2章 王都にて


 王立国家ディランの中心地、王都フォーラン。
 そこには、騎士警備団ディラン軍の本拠地となる建物がある。
 騎士警備団というのは、国の中枢から末端まで人々の暮らしを幅広く守る組織だ。団の協定を結んでいる国はあちこちにあり、その規模は大陸レベルといえるだろう。
 勿論、国によっては別の兵士団や軍を有しているところもある。
 ディランは古くから騎士警備団に国を護らせてきた。魔法の研究機関や施設を本拠地に併設し、団員たちが日々鍛えるための修練場をいくつも設置し、国の統治を一部任せるまでした。
 その甲斐あってか否か、王国は魔法研究の発展によって栄え、騎士警備団はディランにとってもはや欠かせぬ存在となっている。

 ――と、それはさておき。

「…………」

 騎士警備団本拠地、三階の一角にある執務室。
 一人の青年が顎に手を当て、一枚の紙と睨めっこしている。緑玉エメラルドを宿した片眼を細め、凛々しい顔に皺を寄せた。もう片方の眼は黒いバンドで覆われていて見えない。さらさらと上質な糸のような銀髪は団子状に纏められている。団指定の紺色の制服を緩く着崩した彼は、うろうろと室内を歩き回った。
 そのとき、部屋のドアを叩く音がした。
 銀髪の青年は紙を睨んだまま、「入れ」と返す。

「只今戻りました」

「ナビキか」

 堅い木製の扉を開けて入ってきたのは、深い緑色の髪と紅い双眸の男性団員だった。名前を、ナビキ・オルタードという。
 ナビキは室内に足を踏み入れるなり、珈琲豆の粒でも噛み砕いたような表情をした。

「……その制服の着方はいかがなものかと思いますが? スティーリア大佐」

「他に誰もいないからいいだろう。大目に見ろ」

 銀髪碧眼の青年――シリウス・L・スティーリアは、ひらひらと手を振ってかわした。ナビキの眉間の皺がますます深くなる。

「それで、調べた結果はどうだった」

 シリウスは尚も室内をうろつきながら訊ねた。座れ、と長椅子を示されたので、ナビキは上着の裾を尻に敷かないようにと気を払いつつ、腰を下ろす。書類仕事をするだけの部屋ではあるが、来客もたびたびあるためにシリウスが以前持ちこんでいた長椅子である。実家のお古で、年季の入ったものだから座り心地はそこまでよくない。

「貴方が求めるような面白い結果ではありませんでしたが……やはり異国の人物と見ていいでしょうね。少なくともディランには国民として記載されていませんでした。名前の響きや顔立ち、話し方の抑揚などからすると、東国方面の出身かと思われます」

「記載漏れという可能性は?」

 分かっていることを訊くな、と言わんばかりにナビキは溜め息をついた。

「……孤児であれば、その可能性は十分にあります。が、彼は明らかに姓と名で分けて発音していました。家名持ちということでしょう」

 両親あるいは育て親の不明な子どもは、多くが孤児院へ送られる。
 彼らは名前が分かっている子と、名前も付けられずにいた子に大別される。引き取り先の孤児院が良い環境であれば、一緒に暮らす子どもたちが名前を付けることがある。だが、名は付けられても姓は付けられない。どこかの家に養子として引き取られるか、あるいは結婚するかしない限り、家名というものは付かない。
 シリウスが長年想いつづけている少女もまた同じである。

「そうか、そうだよな」

 報告を聞き終え、シリウスは苦い顔をした。

「いっそのこと本人に訊いてみてはいかがですか?」

 ナビキが半ば棒読みで言った。心底面倒くさいと思っているのが見え見えだ。

「ところで、そちらは?」

「あぁ、移動式サーカス団の営業申請書だ。実際に活動するのは花の季らしい」

「それはまた偉く真面目ですね」

「そうでもないぞ」

 規則だからな、とシリウスは言い添える。
 サーカスのような演目興行をする団体は、ディランで営業する際にはひと月以上前に申請を出すことが求められる。基本的に、火や爆薬、ナイフなどを使った過激な演目が多く、また裏で違法な取引を行う輩も出てくるからだ。

