🎼本編
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『お散歩、ですか?』
「ああ、もちろん護衛はつけるぞ。どうだ?」
沢田さんとお話をした次の日の朝、朝食後の血液検査と脳検査を終えたあたしに、リボーンさんが提案した。
考えてみれば、ずっと7号館の中にいるままで、外に出たのは脱走した時だけ。
シャマルさんは「柚子ちゃんの体調がいいなら」と言って下さり、特に反対する気配もなかった。
『行きたいです!』
「んじゃ、今日は外でランチだな。」
『はいっ!』
リボーンさんはニッと笑って、「後で護衛に迎えに来させる」と言って退室した。
少しワクワクしながら、あたしは窓の外を見る。
けど、ふと気がついた。
『あっ…』
「どした?柚子ちゃん。」
『シャマルさん、どうしましょう……あたし、着ていく服とか、メイクとか……さっぱりです…』
「そっか、そーだよなぁ……メイクはともかく、服はなぁ…」
「クフフフフ……僕の出番がやって参りましたね…」
『え?』
突然、シャマルさん以外の声がして、少しビックリする。
いつの間にか骸さんが入室していた。
「こちらのクローゼットに、柚子が今まで着ていた服がありますよ。合わせ方が分からなければ、僕が用意したこちらのファッション誌を参考に。」
『わぁ…!ありがとうございます!骸さんっ!』
「いや、まずどうして男のお前が女性ファッション誌持ってんのか疑問に思うけどな…」
「クフフ…細かいことは気にしない方がいいですよ、Dr.シャマル。」
「…そうするぜ。」
部屋の隅にあったクローゼットを開けると、それとなく好きな色合いの服がたくさん並んでいた。
やっぱり、あたしはあたしだったのかな……と思う。
ただ少し疑問に思ったのは、何とも高そうなドレスがいくつか端っこにかけられていたこと。
こんな素敵な服、普通の大学生じゃ買えないような……?
『では骸さん、雑誌お借りします。』
「ええ、どうぞ。柚子ならきっと、どんな服でも似合いますよ。」
『骸さんたら…お上手なんですから。』
小さく笑うと、骸さんは「お世辞ではないんですけどね」と優しく返してくれた。
ファッション誌を見ながら組み合わせを考えて、何とか丸襟の白ブラウスにライトブルーのスカート、茶色のベルトを合わせた。
表で待っていてくれた骸さんに見せてみると、「満点ですよ」と褒めてくれた。
「でも…そうですねぇ……これを付ければいいんじゃないですか?」
『ネックレス、ですか?』
「白ブラウスは胸元が寂しくなりがちです。少し大きめの飾りがあった方が映えますよ。」
『ありがとうございます!』
骸さん、ファッションのお師匠みたい。
またお出かけすることがあったら、アドバイスもらおうっと。
それから、ドレッサーにあったピンで前髪を整え、小さめの籠バックを肩にかけた。
「おやおや、とっても可愛らしいですよ、柚子。」
『あ、ありがとうございますっ…///』
骸さんの笑顔があまりに綺麗で、ちょっとドキッとしてしまった。
『あの、骸さんが一緒にお散歩してくれるんですか?』
「ええ。アルコバレーノから話は聞いてますよ。外でのランチは久々ですしね。」
何だか骸さんとデートするみたいだ……
そう思いながら玄関まで歩いていると、あたし達を待っているような人影が1つ。
「おや雲雀君、こんな所でどうしたんです?」
「……同行するよ、柚子。」
『えっ?お散歩、雲雀さんも一緒に来て下さるですか?』
「まぁね。」
『ありがとうございます!』
お礼を言ったあたしの隣で、骸さんがワナワナと震えていた。
どうしたんだろう、と思った次の瞬間、骸さんは雲雀さんをビシッと指さして。
「何故…!どうして君も行くんですか!!?折角僕と柚子の甘いデートが始まるところだったというのに!!」
「その邪な妄想を排除するためだって、赤ん坊は言ってたよ。」
「くっ…アルコバレーノ……やりますね…」
『あ、あのー…』
「行くよ柚子、店は予約してあるから、それまで街を散策すればいい。」
『は、はいっ!』
「待ちなさい雲雀君!柚子の手を引くのは僕の役目です!!」
「うるさい。」
あたしの右手が雲雀さんの左手に繋がれて、骸さんは後ろから小走りで付いてきた。
雲雀さんはまず、並盛町の商店街に連れてきてくれた。
どことなく、見覚えがあるような……
でも、やっぱりぼんやりし過ぎていて、この商店街なのかどうかが分からない。
一つだけ確かだったのは、あたしの心の奥はこの風景を“懐かしい”と感じている…ってこと。
言い表しにくいけど、この安心感や温かみは、きっと懐かしさのせい。
地面の色も、アーケードの形も、店の人の声も、しっかり記憶に残っているワケじゃないけれど…
それでも、あたしはこの空気を知っている気がした。
「柚子、どうです?久々の外の空気は。」
『とっても新鮮です!何だか、生まれ変わったみたいです。』
「着いた。」
『え?ココって…』
雲雀さんが、ある店の前で止まる。
見ればそこは、美容室だった。
ヘアスプレーやらシャンプーやらの匂いが、ふわふわ香ってくる。
『あ、あの…』
「メイクが分からないって言ってたそうだから、ランチの前に。すぐ終わるみたいだし。」
『すみません…あたしなんかのために、わざわざこんなっ…』
「余計なこと言わなくていいから、早く行っておいで。」
『あ、はいっ!』
雲雀さんが優しくて泣きそうになったけど、だからこそ時間をかけるワケにはいかない。
お店に入って名乗ると、あたしの名前で予約されてたことが分かった。
