20:Move it
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民俗学者の傍ら、朝霧昌輝は故郷の言い伝えの研究に没頭していた。
子どもの頃に実家の古い蔵で、言い伝えの記述を発見したのがきっかけだった。
成人を迎えた頃には母と姉を残して故郷を飛び出し、異世界やシャドウに携わる研究を行っている施設に招かれ、数年後、功を奏して神剣を宿した者達を見つけることに成功した。
それが、ツクモと二又だった。
宗教団体に監禁状態に遭わされた2人は、保護という名目で施設に連れて来られた。
警察に内部告発のかたちで団体の今までの活動を通報し、攪乱させ、警察側に突入される前に研修所側で二又とツクモを昌輝を筆頭に回収したのだ。
『ツクモ様』と信者から崇められて小奇麗な礼装を身に纏ったツクモと、満身創痍でしばらく意識の回復に時間を要した二又。
2人の胸の中心には、共通してナイフで刺されたような傷痕があった。
ツクモは、長年、祭壇の後ろに設置された檻の中に入れられた状態で崇められ続け、二又はその宗教団体の祭司の息子で、檻の中で虫の息の状態で放置されていた。
『欲望教…』
施設の寝室で意識を取り戻した二又から、ベッドの脇に座る昌輝は、宗教団体の活動内容を聞いていた。
ほとんどは内偵を通じて伝えられたままの内容と相違ない。
『欲望に忠実に従うことが正しい、と信じてやまない連中の集まりだ。膨れ上がった欲望をツクモ様に捧げる事で、救われたと、神の一部になれたと思い込む…』
『…なぜ、君が…』
胸の傷痕に視線を向ける。
二又は傷痕に手を添え、自嘲した。
『選ばれたわけじゃない。オレが決めたことだ』
のちの報道では、親である祭司が行方知れずということが判明した。
だが、どこかに隠れていたとしても、宗教団体は解体し、崇めるべきツクモもいない。
それから半年後、逃走中のひとりの信徒が遺体で発見された。
山の崖を自ら飛び降りたと判断された。
遺体の胸には、最後の神剣が埋め込まれていた。
昌輝の研究室には、ツクモと二又が住んでいた。
ツクモは相変わらず茫然としたまま何も喋らない。
監禁されていた時から、無口だった。
二又は時折、昌輝の研究を手伝った。
資料の作成、備品の整理や運搬、そして治験。
助手らしく敬語も使うようになった。
たまに愚痴をこぼすときはあったが、心底不快に思うほどでもない。
元からそういう性格なのだろう。
『ツクモは、オレが赤ん坊の時からいるらしい』
血液の採取を行っている際、昌輝と2人きりの状況で言い出した。
『なら、記述通り…』
『ああ…。そんなことも書いてあるんですね…。神剣を埋め込まれた者は、その時から年を取らなくなる…。まあ、不老不死じゃなくて、単に見た目が変わらないだけ』
それでも、本当の名前を忘れるほど、閉じ込められてきたのだ。
ツクモの知性は幼いままだ。
まともに読み書きもできない。
『もしかしたら、私より年上かもしれないな』
注射器に採取した二又の血液を見ながら言った。
『昌輝さん、いくつ?』
『今年で25だ』
『もっと上だと思ってました』
『どういう意味だ』
『いだだだ』
右の二の腕をぎゅっとつねられた。
『結婚はしてるんですか?』
つねられた個所を擦りながら尋ねる。
薬指に指輪はないから察した通りの答えが返ってきた。
『してない。いい年だし、親に催促されるかと思ったが、姉が故郷を離れて先に結婚して子どもを産んだから安心している』
胸ポケットから取り出された写真を見せられる。
メガネをかけた聡明そうな、男の子の写真だ。
小学生の高学年くらいだろうか。
賞状をこちらに向けて微笑んでいる。
『甥っ子?』
『ああ。近々、この子の家庭教師をしながら、姉の家に住まわせてもらう予定だ。遠慮したのに聞いてくれなくてな。寝泊まりはここで過ごす』
昼間と深夜は研究、それ以外は甥の家庭教師という時間割だ。
『いつ寝るつもりですか』
『慣れてるから心配ない』
昌輝の目元には薄いクマが見当たった。
二又は写真を見つめ、「昌輝さん…」と頭に浮かんだことを口に出す。
『この子に手伝ってもらうのは…』
『だめだ』
言い切る前に遮った。
『勝手な言い分かもしれないが、家族は巻き込みたくない』
『…へぇ』
写真の甥と目を合わせる。
(希望に満ち溢れた顔だな)
胸の底から、泥がせり上がってくる感覚があった。
それから数年かけて、昌輝を含めた研究者たちは欲望を切り離す能力が宿った神剣の宿主を捜していた。
古い家系図や故郷の資料などを頼りに探し当てたかと思えば、すぐに壊れた。
『あーらら…』
深夜の無人の公園で、二又は、遺体の傍でしゃがんでいるツクモに近づいた。
ツクモは静かに遺体の顔を見下ろしているだけだ。
それから、手に握りしめていたものを口に運んでバリバリと音を立てて食べ始める。
『その小さな手のひらくらいしか集められなかったのかぁ』
何人もの他の研究者たちが、遺体の回収にきた。
昌輝は、公園の水飲み場付近で嘔吐している。
二又は無言で、丸まった背中を眺めながらため息をついた。
ふとツクモに視線を移すと、同じくその光景を眺めている。
『上の意向に逆らったら、研究は打ち切り。よく我慢してる方だと思う。そしていい加減気付くだろうさ。今の研究所は、オレとお前がいたところと変わらない。探求心って欲望に呑まれちまってる』
他人の欲望を目の当たりにして切り離す能力は、厄介だ。
人間の存在に絶望し、精神が壊れる者もいれば、自ら命を絶つ者もいる。
長持ちしても2年で破綻してしまう。
10代で、朝霧の血が濃ければ濃いほど適性が高い、と分析結果も出ている。
そんな都合のいい人間の存在は、必ず限界を迎える。
すべて失って研究が打ち切りという事態も、昌輝が想定していないはずはない。
『そいつの絶望は食べてやらなかったの?』
『……………』
耳は聞こえているはずなのに、ツクモは無反応だ。
しかし答えはわかっていた。
『…綺麗に切り離された状態で食べないと、毒みたいに苦しいもんなぁ』
(オレの能力だと、せいぜい、消費期限を伸ばす程度…)
右手のひらを見つめる。
(切り離すのとは違う。欲望・感情・記憶…。植物で例えるなら、水を与えて活性化させたり、逆に、枯れる原因を部分的に摘んで誤魔化すだけ。サポート役に見せかけて、きっかけがあれば簡単に元通りだ)
できるだけ、いい意味でも、悪い意味でも、世の中に対して無関心な人間がいい。
(…昌輝さん…、あなたが動かないなら、オレが動く)
思い出したのは、昔見た写真の男の子だ。
最近は姪の写真も見せられたことも。
容姿が変わらないせいで時間を忘れかけるが、おそらく甥の方は今は中学生くらいだろう。
『たくさん実験してきたんだ。適性も、オレの能力も』
適性は高い方がいい。
このまま、あの幸せそうな顔の少年を、ただの無価値な大人にさせてしまうのは癪だった。
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