00-1:Just because…
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子どもの頃から、なんとなくわかっていたことがある。
『夜戸さんのお子さんはしっかりしてるわね。うちの子とは大違い。見習ってほしいわ』
『夜戸さんって最近つまんなくなっちゃったし、何考えてるかわからないよね』
『さそわない方がいいよ。どうせ来ないもん。夜戸さんはおべんきょうがおともだちなんだって!』
周りの子たちとは違うことをさせられている、と。
小学生低学年の時、思い切って、勉強会をうちでしよう、と誰かを誘ってはみたものの、帰ってきた父に怒鳴られ、友人になれそうだった子たちは追い返され、部屋に閉じ込められて机にかじりつかされる。
「勉強」って名のついたものなら許してくれるものだと思っていたけれど、あたしに悪影響を与えそうなものは徹底的に排除したいようだ。
そんな生活は中学生になっても変わらない。
勉強机の端に置いたデジタル時計を見る。
午後5時を迎えようとしていた。
隣の窓に寄って、歩道を見下ろす。
3分ほど眺めて、もう過ぎてしまったか、と思った時、彼は来た。
同じ体勢に慣れているのか、手に持っているものを読みながら、景色をくだるように、ゆっくりと歩いてくる。
参考書だろうか。
ここからでは茶色の表紙の文字は見えない。
おでこが見えるほどの短髪、大きなレンズのメガネ、偏差値が高いと噂の高校の制服、左胸には船のイカリのマークが逆さに入った校章がある。
ネクタイがいつもちょっと曲がり気味なのも気になった。
話したことはまったくない。
こちらから話しかけたこともない。
それどころか、名前も知らなければ、目を合わせたことだってない。
通りすがりの赤の他人には違いない。
それでも、気付けば目で追うようになっていた。
彼がランドセルを背負った頃から見かけていた。
時が経っても、彼は誰ともつるまず、いつも下を向いている。
帰りは大体同じ時間。
時々遅れる日があるのは、塾があるからだろう。
あたしは、彼の寝癖で跳ねた毛先を見つめながら呟く。
「お互い、大変ですね」
親の言いなりなのか、好きでやっているのかはわからない。
彼の口から聞かないかぎり。
ランドセルから肩掛けのカバンになった時期と、彼との年の差を考え、机の上に広げたパンフレットを見た。
彼と同じ高校だ。
彼の制服でなんとなく決めた行き先。
幸い、偏差値の高い学校なので、父は許してくれた。
本当はもっと上の学校に行ってほしいとぼやかれたが、母があと押ししてくれて助かった。
でも、さすがに大学は父自身に決められるだろう。
来年で彼は3年生。
あたしは1年生。
同じ学校の中だと感じられる期間は、たったの1年だ。
変化がなければ、それでもいい。
輝かしい学生生活など夢を見ているわけではない。
すっかり衰えたコミュニケーション能力では無理だ。
ただ、小さな望みを言えば、一度でいいから彼の顔を真正面から見てみたい。
なんとなく、それだけ。
再び窓に視線を移した時には、彼の姿はいなくなっていた。
遠くの方でカラスが鳴いた。
あたしは目をこすり、問題集を一度閉じて机の一番下の引き出しからお気に入りの人形を取り出し、まくらのようにして顔を埋めた。
「5分休憩…」
幼い頃に叔父から貰った動物の人形。
見た目よりも抱き心地が気に入っている。
できるだけ、父の目には触れないところに置いてある。
見つかったとしても、嫌悪の表情を浮かべて不機嫌になることくらい。
ふかふかで、辛気臭いことを忘れさせてくれる。
彼を見る事。
この人形を抱く事。
それが、冷めきった心があったかくなる時だ。
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