頼まれたのはメイクだけだったらしい。
お店の人は丁寧に説明しながら、ナチュラルメイクを教えてくれた。
---
--------
「…それで、敢えて柚子を隔離したのはワケがあるんでしょう?雲雀君。」
「隔離?人聞きの悪い単語は使わないでくれる?」
「君がわざわざメイクのためだけに時間を割くとは思えなかったので。…何か気に食わないことでもありました?僕は君に殴られないよう、極力おとなしくしていたつもりですが。」
言葉数の少ない雲雀に対し、骸はつらつらと喋り続ける。
「もしや…綱吉の柚子に対する態度のことですか?まったく、雲雀君は“興味が無い”と言いながら察知するのが人一倍早いですね。」
「あまりにあからさまで呆れただけだよ。」
「柚子が記憶を失ってしまったことで、綱吉は自責を感じている。皮肉なことに、柚子自身が明るく前向きになるほど、綱吉の自責は強くなる……僕らには、どうしようもない悪循環です。」
「沢田のことはどうでもいい。けど、柚子に影響が出る。」
「…確かに、Dr.シャマル曰く、僕らが柚子にこれまで通り接することこそ、記憶を修復する近道だそうですね。しかし綱吉は、今までと違って距離を置くことを選んだ……」
「それでもし柚子が……やっぱりいい。君に話すのは嫌だ。」
意図的に言葉を切った雲雀に対し、骸は驚き声を大きくした。
「な、何ですかその言い方は!!雲雀君、前々から思っていましたが、君はいささか僕に失礼な態度を取り過ぎですよ…!!」
「気のせいじゃない?」
「これが気のせいなワケありません!!」
「自意識過剰だよ。」
「そんな単語でごまかされるほど僕は甘くありませ…」
『あの…』
言い争いのように会話をしていた二人の耳に、そうっと呼びかける声。
見れば、美容室から出てきた柚子がもじもじと立っていた。
「これはこれは、とても綺麗になりましたね。柚子。もちろん元々可愛らしいですが、メイクは君の美しさを引き出すというか…」
『すみません、あたし…会話の邪魔して…』
「構わないよ。行こう。」
『あ、はいっ。』
「雲雀君!ですから柚子の手を引くのは僕の役目だと…!」
「うるさい。」
後ろで騒ぐ骸を一睨みする雲雀を見て、柚子はふと疑問を投げかける。
『雲雀さんは……骸さんが嫌いですか?』
「…どうして?」
『あ、いえ…お2人の会話、何だか喧嘩腰みたいに思えて……すみません、変なこと言って。』
「いいや、正解だよ。僕はアイツが大嫌いでね。」
『えっ…!?』
「そ、そんなっ…!」
柚子と同時に、斜め後ろを歩いていた骸もショックを受けたような顔をする。
と、それを一瞥した雲雀は眉間にしわを寄せて。
「ああしてふざけているところとか。」
『……それでも、共同生活を送ってるんですよね…?』
「色々事情があってね。」
『そう、なんですか……』
記憶を失くした状態の柚子にマフィアのことを話してはいけない。
柚子が自ら思い出さないと意味が無い。
リボーンが言っていたことだが、雲雀も骸も同感だった。
柚子の脳を刺激しすぎる情報は、今はまだタブーなのだ。
「(それにしても……)」
雲雀には、不思議でならなかった。
記憶を失くしてもなお、内在し続けている柚子の「強さ」が。
一体どんな風に生きてきたら、こんなにも自分を律せるのだろうかと。
それはやはり、ツナにも影響を与えたという、柚子の父親が関係しているのであろうか。
『雲雀さん?どうかしましたか?』
「…何でもない、もうすぐ着くよ。」
『はいっ!』
柚子にとって今、目の前にいる自分や骸は見知らぬ人間のハズなのに。
それでも彼女は信じ、関わり、笑顔を見せる。
その強さが、不思議だった。
あまりに自然で、あたかもそれが当然であるかのような心の強さが。
---
-------
ランチには和食のコースを頂いた。
骸さんが「個人的な趣向で決めるのは良くないです!」って言ってたから、多分雲雀さんは和食が好きなんだろうな、と思った。
雲雀さんも骸さんも、とても上品に食べていて、あたしも見習わなくちゃとお作法をこっそり真似していた。
デザートのスイカは種を取るのが大変だったけど、とっても瑞々しくおいしくて、夢中で食べていたら「僕のもあげる」と雲雀さんが差し出してくれた。
遠慮しようとしたのに、「いいから」と押されて結局二切れ食べてしまった。
『…あっ!!』
「どうしました?柚子。」
『あたし…あたし……お財布忘れ…』
「問題無いよ、六道が払うから。」
『えっ!?』
「そうです問題ありません……って僕ですか!?この流れは普通雲雀君がお支払いを…」
「払えないんだ。」
「クフフ……その手には乗りませんよ、挑発して僕に払わせる気でしょうが…もちろん払えますけどね!しかし何としても雲雀君に払わせてみせます!!」
雲雀さんと骸さんが喧嘩しそうだったから、仲裁しなくちゃと思い立ち上がる。
『あのっ…!す、すみません……お2人で、半分ずつ、お願いします……あたしっ、後で絶対お返ししますから!!どれだけかかるか分かりませんけど…でも、絶対!!』
「…………ホント、柚子は面白いね。」
「柚子に払わせる気はありませんよ。…分かりました、ここは僕が払っておきます。」
『骸さん…!ありがとうございます!!』
何度もお辞儀をするあたしに、骸さんは「いいんですよ」と頭を撫でてくれた。
恥ずかしくて俯いていると、雲雀さんが骸さんの手を払いのけた。
…お2人は、仲がいいのか悪いのか分からない。
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「さて、折角外に出たんですから、どこか行きたい場所はありますか?」
