🎼本編
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お父さんの病気が治らないことは、知っていた。
胃の機能はほぼ停止して、点滴で栄養摂取をしていたことも。
けど、お父さんは一言も弱音を漏らさなかった。
悲しそうな顔もしなかった。
だからあたしも……マイナス感情を隠し続けてた。
『お父さんっ…お父さんっ……』
「朽葉さん、しっかりして…!」
「はは……すまないね……どうやら…限界みたいだ……」
治らないのも知ってる。
いつか逝ってしまうことも。
だけど、待って。
もう少しだけ、待って。
神様お願い、お父さんを連れていかないで。
必死に握りしめたお父さんの手は、普段よりずっと冷たかった。
握り返す力も、無に等しい。
泣きそうになるあたしの頭を撫でながら、お母さんが尋ねた。
「朽葉さん、痛みは無い…?」
「あぁ……どちらかと言うと…心地いいよ…」
『うそ!』
「柚子!?」
『絶対絶対そんなの嘘だよ!!何で心地いいなんて言うの!?あたしっ…』
「柚子、」
あたしの言葉を遮ったお父さんの瞳は、いつもより穏やかだった。
何で?どうしてそんな顔するの?
もうすぐ居なくなっちゃうんでしょう?
あたし、もう二度とお父さんにフルート教えてもらえないんだよね?
一番好きな音、聞けなくなっちゃうんだよね?
「ごめんな、柚子…」
力無い笑みが、苦しい。
ますます泣きそうになるあたしに、お父さんは言った。
「確かに僕は、もう戻れない……もちろん、それはとてもとても哀しい。」
『……うん…』
「僕はもっと柚子の音を聴きたかった……杏香の手料理が食べたかった……家族3人での世界旅行、夢だったなぁ…」
悔むように、けれど穏やかさは失わないままお父さんは目を細める。
そして、あたしの方を向いて。
「頼みが、あるんだ…」
『頼み…?』
「無理な願いかも知れないが………笑っておくれ…今だけでいい……」
あたしとお母さんは、驚きながら顔を見合わせた。
だって、こんな状況でそんなこと……
戸惑うあたしに対して、お母さんはふぅと一息吐いた。
「しょうがない人ね、本当に……」
「頼むよ杏香。」
お父さんとお母さんの顔を交互に見る。
数秒目を閉じたお母さんは、綺麗に綺麗に微笑んだ。
「朽葉さん、あなたに出会えて私……本当に幸せよ。」
「杏香…僕もだよ……本当にありがとう…」
お母さんはゆっくりと思い出を口にしていく。
2人が出会ったコンサートの日、
ハネムーンは何処へ行ったか、
あたしが生まれた時のこと……
そして最後に、あたしに振った。
「柚子も、楽しい思い出いっぱいあったでしょう?」
『…でもっ……』
笑うなんて、今のあたしには……
心の中で反発しながら、お母さんに言われた通り楽しい思い出を掘り返した。
たくさんたくさん、あたしはお父さんに“音”を貰った。
それはただの空気の震えなんかじゃなくて、ちゃんとした……“言葉”。
---「頑張ろうな。いっぱい練習して、1番素敵な奏者になった姿、お父さんに見せておくれ。」
---『うんっ!柚子、頑張る!1番素敵になるーっ!!』
あの日の気持ちは、変わらない。
お父さんの音がみんなに忘れられないように、あたしも音を言葉に出来るように。
『あのね、あたし……頑張るね!お父さんみたいな演奏者に、絶対絶対なるから!』
「あぁ、見ているよ……いつでも、傍で……」
あたしにそう返した後、お父さんは少し苦しそうに呼吸をし始めた。
それを感じ取ったお母さんが、あたしの手の上からお父さんの手を握る。
「朽葉さん…?」
「杏香、柚子……苦労をかけるね、すまない……けど僕は本当に…」
『お父さんっ…!』
「杏香さ……」
あたしの手の中で、お父さんの手の温度が下がっていった。
しゅんっと雪が溶けるみたいに、一瞬にして。
『いやっ……いや!お父さんっ!!待ってよ、まだ…!』
「柚子、」
『だってお母さんっ……』
厳かにあたしの名前を呼んだお母さんを見上げると、全てを受け入れたように瞼を閉じていた。
お母さんは、お父さんが死んじゃったのに哀しくないの?
