまま話しかけてきた。
驚きで一瞬わからなかったが、日本語だ。
「何かあったの?」
「いや、あの…」
「お姉さんが聞いてあげるわよ?」
パチッ、とウインクをする女の人。
愛らしさも感じられるその振る舞いに少し面食らいながらも、異国の地で出会った日本人に警戒心が解けていく。
「ここで会ったのも何かの縁だし…あたしも暇だから。あなた、名前は?」
「私は咲季です。高天原 咲季。」
「あらら、じゃああの高天原のお嬢様なのね。あたしは…千秋よ」
「千秋さん…」
千秋と名乗った女の人はふふ、と笑って鏡をしまった。
何か考えたように名前だけを名乗った様子を見て、自分も名字を言わなければよかったと若干後悔する。
この場所は一応、上流階級の人々が多く集まる場所だ。
自分の家のことはあまり口外しないほうが良いかもしれない。
この様子だと、彼女もどこかのお嬢様なのかもしれない。
そう考えていると、千秋はずいっと体を詰め寄らせ、少し声を上ずらせて問いかけてきた。
「それで?恋煩い?」
「え?!」
「好きな人がいる、とか?」
「いやいやいや!違いますっ!」
ぶんぶんと頭を振って否定する。
思わず問いかけられた話題は、ここ最近で一番苦手な話題だ。
とはいえ、少し前に自分で他人に質問してしまったことなのだが。
咲季はふぅ、と息を整えて、事のいきさつを説明した。
「…という状況なのに、連絡がこないんです」
「友達が心配なのね…」
「はい…」
「じゃあさっさと用事を済ませて帰ればいいじゃない」
「へ?」
「心配なんでしょ?若いんだから自分の思うとおりに生きなさいよー?」
「はぁ…」
「ちゃんと、恋もするのよ?…あっ!迎えが来た!じゃーねー、またどこかで会えるといいわね!」
エントランスに現れた黒服の男を見つけて、千秋さんは立ち上がり駆けていく。
嵐のような一瞬の出来事に、少しの間静止するが、咲季はふっと不安が少し和らいでいるのを感じた。
あの様子だと彼女も恋しているのだろうか?
ふ、と頭に浮かんだのは神無祭で振られた魅録と、助けてくれた清四郎。
早希さんを見つめる魅録の瞳を思い出す。
あの時から、なんとなく好きな人とか、そういう気持ちを意識するようになった。
しかし、どんなに考えてみてもその言葉の意味するところはピンとこない。周りにいる男性陣に対しても特別な感情は自覚できないが、それは毎日毎日一緒にいるせいで、意識しないだけなのかもしれない。
それでもわからないことのほうが多いが。
毎日毎日彼らと一緒にいるせいで、特段愛だ恋だと意識しないだけなのかもしれない。
恋をしていた魅録や可憐はとても綺麗だと思うが、自分にはピンとこないことだらけだ。
いつの間にか悠理の誘拐ではなく恋について考えている自分に気づく。
というか、自分の相談にはかなり簡単な答えしかもらえなかったが、シンプルかつ的確な解答であった。
「千秋さん、可愛かったけどさ…」
私はそのまま小さく呟きながら携帯を握り、また部屋に戻った。
その後特に連絡もないままで、一日はやはり長い感じたが、旅の疲れかそのうちすぐに私は眠りにつき明日の体験入学に備えていた。
***
それから2日間は目まぐるしく過ぎた。
私を受け持ってくれた先生は、母さんの学生時代の恩師で、私を見ると笑って受け入れてくれた。なんでも日本で私が声楽を教わっている先生も、その先生の教え子らしく、たくさんの話をすることができた。
そしてオーストリアに来て4日目の夜。
いまだに皆からの連絡がなく、私は心配になっていた。
そこで千秋さんに言われたとおり、私は明日には日本に帰るつもりで母に話をしようと心に決めた。
「咲季、話があるのよ。」
そう意気込んでいた夕食の際、母の方が先に食事をする手を止めて、私を見る。
「ちょうどよかった、私も話があるんだ。」
「何?」
「えっ、あのね、」
母は真剣な顔だったが、こちらが話したい気持ちを汲んでくれたらしく、その場を譲る。私は素直に日本に帰りたいということをその理由と共に母さんに告げた。
「そう…、友達が心配なら仕方ないわよね。いいわ、明日の夜の飛行機で帰りなさい」
「ありがと…!」
「で、次はお母さんの話、いいかな?」
母さんが真剣な顔で私を見る。私は口をつぐんでお母さんを見た。
「咲季は、婚約者とかを勝手に決められるのは嫌よね?」
「…どうしたの、急に……!」
「うーん、まあ、お母さんがそうだったもの。咲季だって嫌よねぇ」
「う、うん…」
「じゃあ好きな人はいないの?」
「は?」
こちらに来てからこの手の話ばかりで面食らってしまった。
どうして一度この話題が出るとそればかりなのだろうか。咲季は半ばうんざりしつつも真面目に考えてから口を開く。
「いない…かな。」
「んー、気になる人は?」
そういわれて脳裏に浮かんだのは清四郎の顔。
そしてすぐさま自分に「なんで?!」と突っ込みを入れる。
かき消すようにぎゅっと目を瞑ると、それをみたお母さんは小さく笑った。
「いるのね!」
「へ?!いや、あの、」
「よかったわ!母さん安心した!もしいなかったらどうしようかと思ったの!」
「え、ちょ、」
「咲季は明日にはいなくなっちゃうし…明日は一緒に劇場に来なさい!」
「いや、そもそもなんでそんなこと………、もう、母さん意味わかんないよ…」
勝手に話を進めるお母さん。突拍子のない質問や行動に驚きつつも、昔から変わらない姿に、慣れてしまった私もそのまま笑ってごまかすことにした。
なにより明日には皆に会える、そう思うと嬉しくて、私は自然と頬が緩むのだった。