36:Me too
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春の匂いがした。
目を開けた夜戸は、図書室の奥の席に座っていた。
うたた寝をしていた感覚だ。
窓の外は淡いピンク色の花が咲き乱れている。
ふと、目元に触れた。
メガネはある。
格好も、ジャケットは破れてボロボロだがいつものスーツだ。
立ち上がろうとして留まる。
向かいの席に、学生時代の自分が座っていたからだ。
当時の制服を着ていてメガネは掛けていない。
黒目の部分は白く、無表情でこちらを見つめていた。
動揺はしなかった。
座り直した夜戸は尋ねる。
「…あなたは誰?」
不思議な感覚だった。
名前も知らない誰かのはずなのに、ずっと傍にいた気がする。
学生の夜戸は口を開いた。
「我は、アメノサカホコ。負の欲望を切り離す役割を担い、宿主たちの絶望の中にある、微かな希望から生まれた存在…」
「アメノサカホコ…」
マガツノサカホコとは違い、警戒はしなかった。
学生時代の夜戸の姿を借りたアメノサカホコは、静かに告げる。
「宿主よ。我もマガツものと一緒だ…。常に静観していた。ただし、意思が芽生えても、大したことなどできなかった…。宿主たちの死に際は、常に絶望が付き纏い、我の声も届かず、自ら死を選んだ」
人の気配がして、夜戸は辺りを見回した。
制服に統一性はなく、中には私服を着ている10代の少年少女が、図書室の席に座ったり、立ち読みしたり、歩き回ったりしている。
皆、静かだ。
学生時代にはあまり見られなかった、本来のあるべき図書室の姿だが、静かすぎる。
「…!」
はっと息を呑んだ。
その中に、日々樹の姿があったからだ。
重そうな六法全書を片手に、夜戸の近くにある本棚の傍で立ち読みし、夜戸を横目に、図書室を出て行ってしまった。
夜戸は思わず立ち上がりそうになったが、堪える。
「みんな…、あなたの宿主なのね」
「そうだ…。知っている通り、宿主の兄も…そうだった…。マガツものに『愛』を奪われ、家族から遠ざかり、人間の闇を見つめ、切り離しながら日々を過ごしていた…。しかし、完全に奪われたわけではない。小さき存在と関わることで、次第に家族への愛を思い出していた。粉々に砕けたガラス細工を、ひとつひとつ形を思い出しながら丁寧に直すように」
小さき存在、とは月子のことだろう。
夜戸は口に出さず、アメノサカホコの言葉に耳を傾ける。
「そして、マガツものの計画を知り、危険に晒されると知った瞬間、奪われたはずの『愛』が蘇った。人間の負の欲望は尽きるところを知らないが、『愛』も同じなのだ。誰かを想えば、再び生まれる」
自分がそうだった時のことを思い出した。
無意識に指先がメガネに触れる。
「マガツものは、不愉快で堪らなかっただろう。我は知っている。あの時、宿主の兄を落としたのは…、マガツノサカホコだ」
「…!!」
目を大きく見開いた。
テレビ画面に映された、首から手を離されて屋上から落下していく日々樹の光景が脳裏をよぎる。
「宿主の兄は純粋に止めようとしていた。その想いが通じたのか、マガツものの宿主には迷いがあった。しかし…、その一瞬の迷いも許されなかった。マガツノサカホコは一瞬、自身の宿主の意識を奪った。手を離せばよかっただけなのだから。……実に…、実に愚かだ。我らは人間に選択を与える側であり、それまで奪ってどうする…」
憤っているのか、アメノサカホコの瞳は険しい。
「宿主の兄の死をもって、我は自我と、同じ力を分け与える力を手に入れた。それは、宿主が一線を越えたことで確かなものとなった」
それが赤い傷痕だ。
今は黒く変色してしまった傷痕に触れる。
「マガツものに、その力を利用されることは想定外だったが」
「どうして、あたしにこの力が…?」