何でそんなに冷静でいられるの?
全部全部信じられなくなって、あたしは病室を飛び出した。
「柚子…!」
フルートと楽譜だけ入ったカバンを抱え込んで、足がもつれそうになるくらい走った。
空は、夕焼けの一歩手前のピンク色だった。
あの太陽はまた地平線から戻ってくるのに、お父さんは………
『何で……何でっ…』
あんな音色を生み出す人は、お父さんの他にいないんだよ?
神様、どうして連れて行っちゃったの?
『うっ……ひぐっ……ふぇっ…』
涙は、絶えなかった。
---
-----
--------------
無理だと思った。
朽葉さんが安らかに最期を迎えたことは、杏香さんから聞いた。
もちろんショックも受けたけど、同時に柚子さんのことに思考がいった。
---「聴いて欲しいんだ。他でもない綱吉君……君に。」
母さんは、あと1週間もすれば退院できるそうだ。
その間に柚子さんが病院に来てフルートを練習するなんて……絶対に無理だと思った。
間違いなく柚子さんは俺以上にショックを受けているワケであって、それをすぐ乗り越えて明るい曲を練習?
あり得ない、人間の心理を考えれば不可能だ。
けど、俺のその考えは早くも覆された。
「おいツナ、見ろ。」
「何だよ………!?」
「あれ、柚子じゃねーのか?」
陽光を反射する色素の薄い髪……
黒くて細長い楽器ケース……
「(柚子さん…)」
母さんの病室の窓から見える場所だった。
「母さん、少しだけ窓開けていい?」
「換気でもするの?いいわよ。」
「ありがとう。」
10センチくらい窓を開けて、耳をすませる。
蝉の鳴き声の中から、高い管楽器音が響いてきた。
「………やっぱり…」
「あら、フルートかしら?」
素人の俺が聞いてもわかるくらい、音がぶれていて酷い。
弾いている曲はこないだと同じ『ラデツキー行進曲』っぽかったけど、とても他の奏者と合わせられる音色じゃなかった。
「酷ぇな。」
「……そうだな…」
言葉ではリボーンの感想に賛同してたけど、俺は何故かそれが悔しかった。
無理だと分かってる。
父親が亡くなった直後の精神状態で、明るい曲なんてモノにできるワケないんだ。
なのに俺は、柚子さんがあの音色を聴かせてくれないことに、もどかしさを感じていた。
あの日、俺が初めて聴いた、柚子さんの透き通った音色……。
翌日も、同じだった。
その音を聴くだけで、柚子さんの唇が哀しみで震えているのが分かった。
明るい曲は、涙を流していた。
「何で、やめないんだろーな…」
「朽葉の娘だからだろ。」
「…関係無いだろ、それ。」
「あの姿は…朽葉からお前へのメッセージなんじゃねーのか?ツナ。」
「俺への…?」
朽葉さんが俺に、何を伝えようっていうんだ?
