30:When You die, I'm by your side
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忘れかけていた、記憶だった。
『にがい…』
兄の日々樹が飲んでいたコーヒーが気になり、一口もらったのだ。
口いっぱいに広がった黒い苦味の刺激に、夜戸は言葉通りの表情を浮かべ、日々樹に笑われる。
『明菜にはまだ早いよ。もう少し大きくなったら美味しく飲めるようになるからさ、今はカフェオレだけにしておこう。ミルクたっぷりだよ』
『……………』
日々樹は中学生だ。
美味しくなるのはその頃かもしれない。
ほとんどミルクの甘い味しかしないカフェオレを口にしながら、今飲めるようになりたい、とふて腐れた顔をしていたのだろう。
日々樹はくしゃくしゃと小さな頭を撫でる。
『明菜といっしょに飲めるの、楽しみにしてる』
笑い混じりの約束は、結局、果たされることはなかった。
中学校に上がった頃、家のリビングでひとり、ミルクの入ってないコーヒーを飲んでみた。
カップの中に映る瞳は、水面の色より黒く見える。
一口飲んだ。
昔ほど苦味は感じなかったが、
『…………うそつき』
美味しくも感じなかった。
「夜戸さん」
足立の声とコーヒーの香りにひかれ、まぶたを起こす。
「おはよー」
2つのカップを両手に持った足立が、ベッド脇に腰掛ける。
夜戸が眠っている間にシャツとズボンに着替えていた。
「まだ夜明け前だけどね。気分はどう?」
「あ…、まだそんな時間帯なんですね」
眠ってしまった…というより気絶していた。
それも数十分程度だったみたいだ。
カクリヨの世界は夜戸の体内時計や感情によって変化し、カクリヨに数日入り浸っていると季節や時間帯が狂うこともあったが、今は安定を取り戻していた。
閉め切られたカーテンの隙間から、ほんのわずかだが夜明けの光が漏れている。
夜戸は布団を引っ張って胸元を隠し、ぼんやりとした顔でのそりと起き上がろうとした。
普段の寝起きより一段と体が重く、唸り声が漏れる。
なのに、ふわふわとした不思議な気分だ。
ベッドの柔らかさは沼のようで、今は起床が精一杯で、ベッドから離れるまでもう少し時間がかかりそうである。
「なんとなく…、身体が重いです…」
特に腰が。
痛みよりも違和感の方が大きい。
「まぁ…、だろうね。あ、ごめん、シャワー勝手に借りちゃった」
苦笑する足立は「はいコレ」と手に持っていたひとつのカップを手渡した。
その際にふわっと足立からシャンプーの匂いがする。
家で使っているものと同じ香りだ。
気恥ずかしくなりながら、両手を伸ばして受け取った夜戸は、じんわりとカップから伝わる熱で手のひらが温かくなるのを感じた。
「キッチンのコーヒーサーバーも勝手に使わせてもらったよ」
「足立さんのコーヒー…」
見下ろせば、黒い水面がカップの中でゆらゆら揺れ、白い湯気を上げていた。
「何気に僕から淹れるの、初めてだったねぇ。ほとんど夜戸さんが淹れてくれるから、久しぶり過ぎて、淹れ方忘れかけてたよ。2人分にしては豆の分量が多すぎたかもしれないし、お湯も熱くし過ぎたかも…。絶対、夜戸さんのコーヒーより美味しいものじゃないよ」
飲む前から後ろ向きに言い切っている。
それでも、初めての足立のコーヒーに夜戸は心を弾ませた。
「いただきます」
一口飲んだ。
少しきつめの酸味が口内に広がる。
自分のカップに口をつけた足立は、ベ、と舌を出し、「……酸味、きっつ…」と渋い顔をした。
喫茶店で提供すればクレームがくるだろう。
夜戸は小さく笑った。
「あたしは好き」
美味しいかはともかく、自分の為に淹れてくれたと思うだけで特別に感じた。
「また淹れてください」
「…次はもうちょっとマシな仕上がりにはするよ」
気を遣ってる様子でもない夜戸に、足立はそう答えた。
「それじゃあ、僕は先に戻るから…」
拘置所の点検の時間まで残りわずかだ。
時間は違うし性別は逆になるが、シンデレラの気持ちになる。
あまりのんびりもしていられず、腰を上げようとした時だ。
「…足立さん」
「ん?」
「おかわり…いただけますか?」
「……………」
顔を赤らめ、視線は逸らし気味だ。
「おかわり」の意味を理解し、足立は背を傾けて夜戸に唇を近づけた。
そっと目を閉じる夜戸は、一夜にして散々恥ずかしい姿を晒したというのに、ひとつひとつが初々しい反応のままだ。
期待と緊張が混ざり合った心音がドキドキとこちらまで聞こえるどころか、移ってしまいそうで、つい意地悪したくなった。
人差し指の先を夜戸の下唇に当てる。
違った感触に、目の前にある顔は不思議そうな表情を浮かべ、閉じていた目を開けた。
「こちら、セルフサービスとなっております」
「……いじわるじゃないですか?」
「ははっ。うそうそ」
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