「いえ、そっちではなく、貴方が珍しく真面目に申請書を読んでらっしゃるので」

「…………」

 うろうろと室内を歩き回っていた脚が、ぴたりと止まる。
 珍しくないやい。



 ***



 ぶへくしょん、とリュウヤは盛大にくしゃみした。重ね着した服を胸の前で搔き合わせてみるも、あまり効果はない。先日買った、もこもこ生地のセーターを着るべきだったか、と思う。
 日に日に寒くなってきている。
 窓の外で雪がちらつく。窓の木枠を覆い尽くした白はなかなか溶けず、朝に見たときのまま残っている。息を吐いてみれば、白い靄が視界にぼんやりと浮かんで消えていった。
 ふう、と深呼吸して、リュウヤは右手を軽く握った。
 左に持ったお盆をひっくり返さないように注意を払い、コンコンと眼前のドアを叩く。
 くぐもった返事ののち、ドアが少しだけ開いた。アリスが顔を覗かせる。ゆったりと体の線の目立ちにくいワンピース姿がよく似合っていて可愛らしい。

「なぁに」

 少女は小さく首をかしげた。無造作に下ろした淡い金髪が肩をすべり落ちる。

「生姜湯、飲むかなって思って持ってきた。おれが飲みたくて淹れたんだけどね」

「いいんですか?」

 アリスが頷くのを見て、リュウヤはほっと息をついた。
 部屋に籠りがちな彼女は、セレネが呼びに来ても三回に一回は出てこない。そういうわけで、もしかしたら突っぱねられるかもしれないな、と思っていたのだ。

「入っていいよ」

 アリスは短く言うと、ふいっと踵を返した。リュウヤはお盆を持ち替え、ドアの隙間に体をねじ込むようにして部屋の中へ入る。
 物の少ない、素朴な部屋だ。壁に寄せられたベッドの上に大きいぬいぐるみがいくつか乗っている。ページの開いたままの本と紙の束が何冊か転がっているが、気になるのはそれくらいで、散らかった印象はない。
 窓際に置かれた簡素なテーブルにお盆を置く。
 リュウヤが椅子に座ると、ベッドに腰を下ろしたアリスとちょうど向かい合う形になった。ほかほかと白い湯気の揺らぐマグカップを少女に手渡す。アリスは両手で覆うようにマグカップを持ち、ふぅふぅと息を吹きかけた。
 大きな双眸は澄んだ晴れ空の色。頬が、鼻先が、指の先が、耳が赤く染まっている。ふわふわとした猫っ毛がなめらかな顎へ毛先を伸ばす。大人びた静かな表情でありながら、その仕草は幼い。一度見てしまうとしばらく目を離せなくなる。
 少女はマグカップを傾けた。小さな喉が動く。
 仔犬が蝶を追いかけてしまうのと同じで、つい目で追ってしまう。

――アリスに不埒なことしてないよな?

 不意に、シリウスの声が脳裏に浮かんだ。

――手を出したら、命の保証はないと理解しろ。

 変なことするわけないじゃん、とリュウヤは胸の内で独り言ちた。
 だいたい彼女は、家屋より大きな虎を目の前にして、顔色一つ変えず闘うような子だ。押し倒そうとしても逆に吹っ飛ばされそうである。

「美味しい」

 すっきりと軽やかな炭酸水の声音が呟いた。リュウヤは思わずぱっと顔を輝かせた。

「ほんと? よかった! それさ、蜂蜜とシナモン入れてんだ。ちょっと甘めにした」

 昨晩、棚に生姜の塊が転がっていたのを見て、家主のセレネに使っていいか許可を貰っていた。
 小鍋に水を入れて沸騰させ、マグカップにそそぐ。一度湯を捨て、温めたカップに摺り下ろした生姜と蜂蜜を投入。シナモンの入った小瓶を見つけたので、それもちょっと拝借した。そこに湯をそそいで軽く混ぜれば出来上がり。

