16:I want to touch you
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病院の匂い、薄暗い霊安室、目を閉じた兄の亡骸、傍で泣きわめく母親の姿…。
『日々樹…!!』
父親の影久は、日々樹の亡骸を見つめたまま微動だにしなかった。
夜戸は、兄が死んだことに実感がもてず、茫然と立ち尽くしている。
眠っている兄に、母親がすがりついて泣いている光景を見つめていた。
霊安室に響き渡る母親の嗚咽。
小さな体がようやく動き、傍に行こうとした。
『嫌よ…。どうして…!』
母親は、氷のように冷たくなった頬に触れて疑問を口にする。
『どうして日々樹なの。どうして、日々樹が死んで……』
小さな夜戸は、足を止めた。
「フー…」
現在、夜戸は深く息を吸い、体内の空気をまるごと交換するようにゆっくりと吐き出し、少し見上げ、天井や壁など建物の各所に設置されている監視カメラに目をやった。
久遠は警戒してこちらを窺っている。
「……来ないんですか?」
夜戸はナイフを器用に手のひらの中でくるりと回した。
「!」
「次はあたしからいきますよ」
宣言した直後に、すぐ間近まで接近してナイフを斜め上に振り上げた。
「っ!」
久遠は反射的に鉤爪で応戦する。
ナイフを防いで首筋を守った。
夜戸は軽やかな動きでナイフを振り回し、久遠を翻弄する。
少し離れた場所で眺めている二又も同じだ。
小型ナイフを投げるために構えてはいるが、夜戸の動きが速くて狙いが定まらない。
(この女…! 突然動きが…!)
ナイフの力に手加減はない。
冷たい瞳が久遠を射抜く。
一度夜戸が手を止める。
同時に、久遠は頬に痛みを覚えた。
左頬から、一筋の血が流れる。
浅く横一線に切られたからだ。
「私の…顔に…っ!」
夜戸は知ってか知らずか、最もやってはならなかったことだった様子だ。
鉤爪とは逆の手で顔に触れ、みるみると般若みたいに顔が歪んでいく。
「傷害罪で訴えますか?」
それ以上の傷を受けている夜戸は、無意識に冗談交じりで言った。
「ありえない…。私の顔を切るなんて…! 許さない…!!」
理不尽な言葉に困惑する夜戸ではなかった。
どうしてそこまで怒る必要があるのか理解できず、不思議そうに首を傾げる。
「顔がなんですか。そんなものより、今の久遠さんの方が欲望に忠実でわかりやすくて素敵ですよ」
「バカにしてるの!?」
馬鹿にしたつもりは欠片もなかった。
鼻息を荒く激高している久遠に対し、夜戸は淡々と言う。
「言いたいことはガマンして、ネチネチと隠れて嫌がらせしてきたあなたよりかはだいぶマシだと言ってるんですよ。汚物の入ったお茶を飲ませようとしてきたり、仕事についてきながら人の弱みや欠点を探ったり、裁判に使用するデータをどこかへやったり…。いい大人が恥ずかしくないのかと思ってた。今、いくつでしたっけ? えーと…」
言いかけたところで鉤爪が顔面目掛け突き出され、ナイフを軽く当ててわずかに軌道をずらしてかわす。
「ああ、年齢も気にしてましたか」
「殺す…っ!!」
「その言葉も直球でわかりやすいですけど、逆切れはなんとなく心外」
触れれば火傷を負いそうな熱を持った殺意をぶつけられても、夜戸の態度は冷ややかだ。
久遠は後ろに飛んで距離を置き、鉤爪を天井に掲げる。
「シギヤマツミ!」
召喚されたシギヤマツミは風を纏い、それらを球体にして集め、疾風魔法を放った。
「イツ」
イツも刃先の中心に風を集めて塊として放つ。
疾風魔法が夜戸と久遠の間でぶつかり、弾け飛んだ。
威力は押し合いに持ち込めないほど互角だ。
髪とジャケットをなびかせながら、夜戸と久遠は突風に耐えて次の攻撃に備える。
先に接近してきたシギヤマツミが両手のサブマシンガンを構えた。
「穴だらけの醜い体にしてあげる」
先手を取ることができた久遠は、目元をひくつかせながらニヤリと笑った。
引き金が引かれる直前、夜戸はナイフを向けて言い放つ。
その際、微かに口角が動いた。
「イツノオハバリ」
ダダダダダダダダダ!!