『行きたい場所…ですか……えっと…』
料亭を出て、再び商店街に戻って来たあたし達。
骸さんの質問に、あたしは立ち止まって考えを巡らせる。
えっと、出来ればあたしの記憶が戻るヒントのある場所がいいから………
『…大学、って開いてますか?』
「並盛キャンパスですか?まだお盆ではありませんし、開いていますよ。」
「柚子、何号館に行きたいの。」
『えと、出来れば…器楽演奏学科のメインキャンパスに……』
「だったら、5号館だね。」
「そうと決まれば、早速行きましょう!」
『はいっ♪』
お2人の案内で、あたしは並盛キャンパス5号館に到着した。
器楽演奏学科を始め、音楽系の学科はほぼここをメインキャンパスにしているそうだ。
「柚子が頻繁に使っていたと思われるのは…」
「4階のプレイングルーム、行くよ。」
雲雀さんの案内で、普段あたしが利用していたという教室に辿りついた。
その部屋に入って最初に見えたのは、太陽の光がいっぱいに溢れる空間。
指揮台の向かいに譜面台がいくつも並んで、壁には作曲家の絵が数枚かかっている。
『ここ……見たことが…』
「覚えがありますか?」
『はい…あたし……この部屋で、ここに、立って……』
吸い寄せられるかのように窓際へと駆け寄り、あたしはそこにある譜面台のフチをなぞる。
ああ、この感触を知ってる。
目を閉じれば、瞼の裏にぼんやりと映る。
『…大勢の、生徒さん……自分で選んだ楽譜………』
「柚子は、ここで何を学んでた?」
『あたし、は………演奏を……そう、あたし、フルートを吹いてた…!』
ハッとして目を開けたあたしに、雲雀さんと骸さんは微笑を見せた。
そうだ、あたしも…お父さんと同じようにフルートを……!
思いだした途端、涙が溢れる。
『あのフルートは、ただの形見じゃなくて…』
「そうです、柚子自身もあのフルートを使って音を生み出していた。」
『それであたし、あの学生寮に…?皆さん、器楽サークルだから…?』
「ええ。」
『そうだったんですね…。』
自分が7号館で生活している理由に納得し、安堵の表情を見せた柚子。
しかしそれは一瞬のことで、途端にしゅんとしてしまう。
「柚子…?」
『あたし…吹いていたことは思い出せたんですけど……感触が、まるで分からないんです……お父さんに習った記憶はあるのに……今、フルートを持っても指が動かないような、そんな気がして…』
「…それなら、試してみればいい。」
『え?』
「六道、7号館戻るよ。」
「そうですね、行きましょう、柚子。」
雲雀さんに続いて、骸さんも教室を出る。
あたしも慌ててお2人に続いた。
『あの、どちらへ…?』
「7号館の演奏室。柚子、そこでも練習してたから。」
『でもあたし、本当に全然っ…』
「頭ではそう思ってても、指が覚えてるかも知れませんよ?」
『指が……』
そんなことって、あるのかな?
半信半疑のままお2人に促され7号館に戻り、3階の演奏室に向かった。
部屋に入ってすぐ、雲雀さんは父の形見のフルートを渡して、骸さんが楽譜を探した。
「どの曲なら覚えてますかね…?」
『あ、あの…あたし……』
とりあえずフルートをケースから出してみたものの、握っても特にビビッと来ない。
というか、今のあたしは持ち方すら曖昧なのに……
「これ、聞けば分かるんじゃない?」
『え…?』
チェロを用意した雲雀さんが徐に何か弾き始めた。
あ……知ってる、かも…
けど曲名も何も分からないし、何より、雲雀さんが弾いてるってことはチェロのパートなワケで。
「実はそれ、僕が編曲したんです。」
「知ってるよ。柚子が“練習させられた”って言ってたからね。」
『練習、させられた…?』
二人の会話を聞いて疑問に思いながら、演奏を聞き続ける。
骸さんも、ビオラで一緒に弾き始めた。
それはまるで、何かを懐かしむような……優しい音色。
優しくて、温かくて、言葉通りに聞き惚れてしまうような。
『(聞いたこと、ある…)』
美しくて、凛としてて、何処となく情熱的な……
捧げる相手を愛おしく思う……
そんな旋律を………あたしも……
----
-------
獄寺君がシャマルに柚子の様子を聞きに行っている間、1階の書斎で紅茶を飲んでいた俺は、思わず手を止めた。
上の演奏室から音が聞こえてきたから。
完全防音のハズなのに、恐らく窓が開いているんだろう。
「(チェロとビオラってことは……雲雀さんと骸が…?)」
あの二人が一緒に弾くなんて、一体何のために…
随分と恐ろしい上に妙な構図だと思いながら、耳を傾け続ける。
と、そこに突如、“3つ目の楽器の音”が混ざり始めた。
「な、んで……嘘だろ…?」
聞き間違えるハズのないその音は、フルートの音色だった。
そんな……この7号館にいる中でフルートを吹ける人間はただ一人……
「柚子、なのか…?」
気付いたら、紅茶を置いてベッドから出ていた。
その音に導かれるかのように、俺は重たい体を引きずって階段を上った。
ぎこちなくて、たどたどしいのに、音は決して外さないフルート。
チェロとビオラの演奏に、必死について行こうとしている旋律。
曲が進むごとに、以前の音色を取り戻していく。
いつだったか、一緒に演奏したっけ。
骸に練習させられたって言ってたお前は、俺のバイオリンを聞くと瞳を輝かせて……――
「(“愛の歌”、だよな……コレ…)」
何で、どうして、そんなに強いんだよ。
俺がふさぎこんでる間に、どんどん離れていくみたいじゃんか。
そんなお前に、惹かれて惹かれて、
俺はどうしようもなく……情けなくなるばかりで……!
