1章
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とても気まずい。あまりの気まずさに足取りも重い。
授業をする先生の声が廊下にも少しだけ漏れて聞こえてくる。
誰もいない廊下は日当たりがよく、昼間の暖かい日差しが差し込んできていた。
今はこの曜日の最後の授業の真っ最中だ。神無祭の準備のために、今週は授業が早く終わり、文化部の部活動時間が長くなるように配慮されている。
さすがに授業中に堂々と廊下を歩けるわけもなく、咲季はこそこそと様子を窺い、使われていない教室の多い特別棟から回り道をして生徒会室につながる階段のあるところまでやってきていた。
あのパーティーの翌日、咲季はどうしても気分が晴れないために学校を休んだ。
心配のメールや電話が来ていたが、途中から応えるのが面倒になり電源を切っていたのだ。
今日の朝になって溜まっていたメールを読み、全員に電源が切れていた、と嘘をつくメールを送ってから学校に行く決心をつけてやってきたというわけである。
有閑倶楽部の皆はどうやら昨日の時点で何か高清水に罠を仕掛けたらしいが、詳しいことは聞けていない。
内容が気になるが、パーティーの件もあり、咲季はあまり気が乗っていなかった。
ゆっくりと階段を上って、よし、と声を出してから生徒会室のドアを開いた。
一斉にこちらをみる5人の顔が明るくなり、皆が「おはよう」と声をかけてくる。
ちなみにもうお昼はとっくに過ぎていた。
「お、おはよ」
「咲季!体調はもう大丈夫なの?」
「うん、ありがとう」
可憐が心配そうに聞いてくれたので、咲季はお礼を言って、最近できた自分の席に腰を掛ける。
皆がやけに嬉しそうにするので、咲季はその様子に疑問を感じながら皆を見回す。
すると隣に悠理が駆け寄ってきて、がしっと肩を掴む。
咲季は驚いて悠理の方を向いた。
「咲季はさ、10億あったら何がしたい!?」
「え?」
「10億だよ10億!!!!」
目を爛々と輝かせる悠理の勢いに圧倒されながら、想像もつかない金額に頭が混乱する。
10億なんて大金、言葉では聞くことがあっても実際に手にすることは人生では一度もないだろう。
うーん、と考えていると悠理が口を開いた。
「あたいは肉まん!肉まんいーっぱい買うんだ!」
「肉まん?」
「そうそう!」
そういえば、自分がここにつられてやってきたのはあんまんだったな。
あんまんが10億分なんて信じられない量だし食べきれないだろう、と思っていると、横から美童が口をはさんだ。
「食べきれないと思うよ?」
そう言いながら可憐とダンスの練習をしている。ずいぶんうまくなったものだ。
神無祭の総合開会式が今日で、日程ではダンスコンテストが明日だった気がする。可憐のターンを見て、これなら本当に優勝するかもしれない、となんとなく感じた。
そうして視線を戻すが、人数が一人足りないことに気づく。
魅録がいつも座っている席が空いていた。どうやら今日は魅録が来ていないらしい。
「あれ、魅録は?」
「そういえばまだ来てないね。」
「あの子のところじゃないですか?」
あの子、とは魅録が助けたダンス部の女の子、早希さんのことだ。
魅録は彼女と出会って以来、その子のことを何かと気にしているようで、今もボディーガードのように彼女と愛犬の散歩について行っているらしい。
そのおかげか彼女も無事に練習に励んでいるそうで、その話をたまに聞かされていた。
明日がちょうどダンスコンテストであることもあり、魅録は早希さんのところに様子を見に行っているのかもしれない。
そう考えた清四郎が5人に声をかけた。
「皆で魅録のところに行ってみますか?」
この提案に皆が賛成の声を上げる。
咲季も、噂の早希さんに会いたいと思い、皆と一緒についていくことにした。
***
早希さんの学校は、聖プレジデント学園からは少しだけ離れたところにあった。