耳をつんざくほどのけたたましい銃声が響き渡る。
避ける場所などない。
それでも容赦なく視界に入ったものを破壊した。
「!? あの女は…!?」
硝煙が漂う空間で、穴だらけとなったのは壁と床だけだった。
死体どころか血の一滴も落ちていない。
はっと久遠は背後に気配を感じた。
亡霊のように、夜戸はそこにいた。
(あの瞬間に、どうやって…!?)
背筋が凍りつき、すぐには振り返ることができなかった。
「…なっ」
全身に違和感を感じ、シギヤマツミを見上げると、シギヤマツミは空中でバラバラに切り裂かれていた。
「きゃあああああああ!!!」
襲いかかる痛覚に久遠の断末魔が轟く。
二又の目からは、銃弾が一斉に夜戸を襲う前に、夜戸の姿が消えたように映った。
消える直前の彼女の顔も、しっかりと目に焼き付けた。
(速いなんて話じゃねぇ…、あの女…!)
うつむき気味の夜戸の横顔を凝視していると、目先に夜戸のナイフが飛んできた。
「!!?」
ガッ!
未だ自分に攻撃は向けられないだろうと油断していた二又は反応が遅れ、後ろに倒れた。
そのまま足立の姿から外套姿に戻る。
「…っ、Y!?」
倒れた音に驚いて久遠は振り返った。
夜戸は久遠に向き直る。
「あの姿…、心底不愉快だったから…。やめてくれそうになかったし。あの人は足立さんじゃない。身代わりなんて到底ムリ」
精巧な作り物と思わせるほど綺麗な無表情だ。
冷酷な一面に冷や汗を浮かばせ、久遠は思わず呟く。
「バケモノ…」
「あたしがバケモノなら、人間ってなに?」
口にするのも滑稽なほど単純な疑問だった。
「『あたし』って…なに?」
瞳が虚ろになる。
そして、痛みを感じた。
久遠に右肩を鉤爪で貫かれたからだ。
反撃されないように壁に押し付けられる。
さらに右頬を殴られ、メガネを床に落とした。
「私にとっては、欲しかった人を独り占めしたクソアマよ…!」
悲痛な久遠の顔が目前にある。
彼女の中には、まだ残っていたものがあった。
「…壊したのはあなたでしょ…」
口の中に鉄の味を覚えながら、夜戸は呆れるように小さく言った。
「壊してでも手に入れたかった!!」
「……………」
その言葉にほんの少し心が揺れる。
「……そう」
カチリ、と音がした。
ドン!!
久遠の耳をかすめ、背後の壁に新たな銃弾が撃ち込まれる。
夜戸の左手に、足立のリボルバーが握り締められていた。
銃口から硝煙が上がり、突然の発砲に久遠は目を見開いたまま硬直する。
わざと外されていたのは明白だ。
その気になれば頭を撃ち抜かれていただろう。
「飛び道具は、許されるんだっけ?」
感情のない表情のまま小首を傾げて夜戸が尋ねるが、久遠はあとから追いかけ抱きついてきた恐怖に足元がガクガクと震わせていた。
「ナイフだけだと油断してた?」
「あ…」
遅れて後ろに引いて逃げようとした。
しかし、夜戸は空いている右手で鉤爪を直接握り締めて逃走を阻む。
それから、ゴリ…、と久遠の額に銃口を当てた。
「足立さんの見よう見まねでやってみたけど、拳銃って左手じゃ持ちにくい。重いし、手にビリビリ響くし。足立さん、ずっとこんなの使ってたんだ…」
久遠は独り言に応える余裕はない。
「この距離なら、素人のあたしでも確実に当てられる。…足立さんはどこ?」
「…っ」
「どこですか? 5発撃つ前に答えてくれます? …あれ? この台詞、足立さんも言ってたっけ」
次は本当に撃たれる。
久遠は直感した。
鉤爪も刺さったままで、しかもそれをつかんでいる夜戸は痛覚が喪失しているように見える。
「早く答えて」
低い声と銃口を押し付ける力に「ひっ」と言った。
まともに、今の夜戸の顔を直視することができなかった。
まるで別人だ。
「…最初は右足」
「や、やめて…!!」
ドン!!
