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元最強の同僚

数学準備室へと質問しに来たその生徒に受け答えをしながら、そんなことを思い出していた。

「そういえばさ、七海先生ってやっぱり数学の先生だからこれ解けるの?」

生徒の手にあったのは、見たことのある・・・いや、昔懐かしい本だった。

「それはどこで手に入れたのですか?」
「大学院のお兄ちゃんが持っててさ。でも本開いてビックリ。まず何かいているのかわからないの」
「・・・確かに高校数学では難しいでしょうね。しかし、それは絶版になったはずなのですが、どうやって君のお兄さんはそれを手に入れたんでしょう」
「なんか大学の研究室に大事に保管されてるんだって。研究で使うからって特別に貸してもらえた、って言ってたけど・・・」
「・・・それはもしかして○○大学ですか?」
「そうだけど・・・」
「なら納得です。○○大学は私や五条先生の卒業大学。その本は数学教授と五条さんが二人で書いたものですよ。プライバシーの関係上、五条先生の名前は伏せられていますが」
「え、マジ?!五条先生って社会なの?数学なの?」
「根っからの社会科専修でしたよ。まあ数学教授が舌を巻くほどの数学的知識も持ち合わせていましたが」

すっげえええええ、と感動している生徒を見て、ふと昔のことを思い出す。

『五条さんはどうして、数学の道に進まなかったんですか?それも教師なんて・・・』

純粋な疑問だった。
たった20歳そこらの青年が、大学の数学教授に勝るほどの閃きを持っている。
それなのに、彼が目指すのは社会科の教師。
もっと他の道はあるだろうに、と思わずにはいられなかった。

『んー僕さ、人間としてさ終わってるんだよね』
『はい?』
『例えば、人にこの数学の問題がわからないから教えて、って聞かれるとするじゃん?でも僕にはそれを説明できない。だって答えは一つ、それしかないんだもん。解説して、って言われるけど僕の話を聞く時間があったら、調べもの二つでも三つでもして有意義な時間を過ごせよ、って思っちゃうんだよね。その分、社会科は面白いよー?だって人間が関連してるからね。答えは複数、しかも複雑だ。僕としては日本の言い伝えとかがいいね。地域性とか、その時代の背景とかで答えが変わっちゃうんだから。しかも複数が正解。こんなに面白い学びはないと思ったね』
『なら、なぜこの本を?』
『んーなんでだろうね。自分でもわかんないや。でもどこかで捨てきれなかったんじゃないかな。足掻いても足掻いてもドツボにはまってしまって正解がわからない黒い闇、地獄・・・それに魅力がなかったとは言い切れないね』

・・・随分と特殊な言い方をすると思ったものだ。
なんだ『黒い闇』とは。
『地獄』などとそんな絶望に満ちた単語を、数学の難問を解くことに使うのか。
しかし、私にはその地獄を五条さん自ら望んでいる姿にしか見えなかった。
どこか遠くを見つめ、縛られている自分を見つめて逃げ出さず、むしろ突き進むほどの狂気。
自ら使命を決めつけるなど不器用な人だ。
わざわざ孤独を選ぶなど狂気じみているものだ。
それでもあの人は頂点に君臨する。
そこが自分の居場所だというように、五条さんはその席から離れない。
それがどこか寂しく感じられた。

「・・・あの人を信用しているし信頼している。でも尊敬はしない。それでも、私はあの人の味方であり続けたい」

今でも鮮明に思い出せる、あの人と初めて会った日のこと。
私と灰原が、ガン見してくるあの人に会釈してーーーー


あの人は無邪気に笑ったのだ。
それは迷子の子供が親を見つけたときの安堵の表情にも似ていて。
私と灰原はなぜか五条さんを独りにしてはいけない、と感じた。
死に急ぐあの人に、どうか最大の幸せを。
私には願うことしかできないのだから。


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