しかも、俺のことを知らない柚子さんを通して。
考えたけど分からなくて、結局1日中不安定な演奏を聴いていた。
---
-------
「……また来たんだ、柚子さん…」
「そーだな。」
リボーンはそれが当然であるかのように返す。
けれど音は、昨日や一昨日と変わらない。
不格好で聴くに堪えない、震えた声のような…
「…俺、行ってくる。」
「話しかけんのか?」
「だって無理だろ!?これ以上練習すんのは柚子さんにとっても良くない!」
母さんが眠っているのを確認して、病室を飛び出した。
走って走って、柚子さんがいる病院の中庭…大きな木陰を作る木の下へ。
「暑……」
容赦なく照りつける真夏の日光を背に、額の汗を拭う。
柚子さんは、道から逸れた窪地の広場に立っていた。
来てから思ったけど…何を言おう。
いきなり「酷い音だ」とは言えないしな……
「何でココで練習してるのか」とか無難な質問かな…。
悩む俺に気付くことなく、柚子さんはふと演奏を止めた。
『…やっぱりつらいよ、お父さん。』
小さく零れる独り言。
そうだよ、諦めた方がいい。
世の中にはどうにもならないことだってあるんだから。
ここで1曲こなせなかったとしても、柚子さんならきっと大丈夫だ。
元気になれば、またあの心地良い音を取り戻せるハズだから。
『明るい音、出せない……あたしの心が、移っちゃうみたい…』
泣きそうな声が、俺の胸を締め付ける。
彼女に、何て声をかけたらいいのか。
どうやって諦めさせればいいのか、分からない。
と、その時。
少し強い風が押し寄せた。
柚子さんの髪と、傍にあるたくさんの木の枝を揺らして。
乱れる髪を整えながら、彼女は俺の影に気付いたようだった。
ふっと後ろを向いて、目を細める。
俺が声をかけようとした瞬間、細められていた瞳が、みるみる丸く広がっていき……
『……ありがとう…』
「え…?」
驚くほど柔らかく笑って、浮かべていた涙をグッと拭った。
そして、持っていたフルートを唇に寄せて……
風が収まり始めた中、柚子さんは吹いた。
閉じた瞼の隙間からは、溜まっていた涙がほろほろと。
けれど俺が驚かされたのは、そんな光景にじゃなくて。
「(この音……!)」
昨日まで塞ぎ込んでいたのが、嘘のように心地良く空気を震わせる。
それが俺の耳に、頭に、心臓に、ダイレクトに響いた。
そこに、悲哀は無かった。
憂いも、苦痛も、寂寞も。
行進曲に相応しい明るい音が、俺の全身を震わせる。
『歩け』と、背中を押されるような感覚さえ湧き起こった。
「(何だ……何だよコレ…!)」
こんな音を出せる彼女に、俺は諦めることを勧めようとしてたのか?
情けなさと恥ずかしさが込み上げて、逃げ出した。
それでも柚子さんは、音を途切れさせなかった。
語るような、諭すような、愛おしい音色だった…。
俺が戻って来るのを待っていたかのように、リボーンが問う。
「分かったか?」
「リボーン………俺…、」
「柚子は乗り越えたぞ。今度はお前の番だ、ツナ。朽葉に言われたこと、思いだしてみやがれ。」
「言われたこと…?」
---「君の若さで諦めは良くない。ぶつかって、挫折するくらいがちょうどいい。」
柚子さんにもそう教えていると、朽葉さんは言っていた。
だから柚子さんは、つらいことをたくさん我慢していつも笑顔で……
今回だってそうだ。
最大の苦しみを乗り越えて、俺の背中を押すように……。
「何だよ……俺にどうしろってんだよ…!?」
「分かってんだろ?心の奥では。」
「俺はっ…母さんに怪我させたんだぞ!?身近な人間を守れない俺にボスなんて…」
「忘れろとは言ってねぇ、軽視しろともな。乗り越えろっつってんだ。同じことが2度と起きねぇように、守れるように、強くなれっつってんだ。」
そう言われた後は、リボーンに何も返せなかった。
頭の中がごちゃごちゃで、何も分からない。
いや、分かるんだ。
俺は………目を向けるべきなんだ。
過去の失敗に、今の状況に、
そして…未来のあるべき姿に。
「1回躓いたぐらいで凹んでんじゃねーぞ、ダメツナが。」
「………言わせておけば……容赦なくズカズカ言うんじゃねーよ。」
リボーンに言い返した瞬間、色んなモンが吹っ切れた。
そうだ、うじうじ考えるのは性に合わない。
窓の外を見て、未だ練習を続ける柚子さんを見る。
その音は、風のように空気に染み込んでいくものになっていた。
「…落ち着くな、この音。」
「何だ、惚れたか?」
普通のことのように尋ねたリボーンを見て、俺は数秒固まった。
惚れた?俺が?
