00-A:A story you never knew
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夏の朝は、太陽が昇った瞬間から、蝉のコーラスに包まれた灼熱地獄の入口だ。
せっかくシャワーを浴びてすっきりしたところなのに、家の外から出てしまえばじっとりと汗が浮かび、シャツに染みを作ってしまう。
両親はもう出かけている。
「行ってきます」なんて言葉は不要だ。
本日の塾で教わる範囲を復習しながら徒歩で向かった。
頬を伝う汗が、参考書に滴り落ち、手の甲で汗を拭う。
たまにメガネを上げては、鼻当てが当たる部分も拭った。
「だる…」
たいして大きくもない参考書が一段と重く感じる。
『今日は一段と暑いですね』
図書室で言った、彼女の小さな声を思い出した。
暑さのせいか、白い肌が薄い桃色に染まっていた顔が、ぼやけることなく僕の脳裏にこびりついていた。
今頃、あの後輩は、涼しい部屋で優雅に勉強に勤しんでいるのだろう。
彼女の父親は、娘に勉強を強いるくせに、塾には行かせないようだ。
いい大学に行かせたかったら、普通は行かせるもんじゃないのか。
仕事が弁護士で、さらに有名ならば、金に困ってないはずだ。
僕の親より数万倍過保護なのでは。男と女の違いってやつだろうか。
通っている塾教室は、バスで10分もかからない場所にある。
「いいか! 君達、受験生は、今が勝負時だ! 時間なんて待ってくれないぞ! 戦略を頭の中に叩きこみ、鉛筆という剣で戦うんだ! 周りは全員敵だと思え! みんなが君の席を狙っているぞ! 絶壁に囲まれた椅子だ! 私はそんな君達に教えたい!! 今やらないで…いつ…」
あ、つ、く、る、し、い。
せっかくクーラーが利いた塾教室なのに、体育教師じゃあるまいし、講師が熱血すぎる。
蝉の声を聴いていた方がマシ。
不安を煽るな。
周りを見ろよ。
誰も聞いてねえし。
時間がないっていうなら、毎度この熱演から始まるのはやめて、大人しく講師を努めてくれ。
鉛筆の後ろでこめかみを掻いてから、くるくると回す。
後輩は、これが苦手らしい。
笑えるくらいヘタだ。
たまに僕のを見てマネしようとするが、上手くできた試しはない。
指から離れてテーブルやノートの上に転がるだけだ。
一度失敗したそれが、ペチンッ、と僕の額に当たったこともある。
そもそも僕は練習してないし、気が付けばできるようになっていただけだ。
なんてことを思い出していると、講師が通常モードに戻り、ホワイトボードにマジックペンで公式を書き始めていた。
僕は鉛筆の先を見つめ、剣か…、と内心で呟く。
僕は剣より、銃の方が好みだけど。
講師が背中を向けている間に、指で拳銃の形をつくって、講師の背中に向け、誰にも気づかれない程度に、バン、と撃つ。
罪状は、僕の貴重な勉強時間を奪った罪だ。
『警察官が無闇に人に銃口向けてはいけません』
記憶の中の彼女にたしなめられた。
人に向けて何が悪いのさ。
向けられるまで悪い奴って見破れなかったら、やられるのはこっちだっての。
あー、こんな歪んだ性格のまま大人になってしまえば、本当に冤罪を作ってしまうかもしれない。
けど、守ってくれるんだっけ。
未来の弁護士さんが、未来の公務員さんを。
子どもじみた約束が果たされるわけがないのに、そんなことを考えてしまう。
でも、あの時僕は笑わなかったな。
「バーカ。そんなことあるわけないだろ」って。
夕方の帰り道は、涼しい。
僕が勉強している間に灼熱の時間は過ぎ去ったようだ。
空がオレンジ色に染まるのはもう少しあとだ。
バスを降りて、しばらく歩いたところだろうか。
不意に目の前から強い風が吹き、一度立ち止まって踏み止まった。
「…ん?」
その際に上を向いたから、空にぽつりとある物体がくるくると回転しながら、こちらに降下してくるのを見つけた。
近づいてきたのは、リボンのついた女性用の帽子だ。
僕は半歩後ろに下がり、手を伸ばしてつかみとる。
カツ、カツ、という慌てた音がどこかから聞こえ、途中で止まった。
「足立…先輩…」
その声に、僕は振り返る。
ノースリーブで爽やかなグリーンの生地に白い花柄が散らばったワンピースを着た女だ。
優しい風が、裾をひらめかせる。
白い脚が見えた。
さっきの音は、彼女が履いていたヒールつきのサンダルだったようだ。
全身を見たあとに、顔を見て、僕は彼女だとようやく理解する。
彼女の私服姿は初めて目にした。
突然の事で、胸の中がうるさい。
僕は、あれ、と疑問を浮かべた。
夏休みは引きこもりって宣言してなかったか。
誰かと出かけていたのか。
誰と。
誰とだ。
「…夏休みは引きこもりじゃなかったの?」
思わずトゲまみれの声が出てしまう。
「墓参りくらい許してくださいよ」
彼女はトゲまみれの言葉を押しのけるように両手を出した。
「…ああ、そう言えばお盆か」
遊びに行ったわけではなさそうで、胸のムカムカが落ち着く。
「先輩は塾ですか?」
「そうだよ。僕は宣言通り」
嫌味っぽく聞こえるだろうか。
彼女は気にしている様子ではない。
「それよりこの帽子、君の?」
僕は彼女に帽子を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
彼女は両手を出して受け取るが、被らない。
「――――」
まるで僕にかけるように、彼女の後ろから別の声が聞こえた。
彼女の表情が強張る。
僕は彼女越しに視線を移した。
長袖の白のワンピースの女性がそこにいた。
驚いたかのように見開かれた大きな瞳が、僕を見る。
知らない女性だ。
おそらく会ったことは一度もないはず。
誰かなのかは、その栗色の髪と顔つきで察する。
彼女の母親だ。
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