25:Sweet and Bitter
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夜戸はいつものように黒のエプロンはつけず、シャツの袖を捲ってカウンターの内側に移動し、久しぶりに捜査本部でコーヒーを淹れようとしている。
サーバーやポットはすべて持ち込んだものだが、不在時でも置きっぱなしにしていた。
足立も自分の席に座り、大人しく待ちながら、喫茶店のマスターのような佇まいの夜戸を眺める。
解散したあとにも構わず、「コーヒーが飲みたい」という理由で訪れていた。
「突然戻ってきたから、驚きました」
「久々に、君のコーヒーが飲みたくてねぇ。まだ寝てなくてよかったよ」
そう言われて反射的に顔を伏せる。
知らず知らずに嬉しそうな顔を浮かべているかもしれない。
「……寝すぎたくらいでしから」
実際、眠気がやってくる気配はない。
ポットの細口から徐々に湯気の勢いが増してきた。
一度火を止めてから、コーヒー豆の香りを確認し、ドリッパーにセットし始める。
「?」
足立は違和感を覚える。
久しぶりとはいえ、いつもと手順が違っているように見えたからだ。
沸かしてから少し置いた細口ポットをつかんでコンロから上げ、セットしたドリッパーにゆっくりと円を描くように注いだ。
いつもなら、沸かしたてを注いでいた。
ホットケーキの残り香のある室内に、コーヒーの香りが混ざった。
棚から2人分のカップとソーサーを取り出してカウンターに並べ、サーバーからコーヒーをカップに淹れる。
「おまたせしました」
カウンターに置き、足立の右隣である自分の席に戻る夜戸。
足立は、淹れたてのコーヒーに口をつけた。
「…!」
素直に驚いた。
酸味は少なくて苦みはあるが、癖はなく、苦味が舌に残らず飲みやすい。
いつもと味が違う。
それどころか、いつもより美味しく感じた。
同時にやってきたのは、懐かしさだ。
初めてのはずなのに、この味をどこかで飲んだことがある。
「あたしのコーヒーです」
文字通り、と意味を強調して含めた言葉だ。
「……今までずっと兄さんのマネをして、コーヒーを淹れてましたから…。その方が、父さんも…母さんも…月子も…喜ぶから…」
家族の分のコーヒーを淹れていたのは、兄だった。
いつしか家のサーバーには触らなくなり、父や母の寂しさを少しでも埋めるために、幼い頃からずっと傍で作り方を見てきた夜戸が、代わりに淹れ続けていた。
そっくりにさせるために湯で火傷を負っても何度も練習し、その過程で気に入った味も見つけたが、それでも兄のコーヒーの再現に努力を重ね、成功して以降は頑なに出し続けた。
夜戸自身のコーヒーを出したのは、学園祭以来だ。
当時の足立は、夜戸の教室で行われたカフェで提供されたコーヒーが、夜戸が淹れたものだとは知らなかった。
「…………あの時…、それなりに、とは言ったけど、美味しいよ」
2度目を口にして気付いた足立が改めて感想を告げると、思い出すとは思ってなかった夜戸は、わずかに驚いて、「よかった…」と頬をゆるませた。
2人はそれから、昔話を今まで以上に語り合った。
直接面と向かい合った春の事も、蒸し暑かった夏の事も、体育祭や文化祭で忙しかった秋の事も、縮んだつもりの距離が遠くまで離れてしまった冬の事も…。
大人になって思い返してみると、あの時の自分達は、傍から見れば、少々青臭かったかもしれない。
口にした足立も、同意した夜戸も、少し恥ずかしげに笑った。
カウンターの席は6席、あの図書室のテーブルも6席だった。
生まれたタイミングも、生まれた場所も同じだったら、あの席で今のメンバーと雑談でもしていたのではないか。
夜戸がそう言うと、足立は「どうかな」と肩を竦めた。
「昔の僕と森尾君がつるんでるの、想像できる? 絶っ対勉強のジャマしてくるよ」
「想像すると面白いですけどね」
時間を忘れてしまうほど話し合った時、足立はふと口にする。
「だいぶ表情が柔らかくなったね」
「そうですか?」
そんなあからさまだっただろうか、と思わず頬に触れた。
「学生の時も、夜戸さんは、僕に対してはそれなりに素を見せてくれていたと思う」
「まぁ…、足立先輩は、あたしと程よく同じ距離感を保ってくれてましたから…。体裁を取り繕わなくて、気兼ねなく同じ空間に一緒にいられて…」
いつしか近づきたいと思い始めたのは、夜戸の方だった。
「足立さんだってそうじゃなかったんですか? 昔の方が口悪かったですよ。ひねくれてて、周りを小馬鹿にしてましたし」
「えー。そうだっけー?」
すっとぼけた態度だ。
「白々しい」と夜戸は思わず声に出す。