辿りついたドアのぶに、手をかけた。
やべ、まだ体力回復してねーんだった……階段上がっただけで、すんごく疲れた…
体重をかけながら、演奏室のドアを押し開ける。
ギィッと響いた音に、柚子は驚いて演奏を止めた。
『えっ?あれっ……沢田さん!??』
「おや綱吉、どうしました?」
「音が…聞こえて……っ」
ドアに掴まって立っているのも限界で、倒れこむ。
と、華奢な体に受け止められた。
『沢田さん!大丈夫ですか!?沢田さん…!!』
「柚子、さん…」
膝立ち状態で俺を支える柚子。
心底不安そうな顔で、俺を見上げる。
俺のことを“沢田さん”と呼んでいるあたり、まだ俺たち……少なくとも俺のことは思い出してないんだと分かった。
「フルートのこと…思い出せたんだ……」
『そ、そんなことより……沢田さん、お部屋に戻らないと…!』
「そうですよ、綱吉。三食きちんと食べているんですか?」
「ここに上がって来るだけで疲労するなんて、情けないね。」
骸と雲雀さんが口々に言う。
恐らく、俺がちゃんと食べてないことは獄寺君あたりから聞いていたんだろう。
「……そんなんいーだろ、別に…」
言葉を濁しながら返事すると、柚子が驚いて俺に言った。
『ダメですよ、沢田さん!ちゃんとご飯食べないと……』
「あはは…けど俺、大丈夫だから……」
『大丈夫じゃないです!』
俺を支えながら、真剣な眼差しになった柚子。
その眼力に気圧され、俺は思わず言葉を詰まらせる。
『あたし……沢田さんともっと話したいです…。だから、しっかり栄養取って、早く元気になって下さい。お願いします。』
「…分かったよ、ちゃんと食べる。」
俺のこと、思い出してないってのに…そんな必死な顔して。
あぁ、そう言えば元々お人好しだっけ…。
「ありがとう、柚子さん。」
『いえ…すみません、なんか、我儘みたいになっちゃって……』
柚子はいつも、そうだった。
どんなに振り回されても、前向きで明るくて…
---『やっぱりツナさん……カッコいいです。』
俺の隣にいてくれたんだ。
だから、俺は……
「じゃ、部屋戻るよ。」
『あ、あたし付き添いましょうか?』
「必要無いよ、柚子。」
『えっ…?』
雲雀さんが、柚子を引きとめる。
きっとまだ柚子に対する俺の態度に怒ってるんだろう。
「うん、大丈夫だから。フルート、続けてなよ。」
『は、はい…』
「では僕が付き添いましょう、念のため。それで安心できますよね?柚子。」
『はい、ありがとうございます!骸さん。』
「行きますよ、綱吉。」
「ん、悪いな。」
心配そうに眉を下げる柚子と、眉間に皺を寄せている雲雀さんを演奏室に残して、俺と骸は階段を下りた。
「…強がるのはどうかと思いますけどねぇ。」
「何だよ、お前も俺の決意に反対か?」
「綱吉がどうしようと構いませんよ、柚子が泣く結果にならなければ。」
「……そーかよ。」
「雲雀君も多分、同じような考えでしょう。」
仲が悪いクセに考え方だけは似てるな、と言うと、骸は苦笑した。
不本意ながら大体察せるんですよ、と。
「とりあえず、僕が綱吉に言いたいことはそれだけですので。」
「大丈夫だよ、柚子は。俺がいなくなっても。」
「柚子が大丈夫だとして、君はどうなんです?」
俺が自分の部屋のドアを開けようとした時、骸が問いかけた。
思わず止まってしまった動作。
骸の溜め息が聞こえる。
「素直になった方がいいと思うんですけどね……先ほども、柚子のフルートを聞いて無意識に飛び出してきてしまったんでしょう?」
「……うるさい。」
少し強めにドアを閉め、骸が去っていくのを足音で確認した。
再び重たくなった体を引きずるように、俺はベッドに戻り、窓の外を見た。
「どーしろってんだよ……俺が傍にいても、傷つけるだけなのに……」
頭の中で、心臓の奥で、『ツナさん』と呼びかけて来る柚子の声が響く。
それを振り払うように首を振って、ベッドにドサッと横たわった。
カンタービレ
歌うような、語りかけるようなその音色が、俺の決意を狂わせる
continue...
