OP夢
一人でゆっくりと坂道を登っていく。金髪が風に靡いて視界を遮るのを手で止める。
かつては常に音楽が鳴り響き、人々の歌声が聴こえてきた国。それが今や影も形もなく、物音ひとつしない。
家族の団欒が見えるはずの窓は割れ、黒く焼け焦げている。噛みちぎられた首輪、ヒビの入った壁面。
ふと下を見ると、灰になった人の骨があった。小さい子供を守ろうとしたのだろう、大人の骨が覆いかぶさるように散らばっていた。
音楽の国として栄えたエレジアはあっけなく終焉を迎えた。
犯人は赤髪のシャンクス。海賊がこの国を滅ぼした、そう聞いている。
高い場所から見下ろすと、昔私が住んでいた家の辺りが見えた。両親は既にいないから廃屋だったけれど、もう何も残ってはいない。私に歌と踊りを教えてくれた一族の皆、全て消え去った。
こんな時でも涙ひとつ流さない自分に嫌気が差していると、背後から足音がした。
「なっ、真逆……!」
「……お久しぶりです、陛下」
「リズ、生きていたのか!」
すっかり老けてしまった、ゴードン国王陛下がいた。終わった国を見届けた王は、死にそうになりながら、生きていた。
「……せっかく帰ってきたのに、エレジアのこんな姿を見せるとは」
「いいえ。私は故郷に帰ってこれて嬉しいですよ」
本当に帰ってこれるとは思ってもいなかった、と笑ってみせる。
確かに変わり果てた故郷を嘆く気持ちもあるけれど、帰ってこれた安心感の方が強い。まあ、これも期間限定だけど。
エレジアを出たのは、十にも満たない頃だった。そこから八年。幼かった私は成長し、エレジアの外を、世界を知った。
「リズ、お前は小さい頃から素晴らしい踊り子だった。この国で行われる劇にはお前の歌声が必須だったほどだ……それなのに、」
「大丈夫です、心配しないで。私は生きていますから」
「天竜人専属の踊り子になると聞いた時は、生きている心地がしなかった……私は、エレジアの国王にも関わらずお前を守れなかった……」
そんなに嘆かなくてもいいのに。生きているし、声だって出せる。まだまだ『エレジアの踊り子リズ』は健在なのだから。
あぁ、ならば。
「陛下、私の歌を聴いてくださいな」
とん、と地面を蹴って、真っ黒になった国を見下ろす。息を吸い込めば、私の喉は楽器に変わった。
「〜〜〜♪」
感情のままに、歌い、舞う。
いつぶりだろう。自由に歌うことはこんなにも気持ちがいい。声を張り上げ、たったひとりの観客のために歌う。
この歌は故郷に捧げる鎮魂歌だ。観客を魅了するのではなく、ただの私の自己満足。
あぁ、どうか――エレジアに住んでいた全ての人に救済を。せめて苦しいことも悲しいこともない天国へと行けると良い。
どれくらい歌っていただろうか。後ろから二人分の拍手の音がした。驚いて振り返ると、赤と白のツートンカラーの少女が私の歌を聴いていた。
何故子供がこんなところに……?
