00-A:A story you never knew
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『足立先輩は、バカです』
彼女にそう言い捨てられてから、1週間が経過した。
本当に図書室に来なくなった。
むしろ遅かった方か。
本来なら、文化祭のあの事件のあとに来るべきじゃなかったのでは。
いつぶりだろうか。
彼女が現れるまでの2年間の昼休みは、ひとりで勉強していた。
室内は図書室だというのに騒々しく、窓から見えるのは呑気に遊ぶ奴ら。
一段と、煩わしく感じた。
イライラのあまり、鉛筆の芯の先がノートの上で、バキッ、と音を立てて折れる。
身の周りの音って、こんなにうるさかっただろうか。
その日の下校時間に、家に帰る気分でなかった僕はもう一度図書室を訪れた。
誰もいなくて安心だ。
今日中に終わらせておきたかった問題集も、ここで終わらせてしまおう。
ここのところ、最悪な日が続いていた。
模擬試験の結果がほんの少し下がっただけだったのに、親には愚痴を言われるし、「勉強はちゃんとしているのか」確認はウザいし、塾の講師には勝手な期待を押しつけられるし、ろくに眠れないし。
目の前の問題集の文字が歪む。
あー、昼食を食べなかったからだ。
食欲はないくせに、身体は栄養補給を要求している。
少し仮眠したい。
メガネを外さず、腕を枕にして頭を休ませる。
下にはノートがあるからヨダレをつけないように気を付けないと。
キィ…、とドアが開く音が聞こえた。
誰かが本でも返しに来たのか。
まぶたは閉じたままだが、脳のシャッターが下りる前だから気配に気づいてしまう。
「…足立先輩?」
彼女の声だ。
ゆっくりと足音がこちらに近づいてくる。
応えるべきだろうか。
このまま出て行くのでは。
ちょっと考えて、寝たふりで様子を窺うことにした。
すぐ近くに気配を感じる。
けっこう近いんじゃないか。
目を開けるのをぐっと耐える。
そっと、こめかみに彼女の指先が当たった。
びっくりして脳のシャッターが思い切り上げられる。
取り去られたのは、僕のメガネだ。
傍にいるのは感じている。
何をしているのか気になり、右目だけ薄く開けてみる。
彼女は、僕のメガネを掛け、窓の方を見ていた。
窓に映る自分の顔を見ているのだろう。
不思議そうなその顔に、
「っく…」
ついに噴き出してしまう。
さすがに気付かれた。
だけど、僕は口からこぼれでるくすぐったいものを止められない。
「やっぱりだ。似合わない。ははっ」
彼女は珍しげなものを見たようにきょとんとしていたが、もう一度窓で自身の姿を目にし、口元を緩めた。
そして、「ふっ」と音を立てる。
「ふふっ。変なの」
彼女は、僕の前で初めて笑った。
常に無表情で、どこか大人びた彼女が、今はあどけない少女ではないか。
内心で驚きながら、僕は彼女の笑い声にひきよせられて笑っていた。
きっとこの顔は、誰もが知ってるものじゃない。
僕だからであってほしい。
お互いの存在が何なのか、答えがあるのなら。
彼女の口から、直接…。
「君は…、彼女の兄…、日々樹のただの代わりだ」
「……え?」
12月21日金曜日、突然、彼女の父親と名乗るスーツを着た男に、正門で彼女を待っていた僕に声をかけてそう言い放った。
僕の頭の中は、辺りの雪みたいに真っ白だ。
終業式が終わって、もしかしたらと思って閉められた図書室の前で待っていたら、彼女が来て、未来の話をして、一緒に帰ろうとして、僕は正門で待って…。
『図書室のあの席は、あたしと先輩だけの席です。誰にも譲りたくないんです』
『だから…、先輩が大学に行ってしまっても、また…、一緒に…』
そうだ…、一緒に。
「何も聞いてなかったのか?」
「……………」
何も、聞かされていなかった。
彼女が母親と一緒に墓参りに行った夏を思い出す。
あれは、兄の墓参りだったのか。
母親は僕の事を幽霊でも出会ったみたいな顔で、「ひびき」と呟いた。
僕に対し、彼女はそのことを、誤魔化した。
彼女の父親に写真を手渡された。
短髪で、メガネをかけていて…。
ああ、確かに…似てると言われたら…。
「日々樹…。娘が9歳になる前に、高校3年で亡くなった。年がほどよく離れていたからか、父親である私よりも懐いていたよ」
なぜ死んだのか、兄と妹の関係はどれほどのものだったのかを説明されながら、写真の端をつかむ指に、力が入る。
僕は言葉を出そうとしたが、喉が奥まで凍りついたみたいに、白い息しか吐き出すことしかできなかった。
「娘と余計な関係を築いているようだが、君の姿を見て納得したよ。娘は、未だに兄の影を追いかけているきらいがある。君、今の学年は…?」
「…3年…です」
か細い声だが、聞き取れたようだ。
「ああ、よかった…。卒業したら、金輪際…娘に会うのはやめてくれないか。できれば、今から…」
出会ってからの、彼女の思い出が駆け巡る。
『喋れるんですね』
最初のあの言葉は、僕に向けて言ったものではなかったのか。
彼女はずっと、僕と死んだ兄を重ねながら接していたのか。
あの笑顔は。
笑い声は。
誰に向けて。
「兄の代わりにはなれない。役不足だ」
鋭く、尖った言葉だ。
胸に刺さり、僕の心に真っ黒な穴を開けていく。
同時に、横から伸びた手が写真を奪い取った。
「父さん…!」
彼女だ。
急いできたのか、息が荒い。
「私に嘘をついたな」
「ウソなんてついてません!」
どうしてそんなに必死なんだ。
「友人なんて無駄な縁を作るな」
「先輩は友人じゃない!」
じゃあ、なんなの。
「なら、やはり死んだ日々樹の代わりか。少し、似ているからな」
期待させないでくれよ。
「違う!!」
もう、いいよ。
「お兄さんいたんだね」
「先輩…」
彼女と顔を合わせる事が出来なかった。
どんな表情を浮かべているのか、見ることが出来なかった。
「早く言ってくれればよかったのに。写真で見たら、けっこう優しそうじゃない。僕と違って」
「違う…。先輩…、あたし…、そんなつもり…」
「僕って、結局、何?」
「……………」
彼女は答えない。
白紙を返してきた。
「悪いね。最後までお兄さんっぽくできなくて。…だから、他を捜してよ」
僕は歩き出す。
その瞬間も、彼女の顔は見ない。
「待って…。……足立先輩…!」
袖に彼女の指先が触れる。
反射的に、振り払った。
「俺に触るな」
あーあ、我ながら酷い言葉だ。
「……先輩…」
僕は歩みを止めない。
彼女はそれ以上追いかけて来なかった。
「あたし、あの場所で待ってますから…」
彼女は震えた声を張り上げる。
「あの図書室で、待ってますから…!」
僕は振り返らないまま、雪の中を進んだ。
灰色の雲を見上げる。
ちらちらと降る雪の一粒が、僕のメガネのレンズに張り付いた。
「バカみたい」
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