🎼本編
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重傷を負ったツナが目を覚ます、4日前の正午。
「柚子はまだ起きねーか?」
静かに入室したリボーンが、その部屋の窓際に立つ医者に尋ねた。
医者は軽く首だけそちらに向け、ため息混じりに答える。
「あぁ、お姫さまみたいな顔して眠ってるぜ。見ろ、この可愛い可愛い寝顔……」
「殺されてーか?シャマル。」
「冗談だっての。真っ昼間から銃ぶっ放そうとすんな。」
見事24時間以内に、エストラーネオファミリーの残党を鎮圧したボンゴレ10代目ファミリー。
だが、その代償は大きかった。
ボンゴレ10代目候補である沢田綱吉当人が婚約者である牧之原柚子と共にバルコニーから転落。
守護者により森の中で発見されたものの、全身打撲と出血多量で彼は生死の境を彷徨い、
また、彼が庇ったことで目立った外傷を負わずに済んだ婚約者も、2日間目覚めていなかった。
この事件により、日本支部を狙うボンゴレの敵対ファミリーが動きを活発にし始め、門外顧問に所属するバジルは緊急招集をかけられイタリアへ発った。
9代目ファミリーはもちろんのこと、門外顧問、独立暗殺部隊ヴァリアー、キャバッローネを始めとする同盟ファミリーは、動きを活発にし始めた敵対ファミリーを鎮圧するべく総力をあげることになったのだ。
「ボンゴレ坊主の方はどーだ?」
「容体はまだ安定してなくてな、獄寺が寝ずの番だ。」
「そーかい…」
シャマルが頭を掻きながら、カーテンを開ける。
太陽が高く昇るようになった7月の終わり。
どこからか小鳥のさえずりが響く。
「柚子ちゃん……こんな気持ちのいい朝だぜ?そろそろ起きてやんねーと、ボンゴレ坊主も悲しむハズだ…」
「その前に、ツナも起きてねーけどな。」
「リボーン……元も子もねぇこと言うなっつーの。なぁ?柚子ちゃん。」
目を閉じたままの柚子の髪を、シャマルが優しく撫でた、その時。
『…ん……』
柚子の瞼がピクリと動き、ゆっくりと、ゆっくりと、持ち上げられる。
虚ろなまま正面を見つめていた二つの瞳は、徐々に光を受け入れ、焦点をシャマルに合わせた。
「お……お…起きたぜ、リボーン…」
「……だな。おい、遅ぇぞバカ柚子。」
「ったく、開口一番ソレかよ……ごめんな柚子ちゃん、こう見えてもリボーンのヤツ、柚子ちゃんのこと心配して……」
『……ここは、何処ですか…?』
「え?おぉ、ココはいつもの7号館だぜ。柚子ちゃん、帰って来たんだ。」
シャマルは安堵させるようにそう答えたが、柚子の表情は逆に困惑を露わにし始める。
それをいち早く察知したリボーンは、ベッドの傍に歩み寄った。
「おい、どうかしたのか柚子…」
『“柚子”…って、あたしの名前……ですか…?貴方たちは、一体……』
してはいけない質問をしている気なのだろうか、柚子の体はガタガタと震えている。
しかし、同じように、リボーンとシャマルも平常心を保てず半放心状態に陥った。
“今、目の前にいる柚子は、自分の名前すらきちんと認識していない”……
その事実を情報として取り込むだけで、脳のキャパシティがいっぱいになってしまうような感覚が二人を貫いた。
だが、さすが一流のマフィアと言ったところか、彼らはその驚愕を微塵も表に出すことなく、柚子の質問に答えた。
「…俺はリボーン、こっちは俺が呼んだ医者のシャマルだ。」
『あ、あたしは……あの、えっと……』
「柚子ちゃん、一回目を閉じようか。それで、大きく息を吸って、吐くんだ。」
小刻みに震えながら頭を抱え込もうとする柚子に、シャマルが言う。
ここでパニック状態になっては、記憶喪失の事実を受け入れるどころか、思い出すことに恐怖も感じてしまうだろう……と判断したのだ。
柚子はシャマルの言った通りに目を閉じ、荒くなりかけた呼吸を落ち着かせていく。
その間に、リボーンはゆっくりと告げた。
「お前は大学生だ。名前は、牧之原柚子。ここはキャンパス内に設けられた学生寮みてーなモンで、お前はここで暮らしてる。」
『大学生……そう、ですか……』
話を聞いてもボーッとしている柚子を見て、リボーンはシャマルに言った。
「シャマル、柚子をちゃんと診てやってくれ。」
「何だ、どっか行くのか?言っとくが、坊主たちに告げるのは早いぜ。」
「んなこたぁ分かってるぞ。……俺だってまだ、混乱してんだ…。学生証、持ってきて見せようと思ってな。」
「そうか…分かった。」
リボーンが退室した後、シャマルは優しく語りかける。
「柚子ちゃん、痛いところはないかい?」
『…はい……』
「んじゃあ、ちょっと起き上がってもらいてーんだが……俺、手ぇ貸すからさ。」
『分かりました…』
上半身を起こし、枕を背もたれにして座る状態になった柚子。
シャマルは内ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、柚子に渡す。
「自分の名前、書けたら書いてくれ。」
『……分かりません…』
柚子が思い出せないのは、自分だけでなく自分が関わってきた人間全てだった。
だが、計算問題や漢字・ことわざ問題、マナー問題には正解を答えてみせた。
シャマルは続いて問題を出す。
「柚子ちゃんは優秀だな。じゃあ、もし柚子ちゃんの目の前が北だったら、東はどっちだ?」
『えっと……右側です。』
「正解だ。それじゃあ……交響曲第5番『運命』は、誰の作品だ?」
柚子の専門分野である音楽の、基礎知識。
敢えてその問いを投げかけたシャマルだったが、予想外の答えが返って来た。
『作者……分かりません。』
「え、」
『あの……交響曲って、何でしょうか…?』
「……柚子ちゃん、まさか…」
と、ここでリボーンが戻ってくる。
「柚子、コレを見てくれ。」
『コレは……学生証………私の写真…』
指でなぞりながら、柚子は学生証の文字を読む。
『並盛大学……音楽学部……器楽演奏学科…』
「覚えてるか?」
『あ、あたし………』
