27:Well, where shall I start with...
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午後22時。
本日2度目の風呂を終え、浴衣に着替えた夜戸は、ホテルのロビーに来ていた。
落合と姉川は各々の部屋でくつろいでいる。
「気にしない」と言ったのに、落合は自ら部屋をもう1室予約していた。
さすがに男性である以上、女性2人に対して遠慮しているようだ。
ロビーには誰一人いない。
真っ暗な画面のテレビが設置され、ソファーに腰掛けながら、夜戸はテレビをじっと眺めていた。
イメージとして、この場所で起きた光景が浮かび上がる。
ミネラルウォーターの入ったペットボトルを握りしめた。
温泉に入ったのに、気分がいいとは言えない。
資料や写真だけでなく、実際に見て感覚を擦りこんでおく。
集中しようとすると、罵倒や悲嘆の声が耳の中にこだました。
堂島の前でも平静を装っていたが、思った以上に応えているのかもしれない。
1件目の被害者がいれられたテレビに頭を下げる。
(ごめんなさい。それでも、護らせてください)
ふと、考える。
もし自分の身内が殺されたら、あんなに目を血走らせて怒りをぶつけることがあるだろうか。
殺したい、と思うだろうか。
犯罪者の味方だと指をさされても否定はしないが、夜戸の場合、それが仕事だ、と一言では言い切れないものが混ざっている。
だからこそ余計に胸の内がもやもやしてしまう。
「はぁ…」
天井を見上げ、病院を訪れた時の事を思い返した。
堂島の家を訪問したあと、予定通り、母親が勤める稲羽市立病院を訪れた。
病院の匂いはやはり苦手だ。
受付で母親の事を伺ってみると、出勤中だと教えられた。
夜勤だということも言い足される。
『お呼びしましょうか』と言ってくれたが、遠慮した。
まだ躊躇している。
病院という場所もよくなかった。
霊安室で泣き叫ぶ母親の姿を鮮明に思い浮かべてしまう。
女子トイレに向かった時だ。
『気を付けてね。ゆっくりでいいからね』
向かいの廊下から、慣れない松葉杖で歩く右足に包帯を巻いた少年と、優しい言葉をかけて付き添う看護師が見えた。
『母さん…』
見間違うはずがなかった。
何年経とうが容姿が変わらない夜戸に対し、母親…陽苗は記憶に残っている姿よりも痩せている気がした。
それでも、背筋はぴんと伸びていて、ショートカットの同じ栗色の髪には、よく見なければ分かり辛いくらいの白髪がある。
昔からそうだが、見た目だけなら、本来の年齢より10は下に見える。
『か…』
声を掛けようとしたが、詰まってしまう。
身体が緊張で委縮し、冷や汗が浮かんだ。
一歩も動けないどころか、後ずさりして陽苗がこちらに気付く前に病院を飛び出した。
回想が終わり、ペットボトルを額に当てた。
「いくじなし…」
目を閉じて自嘲する。
せっかく足立達が背中を押してくれたのに。
(会いたいな…)
ケータイを取り出し、アドレス帳を開いた。
“足立さん”と登録した番号がある。
通話ボタンを押し、耳に当てた。
ほとんど捜査本部で会っているので、こちらから連絡するのは初めてだ。
コール音が繰り返し聞こえて、「あれ?」と思った。
同時に、一度音が鳴りやみ、声が聞こえる。
「もしもし」
思わず持っていたペットボトルを足下に落とした。
「夜戸さん?」
「あ、あ、あだちさん…っ!」
コロコロと自分から離れて行こうとするペットボトルを追いかけながら言った。
慌てた声が丸聞こえだ。
「はーい、こちら足立です」
苦笑交じりの返事だ。
「す、すみません…、まさか繋がるなんて…っ。今、ウツシヨなんですか?」
ほとんどダメ元だったので、スムーズに言葉が出てこなかった。
「ううん。トコヨ。捜査本部だよ」
「え?」
どうして通じているのかわからない。
ツクモからの連絡なら関係ないらしいが、トコヨにいる間は、ウツシヨに戻る時でも、他の端末と連絡がとれない圏外の状態になっているはずだ。
「夜戸さんから連絡が来るなんて思わなかった」
「突然すみません…。あ、月子は…」
「さっき寝たところだよ。子どもは早く寝ないとねぇ。そっちは稲羽にはちゃんと到着できた? 車でも移動がすっごくかかるからね」
「はい。今…、宿泊先にいます」
「…天城屋旅館か」
宿泊する施設は伝えていないはずだ。
口止めしておいた落合か姉川が言ったのかと思ったが、足立は「わかるよ、それくらい」と笑い混じりに言った。
声だけ聞いていると、耳がくすぐったい。
普段はおちゃらけた口調だが、思い出したかのように発せられる真面目なトーンは不意に脳の奥にまで響いてくる。
「もしかして今、ロビーにいる?」
はっとして辺りを見回した。
どこかに足立が隠れているのかもしれない。
「ははは。生真面目な君のことだから、実際に事件現場を見ておきたかったんでしょ? さすがに警察署には行けないだろうけど」
見破られていた。
「遺族のところにも行ったんだよね? ……ひどいことされなかった? 僕が言うのもおかしいけどさ」
素直に、水をかけられた、とは言わなかった。
「酷いとは思いません。理不尽だとも思わない、当たり前の反応です。あなたは被害者にそれだけのことをしたんですから…。あたしも、遺族の怒りは真摯に受け止めますよ。それが怖くて、弁護士なんてやってられませんからね。足立さんだって、そうでしょう?だから、手紙をあたしに任せてくれたんじゃないですか?」
少し間が空いた。
向こう側で、頭を掻いている気がする。
「…頼もしい弁護士さんだよ。僕なんかにはもったいないくらいだ」
「そんな言い方しないでください。あたし以外の弁護士なんてつけさせませんからね。心おきなく頼りにしてください。堂島さんも、あなたのことを気にかけてますから」
「堂島さん…」
「会えましたよ。足立さんの言った通りの人でした。いい人ですね。家にお邪魔してコーヒーもいただきました」
「あの人のコーヒー美味しかったでしょ」
「……悔しいくらいです」
それは素直に認めた。
「…僕の事、何か言ってた?」
「堂島さんの話は…、帰ってからゆっくり話しますよ。足立さんの反応も見たいので」
「うわ…。なーんか嫌な予感するなぁ…。堂島さん…、何言ったのかな…」
うんざりしているだろうが、心の底からというわけでもなさそうだ。
きっと口角をあげているだろう。
(帰ってから…)
自分が発した言葉を反芻する。
カクリヨだけではない。
いつの間にか、足立たちがいるあの場所が、自分の中では「帰る場所」なのだ。
「だから…、待ってて下さい」
不安を抱えていたのが、バカらしくなった。
どんな結果になっても待っててくれる、と言ってくれたのだから。
それから数十分ほど会話して、通話を切った。
軽く伸びをして立ちあがると、こちらに、落合と姉川がやってきたことに気づく。
出るタイミングを見計らっていた様子だ。
「大丈夫?」
姉川が声をかける。
何気ないふりをしていたが、仕事から戻ってきた夜戸が心配だったのだろう。
(自分の事でいっぱいいっぱいで、周りが見えてなかった…。つくづく、あたしは、いい仲間に恵まれている)
夜戸は本心からの笑みを向けた。
「うん。もう大丈夫」
(母さんに会ったら、何から話そうか…。最初はやっぱり、大切な人たちができた…っていう話からかな。拒絶されても、胸を張って、大声で言おう)
.To be continued