一万打記念&秋のR18オンリー企画
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太陽がポカポカと気持ちの良い昼下がり。永遠に続くと思っていた灼熱地獄のような日々が過ぎ、過ごしやすい季節がやっと訪れた。暑くもなく寒くもなくちょうど良い秋の空気の中、平日の真昼間から公園の芝生に座ってランチを食べられるなんて贅沢の極みだ。公園に来る途中、良い感じのカフェを見つけてテンションが上がってホットサンドと期間限定の栗のフレーバーティーとカボチャのマフィンまで買ってしまった。早速蓋を開けて紅茶を一口飲めば、ほっくりと甘い豊かな香りが鼻腔をくすぐった。ティーバッグだけど香りが良くてホッとする。ネットで似たような物を探してみようかな。
正面の少し離れた所で親子がキャッチボールをしている様子をぼんやりと見つめながら、もぐもぐとホットサンドを食べ進める。公園は子連れのファミリー層や保育園児たちで賑わっていて、キャッキャっと楽しそうな声が風に乗って聞こえてくる。正直なところ、私はとても場違いだ。でもそんなことなんて気にならないくらい穏やかな気分だった。あっという間にホットサンドを平らげて、楽しみにしていたカボチャのマフィンを紙袋から取り出した。甘いのにしっかりとスパイスが利いていて無限に食べられそうだった。やっぱり食欲の秋だな、と二三度齧り付いたところで、マフィンがグッと喉に詰まった感覚があった。慌てて紅茶で流し込もうとしたら、コップの奥側で張り付いていたティーバッグが勢いよく落ちてきて中身がバシャンと顔に掛かって服まで濡らした。バカすぎる、なんで手前側にティーバッグを置いた状態で飲まなかったんだ。やっちまったと片手でバッグを開けてティッシュを取り出そうとするが焦りもあって中々上手くいかない。あ、マフィン離せば良いのか、と誰も見てないしお行儀悪く口でマフィンを咥えながら空いた両手でティッシュを取り出したら、近くから軽快な笑い声が聞こえてきた。
「お姉さん面白いね」
でっっか。何センチあるんだろう、この人。私が座っているのもあるけど、見上げるだけで首が痛くなるほどだった。凛々しく精悍な顔立ちをしているのに、後ろで一つに束ねられた髪の毛はツヤツヤのサラサラのスーパーロングだ。上下白で今どき珍しいサスペンダーをしている大男は私以上に公園に馴染んでいないが、ただそこに居るだけで視線を集めるような何だか不思議な雰囲気を纏った人だった。ハッとなって慌ててマフィンから口を離した。がっつり全部見られてたと知って顔が熱くなる。気まずくティッシュでペタペタと口元と服を拭いている私を気にすることなく、男はすぐ隣に腰を下ろして楽しそうに私に話しかけてきた。
「昼間からここにいるってことは有休?それとも無職?」
「……退職前に有休消化中のもうすぐ無職です」
「はははっ、転職先決めないで辞めたの?」
声色も表情も友好的なのに、とてもプライベートなことをズケズケと聞いてくる男に緊張感が高まる。でももう会うこともないだろうし、と適当に会話を続けることにした。
「人生に夏休みがあったって良いじゃないですか」
「そうだな。でも明けたらどうするの?何かやりたいこととかないの?夢とかさ」
「夢……?」
まだ数ターンしか会話をしていないというのに、長い付き合いの人にも早々聞かれないようなことを聞かれて首を傾げた。大人になってから夢について聞かれたことなんてあっただろうか。夢。なんだろう。もう子供の頃の夢さえ忘れてしまった。そんなもの、今の私にあるんだろうか。考えている最中、手の中のマフィンから芝生の上の中身がだいぶ減ってしまった紙コップに視線が移った。
「カフェとかやりたいです。沈んだ一日を少しだけ灯せるような、そんな、カフェを……」
気づいたら口をついていた言葉に、自分でもびっくりした。良い大人が随分ふわっとした抒情的なことを言っているのが恥ずかしくて、最後の方は尻すぼみになってしまった。何を言ってるんだと笑われるかと思った。でも隣の胡坐をかいた大男は少し驚いたあとに、嬉しそうにただ一言「いいね」と肯定してきた。
「俺の所、今度カフェやるんだ」
俺の所ってなんですか。聞く前に男がまた口を開いた。
「なぁ、暇なら俺の所で働かないか?」
差し出された名刺には、大きく大沢房太郎と書かれていた。そのすぐ横、幾らか小さめの文字で書かれた肩書きが目に入って、そこそこの大きさの声をあげてしまった。
「代表取締役……?!」
本当に?と心の中で思って、手の中の名刺と大沢さんの顔を交互にマジマジと見てしまった。失礼だなぁ、と大沢さんが笑う。だって全然そんな風に見えない。社長ってなんかもっとかっちりスーツ着てたりするんじゃないの?