少女には子供らしい無邪気さや明るさは無く、どんよりと澱んだ目をしていた。
「ねぇ、私に歌を教えて」
「へっ?えっと……貴方は?」
「……ウタ。ただのウタだよ」
少女――ウタは泣くのを堪えたような顔で、歌を教えてくれと懇願してくる。
歌を教えてと言われても、私がここに居られるのは少しの時間だけだ。そうしたら、きっともう二度と会えない。
「私からも頼む。リズもこの子の歌を聴けばきっと教えたくなるはずだ」
「ですが……」
「お願い!私はもっと上手にならなきゃいけないの」
ウタは必死だった。陛下が頼むほどだ、生半可な才能ではないのだろう。
どう考えても訳アリだ。エレジアにたった一人だけ残った歌の才能がある子供?出来すぎている。
「まぁ……いいでしょう。長くても、1ヶ月しかないですが。私に出来ることを全て貴方に教えます」
「ホント?!やった!」
怪しいと分かっていながらも、私が教えることにしたのには理由がある。
私は家族が欲しい。
血なんて繋がっていなくても良い、私がこの世にいるという痕跡を残したい。誰かに私が存在していたことを知っていて欲しい。
エレジアが滅んだ今、このままでは私は名もない一人として消え去るだろう。それがひどく恐ろしかった。
でも、ウタがいるならば?先生としてウタの中には少しだけ残っていられるのではないか。私がいくら素晴らしい踊りと歌を披露しても、天竜人はすぐに忘れてしまう。なんの記録にも誰の記憶にも残らず殺されるだろう。
なら、この少女を利用しよう。私が生きていた証拠として。
私の思惑なんて知らず、ウタは歌い始めた。
「〜〜〜♪」
ガツン、と頭が殴られたような衝撃。こんな幼い少女がこんな歌を歌うなんて。
陛下が言っていたのは嘘ではなかった。少しでも音楽に興味がある人ならばこの少女を放っては置けない。ウタは可能性の塊だ。
澱んでいた目は何かを訴えかけるように、強い意志を感じる。まだ荒削りな部分もあるが、それはこれから幾らでも直していける。
柄にもなくワクワクしている自分がいた。天竜人専属と決まった時にプライドなんて捨てたものだと思っていたが。私もまだ踊り子の端くれだったらしい。
あぁ、私がこの少女を世界一の歌姫にしてみせよう。
私がエレジアに滞在して1週間。期限まであと3週間。
「こらー!やめなさいウタ!そのように乱暴に楽器を扱わないの!」
「先生が怒ったー!」
逃げるウタを捕まえて拳骨で頭をグリグリするも、全く堪える様子がない。
初めて会った時の姿が嘘のようにウタは元気だ。エレジアが滅んでから陛下と二人きりらしいから、精神的にもギリギリだったのだろう。陛下は悪い人ではないが、ちょっとダメなところがある。
「ほらレッスンに戻るわよ。今日のノルマは終わってないわ」
「はーい。……ねぇ、先生。やること終わったら一緒に遊ぼ?」
「……仕方ないわね。海岸にでも行きましょうか」
一緒にいて分かったのは、この子がかなり甘え上手だということだ。
エレジアに滞在して2週間。期限まであと2週間。
「え、これ陛下が作ってくださったんですか!?」
「あぁ。今日は張り切って作った」
「凄ーい!いっただきまーす!」
テーブルの上には所狭しと豪華な食事が並べてある。ステーキからサラダ、ケーキ。作り方が全く分からないようなものまで。見るだけで美味しそうだ。
「はぐっ、ん〜!美味し〜!」
美味しそうに食べるウタを見て、陛下はやっと息をついた。
それにしてもウタはよく食べる。肉類が好きなようで、ステーキに勢いよくかぶりついている。
ただ、まぁなんというか。
このテーブルは王宮で使われていた物だから、当たり前に大きい。そのテーブルいっぱいに食事が並んでいる訳で。
「す、すみません陛下……これ以上は……」
「お腹いっぱい……うぷ」
「そ、そうか。作りすぎたようだな」
限界まで膨らんだお腹をさすりながら、陛下に謝る。
到底、三人で食べきれる量ではなかった。