皆で車に乗り込んで30分、少しだけ日が落ちかけたころに学校に到着し、中庭を歩いてみると、校舎を見つめる魅録の姿があった。
白い校舎に並ぶ窓の一角に、ちらちらと揺れる人影が見えた。一心にそちらを見つめる魅録の視線の先には、優雅に踊る早希さんらしき人がいる。
なるほど、確かに可愛らしい人だ。遠目から見ても素晴らしいダンスをしていて、そこからまた本人がとても踊ることが好きな様子が窺えた。
そんな彼女をじーっと見つめている魅録に、悠理が後ろから声をかけた。
「魅録ー」
「うわ、な、何やってんのお前ら」
その声に敏感に反応して、魅録がばっと振り返る。咲季たち6人の姿を見て魅録は心底驚いた顔をしていた。
早希さんを守るために見張っていたのだというが、声をかけられて驚くほどに彼女に魅入っていたのでは、周りに気づけないんじゃないかとつっこみたくもなったが、咲季はそれを飲み込んでふふっと笑う。
「ずっとガードしてたのか?」
「でもこれじゃ、ガードっていうよりストーカー…」
「うっせぇよ」
悠理の問いかけに対する返答を待つ前に、可憐がそう呟くと、魅録はばつが悪そうにくるりと向きを変えた。
ふと見ると早希さんが窓の方に近づいてきており、それに隠れるようにして向きを変える魅録が妙に可笑しくてまた笑いそうになった。
「椎名さんのガードなら、僕たちも協力しますよ」
「いや、」
「早希ちゃんが大事なんだろ!」
悠理がバシッと音を立てて魅録の背中を叩くと、それに押されるように魅録がよろめく。
それでも魅録は自分が早希さんを守るんだ、と意気込んでおり、素直にその言葉に甘えようとはしなかった。
咲季はそんな魅録の様子を見て、魅録が本当に早希さんのことを大切に思っているのだと感じた。
夕日に照らされてわかりづらいが、魅録は顔を赤くして皆から視線を逸らそうとする。
その視線はちらちらと早希さんの方に泳いでいて、きょろきょろと忙しなく視線を送る魅録の表情は今まで見たことのないものだった。
学園では硬派で通っているが、意外と純情なようだ。
余裕のなさそうな魅録の様子を見ながら、咲季はそんな彼を羨ましく思う自分に気が付いた。
魅録が早希さんに抱くような気持ちを、自分は誰かほかの人間に感じたことはない。
思ったことがあったとしても、それを自覚したことがないために、咲季は自分も同じような感情を抱いてみたいと心の隅で感じていた。
学園はほとんどエスカレータ式で、見慣れた顔ばかりだ。周りの人間とはあまりかかわってもいない。
勉強と雑務とレッスンで、ろくに友達というものと遊んだこともなく、せいぜい幼馴染についてまわっていただけだ。
高等部ともなれば、そんな幼馴染とも距離を置き、専ら音楽だけに専念していたため、誰かのことを考える余裕も相手もいなかったのである。
それとは正反対に、過去の偉人たちがまだ普通の人間だった頃、俗物らしく愛や恋について綴った詩をあたかも自分が経験しているかのように歌っているのだから、おかしな話だ。
本当の愛や恋を知ることは勉強にもなるかもしれない。自分も恋をすべきなのか…と顔を赤くして早希さんを見つめる魅録を見て考え込んだ。
「とりあえず!明日は皆で早希ちゃんガードしようぜ!」
「そうですわ。どこで何があるかもわかりませんし」
「大事な作戦もあるしね!…もちろん、僕たちのことも応援してくれなきゃ困るけど」
美童と可憐が息の合ったポージングを披露し、場を沸かせる。明日の大会のために今一度意気込んだところで、皆で家に帰ることにした。
咲季は自分がボーっとしている間に皆が盛り上がっていることに気づき、なんとなく笑って相槌を打つ。
そうしていると、清四郎が隣にやってきた。
「咲季、送っていきますよ」
「え…、いいの?」
「はい。車はすでに呼んでありますから。」