「今度向こうのオフィス街にカフェを出す予定で、ちょうど店長探してたんだよ」
「えぇ……?こんな適当な探し方で良いんですか?もっと経歴とか面接とか……」
「まさかピンポイントでカフェやりたいなんて言うとは思わないだろ。これも何かの縁なんだよ」
それにお姉さん面白いし、と言われてむず痒い。面白い、なんて私の人生であまり言われたことのない言葉だ。私を形容する言葉にしてはあまりにも馴染みがなさすぎる。抜けているとかおっちょこちょいとか言われることの方が断然多い。
「でも一応名前と前職辞めた理由とかカフェやりたい理由とかは聞いておこうかな」
「……失礼ですけどその前にお名前で調べても良いですか」
「へぇ、用心深いんだね。気に入った。ちゃんとしてる人に店を任せられるなら俺も安心だよ」
大沢さんは私がスマホを取り出したことに対して不愉快になる様子もなく、目の前で嬉しそうにしている。今ここで出会ったばかりの相手、ましてや次の雇用主になる可能性まで出てきたのだから素性を疑って当然なのに、なんだか悪いことをしているような気になってくる。
「すみません、ちょっと今誰も信じられない心境で」
「いいよいいよ。法人登録まで確認してみなよ」
早速会社名と大沢さんの名前で検索をかけたら、ニュース記事がわんさか出てきてびっくりした。私が知らないだけで、色々な業界に参入している新進気鋭の実業家らしい。ちゃんとした人だったんだ、とまた失礼なことを思ってスマホを仕舞った。ミョウジナマエです、と自己紹介をしたらよろしくね、とニカっと爽快な笑顔が返ってきた。
「さっき誰も信じられないって言ってたけど、仕事辞めたことと関係ある?」
「そうですね、かなりありますね」
この半年間、ずっと頑張っていたプロジェクトが年下いびりで有名な古株の社員によって潰されてしまった。こんなのおかしいと声をあげても、目をつけられたくないと周りは誰も助けてくれなかった。それどころか私が騒いだのが気に食わなかったのか、プロジェクトが中止になった後も何かと嫌がらせのような行いが続いていた。上司もそれを見て見ぬふりをした。新しい仕事にも邪魔が入り、精神的に追い詰められていってしまった。
大沢さんは時折り相槌を打ちながら、山も落ちもない私の話を遮ることなく聞いてくれた。
「仕事はどこまで行っても足の引っ張り合いだし、プライベートでも何度かご飯誘われて行ってた他部署の人が既婚者だって発覚して……もう何か……何もかも全部嫌になっちゃって。この間勢いで退職してきたんです」
本当ダメなんです、私。呟いた声は小さく、少しだけ震えていた。もっと上手く立ち回らないと、と周りの人が言っていた。そんな器用なことができたら人生苦労はしない。男慣れしてなくてチョロいかなと思った、と悪びれもなく言われたことも思い出して悲しみが込み上げてくる。もう辞めるのだから綺麗さっぱり忘れてしまえば良いのに、未だに引きずってしまっている。「そんなことないさ」という落ち着いた声に、落としていた視線を隣に移した。
「それは環境が悪かったんだ。ナマエちゃんのせいじゃない」
マネジメントがクソすぎる、と大沢さんが忌々しそうに呟いた。巷で話題の代表取締役の言葉だと思うと妙に説得力がある。
「家族を大切にしないやつはもっとクソだ。そいつ、俺が殺してやろうか」
真顔で紡がれた物騒な言葉に驚いて何も返せずにいたら「冗談だよ」と笑われて、自分でも良く分からない笑みが零れた。たった今出会っただけの人の言葉に心が軽くなって、少し泣きそうになった。全然知らない人の言葉が、ちょっとずつ私の人生を変えていく。あの時だってそうだった。