何に?
この音に?
それとも……
---『……ありがとう…』
「…わかんねぇ。」
リボーンから目を逸らして、窓の外へと視線を落とす。
風に揺れる彼女の髪が、きらきらと光った。
---
------
-------------
それから、柚子さんの音は日毎に良くなり、母さんのリハビリも順調に進んであっという間に退院が許された。
例によって期末で赤点を取っていた俺は、最後の夏季補習を終えてから病院に向かった。
背中には、母さんの退院を待ち望んでいたランボとイーピンを背負って。
獄寺君と山本も付き添ってくれて、リボーンは山本の肩に乗ってる。
「(あれ…?)」
病院に入って中庭を通り、一番奥の病棟に行こうとした俺は、ふと気付いた。
柚子さんが、フルートを握りしめたままいつもの木を見上げている。
「どした?ツナ。」
「何かありましたか?」
「あ、うん……」
『明日ね、発表会なんだ。』
柚子さんは、木に向かって話しかける。
いや……
まるでその木に、朽葉さんへの伝言をするかのように。
盗み聞きするつもりもなかったのに、俺は立ち止まってしまった。
『もう、逃げないからね。あたし……ちゃんと約束守るからね。』
後ろ姿しか見てなかったのに、彼女の笑顔を見た気がした。
ピンと張られた背筋は、彼女の強さを物語っていた。
それは、敵を倒すとかじゃなくて……
もっと大切な、心の強さ。
「諦めは良くない、か…」
「10代目?」
「ツナ?」
「何でもない、行こう。」
母さんの病室へと足を進める。
後ろでは、柚子さんがパタパタ走り去っていく音がした。
“逃げてても始まらない”……
それが、朽葉さんから俺へのメッセージ…
そして彼女は、その意志を引き継いだ俺の………
ボスッ、
「…って、急に乗るなよリボーン。」
「おめーがボサッとしてるからだぞ。考え事か?」
「いや……太陽、眩しいなって思ってさ。」
忘れないようにと、胸の奥に刻み込んだ。
牧之原柚子という、その名前を。
---
------
-------------
「俺の話はこれで終わり……って、何泣いてんだよ柚子、」
『ツナさん、だったんですか…?』
自分がどうなっても、練習だけは怠るなと言われたあたしは、あの木の下でフルートを吹いた。
けど、フルートに触れる度に悲しみに襲われてどうしようもなくて。
そんな時、ふと後ろを向いた瞬間に見えた人影。
逆光で、ちゃんとした表情は見えなかった。
けど、あたしの音を聴いてくれてる気がした。
『あの時、誰だか分からなかったけど……嬉しかったんです。ツナさんがそこに居てくれたから…あたし、聴いてる人の為に吹こうって決めて…』
いつか出会えたら、お礼を言いたかった。
顔も知らない人だけど、出会えたらって。
『だから……ありがとうございました、ツナさん。』
するとツナさんは、急にふっと笑みをこぼして。
「何だかなー、礼を言おうと思ってたのは俺の方なんだけど。」
『えっ?あ、どうぞ!』
「まいっか。」
『え!?まさかのお礼無しですか!?』
「冗談だよ。ありがとな、柚子。俺が今こうしていられるのは、柚子のおかげ。」
諦めないことを教えてくれたから、
背中を押してくれたから、
そう言ってツナさんはあたしの右手にキスを落とした。
心臓の音が、またうるさくなった。
テンダネス
感謝の気持ちが急激に、強い愛情に変わってく
continue...