咲季は清四郎の言葉に甘えようと思ったが、清四郎がいつもと少し違うような感じがして、一度なんとなく野梨子の方を見る。野梨子は咲季の視線に笑顔で応え、「私は自分の車を呼んでありますから、」と言った。
その言葉に咲季は清四郎の方を向き直り、清四郎の言葉に甘えて送ってもらうことを決めて清四郎と共に歩き出した。
そんな二人の様子を後ろから見つめていた4人は顔を見合わせる。
見たことも聞いたこともない清四郎の行動と態度に、皆はそれぞれ何かを感じたようだった。
特に可憐や美童はその経験からか、二人の間にただならぬ何かを感じ取ったらしい。
「清四郎…、やるわね。車まで待たせとくなんてさすがだわ」
「ふふ、咲季がずーっと魅録を見てたからね……まさか、嫉妬したんじゃないの?」
「そうだとしたら面白いことになるわよー?」
くすくすと笑いあう美童と可憐に、野梨子が少し呆れたように声をかけた。
きょとんとしている悠理の様子を見るに、彼女はまだまだその辺の勘は鈍いようだ、と可憐が眉を挙げてふっと笑いをこぼす。
まもなくして悠理が「咲季と帰りたかったのに」と声を漏らしたのを聞いて、やはりわかってないのだろうな、と可憐は心の底で確信した。
「可憐、美童、帰りますわよ」
「あのさ、…お前ら本当に協力する気あんの?」
そんな様子の皆に、魅録は明日の不安を覚えながらも野梨子たちに押されるようにしてバイクまで戻った。
戻りながらも少し振り返り、窓から少しだけ見える少女の美しさを目に焼き付けた。
***
車に向かうまでの間,清四郎は一言も発することはなかった。歩調こそは合わせてくれていたが、その重苦しい雰囲気に咲季は気まずい思いをしながらも清四郎の後ろについて歩いていく。
待たせておいた菊正宗家の黒塗りの車まで向かうと、見慣れた運転手が後部座席のドアを開けてくれた。
清四郎に視線で促され、咲季は車に乗り込む。菊正宗家の車のシートは特別ふわふわで、子どものころから乗るのが好きだったことを思い出した。
間もなくして隣に清四郎が乗り込み、車が走り出す。ここから咲季たちの住む町までは少しの距離がある。
咲季は未だ漂う妙な沈黙に、緊張で体を硬くしながら窓の外にちらちらと視線を泳がせていた。
わざわざ車まで待たせておいたのだから、自分に何か話でもあるのかと思い身構えること数分。
清四郎の方を微かに窺っても、彼の視線は真っ直ぐ前に向いていた。
重い沈黙は相変わらずで、咲季は耐え切れず口を開いた。
「……早希さん、綺麗だったね」
「そうですね」
「…」
「……」
一言の相槌で会話が続かない。どうしようか、とちらりと窓の外を見る。まだまだ自宅までは遠そうだ。
もう少し何か話す話題はないかと頭を働かせ、また口を開く。
「魅録は、早希さんのこと本当に好きみたいだね」
「……そうですね」
ふとさっき考えたことを口走ったが、清四郎の返答は全く同じだ。
今度はもう少し長い時間をかけて清四郎の表情を窺ったが、特に変わった様子は見られない。
咲季はなんだか疲れてしまい、ふーっと息を吐くと、体の緊張を解いてシートに深くもたれかかった。
どうせあまり気にしていないなら、こちらも特に話題を選ぶ必要はないだろう。
咲季は頭に思い浮かんだことをそのままぽつりとつぶやいた。
「人を好きになるって、素敵なことなんだねぇ…」
その言葉に、今度は清四郎が咲季の方を向く。咲季はぼんやりと視線を前に向けていて、清四郎の方を向くことはなかった。
咲季のそんな様子に、清四郎は少し驚いたような表情で先ほどとは違う返答をした。
「随分と女子高校生らしくないことを言うんですね」
「え?」
思いがけない清四郎の返答に、咲季はぴくっと体を反応させ、少し体勢を整える。
清四郎の方に視線を向けると、今度はこちらをじっと見ている。
咲季は清四郎の返答が予想外だったこともあり、そのまま言葉を返せずにいた。
「うーん…そうかな…」
「そうですよ」
「だって…」