「ああ、もちろん護衛はつけるぞ。どうだ?」
沢田さんとお話をした次の日の朝、朝食後の血液検査と脳検査を終えたあたしに、リボーンさんが提案した。
考えてみれば、ずっと7号館の中にいるままで、外に出たのは脱走した時だけ。
シャマルさんは「柚子ちゃんの体調がいいなら」と言って下さり、特に反対する気配もなかった。
『行きたいです!』
「んじゃ、今日は外でランチだな。」
『はいっ!』
リボーンさんはニッと笑って、「後で護衛に迎えに来させる」と言って退室した。
少しワクワクしながら、あたしは窓の外を見る。
けど、ふと気がついた。
『あっ…』
「どした?柚子ちゃん。」
『シャマルさん、どうしましょう……あたし、着ていく服とか、メイクとか……さっぱりです…』
「そっか、そーだよなぁ……メイクはともかく、服はなぁ…」
「クフフフフ……僕の出番がやって参りましたね…」
『え?』
突然、シャマルさん以外の声がして、少しビックリする。
いつの間にか骸さんが入室していた。
「こちらのクローゼットに、柚子が今まで着ていた服がありますよ。合わせ方が分からなければ、僕が用意したこちらのファッション誌を参考に。」
『わぁ…!ありがとうございます!骸さんっ!』
「いや、まずどうして男のお前が女性ファッション誌持ってんのか疑問に思うけどな…」
「クフフ…細かいことは気にしない方がいいですよ、Dr.シャマル。」
「…そうするぜ。」
部屋の隅にあったクローゼットを開けると、それとなく好きな色合いの服がたくさん並んでいた。
やっぱり、あたしはあたしだったのかな……と思う。
ただ少し疑問に思ったのは、何とも高そうなドレスがいくつか端っこにかけられていたこと。
こんな素敵な服、普通の大学生じゃ買えないような……?
『では骸さん、雑誌お借りします。』
「ええ、どうぞ。柚子ならきっと、どんな服でも似合いますよ。」
『骸さんたら…お上手なんですから。』
小さく笑うと、骸さんは「お世辞ではないんですけどね」と優しく返してくれた。
ファッション誌を見ながら組み合わせを考えて、何とか丸襟の白ブラウスにライトブルーのスカート、茶色のベルトを合わせた。
表で待っていてくれた骸さんに見せてみると、「満点ですよ」と褒めてくれた。
「でも…そうですねぇ……これを付ければいいんじゃないですか?」
『ネックレス、ですか?』
「白ブラウスは胸元が寂しくなりがちです。少し大きめの飾りがあった方が映えますよ。」
『ありがとうございます!』
骸さん、ファッションのお師匠みたい。
またお出かけすることがあったら、アドバイスもらおうっと。
それから、ドレッサーにあったピンで前髪を整え、小さめの籠バックを肩にかけた。
「おやおや、とっても可愛らしいですよ、柚子。」
『あ、ありがとうございますっ…///』
骸さんの笑顔があまりに綺麗で、ちょっとドキッとしてしまった。
『あの、骸さんが一緒にお散歩してくれるんですか?』
「ええ。アルコバレーノから話は聞いてますよ。外でのランチは久々ですしね。」
何だか骸さんとデートするみたいだ……
そう思いながら玄関まで歩いていると、あたし達を待っているような人影が1つ。
「おや雲雀君、こんな所でどうしたんです?」
「……同行するよ、柚子。」
『えっ?お散歩、雲雀さんも一緒に来て下さるですか?』
「まぁね。」
『ありがとうございます!』
お礼を言ったあたしの隣で、骸さんがワナワナと震えていた。
どうしたんだろう、と思った次の瞬間、骸さんは雲雀さんをビシッと指さして。
「何故…!どうして君も行くんですか!!?折角僕と柚子の甘いデートが始まるところだったというのに!!」
「その邪な妄想を排除するためだって、赤ん坊は言ってたよ。」
「くっ…アルコバレーノ……やりますね…」
『あ、あのー…』
「行くよ柚子、店は予約してあるから、それまで街を散策すればいい。」
『は、はいっ!』
「待ちなさい雲雀君!柚子の手を引くのは僕の役目です!!」
「うるさい。」
あたしの右手が雲雀さんの左手に繋がれて、骸さんは後ろから小走りで付いてきた。
雲雀さんはまず、並盛町の商店街に連れてきてくれた。
どことなく、見覚えがあるような……
でも、やっぱりぼんやりし過ぎていて、この商店街なのかどうかが分からない。
一つだけ確かだったのは、あたしの心の奥はこの風景を“懐かしい”と感じている…ってこと。
言い表しにくいけど、この安心感や温かみは、きっと懐かしさのせい。
地面の色も、アーケードの形も、店の人の声も、しっかり記憶に残っているワケじゃないけれど…
それでも、あたしはこの空気を知っている気がした。
「柚子、どうです?久々の外の空気は。」
『とっても新鮮です!何だか、生まれ変わったみたいです。』
「着いた。」
『え?ココって…』
雲雀さんが、ある店の前で止まる。
見ればそこは、美容室だった。
ヘアスプレーやらシャンプーやらの匂いが、ふわふわ香ってくる。
『あ、あの…』
「メイクが分からないって言ってたそうだから、ランチの前に。すぐ終わるみたいだし。」
『すみません…あたしなんかのために、わざわざこんなっ…』
「余計なこと言わなくていいから、早く行っておいで。」
『あ、はいっ!』
雲雀さんが優しくて泣きそうになったけど、だからこそ時間をかけるワケにはいかない。
お店に入って名乗ると、あたしの名前で予約されてたことが分かった。
頼まれたのはメイクだけだったらしい。
お店の人は丁寧に説明しながら、ナチュラルメイクを教えてくれた。