何もかも上手くいかなくて、鬱々とした気持ちで昼休みに適当に入った小さなカフェで、カフェラテと頼んだ覚えのないクッキーを二つも渡された。戸惑う私に店員さんが「サービスです、内緒ですよ」と笑いかけてくれて、思わずその場で泣いてしまった。ただの仕事の一環なのかもしれない。誰にでもクッキーを渡していたのかもしれない。でも、その優しさが疲弊した心にぐっさりと刺さって、じわじわと体に広がっていった。お陰で帰り道は妙にすっきりとした気持ちで前を向いて歩くことができた。そのままの勢いで上司に退職届を突きつけた。
思い返せば、サービスに号泣しながら退店するなんてヤバい客にもほどがある。でもあの時私は確かに救われて、勇気をもらった。友達でもない、家族でもない、知り合いというのもちょっと違う。カウンター越しの遠すぎず近すぎず、ちょうどいい距離で少しだけ寄り添ってくれる、そんな人が居たら人生も少しは生きやすくなるんじゃないだろうか。
「大沢さんは──」
「房太郎で良いよ」
「房太郎さんは何で色んな事業に手を出してるんですか?」
うちの会社でしきりに繰り返されていた"選択と集中"という言葉が頭に浮かんでいた。
「俺はさ、俺の国を作りたいんだ」
「国……?」
すごく大きく出たな。何かの比喩なのかもしれないけど、建国したいなんて今どき小学生でも言わないんじゃないだろうか。良くて総理大臣だ。でもバカにする気持ちは微塵も込み上げてこなかった。瞳から真剣さが伝わってきたし、さっき私の夢を笑わなかったことにも合点がいったからだ。
「誰も俺を追い出せないし、俺のことをずっと覚えていてくれるんだ」
「それくらい大きな会社になりたいってことですか?鯉登郵船みたいな?」
「それも良いけど、いつか俺の顔が付いた通貨を発行したい」
マジの建国じゃないか。でもこうやって人とちょっと違う視点から物事を考えるから成功するんだろうな。平凡な庶民代表のような私にはない視点だ。ほえーと情けない声を上げる私を気にすることなく、遠くでキャッチボールをしている親子を見ながら房太郎さんは話を続けた。
「国には色々な事業が必要だろ?今はそれの準備期間。まあ失敗もするけど概ね上手く行ってる」
房太郎さんが、急に私の方に向き直った。
「だからナマエちゃんもどう?俺と一緒に国を作らない?ちゃんと意見も聞くし、俺の国を良くするために働いてくれるなら絶対に悪いようにはしない」
こちらを捉えた瞳から目が離せなかった。引力でも発生してるんじゃないかっていうくらい、引き寄せられる。
「小さいカフェで一人だから慣れるまで大変かもしれないけど、裏を返せば変な人間関係はない。オフィス街でテイクアウト専門だから回転も早い」
職場でのゴタゴタで辞めたばかりの私にとっては、とても良い環境に聞こえた。それに国を作るという響きも何だかかっこよかった。かっこいいからという理由で職場を決めて良いのか、そもそも国なんて作れるわけないでしょ、騙されてるよ、と私の一部が警鐘を鳴らす。でもそれよりもワクワクが勝って、高揚感がじっくりと体を巡っていく。こんな壮大な夢を楽しそうに語る人に出会ったことはなかったし、この人が実際に国を作るところを見てみたいとさえ思い始めていた。
「飲食業は他にもやってるからノウハウはあるし、同じことやってもつまんないからナマエちゃんがやりたいようにやってくれて良いよ」
しれっと凄いことを言われた気がする。いつもだったら荷が重いです、と返すところなのに不思議とそんな気分にならなかった。
「ナマエちゃんの城だよ」
「城かぁ、良いですね。家康みたいでなんかテンション上がってきました」