柚子の表情が再び困惑の色を見せ始め、シャマルもリボーンも緊張する。
そして、衝撃の一言が放たれた。
『あたしは……何を演奏していたんですか…?』
誰も言葉を発しない部屋の中、窓の外から小鳥の囀りだけが入りこむ。
ただ拳を握るリボーンと、悔むように目を瞑るシャマル。
学生証を持つ指に力を込めた柚子は、ポロポロと涙をこぼす。
『ごめんなさい……あ、あたし………本当に、ごめんなさいっ……』
「な、何で柚子ちゃんが謝る?柚子ちゃんはなーんも悪いことは…」
『分からない……何も、分からないんです………ごめんなさい…』
シャマルは一瞬にして、柚子がパニック状態に陥っていると察した。
「柚子ちゃん、焦るこたないんだ。ゆっくり思い出してけば…」
『お医者様………少し、一人にして下さい……』
「ダメだぞ。シャマルが許しても俺が…」
『お願いです…!!』
却下しようとしたリボーンに、柚子は俯き泣きながら、強い口調で言い放った。
『知らない人たちに、囲まれたくないっ……!だからもう…一人にして……』
「柚子…!」
リボーンは反論しようとするも、シャマルに肩を掴まれる。
「分かったよ柚子ちゃん、ただ……どっか痛くなったり苦しくなったら呼んでくれな。部屋の外にいるからさ。」
『……はい…すみません…』
退室してすぐ、リボーンはシャマルの手を振り払った。
「どーゆーつもりだ?柚子が一人でパニクって飛び出したりでもしたら…」
「それを見つけて引きとめるのは、おめーらの役目だろ?俺の専門はあくまで患者を診ることだ。」
「……一人にすることが、治療だとでも言いてーのか。」
「“知らない人に囲まれたくない”って言ってたろ?あれ、今の柚子ちゃんの本音だ。怖いんだよ、俺らが。どんなに優しく接していたとしても、な。」
シャマルの言葉に、リボーンは舌打ちを一つ。
ポケットに手を突っ込み、背を向けて歩き出す。
「何処行くんだ?」
「…守護者に伝える。」
「そーか。だったらこう説明しとけ。“日常生活ができる程度の常識はあるが、人物と音楽の記憶が抜けてる”…ってな。」
「…分かった。」
足早に去っていくリボーンの背中に、シャマルはため息を一つ吐いた。
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シャマルとリボーンが退室してからも、柚子の涙が止まることは無かった。
彼らのことは信じたい。
しかし……自分が知らない自分を知っている彼らが、怖かった。
有ること無いこと吹き込まれていくような感覚が、恐ろしかった。
『あたし……』
学生証の自分は、真っ直ぐこちらを見ている。
『あたしは、何なの…?あの人たちは、何であたしを……』
腕に繋がれた点滴は、栄養を注入するためのもののようだった。
手首に巻かれた包帯を取ってみると、小さな切り傷。
こんな小さな傷にもきちんと手当をしてくれている……その事実に、柚子はますます分からなくなった。
ただ、自分が今座っているベッドの感触は、知っているような気がした。
室内を見回せば、何処となく懐かしいような気持ちになる。
『……そうよ、そうよね。』
なるべくは、彼らに頼らず自分で思い出さなくては。
彼らは自分を知っているようだった。
けれど、どこまで信じていいのか分からない。
ならば自力で思い出して、確かめるのが一番早い……そう、思った。
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同じ頃、広間にて。
リボーンに告げられたことが、その場にいる全員――ツナの看病をしている獄寺以外の守護者――から言葉を奪った。
皆が息をのみ、沈黙する。
「シャマルによると、今の柚子は人物の記憶、音楽に関する記憶が抜け落ちてる状態らしい。」
「つーことは、俺たちのことも……」
「もちろん、思い出せねぇだろうな。実際俺は、“誰だ”って言われたぞ。」
ため息混じりの返答に、質問をした山本も困惑を見せる。
と、了平が声を荒げた。
「そ、それは…一体どうしたらいいのだ!!?今から皆で柚子に会い、全て教えるべきではないのか!!?」
「いえ…無闇に刺激すれば、かえって柚子を混乱させるのではないですか?」
「俺も同感だぞ。今の柚子は俺らに対する信頼を失くしてんだ。“知らない人間”が“覚えていないこと”を吹き込むのは、不安を煽るに違いねぇ。」
「……だったら、どうするつもり?沢田もまだ起きないんでしょ。」
雲雀の問いに全員が沈黙し、山本が口火を切った。
「とりあえず、対面だけはしとかねーか?また少しずつ、柚子と仲良くなればいーと思うぜ。」
「…うむ、そうだな。リボーン、柚子には会えるのか?」
「今すぐは無理そうだな……柚子のヤツ、“一人になりたい”つって閉じこもってやがんだ。」
「でしたら柚子が落ち着いてから、あの医者の立会いのもと、面会すればいいでしょう。」
「僕は行かないよ。」
「おいおい雲雀、こんな時ぐらい…」
「群れるのは嫌いだ。」
引きとめようとした山本にそう言い放ち、広間から出て行った雲雀。
窓の外は、ようやく日が落ち始めたのか空がうっすらと暗みを帯び始めていた。
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多少の痛みを堪えながら、点滴の針をそうっと抜く。
立ち上がった瞬間は少しクラクラしたが、数分後には回復した。
『(見つけなきゃ……自分で…)』
でなければ、ココにいる人たちを信頼していいのかどうかも分からない。
“リボーン”と名乗っていたスーツの人は、ここは学生寮だと言っていた。
ならば近くに学校があるハズ。
そこに行けば、何か分かるかもしれない。
そう考え、柚子は開け放たれた窓から、裸足で逃げ出した。
自分の身分を確認できる、学生証だけを持って。
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「……ん?」
