第5話 交差する悪意
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拘置所を離れ、ボクは事務所へと戻る途中の出来事だった。
昼の時点で雲行きは怪しかったが、いよいよポツリポツリと雨が降り始め―――
まるでバケツをひっくり返したかのような大雨が降り始めてしまった。
梅雨の時期は雨が多くて大変だ。
まだ光輪の方のバッテリーは使うまでもないが、こういう日こそ何かあったときのために温存しておきたい。
空を飛んでいたボクはゆるやかに地上へ降りた。
急な雨だったため、歩いていた人々は慌てて建物の中に避難したり、走り去っていく人たちの姿ばかりだ。
ボクもお店の間で雨宿りし、随分水を吸い込んだコスチュームの裾を絞った。
背中の光翼の熱を生かして少しでも服が乾くよう試みる。これ、加減間違えちゃうと燃えるからね…高校時代、楽しようとして何度コスチュームを燃やしたことか。
そのうちコスチューム制作会社に耐熱性の強いものが送られてきたときは、担当者の無言の圧力を感じた。ははは。
「雨、止むかなぁ…」
実は太陽がないとボクはやる気が左右されがちだ。
雨の日の方がネガティブになりやすいといったらいいのか。
このまま歩いて帰ってもいいけど、あと一時間くらいはかかりそうだし、晴れてくれれば一番良いんだけどな。
早く雨があがりますように、と誰に願うわけでもなく心の中で呟いた。
しばらくぼーっと空を見ていれば、ボクと同じように店先に雨宿りに駆け込んできた人がいた。
「…」
「…雨、止まないですね」
「…」
ボクは声をかけたが、返事はなかった。
青年、だろうか。黒い薄手の長袖シャツに、青白い髪。伸びきった髪は彼の表情を隠している。
「…お兄さん、風邪ひいちゃいません?良かったら温まってきます?」
ボクは片翼を広げようとしたが、青年はぎろりとこちらを睨みつける。
「何…あんた…?ヒーローかなんか?」
この
それとも、それすら気をやる余裕がないのか。
「そうですねぇ…強いて言えば、今は雨宿りしてるただの天使と言ったところでしょうか」
「は?頭湧いてんの?」
「…」
このクソガ……ッ。
ボクは額に青筋が走るが、このくらいでキレるとはヒーローとして大人として余裕がないのはカッコ悪い。
いつもヘラヘラしてるホークスを見習わなければ。
「どいつもこいつもうるさいな…本当に耳障りだ。ヒーローもオールマイトも全部全部壊れればいいのに!」
突然の癇癪に、ボクは驚く。
まるで何かから追われているかのような、切迫さ。
彼は怒りが収まらないとでもいうかのように、自身の首を搔きむしる。
徐々に血が出始め、これはいけないと思い、青年の手を取る。
「ダメ!血が出てますよ!」
「うるさい触るな!!」
「触ります!!」
「!」
結果として彼が振り払おうとしたので、彼の手首をつかむ形となってしまうが、その体は恐ろしいほど冷たく、冷え切っていた。
その時に彼の長い爪に掠ってしまったのか、ボクの指先が少しだけ血を流していた。
その血は彼の手首に付着する。
「…冷たいですよ、お兄さんの体」
「あんたには関係ないだろ!」
「だって寒いじゃないですか」
「ハァ?」
「体が冷たいと、何もできなくなっちゃいますよ」
「…」
掴んでいた手首とは反対の手で、彼の手を上から覆うように握りしめる。
「どうですか?暖かいでしょう」
覆った手のひらから漏れる太陽の暖かな光。
彼はそれから黙ってボクの手のひらを見つめてるだけだった。
先ほどまで気が立っていた彼の気配が、ゆるやかに落ち着いていくのが感じ取れた。
「あんた、こういう事誰にでもしてんの?」
「…目の前のあなたが、とても辛そうな顔をしていたから」
「綺麗ごとだな」
「…そうですね」
「今から俺があんたを殺しても、同じこと言えるのか?」