胃の機能はほぼ停止して、点滴で栄養摂取をしていたことも。
けど、お父さんは一言も弱音を漏らさなかった。
悲しそうな顔もしなかった。
だからあたしも……マイナス感情を隠し続けてた。
『お父さんっ…お父さんっ……』
「朽葉さん、しっかりして…!」
「はは……すまないね……どうやら…限界みたいだ……」
治らないのも知ってる。
いつか逝ってしまうことも。
だけど、待って。
もう少しだけ、待って。
神様お願い、お父さんを連れていかないで。
必死に握りしめたお父さんの手は、普段よりずっと冷たかった。
握り返す力も、無に等しい。
泣きそうになるあたしの頭を撫でながら、お母さんが尋ねた。
「朽葉さん、痛みは無い…?」
「あぁ……どちらかと言うと…心地いいよ…」
『うそ!』
「柚子!?」
『絶対絶対そんなの嘘だよ!!何で心地いいなんて言うの!?あたしっ…』
「柚子、」
あたしの言葉を遮ったお父さんの瞳は、いつもより穏やかだった。
何で?どうしてそんな顔するの?
もうすぐ居なくなっちゃうんでしょう?
あたし、もう二度とお父さんにフルート教えてもらえないんだよね?
一番好きな音、聞けなくなっちゃうんだよね?
「ごめんな、柚子…」
力無い笑みが、苦しい。
ますます泣きそうになるあたしに、お父さんは言った。
「確かに僕は、もう戻れない……もちろん、それはとてもとても哀しい。」
『……うん…』
「僕はもっと柚子の音を聴きたかった……杏香の手料理が食べたかった……家族3人での世界旅行、夢だったなぁ…」
悔むように、けれど穏やかさは失わないままお父さんは目を細める。
そして、あたしの方を向いて。
「頼みが、あるんだ…」
『頼み…?』
「無理な願いかも知れないが………笑っておくれ…今だけでいい……」
あたしとお母さんは、驚きながら顔を見合わせた。
だって、こんな状況でそんなこと……
戸惑うあたしに対して、お母さんはふぅと一息吐いた。
「しょうがない人ね、本当に……」
「頼むよ杏香。」
お父さんとお母さんの顔を交互に見る。
数秒目を閉じたお母さんは、綺麗に綺麗に微笑んだ。
「朽葉さん、あなたに出会えて私……本当に幸せよ。」
「杏香…僕もだよ……本当にありがとう…」
お母さんはゆっくりと思い出を口にしていく。
2人が出会ったコンサートの日、
ハネムーンは何処へ行ったか、
あたしが生まれた時のこと……
そして最後に、あたしに振った。
「柚子も、楽しい思い出いっぱいあったでしょう?」
『…でもっ……』
笑うなんて、今のあたしには……
心の中で反発しながら、お母さんに言われた通り楽しい思い出を掘り返した。
たくさんたくさん、あたしはお父さんに“音”を貰った。
それはただの空気の震えなんかじゃなくて、ちゃんとした……“言葉”。
---「頑張ろうな。いっぱい練習して、1番素敵な奏者になった姿、お父さんに見せておくれ。」
---『うんっ!柚子、頑張る!1番素敵になるーっ!!』
あの日の気持ちは、変わらない。
お父さんの音がみんなに忘れられないように、あたしも音を言葉に出来るように。
『あのね、あたし……頑張るね!お父さんみたいな演奏者に、絶対絶対なるから!』
「あぁ、見ているよ……いつでも、傍で……」
あたしにそう返した後、お父さんは少し苦しそうに呼吸をし始めた。
それを感じ取ったお母さんが、あたしの手の上からお父さんの手を握る。
「朽葉さん…?」
「杏香、柚子……苦労をかけるね、すまない……けど僕は本当に…」
『お父さんっ…!』
「杏香さ……」
あたしの手の中で、お父さんの手の温度が下がっていった。
しゅんっと雪が溶けるみたいに、一瞬にして。
『いやっ……いや!お父さんっ!!待ってよ、まだ…!』
「柚子、」
『だってお母さんっ……』
厳かにあたしの名前を呼んだお母さんを見上げると、全てを受け入れたように瞼を閉じていた。
お母さんは、お父さんが死んじゃったのに哀しくないの?
