11:元気でな
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「落合恵の逃がしたな? あれでいいのか?」
その夜、勝又の部屋でコート掛けに留まるフクロウは、恵をわざと逃がすように華音を焚きつけた勝又に対し、落ち着いた口調で声をかけたが、本人が答えずとも目的は理解していた。
「ああ。全ては“アクロ心臓”を手に入れるためだ」
「華音は落合恵が邪魔になり、逃げる手引きをする。そして、広瀬がそれを追う…。全ては勝又(キミ)の計画どおりに進んでる、というわけか」
「落合恵(彼女)の身になにかあったら…、広瀬君はどうなるかな……」
勝又は読んでいた本を閉じ、冷たく言葉を継ぐ。
「ただ、広瀬君が本当に壊れてしまっては困るけどね。その時には、替わりを探さないといけないし……」
それにフクロウが尋ねる。
「―――北条レンか? ……それとも…、叶太輔か?」
「……とにかく、今は広瀬君の仕上がりが見たい」
勝又はフクロウの問いに答えることなく、閉じた本を目の前のローテーブルに置いてソファーから立ち上がった。
「すまないが…、彼の道案内をしてもらえないかな」
窓際に近づいて上げ下げ窓を開ける勝又に促され、フクロウは大きな羽を広げてその窓から闇夜の空へと飛び立った。
「やれやれ…」と呟き、森の上空を飛び回りながら自身の手足となる動物の体を捜し始めた。
「? ……トリ公?」
廊下を歩いていたレンは、廊下の窓から、どこかへと飛行するフクロウに気付いた。
怪訝な顔を浮かべ、「どこ行くんだ…?」と呟く。
ふと、下を見下ろして違和感を覚えた。
まるで間違い探しの様な違和感だ。
すぐにはっと気づいた。
(華音の車がない…!)
こんな夜更けに外出する理由が思い当たらない。
「…………」
額に汗が浮かぶ。胸騒ぎを覚え、焦燥に駆られるままに廊下を走った。
恵の部屋の前まではすぐだった。
ドアの前に立ってノックしようとしたとき、右足が何かを踏みつける。
足をどけてそれを見たレンは、舌打ちした。
壊れた南京錠である。
錠の一部は焦げ、破裂したように壊れた跡は、明らかに華音の能力によるものだ。
(……恵…、自分で逃げなかったのか…)
ドア付近には、床に散らばるトレーと食器があった。
それを見て、食事を運んできた際、もぬけの殻の部屋を見た広瀬が慌てて恵を追いかけたのだと予測できた。
窓が開け放たれた先の鉄格子には、シーツ同士を結んだロープが括り付けられていた。
レンの理想的な脱出法は試された様子だった。
考える時間も惜しく、レンは数歩後ろに下がって部屋から出て、廊下を一気にダッシュする。
あの時、会議を終えたレンは、これ以上、恵をここに滞在させることに対して一層躊躇いが強くなっていた。
勝又の広瀬に対する目付きが、サナギからチョウへ生まれ変わるのを待つかのような、じっとりとした観察者の目だった。
広瀬のために、恵がいずれ利用されるのではないかと危惧したのだ。
広瀬の、恵に対する執着心は異常であり、恵の存在は広瀬の弱みでもある。
(恵だけは逃がさないと…って思ったのに、すでに遅かったか!?)