「…はは、それは嫌ですねぇ」
彼は強引にボクの手を振り払うと、止まない雨の中へ再び歩んでいく。
ボクは少しだけ乾いていた服が濡れることも構わずに、その背中を追いかけ、彼の背中に触れる。
「何?追いかけてきたら本当に殺すけど」
「ボクからの祝福です。君の未来に幸あれ、なんて」
「…うっざ」
―――確かに。
確かに彼に光翼を発現させようとした。
にも拘らず、彼の手首についていたはずの血液は何の反応も示さなかった。雨で流れてしまった?いいや、皮膚に触れた時点で体内に浸透しているはずだ。
それは初めての経験で。
思わず唖然としていると、彼はいつの間にか現れていた黒いゲートの中へ進んでいってしまった。
残されるのは、ボクただ一人。
「…どうして」
彼にはヴィランの可能性があった。
でも現時点では何の情報もないからこそ、あえて光翼を発現させてみようという意味合いもあったのだ。
ヴィランであれば、光翼はその悪意を許さない。
だから光翼が発現し、彼を拘束しなかったということは一般人であるという事の証明。
それ故にボクは動揺していた。
光翼は善悪の判別を間違えたりしない。必ず白か黒か、結果を残す。
祝福として与えられた人間には必ず光翼が生える。
その光翼がなんの反応も示さなかったのは、今まで見たことがない。
どんな一般人でも誰でも必ず光翼は発現する。例外はなかった。
彼はヴィランでも一般人でもないと。
光翼が、そう判断したのか?
じゃあなんだ?
彼はいったい何だというんだ?
「光翼…どうしちゃったんだよ…」
雨がざあざあと降り注ぐ空に向けてボクは手を伸ばした。
*
「戻りました」
事務所の扉を開けて、ボクは誰もいないことに気づいた。
何か事件でもあったのだろうか。でも、今は先ほどの件で未だに動揺していて、ホークスに連絡しなきゃ、なんて所まで頭が回らなかった。
濡れたまま事務所に入るのも悪いと思い、シャワールームへと足を運ぶ。
びしょ濡れになったコスチュームを脱ぎ捨て、シャワーのノズルを回す。
冷え切った体にはその温かさにほっと安堵する。
「…」
ボクはむき出しの素肌から全身を覆いつくすほどの光翼を出現させる。
指先から足先、顔に至るまで。
鏡に映る姿は最早人には見えず、羽の生命体と言ったところか。
体に不調はない。いつもと同じ感じだ。
「偶然か必然か……それとも光翼、君は何かを察したのかい…?」
鏡に映るボクは自問自答をし、その鏡に触れる。
勿論光翼は何も答えない。
確かに彼の体に光翼を託した感覚はあった。なのに、結果はまさかの不発ときたもんだ。
「考えても、仕方ない、か…」
ボクは光翼を信頼してる。
生まれた時からずっと一緒だったし、これがボクそのもので、ボクの大事な個性で、ボクのアイデンティティ。
ボクがボクたらしめる所以。
「…はぁ」
ボクは小さくため息をついた。
どちらにせよ、結局彼がヴィランだったのか、そうでなかったのか、なんて判別は出来ない。
ただそういうイレギュラーは起きる可能性があるということを、今後は頭に入れながらヒーロー活動に専念するしかない。
ボクはシャワーのノズルを回してお湯を止めた。
それと同時にシャワールームの扉が勢いよく開けられる。
「アンジュちゃん!?大丈夫!?」
「!?」
ホークスが慌てた様子で乱入してきた。
突然の出来事にボクは硬直してしまう。
「帰ってきたらさ事務所の中、光翼だらけで…色んなものに生えちゃってるけど…って、アンジュちゃん!?」
「あ」
ホークスはボクを見て驚きの声を上げる。
それもそのはず。全裸、というより翼まみれで別の生命体と化していたのだから。
先ほど鏡に触れた時に事務所全体にボクの光翼が生えまくってしまったんだろう。力の加減を間違えちゃったみたい。
ホークスは何を思ったのか、翼をかき分けてボクの顔を探し出す。