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「…それで、敢えて柚子を隔離したのはワケがあるんでしょう?雲雀君。」
「隔離?人聞きの悪い単語は使わないでくれる?」
「君がわざわざメイクのためだけに時間を割くとは思えなかったので。…何か気に食わないことでもありました?僕は君に殴られないよう、極力おとなしくしていたつもりですが。」
言葉数の少ない雲雀に対し、骸はつらつらと喋り続ける。
「もしや…綱吉の柚子に対する態度のことですか?まったく、雲雀君は“興味が無い”と言いながら察知するのが人一倍早いですね。」
「あまりにあからさまで呆れただけだよ。」
「柚子が記憶を失ってしまったことで、綱吉は自責を感じている。皮肉なことに、柚子自身が明るく前向きになるほど、綱吉の自責は強くなる……僕らには、どうしようもない悪循環です。」
「沢田のことはどうでもいい。けど、柚子に影響が出る。」
「…確かに、Dr.シャマル曰く、僕らが柚子にこれまで通り接することこそ、記憶を修復する近道だそうですね。しかし綱吉は、今までと違って距離を置くことを選んだ……」
「それでもし柚子が……やっぱりいい。君に話すのは嫌だ。」
意図的に言葉を切った雲雀に対し、骸は驚き声を大きくした。
「な、何ですかその言い方は!!雲雀君、前々から思っていましたが、君はいささか僕に失礼な態度を取り過ぎですよ…!!」
「気のせいじゃない?」
「これが気のせいなワケありません!!」
「自意識過剰だよ。」
「そんな単語でごまかされるほど僕は甘くありませ…」
『あの…』
言い争いのように会話をしていた二人の耳に、そうっと呼びかける声。
見れば、美容室から出てきた柚子がもじもじと立っていた。
「これはこれは、とても綺麗になりましたね。柚子。もちろん元々可愛らしいですが、メイクは君の美しさを引き出すというか…」
『すみません、あたし…会話の邪魔して…』
「構わないよ。行こう。」
『あ、はいっ。』
「雲雀君!ですから柚子の手を引くのは僕の役目だと…!」
「うるさい。」
後ろで騒ぐ骸を一睨みする雲雀を見て、柚子はふと疑問を投げかける。
『雲雀さんは……骸さんが嫌いですか?』
「…どうして?」
『あ、いえ…お2人の会話、何だか喧嘩腰みたいに思えて……すみません、変なこと言って。』
「いいや、正解だよ。僕はアイツが大嫌いでね。」
『えっ…!?』
「そ、そんなっ…!」
柚子と同時に、斜め後ろを歩いていた骸もショックを受けたような顔をする。
と、それを一瞥した雲雀は眉間にしわを寄せて。
「ああしてふざけているところとか。」
『……それでも、共同生活を送ってるんですよね…?』
「色々事情があってね。」
『そう、なんですか……』
記憶を失くした状態の柚子にマフィアのことを話してはいけない。
柚子が自ら思い出さないと意味が無い。
リボーンが言っていたことだが、雲雀も骸も同感だった。
柚子の脳を刺激しすぎる情報は、今はまだタブーなのだ。
「(それにしても……)」
雲雀には、不思議でならなかった。
記憶を失くしてもなお、内在し続けている柚子の「強さ」が。
一体どんな風に生きてきたら、こんなにも自分を律せるのだろうかと。
それはやはり、ツナにも影響を与えたという、柚子の父親が関係しているのであろうか。
『雲雀さん?どうかしましたか?』
「…何でもない、もうすぐ着くよ。」
『はいっ!』
柚子にとって今、目の前にいる自分や骸は見知らぬ人間のハズなのに。
それでも彼女は信じ、関わり、笑顔を見せる。
その強さが、不思議だった。
あまりに自然で、あたかもそれが当然であるかのような心の強さが。
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ランチには和食のコースを頂いた。
骸さんが「個人的な趣向で決めるのは良くないです!」って言ってたから、多分雲雀さんは和食が好きなんだろうな、と思った。
雲雀さんも骸さんも、とても上品に食べていて、あたしも見習わなくちゃとお作法をこっそり真似していた。
デザートのスイカは種を取るのが大変だったけど、とっても瑞々しくおいしくて、夢中で食べていたら「僕のもあげる」と雲雀さんが差し出してくれた。
遠慮しようとしたのに、「いいから」と押されて結局二切れ食べてしまった。
『…あっ!!』
「どうしました?柚子。」
『あたし…あたし……お財布忘れ…』
「問題無いよ、六道が払うから。」
『えっ!?』
「そうです問題ありません……って僕ですか!?この流れは普通雲雀君がお支払いを…」
「払えないんだ。」
「クフフ……その手には乗りませんよ、挑発して僕に払わせる気でしょうが…もちろん払えますけどね!しかし何としても雲雀君に払わせてみせます!!」
雲雀さんと骸さんが喧嘩しそうだったから、仲裁しなくちゃと思い立ち上がる。
『あのっ…!す、すみません……お2人で、半分ずつ、お願いします……あたしっ、後で絶対お返ししますから!!どれだけかかるか分かりませんけど…でも、絶対!!』
「…………ホント、柚子は面白いね。」
「柚子に払わせる気はありませんよ。…分かりました、ここは僕が払っておきます。」
『骸さん…!ありがとうございます!!』
何度もお辞儀をするあたしに、骸さんは「いいんですよ」と頭を撫でてくれた。
恥ずかしくて俯いていると、雲雀さんが骸さんの手を払いのけた。
…お2人は、仲がいいのか悪いのか分からない。
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「さて、折角外に出たんですから、どこか行きたい場所はありますか?」
