24:Let's go back
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人々の影の声は、雑踏と混ざり合いながら飛び交っている。
目を閉じれば、直接口から発せられている気さえした。
しかし、あれほど悩ませていた夜戸の影の声は、見えるどころか聞こえなくなっていた。
胸に、自ら新たな傷痕を刻みつけた時からだ。
2日後、「日常」の変化はもうひとつ起きた。
夜戸法律事務所へ向かう途中、見覚えのある青年が、不在中の事務所から出て来たのを見かけた。
数年前に放火未遂事件を引き起こし、裁判所で夜戸影久が弁護を担当していた青年だ。
当時、傍聴席でその様子を眺めていたことを思い出す。
(確か…、鹿田……)
ため息をついて残念そうに去っていく背中に、何か用があったのではないか、と声をかけるべきか迷った挙句、追いかけた。
鹿田は途中で立ち止まり、一軒の家を眺めていた。
夜戸は曲がり角で立ち止まって様子を窺う。
蝉の合唱に包まれた町の中、裕福そうな家からは、幼い子どもの笑い声がよく聞こえていた。
鹿田の横顔から見えた目が虚ろになったのは、一瞬だ。
『…燃えればいいのに』
距離は離れていたが、確かにその声は聞こえた。
瞬間、突風を全身で受けたかのような衝撃を覚える。
鹿田の過去が目の前に飛び込み、思わず呻くほどの胸の痛みに襲われた。
(痛い、痛い、痛い、痛い…!)
新しい家を前に幸せそうに笑う家族、コブシを振り上げる父親、殴られ泣きわめく子ども、傷だらけで家を出る母親、燃える家…。
その時の苦痛や感情を、身に受けた感覚だ。
衝動に耐え切れず、黒いナイフを握りしめて一気に鹿田に詰め寄り、その額を切りつけた途端に、唐突な痛みはウソのように消えた。
すぐに住宅の塀の後ろに隠れて再び様子を窺う。
いつも通り、黒い影が出ると思っていた。
『?』
一度よろついた鹿田だったが、怪訝な表情を浮かべたのもつかの間、何事もなかったかのように立ち去った。
『…どう…なってるの?』
確かに見た。
黒い影が飛び出さない代わりに、額に傷痕が残ってしまった。
出血はしておらず、鹿田がそのことに気付くのは少し後になるだろう。
鹿田だけではない。
法律事務所に関わった何人かが、鹿田と同じ現象が起こった。
こちらが味わっている気になるような生々しい過去を見せつけられ、痛みに耐えきれず黒いナイフで切り付ければその個所に傷痕が残った。
中には、過去を見た直後に、誰かも確認せずに切りつけていたこともあった。
なぜなのか、夜戸には理解できない。
月子に尋ねても、「聞いたことがない」と驚いていた。
数日後、一仕事を追え、裁判所を出たあと、近くの公園のベンチに腰掛け、缶コーヒーを飲みながら休憩を取り、背後の噴水の音に耳を澄ませて宙を舞う青葉を目で追いかけた。
人ごみと違って、公園は静かで落ち着く。
日曜の昼間に遊ぶ子ども達のはしゃぎ声と駆け足が聞こえた。
同じ年頃の2人の男の子のひとりが、どこからか細い枝を持ってきて地面に1mほどの一線を描く。
すると、枝を投げ捨て、先程描いた線を中心に、もうひとりの男の子と両手を合わせて押し合いを始めた。
夜戸は眺めているだけで、なんとなくルールを把握する。
線の向こうへ踏み込んだのは、枝で描かなかった方の男の子だ。
ガッツポーズをして勝ち誇った顔をしている。
もうひとりは納得いかずに「もう1回」と叫んでいた。
『……一線を越えた…ってことかな…』
地面の、擦れた一線を見つめながら呟く。
思い浮かんだ可能性に対し、冷静に、胸に手を当てて考えた。
『今まで死んだ人間は、自ら死を望んだから死んだ…。だけど、今回は違う…』
死の間際、這いつくばってでも選んだのは、捨てるはずの生だった。
ぼんやりと覚えている。
『はーあ…。生き残っちゃった…』
正しい選択、とは言い難かった。
身体は発作的に人を切りつけるばかり。
終わりの進行を止めた事にはならない。
だからといって。
『死ぬのが嫌…と言うより、自分で終わらせるのが嫌…だったんだけど…』
理由はどうあれ、比較するなら、たまたま生の方が勝ったのだ。
人間らしい心がなかった頃の方が、世の中を生きやすかったかもしれない。
『人間って、なんとなく…』
子どもが先程投げ捨てた枝が足下に落ちていたので、拾って浮かんだ言葉を書いてみる。
“面倒苦祭”
やる気のない学園祭を前に、気持ちのままにノートの端っこに作り出された言葉を思い出した。
懐かしさを伴ったほのかな温かさに、普段はまったく動かない口角が動き、思わず手を当てる。
『会いたい…』
今度は口に出した。
『まずは、先輩に会ってみよう。覚えてくれてるかな…』
手紙の返事は来ないままだ。
なので、こちらから出向くことにした。
追い返されるかもしれない。
会ってくれるかもわからない。
それでも、どうか、それまで今ある世界が終わらないように、と願いながら歩き出した。
一度でも終わってしまえば、2度と会えないのだから。
ザ――――…
画面の映像がノイズにかき消される。
「1ミリも…巻き込むつもりはなかったんです」
座り込んでうつむく夜戸の顔を見上げ、足立は、「そうだろうね」と言った。
トコヨの世界に足を踏み入れたのは夜戸も初めてで、足立が異世界と関わりがあったことを知ったのは、足立がツクモに導かれてトコヨで遭遇してからなのだ。
「裏で、二又が関わってたってのは知ってた?」
傷痕を持つ人間の欲望に拍車をかけて暴走させた張本人だ。
「薄々…。Yの正体を割り出した時ですね…。それでも…、みんなに火種を植え付けたのは、あたしです。欲望のままに、自分でも記憶に残らないほど…刈り取ってきました」
前に、足立がツクモに話していた、スリの話をふと思い出した。
その時、ソファーで眠っていたはずの夜戸は密かにその話に耳を傾けていた。
特別な力を手に入れ、その力に振り回されて破滅した、人間の話だ。
まるで自分自身ではないか。
「殺されたいと願ったのは、いつから…?」
「いつからと言いますか…、初心にかえったと言いますか…。このままでいられるはずがないと気付かされたんですよ…」
絶望を思い出させたのは二又だ。
姉川は意識不明の重体になるほどの怪我を負わされ、足立は拉致監禁されて拷問じみた暴力や精神的苦痛を味わされた。
すべて、自分のせいだと突き付けられ、思い知らされた。
“怖い…”
テレビの中から、ノイズ混じりの夜戸の声が聞こえる。
“みんなから…責められるのが…怖い…”
“失うのが恐ろしい…”
“このままだと気付かれる…”
“世界の終焉も知られた…”
“そろそろ終わらないと…”
“あたしは裏切り者だ…”
“それならいっそ…”
“罪人として殺されたい…”
“ひとりじゃ死ねない…!”
“殺してよ…!!”
目を覆って叫ぶ夜戸の姿が映り、
ガチャーンッ!
投げつけたナイフが、テレビ画面を破壊した。
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