「マガツものの計画をつかみながら命を落とした、宿主の兄が最期に望んだ、希望の力だ」
「兄さんが…」
「対象は、現実に打ちひしがれ、痛みを伴った純粋な欲望を持つ者達…。発動の条件は、宿主が「痛みをわかり合いたい」と願った人間に対してだ。宿主はほとんど無意識だったようだが」
二又の首の赤い傷痕を思い出す。
あれは、日々樹が刻んだ最初で最後の一撃だ。
二又の痛みを、わかり合いたいと思ったのだろうか。
「宿主の“個”はけっして強くはない。だが、他の人間達との想い合い、繋がりがあったからこそ、自身の絶望にも打ち勝ち、ここまでたどり着いた。その想いは、我と面と向かって会話ができるほどだ。想いの繋がりを、人間は…“絆”と言ったな…」
夜戸は頷きを返し、席を立った。
「…行くのか。せっかちな宿主だ…」
「もう少し話していたかったけど、なんとなく、時間がない気がする」
「我はマガツものの味方ではないが、敵でもない。ここに留まり、幸福な夢の中にいてもいい。我は宿主の選択を尊重する…」
「もう、子どもみたいなこと言っていられないの。どれだけの痛みに襲われても、あたし達は立ち向かわないといけない。大人だからね」
未だに席を立たないアメノサカホコの横を通過し、真っ直ぐに扉へと向かう。
「…我は、絶望より生まれし存在と比べればスズメの涙。闇夜の中を漂う一粒の蛍火に過ぎないが、それでも、宿主が得た絆と希望があれば、きっと、見つけられるだろう」
肩越しに振り返ると、図書室にいる全員が夜戸を見つめていた。
いつの間にか図書室に戻っていた日々樹もだ。
困ったように笑い、小さく手を振っている。
「宿主の兄は、最期にこう言おうとした…」
『また、ヒマワリのような笑顔が見たいな…。明菜…』
「………そう…」
扉に向き直った夜戸は、わずかにうつむいた。
最期に欲したのは、大好きな花ではなく…。
「見届けさせてもらうぞ、我が宿主」
その言葉を背中に受け、ゆっくりと扉に手を伸ばした。
すると、廊下側から勢いよく扉が開かれる。
驚いて一歩下がった。
駆け込んできたのは、息せき切らした、学生時代の足立だ。
「お…、お待たせ…」
目を合わせると少し照れたように笑い、夜戸に手を差し出した。
夜戸は微笑み、その手をとる。
「……あたしこそ…、お待たせしました、足立先輩」
目を開けた景色は真っ暗闇だ。
しかし、伸ばした手を思いっきり引っ張られて黒い柱から引きずり出され、倒れかけた体を全身で受け止められる。
「先輩…っ」
「こっちは必死になって探してたってのに、いい夢見てた顔しちゃってさぁ…」
苦笑して呆れる足立は、先程、闇の中に仄かな青緑の光を見つけたことを思い出す。
蛍のような光だったが、唯一の明かりだ。
迷うことなくそちらへ進み、光に向かって手を伸ばした。沼の中に腕を突っ込む感覚だった。
『妹を頼む…』
男の声が聞こえた時、向こうから伸ばされた手が触れ、足立はすかさずその手をつかみ、歯を食いしばって引き出したのだった。
夜戸を救出すると同時に、左回りの黒い柱の回転が止まり、暗闇は薄闇へと戻った。
「許さぬ…。あと少しで完成だったというのに…!!」
地の底から響く声と共に、マガツノサカホコは黒い柱から姿を現した。
その体は、二又の身体ではなく、黒い柱と一体化した巨大な漆黒の怪物だ。
「絶望に逆らう愚かな人間共を殺す!! そして、巫子よ…。もう一度我とひとつになれ…!!」
足立と夜戸は肩を貸し合いながら、こちらを見下ろすマガツノサカホコを仰ぐ。
「なんとなく…じゃなくて、絶対…イヤ!!」
「だってさ。ははは…。フラれちゃったねぇ」
マガツノサカホコは巨大な漆黒のトライデントを構え、刃を向けた。
「哀れで愚かな人間よ。我が自ら屠ってくれるわ…!!」
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