「結構、ささっと作れるんだよ。甘さ控えめにしたいときは蜂蜜減らせばいいし」

 片栗粉があれば、とろんとした味わいにもできる。簡単ながらアレンジの利きようがあるので、寒い季節には重宝するレシピだ。
 アリスが微かに口元を緩ませた。

「あったかくて美味しい。ありがとうございます」

 よかったぁ、とリュウヤは気の抜けた笑みを浮かべた。自分もマグカップをぐいっと傾ける。生姜のじんわりとした温かみが蜂蜜のまろやかな甘みと混ざり合って、すとん、と胃に落ちていった。ぽかぽか芯から温まっていくようだ。

「リュウヤくん」

「うん?」

 アリスの口から吐き出された息が、白い靄を形づくって空中に揺らめく。

「少し、話をしましょうか」



 ***



 生姜と蜂蜜の匂いが、ほんのり漂ってくる。
 階下、カウンターに一人の女性が座っていた。薬屋の主人オーナー、セレネである。栗色の長い髪を下ろし、豊かな肢体を鮮やかな薔薇色のドレスに包んでいる。若い頃は自分の身体が嫌で仕方がなかったが、こうした仕事の場では一つの武器になる。

「即効性を重視なさるなら、こちらの回復薬をお薦めいたしますわ。お値段はちょっと張りますけれど、その分、回復性は高いですよ」

 にこりと貼りつけた笑みを崩さず、青いラベルの小瓶をカウンターに置く。
 向かい合うのは、丸々と肥えた体を豪奢な服に詰めこんだ中年の男。ディラン東区の一部に領地を持つ男爵だという。ふさふさと量の多い金髪をポマードで固め、後ろに流している。時折、こちらの胸元をちらちらと見やるのが苛立たしい。後ろに控えている従者の男たちも同様で、その内の一人はあからさまに熱っぽく絡ましい視線を送ってくる。
 セレネからすれば若造は趣味でなく、年上の男という生きものには嫌悪しかない。
 しかし、絡みつくような不快な視線も、自分が武器を活かせているのだと思えば耐えられる。
 食い扶持を稼ぐためなら、使えるものは使う。

「うむ……できるなら値は抑えて大量に仕入れたいんだがな」

「あら、そうですか? では、こちらでしょうかね。先にご紹介したものより効果を発揮するのに時間がかかりますが、性能は劣りませんわ。むしろ、こちらの方が回復性は高くってよ」

「そうか。そっちはいくらかね」

 セレネはにっこりと目を細め、料金表を示した。
 毎度あり、と心の内でほくそ笑んで。

「それじゃあ、そっちを十ダースほどくれ」

「承知しました。では、こちらにサインをお願いいたします」

 売買契約書とペンを差し出す。
 男爵がさらさらと署名する。署名し終わってから、紙に印字された文字の列を読み返している。迂闊ね、とセレネは呆れた。

「書面の通り、商品はひと月後にお屋敷へお渡ししに伺います。お代はそのときに。それでは、またのご利用をお待ちしております」

 毎度繰り返す台詞を吐き、セレネは一礼した。
 それで終わりなのだが、本日の客は長椅子から動かない。どうやら長居をご希望らしい。

「いや、それにしても王都もだいぶん復興してきたものだな」

と、どっかり座ったまま喋り始める。

「えぇ、そうですわね。幸いなことに」

 セレネは適当に返事をする。

「先の王都災害があったものだから、もっと瓦礫に埋もれているものだと思っていた」

「そうでしょうね」

「こちらもね、多少は影響を受けた。おかげで懇意にしていた卸業者を三つ失って、いい迷惑だ」

「それはまた……」

「あぁ、ところで第二王子はまだ見つからないようだね? 王都には半年前にも来たが、ずっと貼り紙のあるままじゃないか」

 カウンターの台上に出した小瓶を片付けていたセレネの手が止まった。しかしそれも一瞬のことで、

「えぇ、仰る通りですわねぇ」

と、何でもないような顔をして相槌を打った。
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