『行きたい場所…ですか……えっと…』
料亭を出て、再び商店街に戻って来たあたし達。
骸さんの質問に、あたしは立ち止まって考えを巡らせる。
えっと、出来ればあたしの記憶が戻るヒントのある場所がいいから………
『…大学、って開いてますか?』
「並盛キャンパスですか?まだお盆ではありませんし、開いていますよ。」
「柚子、何号館に行きたいの。」
『えと、出来れば…器楽演奏学科のメインキャンパスに……』
「だったら、5号館だね。」
「そうと決まれば、早速行きましょう!」
『はいっ♪』
お2人の案内で、あたしは並盛キャンパス5号館に到着した。
器楽演奏学科を始め、音楽系の学科はほぼここをメインキャンパスにしているそうだ。
「柚子が頻繁に使っていたと思われるのは…」
「4階のプレイングルーム、行くよ。」
雲雀さんの案内で、普段あたしが利用していたという教室に辿りついた。
その部屋に入って最初に見えたのは、太陽の光がいっぱいに溢れる空間。
指揮台の向かいに譜面台がいくつも並んで、壁には作曲家の絵が数枚かかっている。
『ここ……見たことが…』
「覚えがありますか?」
『はい…あたし……この部屋で、ここに、立って……』
吸い寄せられるかのように窓際へと駆け寄り、あたしはそこにある譜面台のフチをなぞる。
ああ、この感触を知ってる。
目を閉じれば、瞼の裏にぼんやりと映る。
『…大勢の、生徒さん……自分で選んだ楽譜………』
「柚子は、ここで何を学んでた?」
『あたし、は………演奏を……そう、あたし、フルートを吹いてた…!』
ハッとして目を開けたあたしに、雲雀さんと骸さんは微笑を見せた。
そうだ、あたしも…お父さんと同じようにフルートを……!
思いだした途端、涙が溢れる。
『あのフルートは、ただの形見じゃなくて…』
「そうです、柚子自身もあのフルートを使って音を生み出していた。」
『それであたし、あの学生寮に…?皆さん、器楽サークルだから…?』
「ええ。」
『そうだったんですね…。』
自分が7号館で生活している理由に納得し、安堵の表情を見せた柚子。
しかしそれは一瞬のことで、途端にしゅんとしてしまう。
「柚子…?」
『あたし…吹いていたことは思い出せたんですけど……感触が、まるで分からないんです……お父さんに習った記憶はあるのに……今、フルートを持っても指が動かないような、そんな気がして…』
「…それなら、試してみればいい。」
『え?』
「六道、7号館戻るよ。」
「そうですね、行きましょう、柚子。」
雲雀さんに続いて、骸さんも教室を出る。
あたしも慌ててお2人に続いた。
『あの、どちらへ…?』
「7号館の演奏室。柚子、そこでも練習してたから。」
『でもあたし、本当に全然っ…』
「頭ではそう思ってても、指が覚えてるかも知れませんよ?」
『指が……』
そんなことって、あるのかな?
半信半疑のままお2人に促され7号館に戻り、3階の演奏室に向かった。
部屋に入ってすぐ、雲雀さんは父の形見のフルートを渡して、骸さんが楽譜を探した。
「どの曲なら覚えてますかね…?」
『あ、あの…あたし……』
とりあえずフルートをケースから出してみたものの、握っても特にビビッと来ない。
というか、今のあたしは持ち方すら曖昧なのに……
「これ、聞けば分かるんじゃない?」
『え…?』
チェロを用意した雲雀さんが徐に何か弾き始めた。
あ……知ってる、かも…
けど曲名も何も分からないし、何より、雲雀さんが弾いてるってことはチェロのパートなワケで。
「実はそれ、僕が編曲したんです。」
「知ってるよ。柚子が“練習させられた”って言ってたからね。」
『練習、させられた…?』
二人の会話を聞いて疑問に思いながら、演奏を聞き続ける。
骸さんも、ビオラで一緒に弾き始めた。
それはまるで、何かを懐かしむような……優しい音色。
優しくて、温かくて、言葉通りに聞き惚れてしまうような。
『(聞いたこと、ある…)』
美しくて、凛としてて、何処となく情熱的な……
捧げる相手を愛おしく思う……
そんな旋律を………あたしも……
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獄寺君がシャマルに柚子の様子を聞きに行っている間、1階の書斎で紅茶を飲んでいた俺は、思わず手を止めた。
上の演奏室から音が聞こえてきたから。
完全防音のハズなのに、恐らく窓が開いているんだろう。
「(チェロとビオラってことは……雲雀さんと骸が…?)」
あの二人が一緒に弾くなんて、一体何のために…
随分と恐ろしい上に妙な構図だと思いながら、耳を傾け続ける。
と、そこに突如、“3つ目の楽器の音”が混ざり始めた。
「な、んで……嘘だろ…?」
聞き間違えるハズのないその音は、フルートの音色だった。
そんな……この7号館にいる中でフルートを吹ける人間はただ一人……
「柚子、なのか…?」
気付いたら、紅茶を置いてベッドから出ていた。
その音に導かれるかのように、俺は重たい体を引きずって階段を上った。
ぎこちなくて、たどたどしいのに、音は決して外さないフルート。
チェロとビオラの演奏に、必死について行こうとしている旋律。
曲が進むごとに、以前の音色を取り戻していく。
いつだったか、一緒に演奏したっけ。
骸に練習させられたって言ってたお前は、俺のバイオリンを聞くと瞳を輝かせて……――
「(“愛の歌”、だよな……コレ…)」
何で、どうして、そんなに強いんだよ。
俺がふさぎこんでる間に、どんどん離れていくみたいじゃんか。
そんなお前に、惹かれて惹かれて、
俺はどうしようもなく……情けなくなるばかりで……!