「…昔のあたしは、外見も性別も兄さんにはなれないから、兄さんの見よう見まねばかりしてました。人間関係が原因で自殺したと思ってる父さんは、友人を作らせようとはしてませんでしけどね。あたしもそれに従いました。ゲームで例えるならコンティニュー。やり直しですよ。安全なルートを通りつつ、優秀な弁護士へのゴールを目指しました。そこが両親にとってのハッピーエンドですから」
神剣を埋め込まれ、親や兄への愛情を失っても、使命として従い続けた。
現実離れしたことが起こらなくても、ゴールにたどりついて素直に喜んでいる自分自身が想像できない。
「兄みたいになろうとしたのは、兄の夢を継ぎたい、とかじゃなくて、単純に、見捨てられるのが…、あたしが死ねばよかったって思われるのが怖かっただけ…。そう思うと、色々湧いてくるんですよ。兄に対して嫉妬してたんじゃないかって。よくやった、優秀だ、自慢の息子よ、いい子ね、そればかり聞かされてきましたから」
その頃は、期待の眼差しを向けられたことは、一度だってない。
両親が構うのは、いつも日々樹ばかりだ。
「僕なら、自分より優秀な兄だとか弟だとか、嫌になるだろうねぇ。嫉妬が悪い事だとは思わないよ。小さい頃なら、両親を独り占めされて良い気はしないだろうし」
「叔父から、兄も神剣を受け継いでいたことを聞かされて、そちらも一手に引き受けようとしました。もう、あたしの意思なのか、兄の意思なのか、わからなくなって…」
しかし、その甲斐もあって、自身の闇に呑まれず生き残ったのは確かだ。
皮肉な話だが、兄のように死にたくない、と強く願ったからこそ。
「生き残ったのは君の意思だよ。お兄さんみたいになろうとしたのも君の意思だ。君自身がまるっと代わったわけじゃない。どう足掻いたって、誰かの代わりにはなれないんだ。本物には敵わない。僕に対しても、君は言ったじゃないか」
誰かの代わりとは思ってない、と。
「どういう人だったか僕は知らないけど、今でも君は、君のままだよ。頑固だけど寂しがり屋で、大胆なのに恥ずかしがり屋で、面倒見があって、背負いたがりの頑張り屋さん…。それが君だよ、夜戸さん。今はそんな君を認めてくれたり、心配してくれる友達だっている。お兄さんもそうだった?」
夜戸は、静かに、どうして…、と不思議に思った。
(あたしが知らない「あたし」を、あなたは知ってるんですか…)
目元が熱くなる。
誤魔化すようにカップに口をつけた時だ。
「あとは、こんな僕を好きでいてくれる物好きさんだし」
「ぶふっ」
噎せた。
「あっれ~。君言ったよね?」
頬杖をついて顔を覗き込んでこようとするが、夜戸は咳き込みながら手の甲を口元に当ててよそを向く。
(そうだった…。思わず言ってしまったんだった…)
「そ、そ、そうでしたっけ…」
足立のように上手にすっとぼけることができない。
動揺で声が震えて真っ赤な顔では誤魔化しが効かなかった。
「ねぇ、おかわり欲しいんだけど」
ソーサーの上に置かれた足立のカップに目をやると、いつの間にかコーヒーはなくなっていた。
居た堪れなかったのでちょうどよかった。
「い、今淹れますから…」
席を立ち上がろうとした時、不意に腕をつかまれた。
心臓までつかまれた気がした。
「……足立…さん?」
「おかわり」
「……ですから…、今…」
「もう一度、言ってくれる? 俺に」
コーヒーの事ではないと気付かされた。
真剣な眼差しは、夜戸の視線を彷徨わせ、熱を上昇させていく。
言うまで放さないつもりだ。
手錠で繋がれたみたいに抵抗できない。
「すっ」
声が裏返った。
もう一度。
「好き…です…。今も…、あなたが……」
死んだふりをしたせいであやふやになっていた、「今は?」、という質問の答えにもなっている。
まるで子どもみたいに、あからさまに照れる自分自身が嫌になった。
誰が見ても、ゆでだこみたいに真っ赤だ。
手を離してくれないと、このまま溶けてしまうのではないか。
痛みとは違うもので心臓が破けてしまうのではないか。
それでも、足立に聞きたいことがある。
「あ…、足立さんは……」
「……………」
「……………」
質問は最後まで言えなかった。
足立の顔がゆっくりと近づいてきたから、吸い込まれるように夜戸も近づけ、自然と目を閉じた。
触れ合う唇も、つかんだ腕も、すぐに離す気はどちらもないらしい。
夜戸は一度閉じた目を開ける。
至近距離には目を閉じた足立の顔、ふっくらとした唇の感触、甘くて苦い香りと味…。
(ずるい…)
このままでいたい、と願ってゆっくりと目を閉じた以上、同じ質問は、今はおあずけだ。
.To be continued