33:Don't take it out on me!
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車は緩やかな坂道をのぼる。
久遠とシャドウを乗せたオープンカーは、反対車線などおかまいなく、小型護送車の右側にぴったりと並走した。
「久遠さん…!」
突然現れた久遠に、夜戸は警戒混じりに発した。
久遠はくすくすと笑いながら、わざと愛想よく声をかける。
「明菜ちゃん、先生はお元気?」
「あなたは興味ないでしょうけど」とすぐに冷めた声に切り替えて嫌悪の眼差しを夜戸に向け、運転席の開いた窓から身を乗り出して様子を窺う足立に顔を向けて微笑んだ。
「あなたも久しぶりね。監禁して以来かしら」
「!?」
足立が銃口を向けているにも構わず、久遠は腰を上げてオープンカーのドアに足をかけ、ずい、と足立に顔を寄せた。
「逃げ場が限られてる上に、周りは敵だらけの絶望的な牢獄を脱獄してきちゃうなんて…、ここまで苦難を乗り越えて来られると、逆に好感を持っちゃうわ」
左手はリボルバーを優しく押さえ、色気を纏った声で言いながら、伸ばされた右手の人差し指が足立のアゴを撫でる。
「ご褒美に…、この前のお楽しみの続きでもしちゃう? 今日はあなたの嫌いな香水をつけてないの」
ヒュンッ、と風を切る音が足立の耳をかすめ、久遠は真っ直ぐに飛んできたナイフを首を傾けて避けた。
「おわ!?」
車体が左へ大きく揺らぎ、足立は落ちないように車体をつかむ。
急に距離を離され、久遠は「ふふふっ」とおかしそうに笑った。
「怖い怖い。あなたもそんな反応できるのね。自分の男を誘惑されただけで、お可愛い事」
夜戸は無表情だったが、瞳は鋭く久遠を射抜いていた。
「左手で投げたので当たらなくてよかったです。あなたも随分と低レベルで陳腐な挑発をするんですね」
氷結魔法でも使用したのかと思うほどの冷淡な声だ。
後部座席の森尾達は顔を青ざめ、足立は顔をひきつらせる。
「夜戸さん、今、かすった…」
正確には髪の毛が数本切れただけだったが、足立は背中にひしひしと伝わる怒りのオーラに振り返ることができない。
「足立さん」
「あ、はい」
おそるおそる振り返ると、いつの間にかシートベルトを外した夜戸が左手で足立のネクタイを胸倉ごとつかみ、無理やり運転席に座らせて座席シートに体を押し付け、運転席側まで身を乗り出して至近距離に問い詰める。
「オタノシミって? ツヅキって何デスカ?」
質問の際も無表情だが、声と瞳が露骨に責め立てていた。
新たに傷痕から取り出したナイフを、足立の股間下の座席シートに軽く突き立てる。
「何も始めてません」
足立は小さく両手を上げながら潔白を主張する。
「お前らぁ―――!! 修羅場ってる場合じゃねーだろ!!」
「前前前!!」
叫んだのは森尾と落合で、悲鳴を上げたのは姉川とツクモだった。
薄暗くて見えづらいが、カーブに迫っている。
ガードレールの向こうは崖だ。
足立は右手で夜戸の身体を支え、左手を伸ばしてハンドルをつかみ、慌てて安定させた。
ドン、と頭上のルーフが音を立てる。
足立がはっとオープンカーに振り向くが、そこに久遠の姿はなかった。
「飛び乗ってきたさ!」
見ていたツクモが叫ぶ。
ガリガリガリ、とネコが爪とぎでもしているような音が上から聞こえる。
「ひっ!」
鉤爪がルーフを貫き、姉川とツクモの目の前に2本の刃が現れた。
ルーフを突き破られる前に咄嗟に反応した姉川は、ツクモを抱きしめて縮こまる。
鉤爪はそのままゆっくりとルーフを切り裂きながら運転席へ移動しようとし、切っ先が金網に引っ掛かった。
「邪魔ね」
べキャ!!