辿りついたドアのぶに、手をかけた。
やべ、まだ体力回復してねーんだった……階段上がっただけで、すんごく疲れた…
体重をかけながら、演奏室のドアを押し開ける。
ギィッと響いた音に、柚子は驚いて演奏を止めた。
『えっ?あれっ……沢田さん!??』
「おや綱吉、どうしました?」
「音が…聞こえて……っ」
ドアに掴まって立っているのも限界で、倒れこむ。
と、華奢な体に受け止められた。
『沢田さん!大丈夫ですか!?沢田さん…!!』
「柚子、さん…」
膝立ち状態で俺を支える柚子。
心底不安そうな顔で、俺を見上げる。
俺のことを“沢田さん”と呼んでいるあたり、まだ俺たち……少なくとも俺のことは思い出してないんだと分かった。
「フルートのこと…思い出せたんだ……」
『そ、そんなことより……沢田さん、お部屋に戻らないと…!』
「そうですよ、綱吉。三食きちんと食べているんですか?」
「ここに上がって来るだけで疲労するなんて、情けないね。」
骸と雲雀さんが口々に言う。
恐らく、俺がちゃんと食べてないことは獄寺君あたりから聞いていたんだろう。
「……そんなんいーだろ、別に…」
言葉を濁しながら返事すると、柚子が驚いて俺に言った。
『ダメですよ、沢田さん!ちゃんとご飯食べないと……』
「あはは…けど俺、大丈夫だから……」
『大丈夫じゃないです!』
俺を支えながら、真剣な眼差しになった柚子。
その眼力に気圧され、俺は思わず言葉を詰まらせる。
『あたし……沢田さんともっと話したいです…。だから、しっかり栄養取って、早く元気になって下さい。お願いします。』
「…分かったよ、ちゃんと食べる。」
俺のこと、思い出してないってのに…そんな必死な顔して。
あぁ、そう言えば元々お人好しだっけ…。
「ありがとう、柚子さん。」
『いえ…すみません、なんか、我儘みたいになっちゃって……』
柚子はいつも、そうだった。
どんなに振り回されても、前向きで明るくて…
---『やっぱりツナさん……カッコいいです。』
俺の隣にいてくれたんだ。
だから、俺は……
「じゃ、部屋戻るよ。」
『あ、あたし付き添いましょうか?』
「必要無いよ、柚子。」
『えっ…?』
雲雀さんが、柚子を引きとめる。
きっとまだ柚子に対する俺の態度に怒ってるんだろう。
「うん、大丈夫だから。フルート、続けてなよ。」
『は、はい…』
「では僕が付き添いましょう、念のため。それで安心できますよね?柚子。」
『はい、ありがとうございます!骸さん。』
「行きますよ、綱吉。」
「ん、悪いな。」
心配そうに眉を下げる柚子と、眉間に皺を寄せている雲雀さんを演奏室に残して、俺と骸は階段を下りた。
「…強がるのはどうかと思いますけどねぇ。」
「何だよ、お前も俺の決意に反対か?」
「綱吉がどうしようと構いませんよ、柚子が泣く結果にならなければ。」
「……そーかよ。」
「雲雀君も多分、同じような考えでしょう。」
仲が悪いクセに考え方だけは似てるな、と言うと、骸は苦笑した。
不本意ながら大体察せるんですよ、と。
「とりあえず、僕が綱吉に言いたいことはそれだけですので。」
「大丈夫だよ、柚子は。俺がいなくなっても。」
「柚子が大丈夫だとして、君はどうなんです?」
俺が自分の部屋のドアを開けようとした時、骸が問いかけた。
思わず止まってしまった動作。
骸の溜め息が聞こえる。
「素直になった方がいいと思うんですけどね……先ほども、柚子のフルートを聞いて無意識に飛び出してきてしまったんでしょう?」
「……うるさい。」
少し強めにドアを閉め、骸が去っていくのを足音で確認した。
再び重たくなった体を引きずるように、俺はベッドに戻り、窓の外を見た。
「どーしろってんだよ……俺が傍にいても、傷つけるだけなのに……」
頭の中で、心臓の奥で、『ツナさん』と呼びかけて来る柚子の声が響く。
それを振り払うように首を振って、ベッドにドサッと横たわった。
カンタービレ
歌うような、語りかけるようなその音色が、俺の決意を狂わせる
continue...