遠くに聞こえる電車の音に耳を澄ませながら、咲季はさっきの魅録の姿を思い浮かべていた。
あんな風に誰かのことばかり考えたり、行動したりしたことは今まで一度もない。
誰かが自分を好きになってくれることはあっても、その感情がどんなものか、あまり理解もできなかった自分にとって、魅録の姿は新鮮だったのだ。
自分も同じように、誰かのことで頭がいっぱいになったり誰かのために必死になる時があるのか、と考えると、よくわからなくなる。
「好きって気持ち、よくわからないもん」
咲季のその言葉に、清四郎は何も言葉を返さなかった。
清四郎はわからないことなんてないだろう、わからないことも教えてもらえるだろう、そんな小さな期待も込めて言っていたのだが、その期待も空しく清四郎は何も答えてはくれない。
咲季は清四郎に向けていた視線をぼんやりと窓の外に向ける。
川の水が夕日に照らされてきらきら光る。ふと遠くに二人乗りで走る男女の学生が見えて、あの二人も同じ気持ちなのかな、とわけもなく考えた。
誰かに触れて、誰かと一緒に時間を過ごすのはどんな気持ちなんだろう。
「咲季?」
「………清四郎は、好きなひと、とかいるの?」
「…いると思いますか?」
「うーん…………わかんない」
咲季が窓の向こうにを見ながらふと口にした言葉に、清四郎はさっきよりも柔らかい声で尋ね返した。
咲季は窓からこちらに顔を戻し、視線を上に向けて少し考えたが、しばらくするとわからない、と困ったように笑う。
清四郎はその表情にふっと笑みをこぼし、敢えて何も答えず黙ったままにしておいた。
そんな清四郎の様子に気づいたのか、咲季は清四郎に続けて話しかけた。
「清四郎はさ、好きってどういう気持ちかわかる?」
「……難しいことを聞きますね」
「え、あ、難しかった?ごめん…」
意外な返答に咲季は驚いて、軽く謝る。今度は清四郎が何かを考えているようだった。
夕日もほとんど沈みかけて、東の空は紺色に染まっていく。
車はどうやら渋滞につかまってしまったようだが、清四郎はあまり気にしていないようだ。
運転手がルームミラーから視線を送ったが、清四郎がちらりと目配せをすると、運転手もまた視線を戻した。
先ほどの質問から少し経つが、清四郎は一言も答えていなかった。
咲季はそんな彼の様子を見て自分の質問がそこまで難しいとは思わず、どうしようかと考える。
すると隣から、小さな声が聞こえた。
「好きという気持ちは、」
「え?」
「………自然に生まれてくるものです」
清四郎はじっと視線を前に向けたまま、そう答えた。
咲季は清四郎の横顔を見つめながらその言葉の意味を考える。
誰かを好きになろうと思って好きになるわけじゃない、そう言いたげな清四郎の表情と言葉に、咲季は何も言えなくなった。
「誰もが一様な気持ちを抱くわけではありません。…魅録が抱いているような気持ちもあれば、僕や、咲季が抱く気持ちもある」
「……」
「どんな気持ちか、というのに明確な答えがあるとは、思いませんね」
「そっか…」
「だから僕は咲季に正しい答えを教えてあげられません」
そう言うと、清四郎は少しだけ視線を落とした。
なんだか自信がなさそうにも見えて、じっとその横顔を見つめることしかできなかった。
その横顔を見ていると、なんとなく胸が苦しくなる感覚がした。
清四郎にこんな表情をさせるような人がいるのだと思うと、そんなに人に会ってみたいとさえ思う。
あの自信家な清四郎も、誰かを好きになるとこんな表情をするのだ。
咲季は白いスカートの上で自分の両手をもみながら、そんなことを考える。
「あの、さ」
「ん?」
自分の発した小さな声に、清四郎が想像以上の優しい声で返事をしたので咲季は一瞬鼓動が跳ねる。
妙に緊張しながらも、咲季は言葉をつづけた。
「正しくなくてもいいから、聞きたい。……清四郎の考える、好きって気持ちが、どんなものか…」
「咲季…」
「……」