「天下取る気満々だな。いいねぇ、好きだよ俺そういうの」
志はでっかくなくっちゃな!と大きな口を開けて房太郎さんが笑った。国を作るというでっかい夢を持った人に褒められたら、何でもできそうな気になってきた。それこそ天下だって取れるんじゃないだろうか……いや、カフェで天下取るってよく分からないけど。それよりも最初に言ったような、誰かの沈んだ一日をほんの少しだけ灯せるような、そんなカフェを目指したい。嫌なことは沢山あったけど、誰かを呪って生きていくのは絶対に嫌だった。
つい先ほどまでダラダラと昼下がりを過ごしていたというのに、今ではワクワクで胸がいっぱいだった。どんなメニューにしようか、内装はやっぱりナチュラルな感じがいいかな、と気が早すぎることがどんどん頭に浮かんでくる。
「夢があると楽しいよな」
房太郎さんが嬉しそうに言ったことで、自分がニマニマとした笑みを浮かべていることに気づいた。恥ずかしくて、すっかり忘れていたマフィンを大きな一口で頬張った。
すごいな、この人。よく分からないけど、こういうのをカリスマ性って言うんだろうか。人を惹きつけて、巻き込んで、まるで台風のように進んで行く。生きていると本当に何が起きるか分からない。たまたまここで出会っただけなのに、私の人生が確実に変わっていくのが分かった。
「これからよろしくね、ナマエちゃん」
「こちらこそ、房太郎さん」
あとがき
本編で出したいなぁと思いつつタイミングがなかった房太郎との出会いです。色んな事業に手を出して、ダメそうなら畳んで次に、みたいなことをしながら自分の居場所を自分で作って広げて行きそうと思ってオーナー設定にしました。参入した業界を荒らすから海賊とか言われてたら良いなとか妄想が捗ります。
まき様、今回は素敵なリクエストをありがとうございました!初房太郎で手探り感満載なのですが、お気に召していただけたら幸いです…!!
2024.06.22
正面の少し離れた所で親子がキャッチボールをしている様子をぼんやりと見つめながら、もぐもぐとホットサンドを食べ進める。公園は子連れのファミリー層や保育園児たちで賑わっていて、キャッキャっと楽しそうな声が風に乗って聞こえてくる。正直なところ、私はとても場違いだ。でもそんなことなんて気にならないくらい穏やかな気分だった。あっという間にホットサンドを平らげて、楽しみにしていたカボチャのマフィンを紙袋から取り出した。甘いのにしっかりとスパイスが利いていて無限に食べられそうだった。やっぱり食欲の秋だな、と二三度齧り付いたところで、マフィンがグッと喉に詰まった感覚があった。慌てて紅茶で流し込もうとしたら、コップの奥側で張り付いていたティーバッグが勢いよく落ちてきて中身がバシャンと顔に掛かって服まで濡らした。バカすぎる、なんで手前側にティーバッグを置いた状態で飲まなかったんだ。やっちまったと片手でバッグを開けてティッシュを取り出そうとするが焦りもあって中々上手くいかない。あ、マフィン離せば良いのか、と誰も見てないしお行儀悪く口でマフィンを咥えながら空いた両手でティッシュを取り出したら、近くから軽快な笑い声が聞こえてきた。
「お姉さん面白いね」
でっっか。何センチあるんだろう、この人。私が座っているのもあるけど、見上げるだけで首が痛くなるほどだった。凛々しく精悍な顔立ちをしているのに、後ろで一つに束ねられた髪の毛はツヤツヤのサラサラのスーパーロングだ。上下白で今どき珍しいサスペンダーをしている大男は私以上に公園に馴染んでいないが、ただそこに居るだけで視線を集めるような何だか不思議な雰囲気を纏った人だった。ハッとなって慌ててマフィンから口を離した。がっつり全部見られてたと知って顔が熱くなる。気まずくティッシュでペタペタと口元と服を拭いている私を気にすることなく、男はすぐ隣に腰を下ろして楽しそうに私に話しかけてきた。