今までの罪悪感がまとまって背中に重く圧しかかってくる。
最後まで無事に逃げ切ってくれればいいのだが、逃がした相手が華音ならば話は別だ。
華音は自分が気に入らないものがあれば容赦なく爆破する、基本的に性格は情緒不安定だ。善意で行動するはずがない。
「北条君」
背後からかけられた静かな声に足を止める。
振り返ると、目の前には勝又が腕を組んで立っていた。
その薄笑みに、レンの汗が冷たくなる。
「勝又…さん…」
「こんな夜更けにどこへ行くつもりかな?」
白々しさを感じずにはいられなかったが、今はできるだけ動揺は隠しておきたかった。
「その…、姫のドアが…壊れてたから…。逃げ出したんじゃないかと……」
「キミの望み通りではないのかい?」
すべてを見透かすような目に、息を吞んだ。
掻き乱される感情を抑え、声を震わせて尋ねる。
「…………わざと…、恵を逃がしたんですか?」
「逃がしたのは華音君みたいだね」
「…!!」
流れるような確信的なセリフにレンは思い出した。
会議を終えて部屋から出る前に、肩越しに、勝又と華音が2人きりになったのをレンは目に留めていた。
勝又が華音に何か指示を出したのではないか、と疑念を抱かずにはいられない。
「北条君、なにも心配することはないよ。広瀬君のことも、落合さんのことも、華音君のことも…」
勝又を纏う空気、勝又の口から出る言葉ひとつひとつが不気味なほど穏やかだ。
「すべてうまくいく…。キミはなにも怖がることはない。暗闇も、過去も、父親も、歪な家族も……」
「―――――っ!」
押し入れの奥に入れた、小さな箱の蓋の隙間から、ゴボッ、と音を立て、粘り気のある真っ黒な液体が内側から漏れ出る感覚を覚えた。
『私はお父さんのことが大好きよ。あの人には私がついていないと壊れてしまうの』
記憶の一部だ。
忘れたかった、母の言葉だった。
「やめろ!!」
鋭い声が廊下に響き渡る。
取り繕う余裕はなかった。レンはギロリと勝又を睨む。
勝又は薄笑みを崩さず、じっとレンを見据えた。
その手が動こうとした時、
「レン…」
廊下の奥から声が聞こえ、レンははっとそちらに目を向け、つられて勝又も振り返る。
薄暗い廊下の奥に、頭から足の先までびしょ濡れの由良が突っ立っていた。
レンの喉がヒュッと鳴る。
由良はツナギの袖を腰に巻き、半裸の状態だ。
ポタ…、ポタ…、と水滴を廊下の床に落とし、海岸に打ち上げられたワカメのような髪が由良の顔にかかっていた。ギョロッとした目が髪の隙間から覗く。
レンの顔色は血の気が引いて真っ青だ。言葉を失っている。
「レン…、どうした?」
「おまえがどうした!!?」
さすがにツッコんだ。
由良は露骨に不機嫌な顔で経緯を話す。
「モリヲに、「いい加減臭いから風呂入れ」ってムリヤリ放り込まれて逃げてきた」
「あー…。確かにちょっと野生のにおいがするとは思った…」
そう言いながら、レンは風呂を嫌がる黒犬や黒猫を思い浮かべていた。
先程の緊迫した空気はどこへ行ったのか、想像しただけでおかしさで口元が緩み、勝又の横を通り過ぎて濡れ鼠の由良に近づく。
振り返る勝又はレンの後頭部に手を伸ばそうとして、やめた。
(由良君がいる限り、彼女がここを立ち去ることはない…)
「2人共、今日はもう寝なさい…」
自然な動作で手をズボンのポケットに突っ込み、優しく声をかけて廊下の先を歩く。
由良とレンはその背中を見送った。
「レン、勝っつんとなんかあった?」
「…………。いや、それよりも、そのカッコでうろつくなよ。風邪ひくぞ。あーあ、床までびちゃびちゃじゃねーか。……タオルは?」
「貸してー」
「はぁ…」
大きなため息をつく#dn=1#]。その中には安堵も含まれていた。
恵のことは後ろ髪をひかれるが、闇雲に飛び出したところで何もできない気がした。
そのあと、髪が邪魔そうな由良の手首を引っ張って自室へ連れて行き、ベッドの端に由良を座らせて真っ白なバスタオルを渡した。
「ったく、驚かせるなよ。心臓に悪い奴だな」
「おまえが、離れたところから声かけろって言ったんだろが」
「離れすぎ! 怖すぎ! 距離感測るのヘタクソか!」
文句を言われながら面倒くさそうに嫌々体を拭く由良に、レンは別のタオルを持って由良の背後に立ち、その頭にタオルをのせてガシガシと頭を拭く。こうなるとますますペットを相手にしているようだ。