ゆっくりだった車のスピードが徐々に早くなる。渋滞を抜けたのだろうか。
そうとなれば、こうして二人で話をする時間にも終わりが見えてきた。
咲季は自分が言った言葉の意味に自分自身が恥ずかしくなって、顔が熱くなる感覚がした。
もう日はほとんど落ちている。車内が暗くなっていることに安心しつつも、咲季は清四郎の言葉を待った。
「好きな人のことは、全力で守りたい。自分にとって一番大切だから、傷つけたくない」
「…。」
「そして、自分だけを見ていてほしい」
清四郎は視線を前に向けたままだが、その視線の先には誰かがいるのだろうか、強くて優しい目をしていた。
一つ一つの言葉は、普段つかっている言葉遣いから感じられる若干の余所余所しさは消えて、菊正宗清四郎という一人の人間としての彼の気持ちが垣間見えたようだった。
その視線の先にいる見えない自分が気になって、咲季は声を上げる。
「清四郎には、…………そう思う人がいるの?」
清四郎の言葉を遮って、咲季が強めの声で言うと、清四郎はこちらを向いて咲季をじっと見つめた。
その真剣な表情に、清四郎は思わず笑ってしまい、ふっと声を漏らす。
予想外の反応に咲季は面食らい、言葉を失ってきょとんとした。
「さぁ、どうでしょうね」
「なっ…何それ!」
清四郎はそう答えると、得意げな笑みを見せながらまた顔を前に向けた。
緊張の糸が切れた咲季は清四郎の言葉にほっとする。
直後、車が止まり、運転手が車を降りた。どうやら咲季の住むマンションの前に到着したようだ。
後部座席のドアが開けられ、冷たい風が足に触れる。
咲季が礼を言って車を降りると、閉められたドアの窓がゆっくりと開いた。
「気を付けて」
「今日はありがとうね。明日、がんばろ」
「ええ」
それだけ言葉を交わして、窓が閉まり発進していく車を少し見送ってエントランスに入った。
エントランスからエレベータに入り、自分の部屋のある最上階のボタンを押す。
「自分だけを見ていてほしい、か………」
ゆっくりとエレベータが上昇し始め、咲季はふと鏡の中に映る自分を見ながらそう呟いた。
直後、頭の中に清四郎のあの言葉が浮かんでくる。
“野梨子だけが、頼りなんです。”という声が響き、ハッとして顔を上げると、不安そうな自分の顔が鏡に映っていた。
ふわりと身体の中身が持ち上がる感覚がして、エレベータが最上階についたことを告げる。
扉が開いたが、咲季は歩き出せず、まだ呆然とその場に突っ立っていた。
清四郎の言葉になぜ自分が気分を悪くしたのだろうか、不安な気持ちになるのはなぜ?
「比べられたく、なかったからだよ」
そう思いついたように言い、エレベータを降りる。
そう、そうだ。いつも3人でいて、清四郎だけがトップに立っていた。その隣にいるせいか、知らない間に比較されているのが怖かっただけ。
野梨子はそうじゃないかもしれないけれど、自分にとっては大きなことなのだ。
2人に抱いていた劣等感。並んで歩きたかったの。野梨子のように。
清四郎の隣で。
「え?」
悶々と考えていて、たどり着いた答えは予想外だった。誰の隣に居たいって?
思わずその場で立ち止まり、小さく声を漏らした。
そんなにも認められたいのか?私は。
「………明日は、頑張らなきゃ」
仮にそうだとしても、そうではなかったとしても、明日は同じようなことを考えたくない。
比べられるのは嫌だし、何より魅録のためにも協力してあげねば。
意気込んでまた歩き出し、鞄の中から自分の家の鍵を手探りで探す。
日はもう落ち込んでおり、マンションの最上階からは、夜なのに煌々と明るい街の光が遠くまで見えた。
この街の中に、どれだけの想いが漂っているのだろうか。
魅録は今頃早希さんのことを考えているのだろう。清四郎も同じように、誰かのことを考えているのだろうか。
そして私は?
「………。」
そう考えたところで、家の鍵を開け、また誰もいない家の中に入っていった。