何でそんなに冷静でいられるの?
全部全部信じられなくなって、あたしは病室を飛び出した。
「柚子…!」
フルートと楽譜だけ入ったカバンを抱え込んで、足がもつれそうになるくらい走った。
空は、夕焼けの一歩手前のピンク色だった。
あの太陽はまた地平線から戻ってくるのに、お父さんは………
『何で……何でっ…』
あんな音色を生み出す人は、お父さんの他にいないんだよ?
神様、どうして連れて行っちゃったの?
『うっ……ひぐっ……ふぇっ…』
涙は、絶えなかった。
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無理だと思った。
朽葉さんが安らかに最期を迎えたことは、杏香さんから聞いた。
もちろんショックも受けたけど、同時に柚子さんのことに思考がいった。
---「聴いて欲しいんだ。他でもない綱吉君……君に。」
母さんは、あと1週間もすれば退院できるそうだ。
その間に柚子さんが病院に来てフルートを練習するなんて……絶対に無理だと思った。
間違いなく柚子さんは俺以上にショックを受けているワケであって、それをすぐ乗り越えて明るい曲を練習?
あり得ない、人間の心理を考えれば不可能だ。
けど、俺のその考えは早くも覆された。
「おいツナ、見ろ。」
「何だよ………!?」
「あれ、柚子じゃねーのか?」
陽光を反射する色素の薄い髪……
黒くて細長い楽器ケース……
「(柚子さん…)」
母さんの病室の窓から見える場所だった。
「母さん、少しだけ窓開けていい?」
「換気でもするの?いいわよ。」
「ありがとう。」
10センチくらい窓を開けて、耳をすませる。
蝉の鳴き声の中から、高い管楽器音が響いてきた。
「………やっぱり…」
「あら、フルートかしら?」
素人の俺が聞いてもわかるくらい、音がぶれていて酷い。
弾いている曲はこないだと同じ『ラデツキー行進曲』っぽかったけど、とても他の奏者と合わせられる音色じゃなかった。
「酷ぇな。」
「……そうだな…」
言葉ではリボーンの感想に賛同してたけど、俺は何故かそれが悔しかった。
無理だと分かってる。
父親が亡くなった直後の精神状態で、明るい曲なんてモノにできるワケないんだ。
なのに俺は、柚子さんがあの音色を聴かせてくれないことに、もどかしさを感じていた。
あの日、俺が初めて聴いた、柚子さんの透き通った音色……。
翌日も、同じだった。
その音を聴くだけで、柚子さんの唇が哀しみで震えているのが分かった。
明るい曲は、涙を流していた。
「何で、やめないんだろーな…」
「朽葉の娘だからだろ。」
「…関係無いだろ、それ。」
「あの姿は…朽葉からお前へのメッセージなんじゃねーのか?ツナ。」
「俺への…?」
朽葉さんが俺に、何を伝えようっていうんだ?