僅かな物音に反応したシャマルは、寄りかかっていたドアをノックする。
「柚子ちゃん?大丈夫か?」
ドア越しに問いかけた瞬間、シャマルはハッとする。
返事がないからではなく、気配が消えていたからだった。
「まさか…!!」
ドアを開けた彼の視界には、夜風に揺れるカーテンと空になったベッド。
窓から入り込む生ぬるい夏の風は、シャマルの苛立ちを増幅させた。
「何で…あんな状態で逃げちまうんだよ…!」
シャマルは即座にリボーンに告げた。
柚子が、身一つで脱走してしまったことを。
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「君、そこの君!」
『あっ、はい……な、何でしょうか…?』
「どうして裸足なんだね?それに、もうじきこの校舎は閉館時刻だよ。」
『す、すみません…』
柚子は、校舎内で閉館見回りをしていた警備員に声をかけられた。
警備員のあからさまな疑念が、ひしひしと伝わってくる。
それもそのはず。
柚子は裸足の上、荷物は何も持っていないのだ。
「君、こんな時間に一体何をしてたんだね?授業時間はとっくに…」
『あ、えっと……わ、忘れ物を…』
「裸足で?」
『そ、それは……』
「そもそも、君は本当にここの学生なのかね?」
『が、学生証、あります…!』
信頼を得ようと学生証を差し出した柚子だったが、逆に警備員に不信感を与えた。
「本物なのかね?」
『は、はい…多分……』
「多分?」
『あ、いえ…!』
考えてみれば、他人から渡された学生証。
本物であるかどうかなど、今の柚子には確かめようがなかった。
「仕方ない、学生課に連絡を……」
『あの、ま、待って下さいっ…!』
「本物だよ、それ。」
「ん?」
『え…?』
学生証を持った警備員が柚子を学生課まで連れて行こうとした、その時。
向こうから歩いてきた人物が、引きとめるように会話に入った。
柚子はビクッと振り返り、警備員はその人物を認識するやいなや緊張を見せる。
「あ、あなたは…!」
「返してもらうよ、その学生証。それから、今すぐ立ち去って。」
「は、はい!!」
『あ、あの…』
学生証を柚子に返し、警備員は一礼してから足早に去る。
ワケも分からず呆然と立ち尽くす柚子に、“救世主”が歩み寄った。
「大丈夫?」
『は、はい……ありがとう、ございます…』
「そう、ならいい。」
スーツを着た彼は、スラッとした細身に切れ長の瞳をもっていた。
助けてくれたということは、知り合いだろうか……そんな推測が柚子の脳裏をよぎる。
だが、このまま話していては覚えていないことがバレてしまう。
自分は一刻も早く、思い出さなければいけないのだ。
『ご、ごめんなさい…あたし、あの……し、失礼します…!』
「待ちなよ。」
走り去ろうとした柚子の手首は、ガシッと掴まれた。
切れ長の瞳が、真っ直ぐ射抜くように柚子を見つめる。
「何処行くの?もう1、2時間もすれば完全下校時刻になる。」
『あ、あたし……えっと…』
「……7号館に戻るよ。」
『えっ……!?』
ふわりと、柚子の両足が地を離れた。
気付いた時には既に、彼に抱きかかえられていたのだ。
あたふたする柚子に、彼は言った。
「足、汚れないように。」
『だっ、大丈夫です…!というか、あの、あたしっ……』
“貴方のことを知りません”……その言葉を口にすることが出来ないまま、学生証を握りしめ顔を逸らす。
だが次の瞬間、予想外なセリフが降って来た。
「……雲雀、」
『え?』
「僕の名前。忘れてるんでしょ?」
すっかり学生がいなくなったキャンパス内の、広い階段をおりながら、彼は続ける。
「知ってるよ、聞いたから。」
『あっ……その……ご、ごめんなさいっ……あたし……ごめんなさいっ…!』
じわりと潤んだ瞳。
そのまま次々と零れ落ちる涙。
肩を震わせながら何度も謝る柚子に、雲雀は言った。
「謝るくらいなら、向き合いなよ。」
柚子を抱える腕に、指に、少しだけ力がこもる。
その感触に驚き雲雀を見上げた柚子は、目を見開いた。
先ほどまでのやや威圧的なオーラは薄れ、彼の瞳に映るのは……優しい辛苦と哀憐。
「直接向き合って…早く、思い出しなよ……」
細められた瞳の切なさに、柚子の涙は激しさを増した。
再び俯き、小さな返事をする。
『はい………はいっ……!』
雲雀はそれ以上何も言わずに、7号館へと足を運んだ。
玄関先で待っていたリボーンとシャマルを前に、スッと柚子をおろす。
「ご苦労だったな雲雀。おめーが見つけるとは思わなかったぞ。」
「偶然だよ。」
ふいっとそっぽを向く雲雀に、リボーンは「そーか」と微笑した。
「柚子ちゃん、怪我ねぇか?ったく、裸足で歩き回るなんて無茶して…」
『ごめんなさい、お医者様……』
「シャマル、って呼んでくれ。」
『…シャマル、さん……』
「よしっ、じゃあ足洗って、部屋戻ろうか。」
『はい…』
シャマルに促されるまま、7号館内へと戻る柚子。
だが、ふと立ち止まり、振り向いた。
『……あの!雲雀、さん!』
突然の呼び掛けに、雲雀は無言で目を合わせる。
と、柚子は少し大きめの声で言った。
『本当に、ありがとうございます…!!あ、あたし……いつか……な、なるべく、早く………』
「…うん、分かったよ。」
柚子の心の訴えを汲み取った雲雀は、僅かな笑みを向けながらそう返した。
拳に力を込めていた柚子も、その笑みに対し笑顔を見せる。
『頑張ります…!』
シャマルと柚子が去り、リボーンが問いかける。
「雲雀、何かアドバイスでもしたのか?」
「…別に。」
「それにしても、僕の可愛い柚子が無傷で戻って来て何よりです。」
「お。お前らも帰ったか。ご苦労だったな。」
「良かったぜ。柚子、割と元気そうだったな!」
「うむ。近いうちに面会できるかも知れんな!」
安心ムードになる山本、了平、骸を一瞥した雲雀は、興味ないとでも言うようにスタスタと自室に戻っていった。
