04:What is the common sense?
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マンションを出て、坂道を上がって徒歩で30分もかからない場所に、夜戸の父親が経営している夜戸法律事務所があった。
3階建のモダンビルだ。
エレベーターがあったが、運動の為に階段を使って3階まで上がり、大理石の廊下を渡った。
廊下側の窓を見て、小さなため息をつく。
坂の上というのもあり、夜戸と月子が住んでいる5階建ての煉瓦模様のマンションがよく見えるからだ。
マンション3階の中央、玄関側の自分達の部屋を見つけた。
(監視されてるみたい)
窓側じゃないだけマシか、と思った。
父親に指定されたマンションに住んで、もうすぐ2ヶ月くらいだ。
父親がいるだろう、応接室の扉の前に立ち、入ろうとドアノブに手を伸ばした時、
「!」
開ける前に、中にいた人物が飛び出してきた。
ぶつかりそうになったが、相手が先に足を止め、夜戸と顔を見合わせる。
「……華ちゃん?」
青のオーバーオールの下にピンクの長袖シャツを着、頭にはブラウンのターバン風帽子を被り、赤みがかった横髪が出ていた。
首には、愛用のレトロ風な一眼レフカメラがかけられてある。
フリーライターの姉川華だ。
彼女とは足立の事について電話越しで会話したのが最後だった。
愛嬌のある大きな瞳には、涙が浮かんでいた。
「夜戸さん…っ、ウチ……」
夜戸に何か言いたげに口を開いたが、ぐっと唇を噛みしめ、涙を見せないようにうつむいて夜戸を横切り、廊下を走って階段を駆け下りてしまった。
姉川が走って行った方向をしばし見つめていたが、「明菜か?」という声に反応して応接室へと入る。
ガラスのローテーブルの一番奥のオレンジ色のソファーに腰掛けるのは、夜戸の父親―――夜戸影久(かげひさ)だ。
グレーの髪はオールバック、下唇の中心からアゴにかけてヒゲがあり、右頬には刃物で切ったような傷痕があった。
格子柄の黒のスーツを着、ネクタイはネイビーの生地で白のドット柄が入っていた。
顔の傷のせいでその筋の人間に間違えられることもある。
テーブルや床には、写真が散乱していた。
夜戸は床に落ちていた一枚手に取る。
写真には、ホテル街を背景にハデな格好をした女と、腕を組まれた若い男が映っていた。
「…これは?」
夜戸の質問に影久は頭を垂れて大きなため息をつく。
答えるのも億劫そうだ。
「依頼人の浮気現場だそうです」
代わりに答えたのは、影久の隣に立つ弁護士秘書の久遠伊那(くおん いな)だ。
腰まで長いウェーブの茶髪はショッキングピンクのシェル型の髪留めで後ろでまとめられ、グレーのジャケットと膝から上のミニスカート、ジャケットの中はピンクのカッターシャツを着、夜戸は反対に胸元をVの字に開けていた。
近づけば毎回香水の甘い匂いが鼻をくすぐる。
「依頼人の?」
影久は今、離婚事件の弁護を担当していた。
依頼人は、写真にうつる女の方だ。
「私は、クライアントの有利になりそうな写真を撮って来いと言ったんだ。なのに、露骨にこんな写真を…。一体、どういう神経をしてるんだ。旦那の浮気現場ならまだしも、本人を撮ってくるとは」
表情から嫌悪がにじみ出ている。
身を乗り出し、汚いものでも払うように、テーブルにある写真を落とした。
「……………」
写真の裏を見ると、撮影した日付が油性ペンで書かれてあった。
弁護を始めてすぐのようだ。
「依頼人に、自重を促してください。弁護期間中の行為ではないでしょう」
静かに言いながら、夜戸は床に散らばった写真を、しゃがんで一枚一枚拾っていく。
顔を上げると影久はこちらを睨んでいた。
「私に意見する気か」
冷静を装っているが、明らかに怒気が含まれている。
「華ちゃん…、いえ、姉川さんのおかげで弁護がはかどっているのも事実でしょう」
ブレや見切れている写真は一枚もない。
カメラの腕の良さが伝わってくる。
立ち上がり、久遠が持ってきてくれた封筒に入れた。
「勝訴をつかむのは我々の実力だ。そんなもの、おまけにすぎん」
「……………」
「捨てておけ。いや…、燃やした方がいいかもしれん」
「……………」
夜戸は答えなかった。
「お前のお気に入りだかなんだか知らんが、常識をわきまえさせろ」
(常識って何?)
口にはしなかったが、視線は写真に下ろされていた。
「まあまあ、先生…。明菜さんのお友達をそんなふうに…」
久遠は影久の肩に手を置いてなだめる。
影久は久遠を一瞥してから、鼻で笑うように言った。
「友達だと? 明菜…、あの女はお前の友達か?」
夜戸は無表情でゆっくりと頭を横に振る。
「…いいえ。違います…。……私に、友人は必要ありませんから」
その答えは影久の中では正解だったのだろう。
機嫌が少し直ったようで声が軽くなる。
「そうだろうな。友人はいらんが、お前はもう少し人を見る目をつけろ。足元をすくわれるぞ」
「はい」
夜戸の心は冷めていた。
(この人は一体、何に怯えているのか…)
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