風林火山



美奈子は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
目の前に広がる光景に声も出ず、ただただ無口に動けずにいた。

「何よこれ、聞いてない!」

同じく隣でたっている公斗に顔を向け、睨みながらやっとの思いで言い放った。

「山だが?」
「……見ればわかるわよ!馬鹿にしてんの?」

ったくもう!と美奈子は怒り狂う。
怒っている理由は馬鹿にされたからでは無い。そこはもうどうでもいい事だった。
美奈子的にそれを上回る程に腹立たしい理由があった。それは、デートに登山と言うコースを選んでおいて、事前に報告がなかったこと。
そもそもデートに登山とは、何とも色気がない。しかも真夏のこの暑さである。一番汗をかくし、運動量も半端では無い。
体力はある方だ。しかし、この暑さで十分体力は削られている。そこに登山。
女の子とのデートに登山を選ぶと何事なのだろうか。誰かと間違えているのではないかと疑いもかけるが、ちゃんと分かっていてやっているのは明白。だからこそ余計に美奈子をイラつかせた。

「不服か?鍛えられるぞ!」
「いや、鍛えたかないのよ!」

いつ鍛えたいって言ったんだと睨みつける。公斗は涼しい顔を崩さない。余計腹立たしさに拍車がかかる。

「事前に動きやすい格好して来いと伝えていただろう」

伝えられた。聞いた。だから美奈子が思う動きやすい格好にスニーカーで待ち合わせ場所へと赴いた。そこまではいい。
いただけないのはここから先だ。ただ“動きやすい格好”とだけ伝えられ、何をするかまでは伝えられずに当日を、この日を迎えた。
で、今正にその元凶である山がそびえ立っていた。まぁまぁの高さの山に、登る前から心が折れかけていた。
と言うか、この山や周りの景色には美奈子も見覚えがあり、記憶があった。

「って言うか、M山じゃないのよ、ここ」

そう、この山はM山。レイの別荘がある山だ。

「ああ、そうだ。ちゃんと許可は貰っている」
「そう、レイちゃんも知ってたってわけね」

レイも人が悪い。公斗から事前に相談を受けていながら一言も言わない。セキュリティの硬さに思わず美奈子は感心した。
いや、レイは公斗同様無口だ。必要最低限しか喋らない。無駄口は叩かない。情報漏洩とは一番遠い所にいるのがレイと言う人だ。

「嫌なら止めるか?」
「え?」

ここまで連れて来といてそれはないんじゃないと心とは裏腹にそんな事を考えてしまった。
負けず嫌いのスポーツ万能がここに来て疼いてしまい、ここまで来といて踵を返して帰るなんてプライドが許さなかった。

「嫌なら止めるが、頂上まで行ったらご褒美が用意してある」
「ご褒美って?」

ご褒美と聞き、美奈子は目を輝かせ始めた。
公斗の癖に粋なことをするなと心の中で思いながらも結局何も無いと言うオチになる事を想像してガッカリしない為に欲張らないようにしようと心がけた。

「美奈子の好きなお菓子を色々用意してもらっている」
「ん?貰っている?とは?」
「まことさんと勇人の奴が事前に入山しているぞ」
「って事はまこちゃんの手作り!?やったーーー!!!」

現金な奴である。まことの手作りのお菓子にありつけると聞いた美奈子は目の色を変え、張り切った。

「何してんのよ、公斗?行くよ!」

張り切って歩き出した美奈子に対して、その勢いに押されて今度は公斗が呆然と立ち尽くしていた。
そんな公斗に笑顔を向け、自身の手を公斗の手を握り、引っ張った。

「ったく、お前はいつも勢い任せだな」
「何言ってんのよ!山を見つめてどれだけ時間を無駄にしたと思ってんの?お菓子が美味しくなくなっちゃうわ」

こうなりゃヤケクソで食い気である。
元々色気とは無縁なデートコース。開き直って目的を果たしたい。
どんな理由であれ、やる気になった美奈子を見て公斗は嬉しく思った。どうやら上手くやる気を引き起こせたことに成功したと安堵した。
用意周到に手を回していて踊らされている感は否めないし、美奈子の事を分かっていて計算され尽くされたところに乗った感はあるが、修行も出来てお菓子も食べられる。こんな一石二鳥なことは無いと美奈子は公斗の計画に乗ってやった。
ただ、まことは良いが、勇人が余計だ。真夏の登山で暑くなったところにあの図体を見ると余計体温が上昇しそうだ。せめて亜美と来て欲しかったと心の中で美奈子は嘆きながら登山を開始した。

「ところで何で急に登山なの?」
「お前を鍛え直す必要があると感じたからな」
「はぁ?余計なお世話なんですけど!」

登山開始と共に会話を再開した二人。
そう言えば登山にした理由を知らない。
この機会に聞いておかないと登山の意味が無さそうだと思った。
が、すぐに後悔へと変わる。まさかの鍛え直し。衰えたつもりは無い。でも公斗から見ればそれはまだまだだったと言う事なのだろうか。悔しさに怒りが再び込み上げた。

「お前、よくドジ踏んで転けるだろう。足腰が鍛えられてない証拠だ」
「んなっ!ドジは生まれつきだもん!」

何故恋人にこんな事を告白しなければならないんだと屈辱的な気分だった。

「戦士をしてる時も運動にも支障はないから!」
「本当か?」
「信じてないわね?」
「ああ、あれだけ転けていればな」
「……あんた、私をドジっ子だと思ってるでしょ?」
「違うのか?」
「ちが、わないけど……運動神経は抜群だもん」
「負け惜しみだな」

必死に言い訳を繰り返し、何とか負かそうとするも虚しく空を描いた。

「まぁ、一般的な人よりはずば抜けて運動神経はいいのは認めてやらんでもないな」
「もう、素直じゃないわね!」

嫌味を言わないと死ぬ病気にでもかかっているのかと思うほど、嫌味のオンパレードだ。

「やはり前世に守護戦士リーダーであったことが大きいのだろうな」
「だと思うわ。やっと褒めたわね」
「だが、その代償にドジっ子になったと言うのは悲しいところだな」
「やっぱり嫌味言ってきた。私は大きくも小さくも無いわよ!」
「何を訳の分からんことを言っている?大小では無く、代償だ!」

ダイショウ違いだと言いながら、日本語の弱い美奈子の手のひらに代償の漢字を書きながら意味を説明してやった。

「日本語も儘ならんとは。頭の悪さまで極まって……はぁーー!」
「そんな大きなため息、つかなくてもいいじゃないのよ!別に戦士に頭の良さはいらないし、私は求められてないし。それは亜美ちゃんの役割だから」
「そうだな。人にはそれぞれ得意と適材適所がある」
「……」

嫌味を言われながら、登山を続けていると段々きつくなって来た。
口を開けば嫌味なことしか言わないこともあり、会話は自然と少なくなり、なくなっていった。
頂上に登る頃には二人とも息も荒く、無口になっていた。




つづく(笑)

20240812 山の日


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