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翌日の昼前に、柚子は目を覚ました。
緊張と困惑で疲れたのか、昨晩はまともな入浴もせずに眠ってしまったのだ。
ふと見ると、ベッド脇の椅子にはシャマルが座っていて。
「お。おはよう、柚子ちゃん。気分はどーだい?」
『少し、スッキリとしてます。』
「そーか、良かった。」
ぐっと背伸びをして「お腹すいたか?」と尋ねるシャマルに、柚子は首を振り、恐る恐る申し出た。
『あの……ここは、学生寮だって、言ってましたよね…?』
「ん?あぁ…そーだったな。」
『でしたら、他にも学生さんが住んでらっしゃるんですよね!?あたし……会ってみたいんです…!』
柚子の頼みに驚かされるシャマル。
昨日パニックを起こして“一人にしてくれ”と言っていたとは思えない程の、切り替えの早さ。そして勇気。
『今まであたしと仲良くしてくれた人たちのこと…早く思い出したいんです。だから……会って、話をしようと思うんです!お願いしますっ!!』
頭を下げた柚子を見て、シャマルは目線の高さを同じにして問い返す。
「本当に、大丈夫だな?知らないこと言われたからって、アイツらを嫌いにならないで欲しいんだ。」
『お約束します!……あたし、自分のことは自分で思い出すべきだと思ってました……けど、自分の中には、ヒントも何も無かった……』
「柚子ちゃん…」
『だから、探させてもらおうって思ったんです。もちろん、その、お知り合いの方が引き受けて下さればの話、なんですけど……』
もじもじと言う柚子にふっと笑みをこぼし、シャマルはドアの向こうに呼びかけた。
「だってよ、坊主ども。」
『えっ…?』
直後にドアが開き、柚子は目を見開いた。
躊躇いながらも入って来たのは、同年代の男子学生4人。
「よっ、何つーかその……一応、初めまして、って言っとくべきか…?山本武ってんだ、宜しくな、柚子。」
『山本、さん…』
「俺は笹川了平だ!柚子、分からないことがあったら何でも聞いていいぞ!!特にボクシングのことなら…」
「てめー芝生!!ふざけたこと言ってんじゃねぇ!!」
「ふざけてなどおらん!!」
「おい隼人、可愛い女の子の前で醜い喧嘩すんなって教えたろー?」
「教わってねーよ!!」
了平の横から怒鳴る獄寺をシャマルが注意する。
が、その言葉にも反発する獄寺。
すると、柚子がそうっと尋ねる。
『笹川さん、と……隼人さん、ですか…?』
「なっ…!///」
途端に顔を紅潮させる獄寺を見て、柚子はびくっとしてから頭を下げる。
『ご、ごめんなさい!あたし…何か気に障ること……』
「クフフ、違いますよ。」
ふと、今までの3人とは別の声が聞こえ、柚子はそちらを向く。
ベッド脇にしゃがんでいた彼は、微笑みながら言った。
「彼はずっと柚子に“獄寺さん”と呼ばれていたので、突然名前を呼ばれ戸惑っているんです。」
「骸!ワケわかんねーこと言ってんじゃねぇ!!」
『獄寺さん、とお呼びすればいいですか…?』
「……お、おぅ…」
獄寺が目を逸らしたところで、骸はスッと柚子の手を握る。
「そして僕は、六道骸と言います。骸、と呼んで下さいね。」
『骸さん、ですね。分かりました。』
握られた手に少しだけ戸惑いながらも、柚子は微笑みそう返す。
骸は「クフフ」と笑って続けた。
「そして……何を隠そう僕と柚子は、普通の知人ではありません。」
『えっ?』
「……僕たちは、そう、恋びt」
ゴスッ、
「クハッ…!」
『む、骸さんっ!?………あ、』
突如柚子の目の前から殴り飛ばされた骸。
心配してそれを目で追おうとした柚子だが、ふと、それまでいなかった人物がやってきていた事に気付いた。
「この男、冗談が過ぎる性質があるからね。覚えておいた方がいい。」
『雲雀さん………またお会いできて、嬉しいです。』
「…そう。」
『来て下さって、どうもありがとうございます。』
雲雀に微笑み、柚子はぺこりとお辞儀する。
すると骸が勢いよく起き上がり、雲雀に問い詰めた。
「どういうことですか雲雀君!!柚子が早くも君に心を開きかけているというのは少々引っかかるというか、むしろ抜け駆けとしか思えませんが!?」
「…咬み殺される覚悟は出来たかい?」
「何故そうなるんですか!!まず僕の問いに答えt……」
「うるさい。」
「クハッ…!」
再度殴られて吹っ飛ぶ骸。
雲雀はぷいっとそっぽを向き、そのまま退室しようとする。
『あ、あの…!』
「気が向いたら、また来るよ。」
パタン、と扉が閉まる。
柚子は雲雀が出て行ったドアから、骸へと視線を移した。
『山本さん……骸さんは、大丈夫なんでしょうか…?』
「ん?あぁ、大丈夫だって!いつものことだからなっ♪」
『いつも…!?』
「うむ、あれでも雲雀はきちんと加減をしているのだ!!極限に良いヤツだ!!」
『そうなんですか…!』
すると今度は獄寺がしびれを切らしたように怒鳴る。
「てめーら好き勝手に適当なこと抜かしてんじゃねぇ!柚子が混乱するだろーが!!」
「好き勝手でも適当でもないぞ!!」
「適当じゃねーか!雲雀は明らか毎回全力で殴ってんだろ!!」
「うるさいぞタコヘッド!!」
「てめーの声の方がうるせーよ!!」
「まーまー、落ち着こうぜ!」
『…ふふっ、』
「ん?」「ぬ?」「あ”?」
かすかに聞こえた柚子の声に、3人が反応する。
柚子は、クスクスと笑っていた。
「柚子…」
『あっ…ごめんなさい!皆さんのお話が面白くて、つい…』
口を押さえて咄嗟に目線を落とした柚子を見て、最初に動いたのは山本だった。
ゆっくりと頭を撫でながら、笑顔を見せる。
「柚子が笑ってくれんなら、俺も嬉しいーぜ!」
「そーだな!な、獄寺!」
「なっ、何で俺に振るんだよ…!……まぁ、泣いてるよかマシ、だと思うぜ…」
それぞれの返答に、柚子も徐々に緊張をほぐしていく。
窓からは、優しい陽光が差し込んでいた。
クインテット
怯える心を溶かすのは、5人の奏でる強い想い
continue...
