軌跡
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「ウェッ、……!ッ」
手で口を押えながら、胃の中身が出てこないように、押し込む。しょっぱいような、酸っぱいような、甘いような苦いような、形容しがたい味が口の中に広がった。嗚呼、気持ち悪い
荒々しい呼吸を繰り返すと、だいぶ落ち着いた。ふーっとゆっくり息を吐く。ふと顔を上げると、いつもと違う人が立っていた
……あれ?──可笑しいなぁ
その見張りの人は、嗚咽を漏らしていた私をまるで気持ち悪い人を見て「うわ」と引いている女子高生みたいな顔をした
「罪人と口を聞いたらどうなるんだ?」
「ばっかお前、そりゃ死罪に決まってるだろ。そんなことも知らないのか」
ジャラリ、と音を立てて手に付けられた鎖が伸びる。不意に聞こえた見張り達の会話に、私の中で全ての合点がいった
どうしてなんだ。どうして
あの人は、遠回しに忠告してくれていたんだ
あの人は悪くない。悪くないのに。
──あの少し豪華な食事以来、ばかみたいに私はゲーゲー吐いた。いわゆる、毒が入っていたのだ。ようやく落ち着いてきたのだが
ふと、昨日のことを思い出す。「無理して食べなくていい」と、見張りの人は言ってくれた。……あ、そういうことかぁ
だからあの見張りの人は……。
そう考えると悔しくて、悔しくて。次あったら、ありがとう、と何としてでも言いたかったのに
「なぁお前、なんで何にも言わねーの?」
『……』
「さっくり本当のこと話ちゃえば楽になるんだぜ?」
『あの、』
「お?」
『……見張りの人、なんで変わったんですか』
「!」
声が震えていた。
いや、声だけじゃない。体も震えていた
俺ことシャルルカンにとっての、この間者への印象は、まさに「何を考えてるか分からないやつ」だった
ジャーファルさんに頼まれて、ちょうどお昼頃例の少女のところへ俺は来た。本音を言うと、もう尋問しても意味がないと思っている。だって、何も言わないからだ
今までもそうだった
質問したことに返しはするが、それも信じがたいことばかりを口にする
例えば俺らが「どうやって部屋に入ったか?」と聞けば「目が覚めたらもうその部屋だった」と答える。「部屋に来る前は何をしていたか」と聞けば、「階段を上っていて、足を滑らせて落ちた」と
そんなもんだからいつまでも出れないんだと言ったとき、少女は遠くを見つめて「……ほんとなんです」とだけ言った
クロシロはっきりしない
こんな間者初めてである。そして言ってしまえば、とてもスパイに向いている──だった
そう、思っていた
しかし今日初めて彼女は自分から、声をかけてきた
その声色には、怒りが含まれている
『見張りの人、なんで変わったんですか……』
彼女は気付いていた。見張りの隊長が、……いないことに。そしてその原因が、自分であることに
「見張り、なんてしょっちゅう変わるもん──」
『……わたしのせいですか』
「!!!」
ポタポタポタと、床にシミを作っていく少女に、心底驚く。たかが見張りに、なぜ──
ジャラリと音を立てて、少女は立ち上がり、初めて歩き出す。しかし足枷がその進路を阻んだ。俺に、つかみかかろうとしているのか、それでも柵に向かってくる。じゃら、じゃら、じゃらと鎖を引きずりながら。そして勢いよく彼女は体制を崩した。がしゃんと痛そうな音が広がり、思わず手を伸ばしそうになる
『あの人はわるくないんです、わたしのせいなんです。わたしがいるから、わたしがここにいるから、なにもしてません、見張りの人、なにもしてないんです、どんな罰でも、わたしがうけます、だから、だからっ』
「………」
目の前の光景に、動けなくなってしまった。
敵陣の見張りに、感情移入しすぎである。ボロボロと泣いて、見張りの無実を口にする少女。あの、遠い目をしていたあの目から、何もしゃべらなかったあの口から、
『一度だけ会わせてください、おねがい、します、おねがいします、』
深々と、頭を下げる彼女に。
チクリ、と何かが胸を刺した。これじゃあ、俺らが悪者みたいじゃないか、と思ってしまう自分がいた
「……それはできないことだ。うたちゃん」
『な、なで、そな、』
絶望的な顔をした彼女に、しっかり届くように、一言ずつ慎重に言葉を紡いだ
「"───"」
『…………ぇ?』
「……ジャーファルさん」
「……」
「なんか俺たち、間違ってないっすか……?あんな必死こいて、自分の無実よりも他人の無実を話すやつがいますか?
どんな罰だってうける?今まで聞かれたこと以上に答えなかったのに?自分のことを何もかも諦めてたくせに、あんなに必死になってまで?」
「……それでも侵入者には変わりありません」
「そうだけどよ……、このやり方はあまりにも一方的じゃないですか。やるにしても度が過ぎてます、ヤムライハがくるまでの間監禁だけでよかったんじゃないっすか?」
「ッ」
「ジャーファルさん、本当に何者なんすか、あの子」
そんなのこちらが聞きたい、と閉じられた口からは聞こえた
「あいつの話、もっと真剣に聞くべきです。……ジャーファルさんだってそう思ったんですよね。だからあの場に出てこなかった。誘導尋問には打って付けのチャンスにもかかわらず……違いますか」
「……ならどうすればよいのですか。私は、どうすればよかったのでしょう、シャルルカン。あまりにも不自然すぎるこの状況を、なんとかしなければいけない。彼女がスパイだという可能性だって否定できない。忘れたのですか、彼女の得体は何一つ証明できていないことを」
「ッ…………」
打つ手なし
まさにその状況だった。信じたいけど、信じる術を彼らは持ってなかった。と、同時に彼らの経験値がそう安易に信頼を築けるものではなかった
お互いに沈黙になり、地面を見つめはじめる。その静寂の間に、一枚扉の向こうからは、彼女の泣き声だけが聞こえた。声を押し殺していたが、その行為は意味をなしていなかった。苦しそうに、時々嗚咽を漏らしながら、彼女は泣き崩れた
「"切腹した"」
その一言を聞いて
その場に立ち尽くしてしまったシャルルカンはもちろん、扉の前で立ち聞きをしていたジャーファルも、思いもしなかったことに、ひどく混乱した
その姿は、人に雇われただけで殺しができるような冷酷な人間には見えず、ただの小さな、小さな少女だった
fin