2章 王都にて


「さてさて改めて。王都の片隅で、しがない治癒魔導士ちゆまどうしをやっております、ミルフローリシェマリスと申します。長いからミシェでいーよ!」

 額に三つ目の眸のある女性――ミシェは、そう言って、にぱーっと笑った。気安い笑顔を浮かべる彼女に、リュウヤはまごつく。

 王都路地裏にある、一軒の石造りの建物。ミシェが営む診療所である。
 リュウヤは堅い椅子の上に腰を下ろし、そわそわと室内を見回した。大量の小さな引き出しがついたタンスに、壁に沿うように置かれた机。丸い壁掛け時計とコート掛け以外は室内を彩るものがなく、シンプルで物の少ない部屋だ。

「それで、きみが怪我したのはどこかな? その原因もお聞かせ願おうかな」

 ミシェが訊ねた。リュウヤに上の服を脱ぐよう促し、自身は白い手袋を着用する。
 後ろで待っている女性二人の視線を何となく気にして、リュウヤはパーカーの裾に手を掛けたまま答える。

「え……っと、右肩っす。魔獣にバシーッてやられちゃって」

「わお」

 ミシェが目を丸くした。

「バシーッてやられちゃったんだ? そりゃ痛かっただろねぇ。魔獣に遭ったらとりあえず逃げた方がいいよ? ぐわーってギャーッてなって、みぃんなもれなく怪我しちゃうんだからさ」

「バシーッでぐおーっでどぎゃーんって。めっちゃ痛かったっす。今はだいぶ落ち着いてるけど、まだピリピリじくじく痛む感じで」

「え~! よくないね! 今度からはちゃんと逃げな? どんなのと遭ったかは分かんないけど、まじで魔獣は逃げた方がいいから。あいつらの体のサイズに関わらずね。ぐぎゃーヒエーめこめこめこーってなるんだから」

「うぇー、魔獣こっわ」

「……どうして通じてるのかしら」

 擬音語だらけの会話に、セレネが呆れた声を上げた。その横で、アリスが半眼で首をかしげている。

「ミシェ、時間かかりそう? わたしとアリスは、別の部屋で待ってようかと思うんだけどいい?」

「あっ、そだね。女の子三人もいたら、リュウヤ君だって服脱ぎにくいよね~。いいよいいよ、お茶は自分で淹れてね。戸棚にお菓子あったはずだから、アリスちゃん、食べていいよ」

「はいはい」

 あっけらかんとした口調のミシェに、瓜実顔の美女が苦笑した。
 傍らの少女は眉を下げ、躊躇いがちに唇を開く。

「……リュウヤくん、一人で大丈夫ですか」

 まるで子ども扱いである。
 ミシェは親しみやすく話しかけてくれるし、一人で残されたとてさすがに心配されるほどではない。リュウヤは親指をぐっと立ててみせた。
 本当に、とアリスは言いたげだったが、セレネに袖を引かれて部屋を出る。
 ぱたん、と扉が閉じるのを後目しりめに、リュウヤは気になっていたことを訊いてみる。

「あ、っていうか、『治癒魔導士』ってなんすか?」

「ん~? その名の通り、治癒魔法を使える人のことだよ」

 のんびりした口調で、三つ目の治癒魔導士は答えた。ミシェに促され、リュウヤは着ていたパーカーをまごまごと脱いだ。彼の肩から血の染みついた包帯を器用に巻きとりながら、ミシェが説明を加える。
 治癒魔導士というのは、『治癒魔法』――ひとの怪我や傷を癒し、もともと体に備わっている治癒能力を高める効果を付随させる魔法を扱う職業だ。
 そもそも魔法というのは三つに大別できる。
 誰もが使うことのできる『基礎魔法』と、それに効果を追加する『付加魔法』。多くは専門職にしか扱うことのできぬ『特殊魔法』。また、複雑な術式を組みこむことによって発動するものや種族・家系による異能を含んだ、いわゆる『それ以外』の魔法。