「柚子はまだ起きねーか?」
静かに入室したリボーンが、その部屋の窓際に立つ医者に尋ねた。
医者は軽く首だけそちらに向け、ため息混じりに答える。
「あぁ、お姫さまみたいな顔して眠ってるぜ。見ろ、この可愛い可愛い寝顔……」
「殺されてーか?シャマル。」
「冗談だっての。真っ昼間から銃ぶっ放そうとすんな。」
見事24時間以内に、エストラーネオファミリーの残党を鎮圧したボンゴレ10代目ファミリー。
だが、その代償は大きかった。
ボンゴレ10代目候補である沢田綱吉当人が婚約者である牧之原柚子と共にバルコニーから転落。
守護者により森の中で発見されたものの、全身打撲と出血多量で彼は生死の境を彷徨い、
また、彼が庇ったことで目立った外傷を負わずに済んだ婚約者も、2日間目覚めていなかった。
この事件により、日本支部を狙うボンゴレの敵対ファミリーが動きを活発にし始め、門外顧問に所属するバジルは緊急招集をかけられイタリアへ発った。
9代目ファミリーはもちろんのこと、門外顧問、独立暗殺部隊ヴァリアー、キャバッローネを始めとする同盟ファミリーは、動きを活発にし始めた敵対ファミリーを鎮圧するべく総力をあげることになったのだ。
「ボンゴレ坊主の方はどーだ?」
「容体はまだ安定してなくてな、獄寺が寝ずの番だ。」
「そーかい…」
シャマルが頭を掻きながら、カーテンを開ける。
太陽が高く昇るようになった7月の終わり。
どこからか小鳥のさえずりが響く。
「柚子ちゃん……こんな気持ちのいい朝だぜ?そろそろ起きてやんねーと、ボンゴレ坊主も悲しむハズだ…」
「その前に、ツナも起きてねーけどな。」
「リボーン……元も子もねぇこと言うなっつーの。なぁ?柚子ちゃん。」
目を閉じたままの柚子の髪を、シャマルが優しく撫でた、その時。
『…ん……』
柚子の瞼がピクリと動き、ゆっくりと、ゆっくりと、持ち上げられる。
虚ろなまま正面を見つめていた二つの瞳は、徐々に光を受け入れ、焦点をシャマルに合わせた。
「お……お…起きたぜ、リボーン…」
「……だな。おい、遅ぇぞバカ柚子。」
「ったく、開口一番ソレかよ……ごめんな柚子ちゃん、こう見えてもリボーンのヤツ、柚子ちゃんのこと心配して……」
『……ここは、何処ですか…?』
「え?おぉ、ココはいつもの7号館だぜ。柚子ちゃん、帰って来たんだ。」
シャマルは安堵させるようにそう答えたが、柚子の表情は逆に困惑を露わにし始める。
それをいち早く察知したリボーンは、ベッドの傍に歩み寄った。
「おい、どうかしたのか柚子…」
『“柚子”…って、あたしの名前……ですか…?貴方たちは、一体……』
してはいけない質問をしている気なのだろうか、柚子の体はガタガタと震えている。
しかし、同じように、リボーンとシャマルも平常心を保てず半放心状態に陥った。
“今、目の前にいる柚子は、自分の名前すらきちんと認識していない”……
その事実を情報として取り込むだけで、脳のキャパシティがいっぱいになってしまうような感覚が二人を貫いた。
だが、さすが一流のマフィアと言ったところか、彼らはその驚愕を微塵も表に出すことなく、柚子の質問に答えた。
「…俺はリボーン、こっちは俺が呼んだ医者のシャマルだ。」
『あ、あたしは……あの、えっと……』
「柚子ちゃん、一回目を閉じようか。それで、大きく息を吸って、吐くんだ。」
小刻みに震えながら頭を抱え込もうとする柚子に、シャマルが言う。
ここでパニック状態になっては、記憶喪失の事実を受け入れるどころか、思い出すことに恐怖も感じてしまうだろう……と判断したのだ。
柚子はシャマルの言った通りに目を閉じ、荒くなりかけた呼吸を落ち着かせていく。
その間に、リボーンはゆっくりと告げた。
「お前は大学生だ。名前は、牧之原柚子。ここはキャンパス内に設けられた学生寮みてーなモンで、お前はここで暮らしてる。」
『大学生……そう、ですか……』
話を聞いてもボーッとしている柚子を見て、リボーンはシャマルに言った。
「シャマル、柚子をちゃんと診てやってくれ。」
「何だ、どっか行くのか?言っとくが、坊主たちに告げるのは早いぜ。」
「んなこたぁ分かってるぞ。……俺だってまだ、混乱してんだ…。学生証、持ってきて見せようと思ってな。」
「そうか…分かった。」
リボーンが退室した後、シャマルは優しく語りかける。
「柚子ちゃん、痛いところはないかい?」
『…はい……』
「んじゃあ、ちょっと起き上がってもらいてーんだが……俺、手ぇ貸すからさ。」
『分かりました…』
上半身を起こし、枕を背もたれにして座る状態になった柚子。
シャマルは内ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、柚子に渡す。
「自分の名前、書けたら書いてくれ。」
『……分かりません…』
柚子が思い出せないのは、自分だけでなく自分が関わってきた人間全てだった。
だが、計算問題や漢字・ことわざ問題、マナー問題には正解を答えてみせた。
シャマルは続いて問題を出す。
「柚子ちゃんは優秀だな。じゃあ、もし柚子ちゃんの目の前が北だったら、東はどっちだ?」
『えっと……右側です。』
「正解だ。それじゃあ……交響曲第5番『運命』は、誰の作品だ?」
柚子の専門分野である音楽の、基礎知識。
敢えてその問いを投げかけたシャマルだったが、予想外の答えが返って来た。
『作者……分かりません。』
「え、」
『あの……交響曲って、何でしょうか…?』
「……柚子ちゃん、まさか…」
と、ここでリボーンが戻ってくる。
「柚子、コレを見てくれ。」
『コレは……学生証………私の写真…』
指でなぞりながら、柚子は学生証の文字を読む。
『並盛大学……音楽学部……器楽演奏学科…』
「覚えてるか?」
『あ、あたし………』
柚子の表情が再び困惑の色を見せ始め、シャマルもリボーンも緊張する。
そして、衝撃の一言が放たれた。
