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午前2時。
賑やかな時間は過ぎ、捜査本部は、夜戸と足立の2人だけだった。
ほんの数十分前、姉川は月子とツクモも連れて出てしまったところだ。
『月子ちゃんとツクモ、ウチの家に泊まるらしいから、あとはお2人だけでー』
『おやすみぃ、おねーちゃん』
『おやすみっさー』
『待って。聞いてない』
姉川達が耳を貸す様子はなかった。
「気を使わせちゃったね…」
思い出した足立は苦笑する。
自分と足立のコーヒーを淹れた夜戸は、カップを持って席へと移動した。
「…最後かもしれませんから」
そう言って、足立の前にコーヒーカップを置く。
「足立さんの誕生日は、ケーキを食べる口実と、みんなが集まる口実です」
「ここも、なくなっちゃうかもしれないもんね…」
呟いた足立は、淹れたてのコーヒーに口をつけた。
クニウミ計画と共に神剣が消滅した影響だろう。
町を丸ごと覆い尽くすほどのトコヨも、カクリヨも、太陽の光を浴び続ける道端の水たまりのように、日に日に時間をかけて縮小し、そのまま消滅しつつある。
シャドウの気配はすでになくなっていた。
トコヨでツクモが創ったこの捜査本部も、やがて消えてしまうだろう。
トコヨの町へ続く奥の扉もなくなっている。
ツクモは夜戸の家に住むことが決定していた。
月子と一緒にカクリヨを住処としていた夜戸も、現実世界のマンションに家具を増やし始めている。
誰も口にしなかったが、思い出が詰まったこの場所が消えてしまうのは心苦しかった。
「寂しい」なんて言ったら、浮き彫りになりそうだ。
夜戸は目を閉じる。
コーヒーの香りは空間を満たし、床や壁に染みついたみんなの笑い声が聞こえた。
口元が微かに緩む。
心の内にあり、簡単に消えるものではない。
捜査本部は、いつかは消えてしまうのかもしれない。
それでも、と夜戸は願う。
「たとえ消えてしまっても、ここが、あたしにとっても、足立さんにとっても、みんなにとっても、いつか帰る場所であったらいいな」
「いつか…帰る場所…」
反芻する足立も、目を閉じて夜戸と感覚を共有する。
「ねぇ、今の夜戸さんには、世界はどう映ってる?」
「変わりませんよ。黒い影が見えなくなって、マイナスな声が聞こえなくなっただけです」
「あはは。そっか…。月子ちゃんはどう?」
「少しずつ、現実世界に慣れてもらってます。最初は家を出るところから。次の日に、みんなとお出かけして、人通りの少ない道や河川敷を歩いたり…。買い出しも、お客さんが少ない時間帯を狙ってスーパーに行ったり…」
カクリヨは、夜戸と月子以外、誰も居なかった世界だった。
欲望教で祀られていた時はほとんど隔離され、昌輝の研究所にいた頃も自由に出歩かせてもらえなかった。
何十年も、まともに現実世界と触れ合ったためしがない。
姿は子どものままなのが幸いした。
これからは普通の子どもとして生きていくことができる。
好奇心もあり、世界に馴染むのは遠くない未来かもしれない。
「お菓子売り場やアイス売り場で興奮してました。華ちゃんが、ケーキを作って食べるからおなかに入らないよって言い聞かせたそうです。ケーキを作ってる最中は、ツクモと一緒に、つまみ食いも抑えてました。あの2人、ある意味姉妹だから笑っちゃいました」
思い出して小さく笑った。
足立は、最初の頃の無表情と違い、今では自然と笑えるようになった夜戸を見て、どこか安堵した顔をする。
「美味しいケーキもご馳走もいただいたことだし、僕もこの調子で誕生日にのっかっちゃおうかなー」
唐突な発言に、夜戸はきょとんとする。
「嫌々だったのに? というか、今ですか?」
「しばらくはできないわけだからね。それに、誕生日のメインイベント忘れてるよ。はい、プレゼントちょーだい」
子どもみたいな人懐っこい笑顔で両手を差し出してきた。
要求は想定外だった夜戸は露骨に慌てだす。
「そんな突然…ッ。物をあげても足立さんは持って帰れないじゃないですか。せめて本とか………」
言いかけたところで気付く。足立がニヤついていた。
「……物じゃなくてもいいですか?」
「気持ちがこもってるうえに、僕が気に入ったものならなーんでも」
(まったくもう…。この人は……)
夜戸は肩を落とし、狼狽えたところを見せてしまい、要求されそうなことを考えるだけで落ち着いたはずの温度がまた急上昇してしまう。
「……その…、あたしが…できることだったら……」
「本当に? 何にしようかなぁ~。迷うねぇ」
何かを指折り数えている。
頭に浮かんだことをとりあえず数えている様子だ。
その中のひとつを選んでいるのだろう。
「ひとつじゃなくて、欲しいだけなんでもあげますよ」
足立の動きが止まった。
「なんでも……………………痛テッ」
額に軽いデコピンを食らい、頭上にフワフワと浮いていた想像が打ち消される。
「何を考えてるんですか。あたしができる範囲でお願いしますっ」
「いやぁ…そんな大胆なこと言われてるとは思ってなかったからさぁ」
「あはは」と額を撫でながら笑う足立にため息を漏らした夜戸は席を立ち、少し赤くなったその額に軽くキスをした。
目を見開く足立に、今度は両腕を首に絡めて柔らかく抱きしめる。
「あたしに対しては、もっと欲張ってください…。あたしは、欲張りな足立さんも好きです。あなたの全部が好き。もっと触れて、もっと見せてください…」
(これから先も……)
言葉を呑み込む。
それはいつか言う言葉だ。
今ではない。
「誘ってくるね…。君も相当な欲張りさんだ」
「こっちが素直にならないと、あなたはいつまでも意地悪なこと言ってばかりじゃないですか」
「あ、言ったな」と口を尖らせてさり気なく腰を抱き寄せる足立に、「言いますよ」と夜戸は微笑み、2人は唇を重ねた。
コーヒーの味がする。
(でも、そんな甘え下手で、表と裏の感情がかみ合わなくてひねくれたあなたのことを、可愛いと、愛しいと、ずっと一緒にいたいと思ってしまう…)
一度唇を離した夜戸は、メガネを外し、足立のコーヒーカップの隣に置いた。
レンズ越しではない、目を合わせて想いを告げる。
「大好きですよ、透さん」
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