「…あれ?」
本気で右足を狙って撃ったつもりだ。
しかし、的を外れて床に当たってしまい、久遠の姿と右肩を貫いていた鉤爪も煙のようになくなっていた。
「まるで鬼だなぁ」
「!」
声が聞こえた右側に振り向くと、恐怖に震える久遠を肩に担いだ外套がいた。
二又だ。
「危なかったぜぇ。直前で元の姿に戻らなかったらオダブツだ。本気でオレを殺す気だったか? こいつもビビっちまってるし…」
夜戸は両手でリボルバーをつかみ、銃口を向けた。
「やめとけ。慣れてないならその距離じゃ当たらねぇ。…足立は地下だ。あとはそこの死にかけのクズに聞けよ」
二又は、倒れている影久をアゴで指す。
「……………」
夜戸は一度銃口を下ろした。
二又は「はははっ」と軽く笑う。
「足立透に夜戸明菜…。どっちにもフラれて絶賛傷心中だ、オレは。どっちもよく似てる。…でも、違うんだ。かわいそうになぁ…。今はお前の方が独りだ」
「……………」
「オレはいつでも待ってるぜ。今回でますます惚れた。かしずきたいくらいにな」
そう言い残して二又は久遠を担いだまま、蜃気楼のように揺れて消えた。
「独り…」
静けさを取り戻した廊下で、夜戸はリボルバーを見下ろして呟く。
「なんとなくわかってる…」
床に落ちたメガネを拾い、「あ」と漏らす。
「割れてる…」
右のレンズにヒビが入っていた。
落とした拍子に割れてしまったようだ。
それでも、構わずにかけ直した。
心が落ち着く。
「う…」
背後からうめき声が聞こえ、夜戸は振り返って駆け寄った。
「父さん…」
「明菜……」
「…つかまってください」
一度、影久を安全な場所に避難させなければならない。
置いていくほど、親への情は欠けていなかった。
肩を貸し、時間がかかることを覚悟しながらも外へと連れ出した。
幸い、シャドウには出会わなかった。
建物の正門まで連れてきたところで、門の塀のそばに影久を座らせる。
「……ぐ…」
影久のシャツのボタンを開けて傷の具合を見た。
思ったよりは浅い。
久遠の躊躇が窺えた。
「止血をして…、病院に行きましょう」
近くの病院ではなく、トコヨのエリアに含まれない病院がいい。
『カバネ』が行き来できるところではまた襲撃に遭うかもしれないからだ。
「明菜…、すまない……」
「……………」
何に対しての謝罪なのか。
夜戸は止血を施しながら「私……。ううん、あたしの方こそ」とだけ素をまじえて短く返した。
こちらも何を指しているのかわからせないような言い方で。
バァン!!
体中に響くほどの爆音と、熱風に襲われた。
「…え?」
振り返ると、建物のところどころから火の手が上がっている。
一箇所というより、別々のところで同時に小規模の爆発が起こった様子だ。
正門に設置された監視カメラも火を吹いている。
衝撃で塀の一部が破損していた。
「…っ!!」
胃が思い切り締め付けられる。
まだ…、まだあそこには。
「明菜!」
伸ばされた影久の手が、娘の手をつかむ。
「どこへ…行くつもりだ!?」
「足立さんが…。足立さんがまだ、中に…!」
地下はどうなっているのか把握も出来ていない。
囚われたままの足立は、生きているのか。
夜戸はつかまれた手を振りほどこうとした。
「離して、父さん…!」
「地下へのルートは知っているのか!?」
「…え?」
影久は自分がどういうルートで地上へ上がったのか早口で説明した。
説明に耳を傾けながら、夜戸は意外そうに影久を凝視する。
「私では、今のお前を止める力はない。がむしゃらに行かれるよりはいい」
怪訝な夜戸の顔を読み取り、説明を終えた影久はうなだれて言った。
「…ありがとう、父さん」
父親に礼を言うのは、いつぶりだろうか。
建物の火がどんどん拡大している。
一刻の猶予も許されない状況に、夜戸は踵を返して炎上する建物へと走った。
影久は背中に手を伸ばす。
「行くな」とは言わなかった。
「…!」
ふと、手を伸ばした方のジャケットの袖に目をやった。
べったりと付着しているのは大量の血だ。
自身の血に触れていないはずだった。
そこで思い出す。
娘に肩を貸されていたことを。
送り出してしまったことを、押しつぶされる思いで後悔する。
らしくない行動なんてとるべきではなかった。
相当の怪我を負っているのは…。
「明菜!!」
娘の姿はもうなかった。
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