『あたしは……何を演奏していたんですか…?』
誰も言葉を発しない部屋の中、窓の外から小鳥の囀りだけが入りこむ。
ただ拳を握るリボーンと、悔むように目を瞑るシャマル。
学生証を持つ指に力を込めた柚子は、ポロポロと涙をこぼす。
『ごめんなさい……あ、あたし………本当に、ごめんなさいっ……』
「な、何で柚子ちゃんが謝る?柚子ちゃんはなーんも悪いことは…」
『分からない……何も、分からないんです………ごめんなさい…』
シャマルは一瞬にして、柚子がパニック状態に陥っていると察した。
「柚子ちゃん、焦るこたないんだ。ゆっくり思い出してけば…」
『お医者様………少し、一人にして下さい……』
「ダメだぞ。シャマルが許しても俺が…」
『お願いです…!!』
却下しようとしたリボーンに、柚子は俯き泣きながら、強い口調で言い放った。
『知らない人たちに、囲まれたくないっ……!だからもう…一人にして……』
「柚子…!」
リボーンは反論しようとするも、シャマルに肩を掴まれる。
「分かったよ柚子ちゃん、ただ……どっか痛くなったり苦しくなったら呼んでくれな。部屋の外にいるからさ。」
『……はい…すみません…』
退室してすぐ、リボーンはシャマルの手を振り払った。
「どーゆーつもりだ?柚子が一人でパニクって飛び出したりでもしたら…」
「それを見つけて引きとめるのは、おめーらの役目だろ?俺の専門はあくまで患者を診ることだ。」
「……一人にすることが、治療だとでも言いてーのか。」
「“知らない人に囲まれたくない”って言ってたろ?あれ、今の柚子ちゃんの本音だ。怖いんだよ、俺らが。どんなに優しく接していたとしても、な。」
シャマルの言葉に、リボーンは舌打ちを一つ。
ポケットに手を突っ込み、背を向けて歩き出す。
「何処行くんだ?」
「…守護者に伝える。」
「そーか。だったらこう説明しとけ。“日常生活ができる程度の常識はあるが、人物と音楽の記憶が抜けてる”…ってな。」
「…分かった。」
足早に去っていくリボーンの背中に、シャマルはため息を一つ吐いた。
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シャマルとリボーンが退室してからも、柚子の涙が止まることは無かった。
彼らのことは信じたい。
しかし……自分が知らない自分を知っている彼らが、怖かった。
有ること無いこと吹き込まれていくような感覚が、恐ろしかった。
『あたし……』
学生証の自分は、真っ直ぐこちらを見ている。
『あたしは、何なの…?あの人たちは、何であたしを……』
腕に繋がれた点滴は、栄養を注入するためのもののようだった。
手首に巻かれた包帯を取ってみると、小さな切り傷。
こんな小さな傷にもきちんと手当をしてくれている……その事実に、柚子はますます分からなくなった。
ただ、自分が今座っているベッドの感触は、知っているような気がした。
室内を見回せば、何処となく懐かしいような気持ちになる。
『……そうよ、そうよね。』
なるべくは、彼らに頼らず自分で思い出さなくては。
彼らは自分を知っているようだった。
けれど、どこまで信じていいのか分からない。
ならば自力で思い出して、確かめるのが一番早い……そう、思った。
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同じ頃、広間にて。
リボーンに告げられたことが、その場にいる全員――ツナの看病をしている獄寺以外の守護者――から言葉を奪った。
皆が息をのみ、沈黙する。
「シャマルによると、今の柚子は人物の記憶、音楽に関する記憶が抜け落ちてる状態らしい。」
「つーことは、俺たちのことも……」
「もちろん、思い出せねぇだろうな。実際俺は、“誰だ”って言われたぞ。」
ため息混じりの返答に、質問をした山本も困惑を見せる。
と、了平が声を荒げた。
「そ、それは…一体どうしたらいいのだ!!?今から皆で柚子に会い、全て教えるべきではないのか!!?」
「いえ…無闇に刺激すれば、かえって柚子を混乱させるのではないですか?」
「俺も同感だぞ。今の柚子は俺らに対する信頼を失くしてんだ。“知らない人間”が“覚えていないこと”を吹き込むのは、不安を煽るに違いねぇ。」
「……だったら、どうするつもり?沢田もまだ起きないんでしょ。」
雲雀の問いに全員が沈黙し、山本が口火を切った。
「とりあえず、対面だけはしとかねーか?また少しずつ、柚子と仲良くなればいーと思うぜ。」
「…うむ、そうだな。リボーン、柚子には会えるのか?」
「今すぐは無理そうだな……柚子のヤツ、“一人になりたい”つって閉じこもってやがんだ。」
「でしたら柚子が落ち着いてから、あの医者の立会いのもと、面会すればいいでしょう。」
「僕は行かないよ。」
「おいおい雲雀、こんな時ぐらい…」
「群れるのは嫌いだ。」
引きとめようとした山本にそう言い放ち、広間から出て行った雲雀。
窓の外は、ようやく日が落ち始めたのか空がうっすらと暗みを帯び始めていた。
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多少の痛みを堪えながら、点滴の針をそうっと抜く。
立ち上がった瞬間は少しクラクラしたが、数分後には回復した。
『(見つけなきゃ……自分で…)』
でなければ、ココにいる人たちを信頼していいのかどうかも分からない。
“リボーン”と名乗っていたスーツの人は、ここは学生寮だと言っていた。
ならば近くに学校があるハズ。
そこに行けば、何か分かるかもしれない。
そう考え、柚子は開け放たれた窓から、裸足で逃げ出した。
自分の身分を確認できる、学生証だけを持って。
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「……ん?」
僅かな物音に反応したシャマルは、寄りかかっていたドアをノックする。