煩わしそうな声が聞こえたと思えば、金網ごとルーフが鉤爪によって無理やり引き剥がされ、運転席と助手席が露わになる。
久遠は2人を見下ろし、鉤爪に引っ掛かった金網とボディの一部は車道に放り捨てた。
「先にあなたから刻んであげる」
微笑みながら久遠が足立に向かって鉤爪を振り下ろす。
「!」
足立が銃口を向けようとした時だった。
夜戸が素早く立ち上がり、突き出したナイフで防いだ。
「夜戸さ…」
「足立さん! 構わず運転を続けてください!」
久遠は「クククク」と笑いを漏らす。
「慌てないでよ。あなたはちゃんと最後に殺してあげるんだから。大切な人間を、あなたの前で嬲り殺したあとにね」
「あたしは至って冷静ですよ。あなたを人殺しにさせるつもりも、みんなを殺させるつもりもない」
ルーフに片足をかけてのぼり、夜戸はナイフを振るった。
久遠は口を歪ませたまま鉤爪で受け止め、夜戸をどうして苦しめてやろうかと思考を巡らせながら攻撃を繰り出す。
火花が散り、耳が痛くなるほどの金属音が車上から響き渡った。
ルーフ上は範囲が狭い。
ブレードが短い夜戸の方に利があったが、
「鬱陶しいわね!!」
刃と刃の押し合いになった時、久遠が膝蹴りを夜戸の横っ腹に打ち込んだ。
「うっ!」
車体の横へ滑り落ちそうになった夜戸だったが、咄嗟にルーフにナイフを突き刺し、落下を免れる。
「明菜姉さん!」
「大丈夫っ」
ドアガラスは開けっ放しだ。
その窓枠に足をかけて再びルーフにのぼる。
並走したまま、2台の車は山岳トンネルの中に入り、ナトリウムランプの淡いオレンジ色の光に包まれた。
舌打ちした久遠は後ろに飛び、ほとんどよろけることなくオープンカーの助手席に着地し、夜戸は護送車上に待機し、振り落とされないように踏み止まる。
割り込む隙もない熾烈な戦いに、緊張が車と共に走った。
「寄せてください」
夜戸が久遠から目を離さずそう言うと、足立は渋ることなくオープンカーに護送車を寄せる。
互いの刃が届く範囲まで近づき、目がかち合った瞬間、夜戸と久遠は同時に動いた。
「シネブスシネブスシネブスシネブスシネブスシネブスシネブス!!」
一撃一撃に憎悪を込め、久遠は鉤爪を振り回す。
夜戸は防ぎ漏らすことなくナイフで受け流し続けた。
トンネル内部なのでより一層金属音が反響する。
「私にとって死ぬほど嫌いなその顔、周囲の人間が吐き気を催すくらいズッタズタにしてあげる!!」
力任せに勢いをつけて頭上目掛け振り下ろされた鉤爪を、ブレードに左手を添えてナイフで防ぐ。
車体を切り裂くだけあって、ただのナイフなら簡単に折れるほどのパワーだ。
上からかかる圧力に、夜戸は片膝をつかないように耐える。
「アンタはもう空間移動できなくなったのよ。前みたいな不意打ちができると思わないで!」
「不意打ちのつもりはなかったんですけどね。警戒しなくても、堂々と真正面から叩き伏せてあげますよ。そちらこそ、ちゃんと真っ直ぐ顔を上げて向かってきてください」
「!!」
『真っ直ぐ顔を上げなさい』
久遠はふと、昔、夜戸影久にかけられた言葉を思い出した。
「黙れええええぇぇぇ!!」
夜戸明菜が同じ言葉を口にしたのがとてつもなく許せなかった。
護送車内に、ノイズが鳴り響く。
足立達は音が聞こえた方に目を向けた。
ノイズの出所は、車内に取りつけられた無線からだ。
“久遠ちゃんのぱくりー”
“みーちゃんと同じ服着ないでっ”
“服がかわいそう”
蔑みを含んだ、少女達の幼い声が聞こえる。
すると、バックミラーと運転席側のサイドミラーに映像が映し出された。
場所は小学校の教室だ。
久遠、と呼ばれた、中央の席に座るボサボサのショートヘアの少女は、静かに泣いていた。
その顔はうつむいて足立達からは見えなかった。
取り囲んでいる同級生たちは、少女が泣いているにも構わず、悪者扱いで指さしている。
久遠と向き合って立っている美少女は、愛らしい顔をしかめていた。
原因は、久遠と同じ、薄いピンク色で花柄のワンピースを着ていたからだ。
“みーちゃんの方が似合うよ”
取り巻きの少女達は、「みーちゃん」と呼ぶ美少女に言った。
“「ブスいな」のクセに! 今すぐ脱いで! 着るものがないなら、理科室の薬臭いシミだらけカーテンでも着れば!?”
