32:Where to?
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どれくらい走り回ったのか、落合と姉川は百貨店の裏口付近に隠れていた。
疲弊した様子で2人は息を潜め、辺りを警戒する。
人気はないものの、いずれ誰かはここを通るだろう。
ほとんどが敵だ。
襲ってくる可能性の方が高いのが現状だった。
「華…姉さん…」
「のど…かわいた…」
「そうだね…」
暗雲からそぼ降る雨はやまない。
傘を差すほどではない小雨だが、時間をかけてじっくりと体温を奪い、気分を沈ませる。
「嫌な…雨…」
姉川は呟いた。
自身を抱きしめ、身体を震わせる。
直接肌に感じる、背筋が凍りつく嫌な空気が町を覆い、渦巻いていた。
絶望的な状況に押しつぶされそうになる。
両脚も、針金をきつく巻かれているかのように痛い。
持久力には自信はあるが、走り過ぎた。
「空君…、あなただけでも…」
「それは言っちゃダメだよ、姉さん。いくらボクでも怒るから」
通ってきた道を睨みながら落合が鋭い声を放ち、落合の手首をつかんだ。
置いていくつもりは微塵もない。
落合と姉川を見失ったせいで通行人たちの動きは不規則だ。
ブツブツと支離滅裂な事を呟きながら目をギョロギョロと動かしている。
鈍そうだが、視界に入った途端に一致団結して追いかけてくるだろう。
「!」
通行人のひとりが道を逸れてこちらに向かってくる。
こちらに気付いた様子ではないが、時間の問題だ。
反対を走れば別の道に出るが、他の通行人たちと出くわしてしまう。
落合は姉川の手を引き、裏口の扉を開けた。
「入ろう! 早く」
建物の中は逃げ道も限られていて気は進まないが、前に来た時は客も少なかった。
隠れる場所もいくつかあるはずだ。
姉川は手を引かれるままに裏口から百貨店の中へと入る。
裏口の鍵を内側からかけるのも忘れない。
足音に気を付け、薄暗い廊下を進む。
外よりは室温が高く、穏やかなBGMも聞こえた。
婦人雑貨やブティックが並んでいる、1階の広いフロアに出る。
化粧品売り場の微かな香水の香りもした。
落合はふっと息を止める。
覚悟はしていたが、無人ではなかった。
姉川と一緒に身を屈め、化粧品が並べられるショーケースよりも低くなって四つん這いになり、徘徊する通行人や職員の目を避けて通る。
「さて、どこに隠れようかな…。試着室にこもっちゃう?」
落合が小声で言うと、姉川は首を横に振り、上を指さした。
「上の階の方が気配が少ない…。そこに移動しましょ…。自販機もそこにあったはず…」
「…わかった」
繁華街を逃走している時もそうだったが、姉川の感知能力のおかげで人目を避けて、ここまで来られた。
パリンッ、とガラスの割れる音に身体が思わず跳ねる。
女性の店員がショーケースに入った口紅を無我夢中でポケットに突っ込んでいる姿が目の端に映った。
他の客も、ショーケースを叩き割ったり、商品をつかんで堂々とカバンに入れている。反対に、何もせずに突っ立っている客もいた。
欲望に忠実な者もいれば、無気力な者もいる。
ゾッとするほど、異様な光景だ。
落合と姉川はほぼ同時に唾を呑み込んだ。
(ここはもう…、ボクらの知ってる現実世界じゃないんだ…)
2人は、エスカレーターやエレベーターでなく、階段を使って上を目指した。
人気のない4階の子ども服売り場では、自販機を見つけた。
近くには休憩するための小さなソファーもある。
小銭を投入し、ペットボトルのミネラルウォーターを2本購入してからすぐにその場を離れた。
ガコンッ、とペットボトルが落ちた衝撃音で集まってくる気配を感じたからだ。
階段の4階と5階の間にある踊り場に座り、中の水が半分以上減るほど、2人は水分を補給した。
「ふぅ…。生き返った…」
