00-5:No He does not
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
墓石の周りに生えた雑草を引き抜いたり、墓石を磨いたり、持ってきた花を供え、線香もあげて、そして手を合わせた。
ヒマワリは茎が太くて花立に入らなかったので、風で転がったり飛ばされないように添え直すだけにしておいた。
夕方に吹く風は涼しく、帰りの下り坂の方が楽なはずなのに、あたしと母の足取りは重かった。
あたしの一歩後ろを歩く母は、何度か立ち止まっては振り返る。
対してあたしは一度も丘に振り返らなかった。
わかってるから。
振り返ってもそこに立っているわけではない。
母は、答え合わせを繰り返す。
本当はどこか間違っているのではないか、と。
何度も、何度も。
今、父がいなくてよかった。
いい加減にしろ、と叱っているはずだ。
辺りの住宅も増えて来た。
家ももうすぐだ。
「!」
不意に、背中を軽く押すような風が吹いた。
「あ…」
母の帽子が、ふわりと頭上を通過し、鳥のように向こうの方まで飛んでいく。
肩越しに見ると、母は届くはずのない手を空に伸ばしていた。
「取ってくるから」
あたしは一声かけ、投げられたフリスビーを追いかける犬のように走る。
サンダルだと走りにくい。
足をくじいてはたまらないので注意しながら駆けていき、目は帽子から離さなかった。
くるくると回りながら降下していく帽子。
ようやく地面に落ちるかと思えば、その前に誰かが伸ばした手が帽子をつかまえた。
「…!!」
心臓と足が一瞬止まったのは、ほぼ同時だろう。
「足立…先輩…」
制服姿の足立先輩が、母の帽子を手にこちらに振り返る。
「……………夜戸さん?」
きょとんとした顔でまじまじと見つめられ、あたしだと気づいてくれた。
そっか、普段の制服じゃないから、違和感があったのだろう。
何気に私服を見られたのは初めてだった。
「…夏休みは引きこもりじゃなかったの?」
今度はジト目で見られた。
ふーん…あんな清々しく宣言しておいて遊びに行ってたのか、って言いたげだ。
「墓参りくらい許してくださいよ」
「…ああ、そう言えばお盆か」
誤解が解けたのか、メガネ越しの目元が少し緩んだ。
「先輩は塾ですか?」
「そうだよ。僕は宣言通り」
疲れている様子に見える。
夏休み中、一体どれくらいの頻度で行っているのだろうか。
「それよりこの帽子、君の?」
「あ、ありがとうございます」
手にある帽子の存在を思い出し、こちらに差し出してくれた。
あたしは両手を出して受け取る。
「日々樹(ひびき)…?」
背後から聞こえた言葉に、心臓が嫌な跳ね方をした。
先輩があたしの後ろにいる人物に視線を移す。
「ひびき?」
母がこぼした言葉を拾った。
あたしは振り返る。
母は、日傘を落とし、我が目を疑うかのような顔で先輩を凝視していた。
「母さん…」
坂を下ろうとする日傘を拾い、母に渡した。
その際、「違うから」と耳打つ。
「あ…、あ、ごめんなさい…」
あたしは、先輩から母の顔を隠す位置に立った。
そんな落胆した顔を先輩に見せるわけにはいかない。
「明菜の…」
目くばせをしながら、誤魔化す言葉を探している。
「同じ学校の先輩…」
「……どうも」
先輩が会釈して挨拶した。
母も一度落ち着きを取り戻し、先輩に微笑みを向ける。
「こんにちは、明菜の母です。ごめんなさい、身内に似てたものだから…、迎えに来たのかと…」
ピンチ。
「すみません、先輩。墓参りが終わったら、すぐ戻るように父に言われてるので…」
「夏休みも大変だね…」
呟くようにそう言って「宿題が」と強調して続けられたが、たぶん宿題のこと言ってないだろうな。
「先輩…、2学期もよろしくお願いします…」
「何さ、改まって。僕が嫌な顔しても、よろしくされにくるのは君の方でしょ」
先輩は、困ったような笑みを浮かべた。
もっと話したい。
でも、もう母が限界だ。
あたしは母の手を引いて「それでは…」と先輩と別れる。
何度か肩越しに振り返り、先輩との距離がだいぶ離れてから、ポケットから白いハンカチを出し、日傘で顔を隠している母に渡した。
今年は早い。
無理もないか。
「ぐす…っ。ごめんね…。明菜…」
ハンカチから漏れるほど、涙がこぼれている。
あたしは日傘を預かり、空いてる手で母の手を握りしめた。
うつむいてるから、危なっかしい。
「…うん」
「似てたから…」
「うん…」
「日々樹に…」
「………あたしも…。でも……全然違う…」
初めて先輩を見かけた時、思った。
おでこが見える短髪、大きなメガネ、猫背、曲がったネクタイ。
あの人に似てる、って。
今思えば、共通点が多かっただけだ。
思うだけならよかったのに、目が追いかけてしまった。
何年も。
足立先輩を。
自分勝手な何かが膨らんでしまっていた。
『何してんの』
声を耳にした瞬間、パチン、とシャボン玉のように弾けた。
面白いほどあっさりと。
受け入れてそれで終わりにするはずだった。
先輩に失礼なことをしたから謝って、ただの学生生活に戻るつもりだった。
兄の影を追いかける理由はなくなった。
なのに。
どうして。
あたしは足立先輩を追いかけるの?
もう、あたしの目には、あの人は重ならない。
なんとなく、兄の事を先輩に打ち明けたら、これまでの繋がりが消えるような気がした。
繋がりといっても、蜘蛛の糸ほど細くて儚く脆い。
だけど、壊したくないもの。
「全然違う?」
母はようやく顔を上げた。
あたしは、夕方なのになかなかオレンジ色に染まらない空を見上げて答える。
「日々樹兄さんは、何も、喋ってくれなかった」
最期まで。
.To be continued