16:I want to touch you
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姉川はひとり、画廊の中を歩いていた。
客は誰一人としておらず、館内は歩きやすい。
展示されている写真は、カメラマンである父親が撮影したものばかりだ。
海の生き物を中心とした写真。
大きさは小さなものか大きなものまで。
画廊の奥まで行くと、突き当たりが見えない長い廊下に、イルカの写真ばかりが展示されていた。
姉川は幼い頃を思い出す。
「懐かしい…」
人懐っこいイルカの顔は、単純にカワイイと思った。
素直に言えば、父親が各国をまわって色んなイルカを撮影してきてくれた。
水族館のようなプールではなく、広大な海で仲間と一緒にジャンプするイルカの群れ、船に近づいてくるイルカ、間近で楽しく笑っているように見えるイルカ…。
『イルカって人間みたいや』
小学生の時に、仲良く泳いでいるイルカの写真を眺めながら言うと、父親は頷いて言った。
『そして仲間思いなんやで。1匹のイルカが、サメに襲われた時、そのイルカが助けを求めたら、遠く離れていたはずの仲間が助けに来たらしい』
『ほんまに!? すごい!』
全身で表現するようにぴょんぴょんと軽く跳ねた。
『それだけやない。サメに襲われてケガを負って、自力で泳げなくなったイルカを、仲間が何週間も付きっきりで支えたんや』
『すごーい!!』
まるで絵本のような話に興奮すると、父親は姉川の小さな頭を撫でた。
『大人になっても、そんなトモダチがおるとええな…』
あの時の父親は、少し寂しそうに目を伏せた。
イルカの写真は左右の壁に何枚も飾られている。
ゆっくりと歩きながら鑑賞を楽しんだ。
「水族館に行って、ショーのイルカを撮ったことあったけど…、お父さんみたいに撮れなかった」
うまく中心に映りこんだとしても、今にも写真から飛び出して空中を泳ぎそうな、父親が撮影した写真とは違う。
同じカメラで撮っているはずなのに。
そういえば、と姉川はいつも首にかけているカメラの存在がないことに気付いた。
「ウチのカメラ…」
どこに置いてきたのだろうか。
探しに戻ろうかと思った時、広いフロアに出た。
展示物はなく、大きな両開きの扉があるだけだ。
「……………」
扉を見上げ、硬直した。
白くやわらかな羽根が無数に舞い、天井に穴が空いてるわけでもないのに仄かな日差しが扉を照らしている。
「……あかん」
その扉がどこへ通じるのか、忘れかけていた危機感が湧き上がった。
心地良い夢見モードから一気に解放される。
「あかんあかんあかんあかん!! 明らかに開けたらそのまま極楽行の扉がある!! うっそっっ!! ウチ死んだん!!? イヤやぁぁぁぁ!!」
パニックになりながら現実を思い起こした。
連れ去られた足立の行方を追っている途中、『カバネ』の一員に小型ナイフで刺されたのだった。
それからどうなったかは意識を失ったからわからない。
わからないまま夢の中だ。
すぐに戻らなければ。
まだやり残したことがたくさん残っている。
夜戸にも伝えなければならないことがあった。
「冗談やない…! ウチひとり死んでたまるかいっ!」
「華」
踵を返すと同時に背後からかけられた声に、足が止まる。
しかし、振り向けなかった。
振り返れば、死後の世界に連れていかれるとどこかで聞いたことがあるからだ。
ぐっと堪える。
「……何も連れていかんよ。こっち向いてくれんか?」
「……………」
「しゃーないな。これならええやろ?」
背後にいた人物が、姉川の前方に回り込んだ。
「……お父…さん…」
黒のハンチング帽を被り、普通にしているだけでも優しく笑っているように見える顔、細い体…。
冤罪で捕まった時に最後に見た姿のままだ。
「大きなったなぁ…」
「…っ」
子どもの頃に見た笑顔も変わらなかった。
我慢できずに、抱きついた。
「お父さん…!」
温かくもなければ冷たくもない。
不思議な体温だ。
「あかんやろ、こんなとこ来たら…」
「自分で行ったんはお父さんやろ! 説教すな!」
涙を浮かべ、顔を上げて父親を睨む。
父親は「強気なとこ、オカンに似たなァ」と苦笑し、姉川の頭を撫でた。
「ごめんなぁ」
「うう…っ」
あふれ出る涙は止まらない。
「そろそろ起きる頃やしな。人間、死にかける目ってなかなかないから、今のうちに会うとこう思て」
「あ…、ウチ、生きてんの?」
「ちゃんと生きとるから」
軽く背中を叩かれる。
まだ醒めてもないが、安堵で腰が抜けそうになった。
「華…、向こうは生きづらいかもしれんけど…。でも、父さんみたいに途中で諦めるんはやめてな? それだけは言いとうて…」
「お父さんに言われんでも、支えてくれる人…いっぱいおるから大丈夫」
指で涙をぬぐい、鼻をすすり、苦笑する。
「…ええトモダチか?」
「うん」
「よかった」
明るい笑顔とその返事が聞けて、父親は満足げだ。
1匹のイルカが、宙を泳いで姉川のもとへくる。
「道案内よろしくな」
父親に言われ、イルカは宙返りで応えた。
姉川は父親からそっと離れ、イルカを撫でる。
夢でも、イルカに直に触るのは初めてだ。
ツルツルしている。
「苦労かけたけど…、オカンによろしゅう言っといて。元気で…」
「ウチが言わんでも、オカンは元気にしとるよ。毎朝毎晩、父さんの仏壇に手を合わせとるし、その時に言ったげて」
父親がついに涙ぐんだ。
体を震わせて堪えている。
「あ…、そや」
父親は自分の首にかけているカメラを取り、姉川の首にかけた。
「自分で渡したかったんや。これはもう、華のカメラや。好きに使ったらええ。撮りたいもんもどんどん撮り」
「……………うん」
か細い声で返事をする。
再び大量の涙が溢れそうだった。
「トモダチは大事にな」
「…父さんが話してくれた、トモダチをすぐに助けに行けるイルカみたいにね」
「…ちゃんと幸せになってから、ゆっくり来たらええ。何百年でも待ってるさかい…」
「ふふっ。がんばって長生きするわ」
イルカがの鼻で、姉川の腕をつついた。
そろそろ時間だ。
父親の横を通過する。
「ほな」
「元気で」
父親と姉川は別れの挨拶をかわした。
イルカは姉川を気にしながら案内する。
姉川はイルカの背に手をのせ、先の見えない廊下を進んだ。
展示物はもうない。
一緒に水の中を泳いでいるような感覚だ。
「……感じる…」
目が覚める前に、外の世界が伝わってきた。
それぞれが、戦っている。
「今、助けに行くから」
広い場所に出る。
待ち構えていたのは、ペルソナだ。
イルカは宙を高く飛び、ペルソナの頭上を旋回する。
姉川は手を伸ばした。
「いっしょに来て、クラミツハ。………ううん、――――」
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