しかも、俺のことを知らない柚子さんを通して。
考えたけど分からなくて、結局1日中不安定な演奏を聴いていた。
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「……また来たんだ、柚子さん…」
「そーだな。」
リボーンはそれが当然であるかのように返す。
けれど音は、昨日や一昨日と変わらない。
不格好で聴くに堪えない、震えた声のような…
「…俺、行ってくる。」
「話しかけんのか?」
「だって無理だろ!?これ以上練習すんのは柚子さんにとっても良くない!」
母さんが眠っているのを確認して、病室を飛び出した。
走って走って、柚子さんがいる病院の中庭…大きな木陰を作る木の下へ。
「暑……」
容赦なく照りつける真夏の日光を背に、額の汗を拭う。
柚子さんは、道から逸れた窪地の広場に立っていた。
来てから思ったけど…何を言おう。
いきなり「酷い音だ」とは言えないしな……
「何でココで練習してるのか」とか無難な質問かな…。
悩む俺に気付くことなく、柚子さんはふと演奏を止めた。
『…やっぱりつらいよ、お父さん。』
小さく零れる独り言。
そうだよ、諦めた方がいい。
世の中にはどうにもならないことだってあるんだから。
ここで1曲こなせなかったとしても、柚子さんならきっと大丈夫だ。
元気になれば、またあの心地良い音を取り戻せるハズだから。
『明るい音、出せない……あたしの心が、移っちゃうみたい…』
泣きそうな声が、俺の胸を締め付ける。
彼女に、何て声をかけたらいいのか。
どうやって諦めさせればいいのか、分からない。
と、その時。
少し強い風が押し寄せた。
柚子さんの髪と、傍にあるたくさんの木の枝を揺らして。
乱れる髪を整えながら、彼女は俺の影に気付いたようだった。
ふっと後ろを向いて、目を細める。
俺が声をかけようとした瞬間、細められていた瞳が、みるみる丸く広がっていき……
『……ありがとう…』
「え…?」
驚くほど柔らかく笑って、浮かべていた涙をグッと拭った。
そして、持っていたフルートを唇に寄せて……
風が収まり始めた中、柚子さんは吹いた。
閉じた瞼の隙間からは、溜まっていた涙がほろほろと。
けれど俺が驚かされたのは、そんな光景にじゃなくて。
「(この音……!)」
昨日まで塞ぎ込んでいたのが、嘘のように心地良く空気を震わせる。
それが俺の耳に、頭に、心臓に、ダイレクトに響いた。
そこに、悲哀は無かった。
憂いも、苦痛も、寂寞も。
行進曲に相応しい明るい音が、俺の全身を震わせる。
『歩け』と、背中を押されるような感覚さえ湧き起こった。
「(何だ……何だよコレ…!)」
こんな音を出せる彼女に、俺は諦めることを勧めようとしてたのか?
情けなさと恥ずかしさが込み上げて、逃げ出した。
それでも柚子さんは、音を途切れさせなかった。
語るような、諭すような、愛おしい音色だった…。
俺が戻って来るのを待っていたかのように、リボーンが問う。
「分かったか?」
「リボーン………俺…、」
「柚子は乗り越えたぞ。今度はお前の番だ、ツナ。朽葉に言われたこと、思いだしてみやがれ。」
「言われたこと…?」
---「君の若さで諦めは良くない。ぶつかって、挫折するくらいがちょうどいい。」
柚子さんにもそう教えていると、朽葉さんは言っていた。
だから柚子さんは、つらいことをたくさん我慢していつも笑顔で……
今回だってそうだ。
最大の苦しみを乗り越えて、俺の背中を押すように……。
「何だよ……俺にどうしろってんだよ…!?」
「分かってんだろ?心の奥では。」
「俺はっ…母さんに怪我させたんだぞ!?身近な人間を守れない俺にボスなんて…」
「忘れろとは言ってねぇ、軽視しろともな。乗り越えろっつってんだ。同じことが2度と起きねぇように、守れるように、強くなれっつってんだ。」
そう言われた後は、リボーンに何も返せなかった。
頭の中がごちゃごちゃで、何も分からない。
いや、分かるんだ。
俺は………目を向けるべきなんだ。
過去の失敗に、今の状況に、
そして…未来のあるべき姿に。
「1回躓いたぐらいで凹んでんじゃねーぞ、ダメツナが。」
「………言わせておけば……容赦なくズカズカ言うんじゃねーよ。」
リボーンに言い返した瞬間、色んなモンが吹っ切れた。
そうだ、うじうじ考えるのは性に合わない。
窓の外を見て、未だ練習を続ける柚子さんを見る。
その音は、風のように空気に染み込んでいくものになっていた。
「…落ち着くな、この音。」
「何だ、惚れたか?」
普通のことのように尋ねたリボーンを見て、俺は数秒固まった。
惚れた?俺が?
