この頃はまだ知らない
ジェダレイ編
たまにバスに乗ると、決まって制服姿の女の子が乗ってきた。
黒髪を腰まで伸ばした女の子。顔は子供なのに可愛いと言うより美人系で。高貴な顔立ちをしているその子は、美しい外見にピッタリな落ち着いた大人っぽい雰囲気を纏った子だなと感じていた。
「今日も会えるかな?」
和永がバスに乗っているのは、習字の稽古に向かうためだった。
母から字が汚いと言う理由で半ば強制的に習わされ、嫌々通っていて、バスに乗ると言う行為がそれと直結し、いつも憂鬱になっていた。
しかし、ある時にその子が現れてからと言うもの、バスに乗ることが楽しくなった。乗ってくるバス停で必ずその女の子を探す様になっていた。
それが和永の日課になり、嫌いな習字の稽古の支えとなった。彼女の見た目の様な綺麗な字が書きたいと思う様にもなった。
ただ、遠くで見ているだけで、声をかける勇気はこの時の和永には持ち合わせていなくて。和永は知っていても、彼女は和永を認識しているかは分からない。きっと、知らないだろう。それでも構わないと和永は思った。
彼女はただの憧れの君。きっと手は届かない。
声をかける勇気は無い。けれど、後悔のないように行動してみようと和永は立ち上がった。
ある日、和永は稽古のない日にいつもの時間帯のバスに乗った。案の定、また彼女が乗ってきた。
いつもは彼女が降りる前で降りていたから彼女がどこのバス停で降りるのか和永は知らなかった。
でも、今回は彼女について行こうと決めていた。
すると、彼女は仙台坂上で下車。和永は慌てて後を追う。彼女の後ろを追いかけて行くと、神社に入っていった。
「火川神社?神頼みでもするのかな?」
疑問に思いながら惹き込まれる様に神社の中へと入って行く。広い境内を見回すが、そこにその子の姿は無かった。
「あれ?あの子は……?」
参拝客では無かったのか?疑問に思っていると頭上からカァカァとカラスの鳴き声が鳴り響いた。顔を上げると二羽のカラスが和永の周りを飛び回っている。
「何だよ、このカラス」
追い払おうとしたその時だった。
「フォボスとディモスに乱暴しないで!」
声の方向に顔を向けると、そこにはいつもの制服では無く、巫女服に身を包んだ彼女がいた。綺麗な顔立ちに似つかわしく無い怒り顔を露わにしてこちらに敵意を向けてくる。
「ご、誤解だよ」
思わぬ展開にテンパって慌てふためく和永。実質、これが初顔合わせの初会話。この女の子にしてみれば、和永の第一印象は最悪だ。
それを瞬時に理解した和永は、何とか名誉挽回がしたかった。
「あら、あなた……どこかで」
和永が頭の中で考えを巡らせていると、彼女の口から意外な言葉が発せられた。認識されていないと思っていたが、もしかしたら……
「バスで時々一緒になってたんだ」
「ああ」
チャンスだと思った和永は、前のめりで答えると、その子は納得した。やはり、認識されていたのだ。
「僕、和永。よろしく」
飛び切りの笑顔で名乗ると、彼女の手を握る。その子は目に見えて戸惑っていた。
「君の名は?」
「わ、私はレイよ」
それから興奮し過ぎてレイとどんな会話をしたのか。どうやって帰ったのかさえ記憶は飛んでいた。
その日を境に、レイはバス乗車の時間を変え、和永は字が上達したと言う理由で習字は辞めてしまい、それっきりに疎遠になってしまった。
次に二人が会ったのはそれから四年後。またしてもバスの中でだった。
おわり