毒を喰らわば、
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「まずい、ヒナギクの奴らが保管庫を爆破しやがった。会敵まであと六、五……」
四怨の絶望的な宣告に、辛三と七悪の足が止まる。このまま前へ進んでも目的のものはもう粉塵になっているだろうし、くらげを背負ったままでは満足に戦うことも難しい。引き返す他ないが、背後には倒してもキリがない賞金稼ぎたちが迫って来ている。
「七悪、ここは俺が食い止めるから先に」
「流石の辛三兄ちゃんでも無茶だよ!」
「二、一……来たぞ!」
前からも、後ろからもくらげを狙う手が伸びてくる。なんとか辛三が捌いているが、残弾的にも長くは持ちそうにない。
「無理にでも突破して、二刃姉ちゃんや嫌五兄ちゃんと合流できれば……」
雨のように降り注ぐ銃弾や刃を凌ぎながら、突破口を探す七悪の背中を小さな手が叩いた。
「わたしを、降ろして」
「何言って」
「もう、じゅうぶんです。じゅうぶん、いただきましたから」
くらげの中の、一番古い記憶を彼女は思い返す。実験の合間、実験室を抜け出して初めて研究所の中庭に出たときの記憶。
日差しのあたたかさ、風の涼しさ、草の柔らかさ、地面の硬さを感じていたくらげの傍に、小鳥が降り立った。小鳥はくらげを恐れることなく彼女に近寄り、包帯で覆われた手の平に飛び乗った。
くらげは、初めて目にする小鳥の可愛らしさと、初めて触れるその温もりに感動し、小鳥をそっと手で包み込む。その時間はたった十秒にも満たなかった。が、くらげが次に手を開いたときには、小鳥は死んでいた。包帯の下に包まれていた実験の痕から、彼女の血が滲んでいたのだ。
冷たくなった小鳥を抱いて、彼女は理解した。自分は、あたたかくて柔らかいものに手を伸ばしてはならないのだと。それに触れたいと願うことすら許されないのだと。
「あのひとたちの目的は、私なのでしょう? なら、私のことは置いて行ってください。私は、生まれてきてはいけなかったんだ」
「生まれてきちゃいけない生命なんて、あるはずないよ。生まれてきたことが罪だなんて、生きてることが罰だなんて、そんなことあって良いはずがない」
大きな背中が少し揺れる。七悪が自分のために涙を流してくれていることに気付いたくらげは、目を細めた。
見ず知らずの自分の怪我を心配してくれた六美の優しさが、兄の命を奪おうとした自分の命を哀れんでくれた七悪の優しさが、くらげには目が潰れそうなほど眩しかった。
それだけで、もう十分だった。
七悪の背を、くらげは持ちうる力を捻り出して突き飛ばす。宙に投げ出された全身で浮遊感を感じながら、ろくでもない走馬灯を流し見る。
身体が床に叩き付けられれば、傷口が開けば、殺されるまでもなく死ねるだろう。死ぬことができたなら、もうこの身体を利用されることもない。やっと、地獄から抜け出せる。これ以上幸せなことがあるだろうか。これが、私に望める最大の幸福に違いない。
そうに違いないのに。
「あぁ、わたしも、あんな風に────」
自身の性能発表会という最悪な会場で見た、仲睦まじい兄妹たちの姿を最期に彼女は脳裏に浮かべてしまった。
「────っ!」
七悪と辛三の鼓膜に、珍しく六美の慌てた声が突き抜ける。
と、同時。くらげの身体が床に接触するまで残り一センチのところで、何かワイヤーのようなものに吊り上げられた。
「俺の愛しい弟たちを泣かせるな」
シュルシュルという音と共に、身体が上昇する感覚。高くなったくらげの目線の先には、この場にいるはずがない人物が立っていた。
「兄ちゃん!!」
「あ、なた……は……」
くらげ本人を含め、彼女を狙っていたスパイたちも、賞金稼ぎも、研究所職員も、全員が突如現れた凶一郎の鋼蜘蛛に捕らわれ、指先ひとつ動かせなくなっていた。
革靴の底を鳴らし、黒手袋の上からはめられた金色の指輪を外しながら、凶一郎が一歩、また一歩とくらげの元に近付く。それを、くらげは幽霊でも見るような目で見ていた。
自分の毒を浴びて、まだ死んでいないどころか、立って歩いているなんて。信じられなかった。
腕を投げ出した形で捕らえられたくらげの指先まで距離を詰めた凶一郎が足を止める。
────殺される。くらげはそう直感した。恐怖よりも希望が勝っていた死より冷たく、恐ろしい。恐怖が黒衣を纏って現れたような凶一郎を前にして、呼吸が乱れる。目を背けたいのに、自身を見下ろす糸目から目が離せない。
浅く、早く繰り返す呼吸が、彼女の小さな胸に火薬と血とベルガモットの香りを運ぶ。
「生まれ変わったら、お前は何がしたい?」
凶一郎のしなやかな指が、くらげの細い左手首を掴む。
冥土の土産に未練を聞き届ける死神のような、凶一郎の問いかけにくらげは音もなくはくはくと口を数度開閉させた。
それでもなんとか、一度大きく息を吸うと、今度こそ彼女の口から声が出た。
「わ、たしは……あたたかい、陽だまりのような場所で、眠ってみたい」
ささやかな願いが口をついて出た瞬間、大粒の涙が目尻から溢れ、頬を伝い顎先から床へとこぼれ落ちた。
〝死にたくない〟という、くらげにとっては罪深い願いが涙と共に床に小さな小さな水溜まりを作った。
「そうか」
そう、凶一郎は何の色も、温度も感じさせない、心底興味のなさそうな返事をする。そして、ふたつに分かたれた金色の片割れを躊躇いもせずくらげの薬指にはめた。