エレジアに滞在して3週間。期限まであと1週間。
「今半音ズレたよ。もう一度」
「……はーい」
「ここはもっと強く歌わなきゃ」
「……はーい」
「そんな体力じゃ踊りながら歌えないわよ」
「…………。何で鍛えなきゃいけないの!」
「そりゃあ、歌も体力勝負だしね。特に貴方は踊るんだから、声量が安定していないと」
ぜえぜえと息をつくウタに喝を入れる。
年齢のわりには体力はあるが、まだ足りない。安定したパフォーマンスを維持するには鍛えなければ。
「ダンスは教えてくれないよね、先生は」
「私の踊りは貴方がやりたいものとは違うから。使う筋肉も違うし、あまりアドバイスは出来ないわ」
「えー。じゃあ先生の踊り見せてよ!」
お願いお願いと強請られて、結局私が折れた。特に陛下が踊る時用の鈴を持ってきたのが決め手だ。
私の踊りは静かだ。
極限まで音をたてず、最小限の動きで滑らかに。自分の声と動きだけで表現する世界に幼少期の私は魅了されて、踊り子を目指した。
「〜〜〜♪」
右手だけを動かして鈴を鳴らす。
くるりとその場で一回転する。
高音に合わせて鈴を持ち替えながら、もう一度鳴らす。
終わった瞬間に、汗が吹き出した。
「素晴らしい……観客を魅了する踊りは健在だった……!」」
「ありがとうございます、陛下」
「ウタ、どうだった?」
「す、凄い!透き通った、透明な踊り……綺麗だった」
目をキラキラさせてそんなことを言われる。純粋に尊敬の念を向けられてどうにもむず痒かった。
「ま、とにかく私の踊りは少し違うから。満足した?」
「え〜!教えてくれないの?」
「ウタはウタのやりたいもの、見せたいものを自分で見つけなきゃ」
「……そっか。そうだよね。私は先生を超えて、世界一の歌姫になるんだから!」
「あらあらあら。10年早いわね」
まったく。生意気なことを言うんだから。
しかし私の口元は緩く笑みをつくる。いつの間にか、私はウタのことを本当の家族のように――
エレジアに滞在して4週間。期限まであと1日。
月の光が国を優しく照らす夜。陛下が私を訪ねてきた。ウタはもう寝ているらしい。戻ると言ったら泣き止まないものだから困ってしまった。
「リズ。……ウタはいつ世界へ出られると思う?」
「さぁ?少なくともまだ早いかと」
「そうではなく。どのような形で、どのタイミングで、どうすれば……」
「天竜人に囚われないか、ですか?」
「…………あぁ、そうだ」
私は天竜人に囚われているのに。
そう言葉には出さなかった。陛下は罪悪感を飲み込み、覚悟を決めた顔をしていた。
「私は、本当にお前が生きているとは思っていなかった。とっくに天竜人に殺されていると。あいつらによってエレジアの踊り子は滅びたのだと。……何故、殺されなかった?」
「…………」
「天竜人は――こういっては何だが――ただの踊り子に情を抱くことも、技術を称賛することもしない。地位を持たないお前がどうやって……」
「そう、ですね。私の踊りは『エレジアの伝統舞踊』ですから」
曖昧な私の回答は伝わっていない。
だけど、陛下の言うことは最もだ。ウタがもしデビューしたら、きっと天竜人に狙われる。そして天竜人に狙われたら逃げることは不可能だ。
私が生き残れたのは幸運と、『エレジアの踊り子』だったからだ。
「陛下は『エレジアの伝統舞踊』についてどれほど知っていますか?」
「伝統舞踊のことはほぼ一族に一任していた。私が知っていることは少ない」
私も覚悟を決めた。
もう誰も残ってないならば、伝えなければ。
「『エレジアの伝統舞踊』……観客を魅了する歌と踊り。これが何の比喩でもないとしたら?……本当に人の心を操れるとしたら?」
「な、まさか……!」
「初めて天竜人の前で踊ることになった時。私は死を覚悟しました。でもどうせなら抗ってみよう、と。人前で魅了の力を使うのは禁忌とされてきましたが、幼かった私はそれを使った。……使ってしまった」