口元を手の甲で拭い、ケータイを取り出す。
「兄さん達が来てくれるって言ったけど…、掛け直しても連絡が通じない…」
再び試してみるが、ノイズ音が聞こえるだけだ。
「拘置所を抜け出すなんて…。大丈夫なの? あの2人」
「どういう意味で?」
「全部の意味でっ。現実世界ならどんな理由だろうと脱獄よ」
考えるだけでも頭が痛くなり、姉川は右手で両目を覆った。
気が気でないといった様子だ。
「兄さん達のとこも同じ状態みたいだし、大人しくしていたらヤバそうだからね…。仕方ない、とは軽く言えないけど…」
「………来てくれるよね…?」
不安げな瞳で隣の落合を見る。
目を合わせた落合は頷いた。
「うん…。きっとね。信じよう。だから、ボクらが今、つかまって殺されるわけにはいかないんだ。捜査本部にいる明菜姉さんとツクモ姉さんも、ボク達を待って…」
言いかけて、はっとした。思わず立ち上がる。
「そうだ…。トコヨには通じなくても…、兄さんの時みたいに明菜姉さんのケータイには繋がるかも…」
姉川は落合のスカートの裾をつかんだ。
「待って! 明菜は…」
敵の一番の狙いは夜戸だ。
迂闊にこちらに呼ぶわけにはいかない。
「わ、わかってる。ただ、捜査本部には何もないか確認するだけ。遠回しに警告もするつもりだから…。ほら…、明菜姉さん…、心配するだろうし…、ツクモ姉さんも傍にいるはずだから、なんとか原因を…」
「ピンポンパンポ~ン!!」
店内放送だ。
ハウリングのあと、知った人間の声がスピーカーを通じて店内に響き渡る。
「「!?」」
キーン、とハウリングの音に2人は顔をしかめ、思わず耳を押さえた。
ふざけた口調で二又の放送が続けられる。
「はぁ~い、迷子のお知らせをいたしま~す! 落合空くんと姉川華ちゃんが店内を逃走中~。繰り返しまーす、落合空くんと姉川華ちゃんが店内を逃走中~。お見かけしてブチ殺した方にはぁ、カバネから特別待遇がございますのでぇ、ご協力お願いいたしまぁ~す!!」
無邪気に飛び跳ねているようだ。
言い放った言葉は狂気を孕んでいて落合と姉川の顔が真っ青になる。
「あいつ…っ!!」
「ウチらがここにいるって…」
「えー、現在2人は店内の階段を使用して逃走中~。監視カメラで全部見えてますよぉ~。仲間がリンチの挙句に殺されたら、夜戸明菜はどんな顔してくれるかなぁ? ってことでぇ…」
一度間を置き、ドスの利いた声で続けられる。
「君らに逃げ場はねぇから、苦しみもがいてここで死ね。バラッバラにして展示品にしてやる」
本気の殺意だ。
落合と姉川は硬直する。
「以上でーす」と二又の声は無邪気に戻り、放送を切った。
脅しではない。
大勢の足音がこちらに津波のようにこちらに押し寄せて来た。
バタバタバタバタ、と階段に反響している。
「華姉さん! 立って!」
もう一秒も留まっていられない。
殺気立った群衆と遭遇してしまうから、このままま下りはアウトだ。
落合は姉川を引っ張り、ひたすら上へ駆け上がった。
下から店内にいた客たちが上がってくるのが見える。
「空君! 上は…っ」
扉が見えた。
おそらくドアノブの鍵はかけられているだろう。
落合は一度姉川から手を離し、勢いをつける。
「あああ!!」
渾身の力で扉を蹴飛ばすと、ドアは外れて床を擦った。
その先は屋上駐車場に繋がっている。
「走って!」
落合は姉川と共に駐車場を走る。
車はまばらだ。
強奪して逃げたいところだが、キーがなければ運転は不可能だ。
スロープをおりて逃走しようとしたが、
「ダメ! 空君! あっちからも来てる!」
すでに他の客たちに回り込まれていた。
群れを突っ切って逃げるのは無理だ。
方向転換し、姉川は屋上の片隅にある、フェンスの扉を見つけた。
外付けにされた非常階段だ。
「あそこから!」
指をさしてすぐさま移動する。
何十人もの人間がそこまで近づいていた。