そこで少女の意識は途絶えた。
四怨の絶望的な宣告に、辛三と七悪の足が止まる。このまま前へ進んでも目的のものはもう粉塵になっているだろうし、くらげを背負ったままでは満足に戦うことも難しい。引き返す他ないが、背後には倒してもキリがない賞金稼ぎたちが迫って来ている。
「七悪、ここは俺が食い止めるから先に」
「流石の辛三兄ちゃんでも無茶だよ!」
「二、一……来たぞ!」
前からも、後ろからもくらげを狙う手が伸びてくる。なんとか辛三が捌いているが、残弾的にも長くは持ちそうにない。
「無理にでも突破して、二刃姉ちゃんや嫌五兄ちゃんと合流できれば……」
雨のように降り注ぐ銃弾や刃を凌ぎながら、突破口を探す七悪の背中を小さな手が叩いた。
「わたしを、降ろして」
「何言って」
「もう、じゅうぶんです。じゅうぶん、いただきましたから」
くらげの中の、一番古い記憶を彼女は思い返す。実験の合間、実験室を抜け出して初めて研究所の中庭に出たときの記憶。
日差しのあたたかさ、風の涼しさ、草の柔らかさ、地面の硬さを感じていたくらげの傍に、小鳥が降り立った。小鳥はくらげを恐れることなく彼女に近寄り、包帯で覆われた手の平に飛び乗った。
くらげは、初めて目にする小鳥の可愛らしさと、初めて触れるその温もりに感動し、小鳥をそっと手で包み込む。その時間はたった十秒にも満たなかった。が、くらげが次に手を開いたときには、小鳥は死んでいた。包帯の下に包まれていた実験の痕から、彼女の血が滲んでいたのだ。
冷たくなった小鳥を抱いて、彼女は理解した。自分は、あたたかくて柔らかいものに手を伸ばしてはならないのだと。それに触れたいと願うことすら許されないのだと。
「あのひとたちの目的は、私なのでしょう? なら、私のことは置いて行ってください。私は、生まれてきてはいけなかったんだ」
「生まれてきちゃいけない生命なんて、あるはずないよ。生まれてきたことが罪だなんて、生きてることが罰だなんて、そんなことあって良いはずがない」
大きな背中が少し揺れる。七悪が自分のために涙を流してくれていることに気付いたくらげは、目を細めた。
見ず知らずの自分の怪我を心配してくれた六美の優しさが、兄の命を奪おうとした自分の命を哀れんでくれた七悪の優しさが、くらげには目が潰れそうなほど眩しかった。
それだけで、もう十分だった。
七悪の背を、くらげは持ちうる力を捻り出して突き飛ばす。宙に投げ出された全身で浮遊感を感じながら、ろくでもない走馬灯を流し見る。
身体が床に叩き付けられれば、傷口が開けば、殺されるまでもなく死ねるだろう。死ぬことができたなら、もうこの身体を利用されることもない。やっと、地獄から抜け出せる。これ以上幸せなことがあるだろうか。これが、私に望める最大の幸福に違いない。
そうに違いないのに。
「あぁ、わたしも、あんな風に────」
自身の性能発表会という最悪な会場で見た、仲睦まじい兄妹たちの姿を最期に彼女は脳裏に浮かべてしまった。
「────っ!」
七悪と辛三の鼓膜に、珍しく六美の慌てた声が突き抜ける。
と、同時。くらげの身体が床に接触するまで残り一センチのところで、何かワイヤーのようなものに吊り上げられた。
「俺の愛しい弟たちを泣かせるな」
シュルシュルという音と共に、身体が上昇する感覚。高くなったくらげの目線の先には、この場にいるはずがない人物が立っていた。
「兄ちゃん!!」
「あ、なた……は……」
くらげ本人を含め、彼女を狙っていたスパイたちも、賞金稼ぎも、研究所職員も、全員が突如現れた凶一郎の鋼蜘蛛に捕らわれ、指先ひとつ動かせなくなっていた。
革靴の底を鳴らし、黒手袋の上からはめられた金色の指輪を外しながら、凶一郎が一歩、また一歩とくらげの元に近付く。それを、くらげは幽霊でも見るような目で見ていた。
自分の毒を浴びて、まだ死んでいないどころか、立って歩いているなんて。信じられなかった。
腕を投げ出した形で捕らえられたくらげの指先まで距離を詰めた凶一郎が足を止める。
────殺される。くらげはそう直感した。恐怖よりも希望が勝っていた死より冷たく、恐ろしい。恐怖が黒衣を纏って現れたような凶一郎を前にして、呼吸が乱れる。目を背けたいのに、自身を見下ろす糸目から目が離せない。
浅く、早く繰り返す呼吸が、彼女の小さな胸に火薬と血とベルガモットの香りを運ぶ。
「生まれ変わったら、お前は何がしたい?」
凶一郎のしなやかな指が、くらげの細い左手首を掴む。
冥土の土産に未練を聞き届ける死神のような、凶一郎の問いかけにくらげは音もなくはくはくと口を数度開閉させた。
それでもなんとか、一度大きく息を吸うと、今度こそ彼女の口から声が出た。
「わ、たしは……あたたかい、陽だまりのような場所で、眠ってみたい」
ささやかな願いが口をついて出た瞬間、大粒の涙が目尻から溢れ、頬を伝い顎先から床へとこぼれ落ちた。
〝死にたくない〟という、くらげにとっては罪深い願いが涙と共に床に小さな小さな水溜まりを作った。
「そうか」
そう、凶一郎は何の色も、温度も感じさせない、心底興味のなさそうな返事をする。そして、ふたつに分かたれた金色の片割れを躊躇いもせずくらげの薬指にはめた。
そこで少女の意識は途絶えた。