「柚子ちゃん?大丈夫か?」
ドア越しに問いかけた瞬間、シャマルはハッとする。
返事がないからではなく、気配が消えていたからだった。
「まさか…!!」
ドアを開けた彼の視界には、夜風に揺れるカーテンと空になったベッド。
窓から入り込む生ぬるい夏の風は、シャマルの苛立ちを増幅させた。
「何で…あんな状態で逃げちまうんだよ…!」
シャマルは即座にリボーンに告げた。
柚子が、身一つで脱走してしまったことを。
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「君、そこの君!」
『あっ、はい……な、何でしょうか…?』
「どうして裸足なんだね?それに、もうじきこの校舎は閉館時刻だよ。」
『す、すみません…』
柚子は、校舎内で閉館見回りをしていた警備員に声をかけられた。
警備員のあからさまな疑念が、ひしひしと伝わってくる。
それもそのはず。
柚子は裸足の上、荷物は何も持っていないのだ。
「君、こんな時間に一体何をしてたんだね?授業時間はとっくに…」
『あ、えっと……わ、忘れ物を…』
「裸足で?」
『そ、それは……』
「そもそも、君は本当にここの学生なのかね?」
『が、学生証、あります…!』
信頼を得ようと学生証を差し出した柚子だったが、逆に警備員に不信感を与えた。
「本物なのかね?」
『は、はい…多分……』
「多分?」
『あ、いえ…!』
考えてみれば、他人から渡された学生証。
本物であるかどうかなど、今の柚子には確かめようがなかった。
「仕方ない、学生課に連絡を……」
『あの、ま、待って下さいっ…!』
「本物だよ、それ。」
「ん?」
『え…?』
学生証を持った警備員が柚子を学生課まで連れて行こうとした、その時。
向こうから歩いてきた人物が、引きとめるように会話に入った。
柚子はビクッと振り返り、警備員はその人物を認識するやいなや緊張を見せる。
「あ、あなたは…!」
「返してもらうよ、その学生証。それから、今すぐ立ち去って。」
「は、はい!!」
『あ、あの…』
学生証を柚子に返し、警備員は一礼してから足早に去る。
ワケも分からず呆然と立ち尽くす柚子に、“救世主”が歩み寄った。
「大丈夫?」
『は、はい……ありがとう、ございます…』
「そう、ならいい。」
スーツを着た彼は、スラッとした細身に切れ長の瞳をもっていた。
助けてくれたということは、知り合いだろうか……そんな推測が柚子の脳裏をよぎる。
だが、このまま話していては覚えていないことがバレてしまう。
自分は一刻も早く、思い出さなければいけないのだ。
『ご、ごめんなさい…あたし、あの……し、失礼します…!』
「待ちなよ。」
走り去ろうとした柚子の手首は、ガシッと掴まれた。
切れ長の瞳が、真っ直ぐ射抜くように柚子を見つめる。
「何処行くの?もう1、2時間もすれば完全下校時刻になる。」
『あ、あたし……えっと…』
「……7号館に戻るよ。」
『えっ……!?』
ふわりと、柚子の両足が地を離れた。
気付いた時には既に、彼に抱きかかえられていたのだ。
あたふたする柚子に、彼は言った。
「足、汚れないように。」
『だっ、大丈夫です…!というか、あの、あたしっ……』
“貴方のことを知りません”……その言葉を口にすることが出来ないまま、学生証を握りしめ顔を逸らす。
だが次の瞬間、予想外なセリフが降って来た。
「……雲雀、」
『え?』
「僕の名前。忘れてるんでしょ?」
すっかり学生がいなくなったキャンパス内の、広い階段をおりながら、彼は続ける。
「知ってるよ、聞いたから。」
『あっ……その……ご、ごめんなさいっ……あたし……ごめんなさいっ…!』
じわりと潤んだ瞳。
そのまま次々と零れ落ちる涙。
肩を震わせながら何度も謝る柚子に、雲雀は言った。
「謝るくらいなら、向き合いなよ。」
柚子を抱える腕に、指に、少しだけ力がこもる。
その感触に驚き雲雀を見上げた柚子は、目を見開いた。
先ほどまでのやや威圧的なオーラは薄れ、彼の瞳に映るのは……優しい辛苦と哀憐。
「直接向き合って…早く、思い出しなよ……」
細められた瞳の切なさに、柚子の涙は激しさを増した。
再び俯き、小さな返事をする。
『はい………はいっ……!』
雲雀はそれ以上何も言わずに、7号館へと足を運んだ。
玄関先で待っていたリボーンとシャマルを前に、スッと柚子をおろす。
「ご苦労だったな雲雀。おめーが見つけるとは思わなかったぞ。」
「偶然だよ。」
ふいっとそっぽを向く雲雀に、リボーンは「そーか」と微笑した。
「柚子ちゃん、怪我ねぇか?ったく、裸足で歩き回るなんて無茶して…」
『ごめんなさい、お医者様……』
「シャマル、って呼んでくれ。」
『…シャマル、さん……』
「よしっ、じゃあ足洗って、部屋戻ろうか。」
『はい…』
シャマルに促されるまま、7号館内へと戻る柚子。
だが、ふと立ち止まり、振り向いた。
『……あの!雲雀、さん!』
突然の呼び掛けに、雲雀は無言で目を合わせる。
と、柚子は少し大きめの声で言った。
『本当に、ありがとうございます…!!あ、あたし……いつか……な、なるべく、早く………』
「…うん、分かったよ。」
柚子の心の訴えを汲み取った雲雀は、僅かな笑みを向けながらそう返した。
拳に力を込めていた柚子も、その笑みに対し笑顔を見せる。
『頑張ります…!』
シャマルと柚子が去り、リボーンが問いかける。
「雲雀、何かアドバイスでもしたのか?」
「…別に。」
「それにしても、僕の可愛い柚子が無傷で戻って来て何よりです。」
「お。お前らも帰ったか。ご苦労だったな。」
「良かったぜ。柚子、割と元気そうだったな!」
「うむ。近いうちに面会できるかも知れんな!」
安心ムードになる山本、了平、骸を一瞥した雲雀は、興味ないとでも言うようにスタスタと自室に戻っていった。
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翌日の昼前に、柚子は目を覚ました。