「昼間からここにいるってことは有休?それとも無職?」
「……退職前に有休消化中のもうすぐ無職です」
「はははっ、転職先決めないで辞めたの?」
声色も表情も友好的なのに、とてもプライベートなことをズケズケと聞いてくる男に緊張感が高まる。でももう会うこともないだろうし、と適当に会話を続けることにした。
「人生に夏休みがあったって良いじゃないですか」
「そうだな。でも明けたらどうするの?何かやりたいこととかないの?夢とかさ」
「夢……?」
まだ数ターンしか会話をしていないというのに、長い付き合いの人にも早々聞かれないようなことを聞かれて首を傾げた。大人になってから夢について聞かれたことなんてあっただろうか。夢。なんだろう。もう子供の頃の夢さえ忘れてしまった。そんなもの、今の私にあるんだろうか。考えている最中、手の中のマフィンから芝生の上の中身がだいぶ減ってしまった紙コップに視線が移った。
「カフェとかやりたいです。沈んだ一日を少しだけ灯せるような、そんな、カフェを……」
気づいたら口をついていた言葉に、自分でもびっくりした。良い大人が随分ふわっとした抒情的なことを言っているのが恥ずかしくて、最後の方は尻すぼみになってしまった。何を言ってるんだと笑われるかと思った。でも隣の胡坐をかいた大男は少し驚いたあとに、嬉しそうにただ一言「いいね」と肯定してきた。
「俺の所、今度カフェやるんだ」
俺の所ってなんですか。聞く前に男がまた口を開いた。
「なぁ、暇なら俺の所で働かないか?」
差し出された名刺には、大きく大沢房太郎と書かれていた。そのすぐ横、幾らか小さめの文字で書かれた肩書きが目に入って、そこそこの大きさの声をあげてしまった。
「代表取締役……?!」
本当に?と心の中で思って、手の中の名刺と大沢さんの顔を交互にマジマジと見てしまった。失礼だなぁ、と大沢さんが笑う。だって全然そんな風に見えない。社長ってなんかもっとかっちりスーツ着てたりするんじゃないの?
「今度向こうのオフィス街にカフェを出す予定で、ちょうど店長探してたんだよ」
「えぇ……?こんな適当な探し方で良いんですか?もっと経歴とか面接とか……」
「まさかピンポイントでカフェやりたいなんて言うとは思わないだろ。これも何かの縁なんだよ」
それにお姉さん面白いし、と言われてむず痒い。面白い、なんて私の人生であまり言われたことのない言葉だ。私を形容する言葉にしてはあまりにも馴染みがなさすぎる。抜けているとかおっちょこちょいとか言われることの方が断然多い。
「でも一応名前と前職辞めた理由とかカフェやりたい理由とかは聞いておこうかな」
「……失礼ですけどその前にお名前で調べても良いですか」
「へぇ、用心深いんだね。気に入った。ちゃんとしてる人に店を任せられるなら俺も安心だよ」
大沢さんは私がスマホを取り出したことに対して不愉快になる様子もなく、目の前で嬉しそうにしている。今ここで出会ったばかりの相手、ましてや次の雇用主になる可能性まで出てきたのだから素性を疑って当然なのに、なんだか悪いことをしているような気になってくる。
「すみません、ちょっと今誰も信じられない心境で」
「いいよいいよ。法人登録まで確認してみなよ」
早速会社名と大沢さんの名前で検索をかけたら、ニュース記事がわんさか出てきてびっくりした。私が知らないだけで、色々な業界に参入している新進気鋭の実業家らしい。ちゃんとした人だったんだ、とまた失礼なことを思ってスマホを仕舞った。ミョウジナマエです、と自己紹介をしたらよろしくね、とニカっと爽快な笑顔が返ってきた。