何に?
この音に?
それとも……
---『……ありがとう…』
「…わかんねぇ。」
リボーンから目を逸らして、窓の外へと視線を落とす。
風に揺れる彼女の髪が、きらきらと光った。
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それから、柚子さんの音は日毎に良くなり、母さんのリハビリも順調に進んであっという間に退院が許された。
例によって期末で赤点を取っていた俺は、最後の夏季補習を終えてから病院に向かった。
背中には、母さんの退院を待ち望んでいたランボとイーピンを背負って。
獄寺君と山本も付き添ってくれて、リボーンは山本の肩に乗ってる。
「(あれ…?)」
病院に入って中庭を通り、一番奥の病棟に行こうとした俺は、ふと気付いた。
柚子さんが、フルートを握りしめたままいつもの木を見上げている。
「どした?ツナ。」
「何かありましたか?」
「あ、うん……」
『明日ね、発表会なんだ。』
柚子さんは、木に向かって話しかける。
いや……
まるでその木に、朽葉さんへの伝言をするかのように。
盗み聞きするつもりもなかったのに、俺は立ち止まってしまった。
『もう、逃げないからね。あたし……ちゃんと約束守るからね。』
後ろ姿しか見てなかったのに、彼女の笑顔を見た気がした。
ピンと張られた背筋は、彼女の強さを物語っていた。
それは、敵を倒すとかじゃなくて……
もっと大切な、心の強さ。
「諦めは良くない、か…」
「10代目?」
「ツナ?」
「何でもない、行こう。」
母さんの病室へと足を進める。
後ろでは、柚子さんがパタパタ走り去っていく音がした。
“逃げてても始まらない”……
それが、朽葉さんから俺へのメッセージ…
そして彼女は、その意志を引き継いだ俺の………
ボスッ、
「…って、急に乗るなよリボーン。」
「おめーがボサッとしてるからだぞ。考え事か?」
「いや……太陽、眩しいなって思ってさ。」
忘れないようにと、胸の奥に刻み込んだ。
牧之原柚子という、その名前を。
---
------
-------------
「俺の話はこれで終わり……って、何泣いてんだよ柚子、」
『ツナさん、だったんですか…?』
自分がどうなっても、練習だけは怠るなと言われたあたしは、あの木の下でフルートを吹いた。
けど、フルートに触れる度に悲しみに襲われてどうしようもなくて。
そんな時、ふと後ろを向いた瞬間に見えた人影。
逆光で、ちゃんとした表情は見えなかった。
けど、あたしの音を聴いてくれてる気がした。
『あの時、誰だか分からなかったけど……嬉しかったんです。ツナさんがそこに居てくれたから…あたし、聴いてる人の為に吹こうって決めて…』
いつか出会えたら、お礼を言いたかった。
顔も知らない人だけど、出会えたらって。
『だから……ありがとうございました、ツナさん。』
するとツナさんは、急にふっと笑みをこぼして。
「何だかなー、礼を言おうと思ってたのは俺の方なんだけど。」
『えっ?あ、どうぞ!』
「まいっか。」
『え!?まさかのお礼無しですか!?』
「冗談だよ。ありがとな、柚子。俺が今こうしていられるのは、柚子のおかげ。」
諦めないことを教えてくれたから、
背中を押してくれたから、
そう言ってツナさんはあたしの右手にキスを落とした。
心臓の音が、またうるさくなった。
テンダネス
感謝の気持ちが急激に、強い愛情に変わってく
continue...