「あれっ、四つじゃん……って思うっしょ? 魔法研究史的には『基礎』と『付加』はセットだから、その二つは一つとみなされることが多いのだよ。付加魔法は単独で使うものじゃないから。だから『三つ』なの」

 やや芝居がかった言い方で、ミシェは続ける。傷跡に薄膜の貼りかかった状態を見て、何とも言えない顔をした。

「治癒魔法は、特殊魔法の代表例みたいなもんだね。国から正式に選ばれた人しか扱っちゃいけない。そうじゃないといけない」

 治癒魔導士は、国家資格だ。
 国によって選別され、称号を与えられた者のみが堂々と名乗れる職業である。
 ミシェは、二年に一度ある試験を何度も受けてようやく合格したという。難しかった、と今はさっぱりした顔で笑う。師事していた人物の元から独立し、王都の一角に診療所を構えた。
 治癒魔法をかけることで助かる命は、ある。反対も然りで、治癒魔導士の到着が数秒遅れたがゆえに失われた命もある。自然に反する効果をも作動させるわけだから、魔力の消費が激しい。やたらめったら周囲の怪我を治しまくっているうちに、今度は自分が倒れてしまう……ということだって有り得る。
 だから、資格が要るのだ。
 ミシェはそこまで話すと、手袋を外す。

(あ)

 彼女を纏っている空気が一変した。

「それじゃ、始めよっかな。――『治癒サーナーティオ』」

 胸元に飾られた新緑色の宝石――色濃く発光するそれに、ミシェは両手をかざした。たっぷり五秒ほどかけて息を深く吸い、そしてまた五秒かけてゆっくりと吐き出す。ぼわぼわ光を灯した宝石から手を離し、リュウヤの肩にそっと近づけた。

「少し触るね」

 細い手のひらが、生々しい傷痕に触れる。瞬間、ぼわりと熱のない炎が燃え広がるように光が散った。じゅう、じゅわり、と音を立てて皮膚に沈みこんでいくように光が薄くなっていった。

「はいっ、おしま~い!」

 ぱっと手を離し、ミシェが明るい声で言った。

「え、終わりっすか」

「うん。終わり」

 リュウヤは首を捻り、右肩を見やる。

「……え~っと、まだ全然、傷跡っぽいっすけど」

「今回のはあくまでも、きみの元々持ってる治癒能力を高めるものだよ。パッとやってパッと元通りの綺麗な肌になるもんじゃない。完治にはあと三、四日ってとこかな。それまで安静にしときなね」

 そう言いながら、ミシェは何やらタンスの引き出しを開けてごそごそ探った。これだこれ、と独り言ち、戻ってくる。手にしていたものをリュウヤの右肩に手際よく巻きつけた。しっとりした触り心地の白布である。