みーちゃんは顔に似合わず口汚く罵った。
場面は中学校の教室に切り替わる。
中央の席では黙々と読書をする久遠の姿があった。
開かれた本に隠れて顔が見えない。
その後ろを眺めながら、教室の奥にいる3人の男子がひそひそと話していた。
“久遠って、ボディラインは他の女子よりいいのに、顔が…なぁ?”
“もったいねぇよな~”
“頭に紙袋でも被せとけよ”
“ぷははっ。おまえ最っ低~”
嗤い声は久遠の耳にも入ったが、それでも黙って唇を噛みしめ、ページに皺を残すことしかできなかった。
“ねぇ”
席に2人組の女子が近づいてくる。
連れていかれたのは女子トイレだ。
久遠は背中を蹴られて倒れ込み、2人組の女子に見下ろされる。
“金がないなら、適当な親父引っかけて体で稼いで来れば?”
“無駄に胸もでかいんだし、体だけなら物好きくらいつかまえられるでしょー”
癇に障る嗤い声がトイレに響き渡った。
場面は、事務所の応接室に切り替わる。
久遠は母親と一緒に夜戸法律事務所を訪れていた。
高校の制服を着た久遠の向かいのソファーには、影久が座っている。
“わいせつ行為を訴えたい、と”
“娘が教師に体をベタベタ触られて辱めを受けたのに、学校側はまともにとりあってくれません”
母親は訴えるように言った。
対して、久遠はうつむき気味に母親の袖を引く。
“お母さん、もういいよ…”
“よくないでしょ! あなた、自分がどんな目に遭ったと思ってるの!”
“私はもう慣れたよ!! 私がいじめを受けてて今まで知らないフリしてたのもお母さんじゃない!”
“それは…っ”
久遠は知っている。
子ども同士の問題だからと放置していたことも、今回、母親が重い腰を上げたのは、相手が教師ならば慰謝料を請求できるのではないかと踏んだことも。
“こんな顔じゃ、誰もそんなこと信じてくれないよ! そもそも、こんな顔に産んだお母さんが悪いんだよ!?”
“あなた…なんてことを…”
今まで募った鬱憤をぶちまけると、母親は簡単に泣き出してしまった。
久遠はわかっている。
顔の設計は親が思い通りに作れるものではない。
親にとっても望んだ顔ではなかった。
だから、小学生の頃から「かわいい」なんて言われたことは一度だってない。
“顔…?”
影久はきょとんとしていた。
親子がどうしてケンカを始めてしまったのかわからない様子だ。
久遠は怒りに任せて開き直り、刺々しく返す。
“私、ブスでしょう? 先生はどちらかといえば美人ばかり目をつけてた。他の女子達がすでに噂してましたよ。私は、体だけしか見られてなかったんです。でも、他の子たちからしたら、「ブスが何言ってんの?」、「超勘違い」って笑うだけ。誰も味方になってくれない…っ”
初対面の男にこんな話をして、惨めになった。
恥ずかしくて泣きたくなった時、
“君は何を言ってるんだ?”