そこからはもう簡単だ。天竜人の心を操り、私は天竜人の愛人となった。
愛人になったからといって天竜人が私を丁寧に扱う訳がない。何度も何度も死のうと考えた。
でも私は弱いから。自殺する勇気も抗う勇気もとうに無くて。ひたすら媚びを売って生きるだけの生活が続いた。
「ですから、陛下。ウタを外に出さないで。あの子が世界に抗う力を持つまで。自然に人の心を動かせるようになるまで」
「…………」
「そろそろ、戻らなくてはいけません。あいつは私に夢中ですからね」
主人である天竜人をどうにか説得して、エレジアに来れたのだ。大幅に予定がずれ込んでいる。戻ったら今度こそ殺されるかもしれない。
良い夢を見れるよう告げて、その場を去る。陛下は何も言わなかった。
日が昇って、明るくなった。
周りの海は穏やかだけど、対象的にウタは荒れ狂っていた。
「なんで!なんで先生行っちゃうの?!」
「だから……」
「どうせ私のことが嫌いになったんだ!どうせ……ひっく、う、うわ〜〜〜ん!!!」
大声で泣き出すウタに私と陛下は困り果てる。昨日あれだけ泣いたのに、よくまだ泣けるものだ。
「[[rb:また > ・・]]置いてかれる……し、知らないもん!先生なんて知らない!勝手にどっか行っちゃえばいいんだ!」
何かぼそりと言ったあと、べーっと舌を出してそのまま走り去っていく。
廃墟を抜けて、城の方へ。ウタの姿は見えなくなっていた。
「はぁ〜。どうしましょう……」
「そうだな……すまないがウタを」ドン!!!
陛下の言葉を遮り、大砲の音が鳴り響く。音のした方を見ると、海岸のすぐ近くに海軍の船が一隻停まっていた。
息を呑んで、身体が固まる。来るとは思っていたけれどこんなに早いなんて。
いつのまにか、カチャリ、と背後から銃を突きつけられる。
「大人しくしろ。『踊り子・リズ』天竜人の元まで送り届ける」
「随分早いですね。主様はもう待てなくなったのですか?」
「何か抵抗した場合、そこにいる者を撃つ」
別の海兵が陛下を人質に取っていた。何も持っていないと示すように、両手を上げる。
「別に、何もしませんよ。連れていって下さいな」
「そのまま船に乗り込め。行き先は聖地マリージョアだ」
海兵は私の話を何も聞かない。賢い方法だ、天竜人の愛人なんて厄ネタに関わりたい奴はいないのだから。
「陛下、さようなら。どうかウタをよろしくお願いします」
「あぁ。……あぁ!必ずウタを立派な歌姫にしてみせる!誰のものでもない、自由な歌姫に……!」
ウタは最後まで見送りに来なかった。“次”会えるかなんて分からないのに。まったく意地っ張りなんだから。
ウタ、貴方はどうか幸せに。いつか歌姫になって――私じゃない誰かと再会出来ると良いね。
♢ ♢ ♢
リズ
エレジアの踊り子。『エレジアの伝統舞踊』を踊れる最後の一人。人の心を操るその技はもう誰にも向けられることはない。
幼い頃に天竜人に目をつけられ、『エレジアの伝統舞踊』を見せる。その結果天竜人専属となるも、環境は決して良くは無い。天竜人にとって下々の者はただの物であり玩具である。恋に落としてしまったのが本当の不幸の始まりだった。
本人の性格は諦めが早く、臆病。誰にも知られずに死ぬことを何よりも恐れている。ウタに出会って踊りが好きだったと思い出す。
ウタが自分ではない、誰かを待っていることを知っている。それでもリズにとってウタは家族だった。
映画本編まで生きているかは不明。でもきっとウタウタの世界のことは肯定するでしょう。
ウタ
将来の歌姫。最初に見たリズの歌に魅了された。もっともっと遊びたかった。歌いたかった。一緒に居たかった。
先生が最後、追いかけてきてくれなかったことを恨んでいる。
ゴードン
エレジア元国王。優柔不断で、卑怯で、でもとても優しい人。リズを天竜人から守れなかったことを後悔している。
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