星合いの二人、願いを込めて
衛はうさぎと出会うまでこの日が心底嫌いだった。
6歳の誕生日に両親を無くして以来、イベントのほとんどが嫌いだったが特に七夕が嫌いだった。
年に一度短冊に願いを書いて笹の葉に吊るすなんて何て軽率なイベントなんだとはしゃいでいる周りの人達を子供ながらにバカにしていた。
何故なら衛の本当の願い事は叶えられない物ばかりで、現実味のないものだからだ。
“両親に会いたい”
“失われた記憶が戻ってきて欲しい”
“本当の自分を知りたい”
“夢の中の女性の正体を知りたい”
それでも小学生の時は周りに促され、短冊を書いて吊るしたりもしたがやはりどれも叶わなかった。
所詮はただの言い伝えで気休めでしかないのだと蔑んだ。
しかも七夕の日は梅雨真っ只中で天気は悪くて、雨降り待った無し!
ただでさえ記憶をなくし、モノクロでつまらない人生を送っているのに、その上雨続きと来れば憂鬱でしかない。
そんな時期にこんな悲しい物語の伝説になぞらえたイベントをやるなんてどうかしていると思った。
それにしても天帝は意地悪だと衛は思っていた。
年に一度2人が会う日を7月7日に設定するなんて人が悪い。
しかも2人を隔てる天の川もこの時期は雨季で増水する事もしばしばらしい。増水しては天の川を渡れない。
会えないようにする為にわざとこの日に会う事を設定したんだろうと天帝の意地の悪さに呆れた。
何としても会えないようにしている様な気がして嫌気がさした。
ここまで深くは考えていなかったにしても、愛し合う夫婦を引き裂く上に一年に1度だけしか合わせないとは正気の沙汰じゃない。
そりゃあ仕事もせずずっと一緒にいる2人にも非はあるが……。
そんな会いたくても会えるかどうか毎年分からないこの日に願い事をしても効果なんてあるわけがないだろうと衛は考えていた。
こんな天気の悪い日にわざわざする行事では無い。
雨で鬱陶しい時期にする意味が分からないし、楽しめる気分でもないだろう。
こういう時期だからこそ気分が上がる様に藁をも掴む思いでやっているのかもしれない。要するに気の持ちようって奴だ。
だったら短冊に書く願いも各々の願望や夢では無く“雨が降らず、織姫と彦星が無事に会えますように”とか“晴れますように”だろうと思ってしまう。
結局人間ってのは自分勝手な生き物。2人が会うよう設定された日に託けてワイワイ騒ぐだけで七夕伝説に思いを馳せようとはしない。矛盾した話だと思った。
呑気にこのイベントを楽しむ人達を低俗だと思いながらも自分自身も私利私欲に走り、周りに合わせて自身の願望をちゃっかり短冊に書いて吊るしている自分の愚かな行動にも嫌気がさす。
結局は衛自身も自分の願いが叶う事を期待していたのかもしれない。所詮は普通の人間と言う事かと衛は心の中で自分自身を罵倒する。
ずっとこんな感じで七夕を心の底から楽しめず一生を終えていくのだろうと衛は高校生になるまで思っていた。
しかし突然その考えは“幻の銀水晶”探しを本格的にする中で一変する事になった。