「頭、全然拭けてねえじゃん」
「痛ててっ。雑に拭くなよ、もっと優しくして」
「甘えんな。日頃からケアしてないおまえの髪質の問題。絶対クシが引っかかるだろ、このワカメ」
「レンの髪はオレと違ってサラサラだよな。枝毛もねーし」
由良の右手が後ろにいるレンの横髪に触れた。
毛先がそっと引っ張られる感覚に、レンの身体はびくりと跳ね、スイッチを入れたドライヤーの熱風を由良のつむじに直接当てる。
「熱ちちちッ!!」
「ちりちりになれ」
由良からは見えなかったが、レンの顔は赤かった。
ドライヤーで無理矢理由良の髪を乾かしながら、レンは考える。
勝又とフクロウはレン達を先導してはいるが、レンからすれば、具体的な事はあえて話さず、こちらの動きを高い場所から観察されているようで気に食わない。
(たとえば…、由良と森尾…、そしてあたしが指示通り動いた挙げ句、敵の返り討ちに遭って死んだとして…、勝又(あの人)が動揺するリアクションが思い浮かばない…)
考えたくはない可能性だった。
集めている人材も、能力者、というだけで年齢・性別・性格もまとまりはないはずなのに、勝又の核心的な指示だけは素直に聞いているような気がした。
自由奔放な性格である由良と華音も、勝又に意見はするが、反抗的ではない。
レンにとって、勝又、フクロウ、広瀬だけが異質に思えた。
このまま、目的に向かってついて行ってもいいのかと悶々と悩み、ドライヤーのスイッチを切って由良に話しかける。
「……由良、あたし達…このままここにいていいのかな…」
「お? なんだよ急に」
上から降る不安げな声に、由良は横目で見た。
「なにをさせられるのか、結局、具体的に言われてないし…。ひょっとしたら…、命に関わるような…、たとえば…、殺し合いとか…」
「弱気になるなよ、レン」
「逆になんでおまえそんな強気なんだよ…。そもそも、由良ってなんで勝又さんについていこうって思ったんだ? 目的だって曖昧だってのに…」
(そうだよ…、なんで……)
勝又との出会いを由良から聞いたことがなかった。
由良はその時のことを思い出したのか、いい笑顔であっさりと答える。
「お菓子あるからついておいでって言われた」
「幼児誘拐犯の常套句じゃねーか!!」
「しっかりしろよ成人男性!!」と呆れ返るしかなかった。
「まあ、心配すんなって。おまえを拾った手前、フォローはしてやる。今更「ここから逃げたい」なんて寂しいこと言ってくれるなよ?」
「……………」
心配するな、という似た言葉は勝又も使っていたが、由良が使うと身を預けてもいいような妙な安心感がある。
「ピリピリすんなって。あとでオレの夜食用にとっておいたドーナツ持ってきてやるから」
「子どもじゃねーぞ…」
「大人でも糖分は大事なんだぜ。レンはどんなドーナツが好きなんだ?」
「……ドーナツってしばらく食べてねえな…」
レンは「そうだなー…」と天井を見上げて考える仕草をしたあと、小さく呟く。
「イチゴ…」
「!」
突然、由良がはっとした顔でレンに振り返った。
勢いがよかったので逆に目を見開いて驚くレン。
「? どうした?」
「今しゃべったの、レンか?」
「え…。なんか言ったっけ?」
「イチゴって…」
「あ? ああ、いいな。イチゴ…」
先程の自分の発言を覚えてないかのような反応だ。
懐かし気に目を細めている。
「……………」
穴が開きそうなほど凝視してくる由良の視線に耐えられず、レンは思わず目を逸らす。
「由良がイチゴ食べたいなら他のでもいいけど…。チョコでもプレーンでも…」
口を尖らせるレンをよそに、由良は、レンといた時の勝又の様子を思い出していた。
レンの頭に触れようとして、途中でその手を引っ込めた勝又を見逃さなかった。
それでも由良は深く考えることはできない。まるで意図的だ。
レンの目に見えない不安も頭で理解はできるが、由良の中で芽生える“危機感”がはっきりと形を成す前に、見えない誰かの手によって摘み取られてしまうのだ。
しかしそれは完全ではなく、ある程度は残る。
由良は静かに思案した。
(レン(こいつ)がたまに描きにくい理由に、関わってるのか? …だとしたら…―――)
.To be continued