理解しがたい、と言いたげな言葉だった。
“え?”
“真っ直ぐ顔を上げなさい”
躊躇いがちにゆっくりと上げた顔を、影久はじっと見据える。
“自分を卑下するな。自信を持て。前をしっかり見て、相手を睨むんだ。私は戦意のない者の味方はできない。だから君も一緒に戦ってくれないか。私も全力で君を弁護しよう”
「私が君の味方だ」と最後に強く言った。
影久は一度も目を逸らさなかった。
その後、影久の尽力で勝訴したが、久遠はまともに自分の顔と向き合っていくことはできず、親から大金を借りて整形した。
顔の包帯が取れて外に出てみると、周りの人間の自分を見る目が変わり、自信もついて大学卒業してから数年後、影久の弁護士秘書となった。
影久は久遠の名前を覚えていなかったが、久遠は、かつて弁護の依頼をしたことを影久には話さなかった。
昔の自分を知られたくなくて、むしろ好都合だと思った。
美しくなった今の自分を愛してほしかった。
離婚もしていてチャンスだと思い、好機を窺っていた。
やり過ぎない程度にさりげなく誘惑してみても、影久がなびく様子は微塵も見せなかった。
ほとんどの男は面白いくらいころりと落ちたというのに。
そのまま時は経ち、久遠にとって邪魔な存在が現れた。
“娘の明菜だ。今日からこの事務所に勤める”
“初めまして”
精巧な人形みたいな整った顔。
どこにも刃を入れたことのない、自然物。
久遠が子供のころから欲していた形だ。
何かされたわけでもないのに、たちまち想い人の娘が嫌いになった。
“あの、先生、よろしければこの後お食事に…”
雨の中、依頼人と接見に行った帰りに夕食に誘おうとしたが、影久の眼は別の方向に向けられていた。
“明菜?”
通り過ぎようとしたカフェで、娘がひとりでコーヒーを飲みながら資料と睨めっこしているのを見つけた。
おそらく、担当している、稲羽市の連続殺人犯に関する資料だろう。
“すまない。このまま退勤してくれ”
“先生…!”
呼んでも、影久は立ち止まらなかった。
“消えればいいのに”
映像は消える。
映像が流れている間も、夜戸と久遠は互いに刃を交えていた。
それでも夜戸の耳は、しっかりと映像の音を拾っていた。
「先生はどこへ行っても、明菜、明菜、明菜、明菜…。何度も、何度も、邪魔だと、殺したいと思ったことか…! アンタのせいで、私は先生まで傷つけてしまった!」
ガリッ、と夜戸の右頬に2本の赤い線がつく。
「全部アンタのせいだ!! 思い通りに男と幸せになれると思わないで!! この、アバズレ!!」
久遠の罵倒を受け、夜戸はしばらく黙り、メガネを外した。
「…足立さん、預かっててください」
「おっと」
足立は、剥がされたルーフから頭上に落とされたメガネを片手で受け取った。
「久遠さん、反論させてもらいますね。あなたがそうなってしまったのは、あたしのせい……なんて言いません」
「!」
夜戸は微かにわなわなと体を震わせていた。
足立はそこで、久遠が夜戸の琴線に触れたことに気付く。
「さっきから黙って聞いてれば、好き勝手に言ってくれるじゃないですか。父さんの時は言いたいことも言えずに遠回しに誘ってばかりで。あの頑固者に通じるわけないでしょ。見てて分かりませんか? それだけストレートに人をなじれるなら、もういっそ父さんにも告白すれば!? だから気付いたら年齢を気にする年になるんでしょ!!?」
「いっ、言いやがったわね、このクソアマァァ!!」
両者の額には、くっきりと青筋が浮いていた。
「ぉお…」
女同士の壮絶な戦いを前に、足立の額には冷や汗が浮かんでいた。
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