水野家SS


『馴れ初め』


「はぁ〜……」

大学の近くのいつもの公園の中にある噴水前に腰掛けて、冴子は盛大に溜息をつき落ち込んでいた。
医者になりたい。その一心で頑張り志望校に合格。通い始めて一年近く経った。
講義には何とか着いて行けている。寧ろ余裕だった。勉強は得意だし楽しい。充実している。着実に夢に向かって一歩づつ近づいていってる実感がする。日進月歩。
そんな冴子だが、ただ一つだけどうしても苦手なものがあった。

「何このヘッタクソな絵は……」

秀才と周りに言われ、尊敬されていた冴子だが、唯一、絵だけは苦手なのだ。絵心がない。自他ともに認める絵の下手さだった。
同じゼミの友人達にも“残念だ”と言われていた。

「絵だけは、ダメなのよねぇ……」

勉強一筋で絵を描くことなんてして来なかった冴子は愚痴る。
大事なのは勉強のみ。そう思っていたが、大学に入り、ゼミを受けて衝撃が走った。
レポートで絵を描かなければならないと知る。心臓やその他内臓。人体を知るためにも描いて覚える必要があるらしい。
出来ればそんなものは回避したい方向。だったが、必須なので逃げられない。毎回、泣きそうになりながら絵を描いていた。

「どうしよう……」

絵を描いたクロッキー帳を眺めながら、己の下手くそな絵に意気消沈する。
描かなければ上手くはならない。そんな事は分かっている。勉強もやらなければ身につかないのと同じだ。
理解はしていても苦手なものに時間を費やしたくないとわがままな事を思ってしまう。
八方塞がりになっていたその時だった。

「ニャー」

どこからとも無く猫の鳴く声がして、冴子はクロッキー帳から顔を上げて周りを見渡した。
少し距離はあったものの気持ち良さそうに日向ぼっこをしている三毛猫を発見する。

「猫ちゃん、じっとしててね」

実は無類の猫好きの冴子。撫でたくて近づこうと試みる。
そーっと、そーっと近づいていくと、気配がしたのか猫は驚いてその場から華麗に去ってしまった。

「あっ!」

どうしても触りたかった冴子は、猫の後を追いかけた。
公園を出たところでじっとしていた先程の三毛猫を発見する。今度こそと静かに猫に近づいていく。
猫に近づいたところで、男の人が座っているのを初めて目に映る。その男の人に先程先程な三毛猫は撫でられていた。飼い主だろうか?相当関係性が築かれているそれに、冴子は羨ましく思った。
入り込めない空気に目を逸らすと、その先にあったのは一枚の風景画が置いてあった。

「うわぁ〜、すっごぉ〜い」

思わず感嘆の声が漏れる。兎に角絵が上手い。絵心がない冴子だが、心を掴まれた。

「え?」
「あ、ごめんなさい。上手いから、つい大声出してしまって。これ、あなたの絵?」

大きな声に驚いた三毛猫は、今度こそその場を脱兎のごとく走ってその場を去って行ってしまった。
残念と思うと同時に、関心はもうこの絵を描いた男性に移っていた。

「ああ、ありがとう。褒めてくれて」
「絵のことは素人でさっぱり分からないけれど、あなたの絵、暖かくて好きよ」

冴子は率直な感想を男性に述べる。

「そんな事言われたの、君が初めてだよ」
「そうなの?美大生?」

そう言えばここは自身が通う大学の他に美術大学があった事を思い出す。

「ああ、そうなんだ。いつもここで絵を描いている」
「いつも?じゃあ、今の猫ちゃんもここの公園の常連さん?」
「ははは」
「?何がおかしいの?」
「ああ、ごめん。猫に常連さんって言うもんだから、つい。そう、ここの野良猫さ。君は?」
「私は今日、初めて来たの。猫ちゃんを追ったら貴方に出会ったわ」

冴子は、この青年にこの公園に来た訳と、青年に会うまでの経緯を端的に話して聞かせた。

「私、冴子。あなたの名は?」
「俺は水野。これが君の絵?」
「……うん」

下手な絵に凹んでいたことを話すと見たいと言われ、恥ずかしさを押し殺して恥を忍んで美大生である青年に見せることになった。

「あはは、こりゃー酷いな」
「あー、笑った!人が気にしてるのに、酷い!」
「ごめん、ごめん」

これが冴子と水野の最初の出会いとなった。
猫が繋いでくれた縁。運命の出会いだった。
冴子は、これをきっかけにこの公園に通い、絵の描き方をレクチャーしてもらう事になり仲を深め、やがて恋人となり結婚。
そして亜美が産まれ、何もかも合わず別れるに至る。




おわり

20240222 猫の日

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