「それだと、傷口をあまり刺激しないと思う。あげるよ。こまめに流水で洗って絞って、また肩に巻いてね」

 うっす、とリュウヤは首を縦に振った。肩に触れる、ひんやりと潤いのある感触が気持ち良い。

「こっちはどうする? 君が今まで巻いてたやつだけど」

 ミシェが薄汚れた布の端を摘まみ上げた。元々リュウヤの右肩に巻かれていたものだ。染みこんだ血がやや変色し、汗や土煙ですっかり汚れていた。

「あ……それは」

「捨てる? かなり汚れてるし、普通に洗っても取れないんじゃないかな」

「だめです」

 捨てないでください、とリュウヤは鋭く声を飛ばした。
 あのとき――カンパニュラで魔獣に吹っ飛ばされたとき、アリスが巻いてくれた白いスカーフだった。捨てたくない。

「うーん、そう? じゃ、洗浄しとくから、また今度取りにおいでよ」

「えっ、いいんすか⁉」

「うん、まぁ、他にも洗うのいっぱいあるし。ついでだよついで。――さ、セレちゃんとアリスちゃん呼ぼっか」

 紅い髪先がふわりとなびき、ミシェの肉の薄い手のひらがドアノブを捻った。



 ***



「さて、改めて。ディランは王都フォーラン、ここの薬屋のオーナーをしております、セレネと申します。そうね、呼び方は……まぁ、呼び捨てでも構わないわ」

 瓜実顔の美女――セレネは、肩にかかる栗色の髪を払いのける。椅子の上で長い脚を優美に組み換えた。

「それで……あの子と、どこでどう知り合ったのかしら。どこから来たの? あぁ、そもそもどうしてあの子と一緒にいたのかしら?」

 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
 対面のソファに座っているのは、リュウヤである。背筋のしゃっきり伸びた美女に気圧されて、猫背気味に背中を丸めていた。きゅっと握った手を膝の上に乗せているが、その握りこぶしの内側はじっとりと湿っている。

(手汗がやばい)

 何をどう伝えれば最良だろうか、とリュウヤは必死で脳をフル回転させる。
 彼がここに来たのは一種の押しかけ女房みたいな経由で、どうして、と問われると、何となく、と答える方が正直なところである。しかし、そんな理由では納得しないだろう。最悪、追い出されるかもしれない。丁重に言葉を選ばないと。
 頭の中で言葉を練りながら、リュウヤは口を開くのを躊躇いつづけた。

 ミシェの診療所から薬屋へ戻った今、雇い主セレネ雇い人リュウヤとで「面接」が行われている。
 一階の奥に居間があり、そこへ通された。アリスは随分と眠そうな顔をしていたので、自室で休んでいる。店番をしていた女性たちも帰ってしまった。
 つまり、助け舟を出してくれそうな人がいない。
 リュウヤがセレネの信頼を勝ち取らない限りは。
 どっしりと堅苦しい空気の中、不意に、艶々つやつやしい唇の間から声が発された。

「ねぇ、あなた、自分の身体と同じくらい大事なものってある?」

 ふっと息を漏らす。セレネは睫毛を伏せ、瓜実顔に陰を落とした。

「命よりも、なんて綺麗事は吐けない。お腹を痛めて産んだわけでもない。なのに何より大切で、すぐ近くで成長を見守ってきて、誰よりも幸せになってほしい。我が子のように、じゃなくて、我が身のように可愛いと思うわ」

 セレネは、それが誰のことだとは言わない。
 ただ、その場にいる者には容易に察せられる。

「命より大事だとか、大切だとか、口で言うのは簡単。誰だって自分がいちばん可愛くて、自分のことしか見つめられなくて、いざというときに動くのは自分のためよ」

 ゆったりと静かに、それでいて確実に言を紡ぐ。

「その、自分と同等に大切だと理解した子を……その子に素性の知れない虫がついて、放っておけるわけがないでしょう。保護者という名目だけじゃない。ひとりの大人として子どもを守る必要がある。わたしは、あなたがどこで何をしてきたか、どういう人なのか知って、不安要素を取り除く必要がある。不用意に虫を近づけたままにはしておけないの。分かってくれるわね」

 リュウヤは、静かに顔を上げた。
 じっとり汗の滲んだ拳を握り直し、まっすぐセレネを見据える。
 近づいた虫を叩いて潰すか、外に逃がすか、あるいは別の方法をとるか。いずれかを判断するのは彼女であり、それなら自分は側に置いてもらえるように誠実を尽くすべきだ。

(正直がいちばんか)

 かといえ、さすがに全部話すと長い。
 目線は下げないまま、途中途中で言葉に迷いながら、リュウヤは言を重ねていった。
 誠実に。
 正直に。



 ――数時間後、青年は食卓にどっさりと並んだ揚げ物料理を次々に口へ運ぶ。その食べっぷりのよさを嬉しそうに眺める美女、そしてそれらを見つめて首を傾げるアリスの姿があったことは、また別の日に語る。
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