「良かった…アンジュちゃんだ…」
「いや、どうみてもこの謎の生命体はボクですよ。すみません、ちょっと力の加減を間違えちゃいました」
「…なにかあった?」
ホークスは優しく翼を撫でた。
「…ヴィランだと疑わしい人にボクの血液を付着させましたが、光翼は何の反応も示さなかったんです。今までそんなことなくて…だからボクは個性自体に何か異常でも起きたのか、不安になってしまって」
「個性の、異常…ね」
「ボクは自分の個性が大好きなんです。だから光翼の事は知り尽くしてるつもりで…でも今まで起きたことのない現象が起きて、ちょっと怖くなっちゃいまして」
「今起きてるこの状態自体は暴走とかじゃなくて、アンジュちゃんの意志なんだよね?」
「はい。ちょっと力みすぎちゃって」
ボクは顔と手足のみ、光翼を解除した。
体は相変わらず全裸なので光翼を身にまとうようにしておく。
「…」
ホークスはボクの手を取ると、少し見つめた後、ボクの指先を口に含んだ。
その指は先ほど怪我をした場所で。
「ちょっとごめんね」
「っ!あ、だっ、だめ!」
少し時間がたって指先の血は凝固してその傷を塞いでいたのに、ホークスはわざと歯でその傷を再び開いた。
彼の口内の温かさを感じるのが少し気恥ずかしい。それから優しくその傷を舐めとられる。
突然の事に思考停止してしまっていたが、ボクは慌てて指を離そうとした。が、ホークスの掴んだ手は離れない。
「止めてください!もし、もし今ボクの体に何か異常が起きてて、逆の事が起きてしまったら!」
ヴィランではないホークスに、光翼が牙を向いてしまったら。
ボクがホークスを傷つけてしまったら。
「…これは、中々速そうだ」
ホークスはボクの指先から口を離す。
慌てて手を引っ込める。色々な意味で心臓が高く脈打っていた。
今のホークスには剛翼の下に白い光翼が二翼生えていた。
その光翼はホークスの体を傷つけることなく、ちゃんと祝福として機能している。
ホークスは自身の体をぐるぐると見てから、再びボクの頭を撫でた。
「不調は誰にだってあるさ。気にしすぎることないよ」
「ホークス!!!」
「!」
ボクは思った以上に大声を出してしまっていた。その声の大きさに思わず自分でも驚く。
ボクは両手をぎゅっと握りしめながら、力が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
怖かった。
光翼が機能してくれなかったら、と。
ボクの大好きな個性で、ボクの大好きな人を傷つけてしまったら、と思うと。
それはとても怖いことだった。
「…ホークスが怪我をしてしまったらどうするんですか…」
「…アンジュちゃん、俺は平気だよ」
「でもっ、もし本当にっ」
「俺はアンジュちゃんの事を信じてるから。大丈夫だよ」
ホークスはボクの頭を優しく撫でた。
それはとても暖かくて、とても優しい。
「根拠のない自信はどこからくるんですか……ッ、くしゅんっ!」
「あ!アンジュちゃんそういえばシャワー浴びてたんだよね!?俺慌てて…ごめん!!」
「気づくのが遅すぎるくらいで…はっくしゅん!!!」
ホークスは脱衣所の棚からバスタオルを大量に取り出して、それを全部ボクの体に巻き付けたのだった。
簀巻き天使の出来上がりだ。
「これでも、ボクだって乙女なんですからね!勝手に入ってこないでくださいよ!」
ボクはホークスの背中を押して、シャワールームから追い出した。
扉を思いっきり閉めた後、ボクは扉におでこをガツン、とぶつけた。
「……ばかやろう」
顔が熱い。髪から滴り落ちる水は、体を冷やしていくというのに。
いつまでも、指先が熱いまま熱を帯びていた。
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