未来ゾイマキュ、ゾイ亜美SSログ


「ちょっと!何してんだよ?」

不意に彼女に視線を移すと、目に飛んでもない光景が飛び込んできた。
重く分厚い本を数冊手に持って動いていた。日常茶飯事と言えばそれまでだけど、今の彼女はそうも言ってられない身体だ。
驚いている僕を他所に、肝心要の彼女は“何が?”と言った様子で、こちらがおかしい様な顔をしている。心外だ。

「本を運んでるんだけど?」

見たら分かるでしょ?と言いたげに何でもない風に言ってのける。
確かに見れば分かる。変な質問なのも分かっている。ただ、それ以上にいつもと変わらない彼女のこの行動こそ異常なのだ。
それは何故かと言うとーーー。

「貴女、今自分がどう言い身体か分かってる?自分一人の身体じゃないって忘れてない?」

そう、僕が過剰に驚いている理由は今、彼女が妊娠しているから。妊婦であり、妊娠は丁度八ヶ月。お腹はすっかり大きくなり、誰が見ても妊娠中の妊婦さん。
それなのに、本人自身がそれを忘れているのか何なのか……取り敢えず妊婦らしからぬ行動を取っているからこちらが気を使い、頭が痛い。

「分かっているわ。妊娠してても運動は大切だから、こうして動いているのよ」

爽やかに答える彼女に、思わず大きなため息が出る。
確かに運動は大切。けれど、彼女の場合の運動は何故か広辞苑や六法全書程の分厚い書物数冊を持ち歩くと言う考えられないストイックな運動方法。
慣れているとはいえ、身重でその行動はこちらがハラハラするからやめて欲しい。
お腹の中の子が潰れないか心配だ。
勿論、彼女自身にも何かあったら彼女を取り巻く人達に申し訳が立たない。

「それは運動とは言わないよ。言ってくれたら僕がするから。本じゃなくてパソコンで充分でしょ?」

文明は発達するもので、僕達が学生時代には考えられない程進化した。
パソコンで広辞苑も六法全書も全ページ見られるし、持ち歩ける。コンパクトな時代が到来していた。
それなのに彼女は強情にもまだ紙ベースの本を好んで読んでいた。

「貸して」

彼女の手から分厚い書物を半ば無理矢理取り上げて、机まで運んであげた。
ありがとうと言いながらも、紙ベースの良さを熱弁して来た。本を捲ったり、この重さがホッとするんだとか。……まぁ、分からなくはないけど、妊娠中に重いものを運ぶのは賛成出来兼ねる。

「それに、この匂い。何だか落ち着くのよね」

あんたは本から生まれてきたんか?とツッコミたいのを押さえつつ、何を読もうと思っていたのか?本のタイトルをざっと目に入れる。

「やっぱり医学書が多いな……」

医師として働いているから当然と言えばそれまでだが、それだけじゃないからタチが悪い。
妊娠中の彼女が読んでいる医学書の殆どは、産婦人科系や出産に関することばかり。今日も今日とてその本ばかり。
そして、その中の一つに僕は更に頭を抱える事になった。

「水中出産、まだ諦めてなかったのか……?」
「ええ、どうしてもトライしてみたいの」

妊娠発覚して暫くしてから最初に相談を受けたのが“水中出産”だった。
名前を聞いた事はあったが、実際やる人がいるなど考えもしてなかった。それなのに、まさか自分の妻がやりたいと言い出すとは思いもしなかった。
いや、彼女は水の戦士。水泳が得意とあれば、自然とその考えに至るのだろう。
ただ、未知の世界。僕も色々調べて、初産は普通分娩のが良い。2人目が出来た時に考えようと説得した。
しかし、医者である彼女に丸め込まれ、保留となっていた。

「母体も赤ちゃんも心配。立ち会いたいのに、水中じゃあな……」
「デメリットもそりゃああるけど、メリットも多いわ。それに、それは普通分娩も同じよ」

心配してデメリットばかり言っているとそう彼女に説得し返される。
戦士として、死と隣り合わせの日々。そして、医師として確かな実績と自信。それに加え、母としての覚悟と自覚。
どれをとっても彼女のが一枚上手だった。

「もう、好きにしなさい」

これだけ熱心に調べているんだ。強情で芯の強い彼女にはもう何を言っても折れないだろう。
産むのは彼女だし、彼女の好きな様にさせてやるのが良き夫の在り方か?と折れることにした。

「ありがとう、貴方」

先程の本を捲りながら、こちらに顔を向けて笑顔で感謝して来た。この笑顔は反則だと思う。
妊娠、そして出産。そんな経験は男である自分には出来ない縁のないもの。どんなものかは計り知れない。

「無理のない程度でね」

男である自分は無力。短いエールを送るしか無かった。

「ええ、感謝しているわ」

そう短く返すと彼女は、“水中出産”の為の勉強を妊婦として、そして医師として、両方の観点から勉強する事に没頭した。
そんな彼女の為に夫として出来ることは限られている。もどかしい気持ちを持ちながら、彼女の為に暖かいハーブティーを出してあげた。
そして、僕も立ち会う心構えをする為に、彼女の横で、彼女程ではないけれど“水中出産”の勉強を一緒にして、気持ちを一つにしようと彼女に寄り添った。




おわり
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