緊張と困惑で疲れたのか、昨晩はまともな入浴もせずに眠ってしまったのだ。
ふと見ると、ベッド脇の椅子にはシャマルが座っていて。
「お。おはよう、柚子ちゃん。気分はどーだい?」
『少し、スッキリとしてます。』
「そーか、良かった。」
ぐっと背伸びをして「お腹すいたか?」と尋ねるシャマルに、柚子は首を振り、恐る恐る申し出た。
『あの……ここは、学生寮だって、言ってましたよね…?』
「ん?あぁ…そーだったな。」
『でしたら、他にも学生さんが住んでらっしゃるんですよね!?あたし……会ってみたいんです…!』
柚子の頼みに驚かされるシャマル。
昨日パニックを起こして“一人にしてくれ”と言っていたとは思えない程の、切り替えの早さ。そして勇気。
『今まであたしと仲良くしてくれた人たちのこと…早く思い出したいんです。だから……会って、話をしようと思うんです!お願いしますっ!!』
頭を下げた柚子を見て、シャマルは目線の高さを同じにして問い返す。
「本当に、大丈夫だな?知らないこと言われたからって、アイツらを嫌いにならないで欲しいんだ。」
『お約束します!……あたし、自分のことは自分で思い出すべきだと思ってました……けど、自分の中には、ヒントも何も無かった……』
「柚子ちゃん…」
『だから、探させてもらおうって思ったんです。もちろん、その、お知り合いの方が引き受けて下さればの話、なんですけど……』
もじもじと言う柚子にふっと笑みをこぼし、シャマルはドアの向こうに呼びかけた。
「だってよ、坊主ども。」
『えっ…?』
直後にドアが開き、柚子は目を見開いた。
躊躇いながらも入って来たのは、同年代の男子学生4人。
「よっ、何つーかその……一応、初めまして、って言っとくべきか…?山本武ってんだ、宜しくな、柚子。」
『山本、さん…』
「俺は笹川了平だ!柚子、分からないことがあったら何でも聞いていいぞ!!特にボクシングのことなら…」
「てめー芝生!!ふざけたこと言ってんじゃねぇ!!」
「ふざけてなどおらん!!」
「おい隼人、可愛い女の子の前で醜い喧嘩すんなって教えたろー?」
「教わってねーよ!!」
了平の横から怒鳴る獄寺をシャマルが注意する。
が、その言葉にも反発する獄寺。
すると、柚子がそうっと尋ねる。
『笹川さん、と……隼人さん、ですか…?』
「なっ…!///」
途端に顔を紅潮させる獄寺を見て、柚子はびくっとしてから頭を下げる。
『ご、ごめんなさい!あたし…何か気に障ること……』
「クフフ、違いますよ。」
ふと、今までの3人とは別の声が聞こえ、柚子はそちらを向く。
ベッド脇にしゃがんでいた彼は、微笑みながら言った。
「彼はずっと柚子に“獄寺さん”と呼ばれていたので、突然名前を呼ばれ戸惑っているんです。」
「骸!ワケわかんねーこと言ってんじゃねぇ!!」
『獄寺さん、とお呼びすればいいですか…?』
「……お、おぅ…」
獄寺が目を逸らしたところで、骸はスッと柚子の手を握る。
「そして僕は、六道骸と言います。骸、と呼んで下さいね。」
『骸さん、ですね。分かりました。』
握られた手に少しだけ戸惑いながらも、柚子は微笑みそう返す。
骸は「クフフ」と笑って続けた。
「そして……何を隠そう僕と柚子は、普通の知人ではありません。」
『えっ?』
「……僕たちは、そう、恋びt」
ゴスッ、
「クハッ…!」
『む、骸さんっ!?………あ、』
突如柚子の目の前から殴り飛ばされた骸。
心配してそれを目で追おうとした柚子だが、ふと、それまでいなかった人物がやってきていた事に気付いた。
「この男、冗談が過ぎる性質があるからね。覚えておいた方がいい。」
『雲雀さん………またお会いできて、嬉しいです。』
「…そう。」
『来て下さって、どうもありがとうございます。』
雲雀に微笑み、柚子はぺこりとお辞儀する。
すると骸が勢いよく起き上がり、雲雀に問い詰めた。
「どういうことですか雲雀君!!柚子が早くも君に心を開きかけているというのは少々引っかかるというか、むしろ抜け駆けとしか思えませんが!?」
「…咬み殺される覚悟は出来たかい?」
「何故そうなるんですか!!まず僕の問いに答えt……」
「うるさい。」
「クハッ…!」
再度殴られて吹っ飛ぶ骸。
雲雀はぷいっとそっぽを向き、そのまま退室しようとする。
『あ、あの…!』
「気が向いたら、また来るよ。」
パタン、と扉が閉まる。
柚子は雲雀が出て行ったドアから、骸へと視線を移した。
『山本さん……骸さんは、大丈夫なんでしょうか…?』
「ん?あぁ、大丈夫だって!いつものことだからなっ♪」
『いつも…!?』
「うむ、あれでも雲雀はきちんと加減をしているのだ!!極限に良いヤツだ!!」
『そうなんですか…!』
すると今度は獄寺がしびれを切らしたように怒鳴る。
「てめーら好き勝手に適当なこと抜かしてんじゃねぇ!柚子が混乱するだろーが!!」
「好き勝手でも適当でもないぞ!!」
「適当じゃねーか!雲雀は明らか毎回全力で殴ってんだろ!!」
「うるさいぞタコヘッド!!」
「てめーの声の方がうるせーよ!!」
「まーまー、落ち着こうぜ!」
『…ふふっ、』
「ん?」「ぬ?」「あ”?」
かすかに聞こえた柚子の声に、3人が反応する。
柚子は、クスクスと笑っていた。
「柚子…」
『あっ…ごめんなさい!皆さんのお話が面白くて、つい…』
口を押さえて咄嗟に目線を落とした柚子を見て、最初に動いたのは山本だった。
ゆっくりと頭を撫でながら、笑顔を見せる。
「柚子が笑ってくれんなら、俺も嬉しいーぜ!」
「そーだな!な、獄寺!」
「なっ、何で俺に振るんだよ…!……まぁ、泣いてるよかマシ、だと思うぜ…」
それぞれの返答に、柚子も徐々に緊張をほぐしていく。
窓からは、優しい陽光が差し込んでいた。
クインテット
怯える心を溶かすのは、5人の奏でる強い想い
continue...