2人はフェンスの扉をのぼり、屈折の非常階段を駆け下りていく。
幅は2人並ぶのがやっとで、8階の高さだ。
急いだ拍子にバランスを崩して横から転落するわけにはいかない。
「ここ(百貨店)はもうダメだ!」
「建物にも入らせてくれないなんて! うぅ…っ。お母さんの職場が…っ」
姉川は頭が痛くなる。
反面、母親を旅行に行かせたことに改めて安堵した。
凄惨に荒らされた百貨店はしばらく休業だろう。
ガシャンッ、とフェンスが開けられた音が上から聞こえた。
無理やりこじ開けられたようだ。
鉄製の階段なので音がよく響き渡る。
姉川は手すりから少し身を乗り出し、上を見上げる。大勢が下りてきていた。
「来るよ!」
まだ4階の高さだ。
飛び降りることもできない。
「うわ!?」
階段は雨に濡れていた。
滑った落合は、手すりをつかんだが、階段の縁に腰を打ち付けてしまう。
「空君!!」
先陣を切った者達が追いついてきた。
成人の男に3人がかりで落合が押さえつけられる。
「あ、ぐ!」
背中を踏まれ、腹を蹴り上げられた。
「お願い!! やめて!! やめぇ!!」
つかみかかろうとした姉川だったが、咄嗟に手を伸ばした落合に突き飛ばされ、踊り場に尻餅をついた。
その拍子にオーバーオールのポケットからケータイが落ちる。
「う…っ、逃げて…、姉さ…」
服をつかまれて引っ張り上げられた落合は、手すりの向こう側へ落とされようとしていた。
高さは4階、下はアスファルトだ。
無事では済まされない。
「嫌や!! 空君!!」
後ろから続々と下りてくる大勢の人間と、落とされそうな落合と、無力な自分自身に、姉川は絶望に包まれた。
手すりをつかんで抵抗する落合だったが、両脚を上げられて上半身が外側へ押し出される。
姉川は手を伸ばし、涙を浮かべ、叫んだ。
「嫌ぁあああああああ!!」
ピピピピピピ
着信だ。
画面には、“明菜”と表示されていた。
目に入った途端、ほとんど反射的に伸ばした手でケータイをつかみ、すがる思いで通話ボタンを押した。
「明菜…」
「泣かないで、華ちゃん。大丈夫だから」
優しい声は、近かった。
誰よりも速い、走り抜けるかのような、足音がする。
近づくにつれ、上の方からバタバタと倒れる音が聞こえた。
姉川は耳にケータイを当てたまま、力を振り絞って立ち上がり、落合に手を伸ばして右の二の腕をつかんだ。
落下させようとした男達が歯を剥いて邪魔しようとした。
「あ…」
風が吹き抜ける。
はっと振り向くと、片膝をつき、右手に黒いナイフを握りしめた夜戸の後ろ姿があった。
左手はケータイを握り、耳に当てられている。
時間差で、次々と人が倒れていく。
落合の体が重くなった。
足下に視線を落とすと、落合を落下させようとした男達まで、糸が切れたみたいに倒れていた。
「う…っ」
落合の体が向こうへ傾く。
夜戸はすぐさま立ち上がり、落合に駆け寄って左腕をつかんで引き戻した。
間一髪だ。
「明菜…姉さん…」
「ごめん、来ちゃった」
通話を切ってポケットにケータイをしまった夜戸は、いたずらが見つかった子どもみたいに、息を上げている落合と姉川に笑いかけた。
「ハナっち! ソラちゃん! 無事さ!?」
ツクモも遅れて階段を駆け下りてくる。
「ツクモ姉さんも…」
「うぅう~~~っ! 明菜~~~~」
姉川は、夜戸とツクモと落合をまとめて抱きしめて嗚咽を漏らす。
「怖かったぁ…っ! こんな…っ、タイミングで、助けに来られたら…っ、ひっく、叱れへんやろ~~~っ」
「ボクも…、死ぬかと…思ったぁ…っ」
落合も気が抜けて泣き出してしまう。
夜戸とツクモは2人の無事に安堵しながら、「よしよし」と2人の頭や背中を撫で続けた。
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