「さっき誰も信じられないって言ってたけど、仕事辞めたことと関係ある?」
「そうですね、かなりありますね」
この半年間、ずっと頑張っていたプロジェクトが年下いびりで有名な古株の社員によって潰されてしまった。こんなのおかしいと声をあげても、目をつけられたくないと周りは誰も助けてくれなかった。それどころか私が騒いだのが気に食わなかったのか、プロジェクトが中止になった後も何かと嫌がらせのような行いが続いていた。上司もそれを見て見ぬふりをした。新しい仕事にも邪魔が入り、精神的に追い詰められていってしまった。
大沢さんは時折り相槌を打ちながら、山も落ちもない私の話を遮ることなく聞いてくれた。
「仕事はどこまで行っても足の引っ張り合いだし、プライベートでも何度かご飯誘われて行ってた他部署の人が既婚者だって発覚して……もう何か……何もかも全部嫌になっちゃって。この間勢いで退職してきたんです」
本当ダメなんです、私。呟いた声は小さく、少しだけ震えていた。もっと上手く立ち回らないと、と周りの人が言っていた。そんな器用なことができたら人生苦労はしない。男慣れしてなくてチョロいかなと思った、と悪びれもなく言われたことも思い出して悲しみが込み上げてくる。もう辞めるのだから綺麗さっぱり忘れてしまえば良いのに、未だに引きずってしまっている。「そんなことないさ」という落ち着いた声に、落としていた視線を隣に移した。
「それは環境が悪かったんだ。ナマエちゃんのせいじゃない」
マネジメントがクソすぎる、と大沢さんが忌々しそうに呟いた。巷で話題の代表取締役の言葉だと思うと妙に説得力がある。
「家族を大切にしないやつはもっとクソだ。そいつ、俺が殺してやろうか」
真顔で紡がれた物騒な言葉に驚いて何も返せずにいたら「冗談だよ」と笑われて、自分でも良く分からない笑みが零れた。たった今出会っただけの人の言葉に心が軽くなって、少し泣きそうになった。全然知らない人の言葉が、ちょっとずつ私の人生を変えていく。あの時だってそうだった。
何もかも上手くいかなくて、鬱々とした気持ちで昼休みに適当に入った小さなカフェで、カフェラテと頼んだ覚えのないクッキーを二つも渡された。戸惑う私に店員さんが「サービスです、内緒ですよ」と笑いかけてくれて、思わずその場で泣いてしまった。ただの仕事の一環なのかもしれない。誰にでもクッキーを渡していたのかもしれない。でも、その優しさが疲弊した心にぐっさりと刺さって、じわじわと体に広がっていった。お陰で帰り道は妙にすっきりとした気持ちで前を向いて歩くことができた。そのままの勢いで上司に退職届を突きつけた。
思い返せば、サービスに号泣しながら退店するなんてヤバい客にもほどがある。でもあの時私は確かに救われて、勇気をもらった。友達でもない、家族でもない、知り合いというのもちょっと違う。カウンター越しの遠すぎず近すぎず、ちょうどいい距離で少しだけ寄り添ってくれる、そんな人が居たら人生も少しは生きやすくなるんじゃないだろうか。
「大沢さんは──」
「房太郎で良いよ」
「房太郎さんは何で色んな事業に手を出してるんですか?」
うちの会社でしきりに繰り返されていた"選択と集中"という言葉が頭に浮かんでいた。
「俺はさ、俺の国を作りたいんだ」
「国……?」
すごく大きく出たな。何かの比喩なのかもしれないけど、建国したいなんて今どき小学生でも言わないんじゃないだろうか。良くて総理大臣だ。でもバカにする気持ちは微塵も込み上げてこなかった。瞳から真剣さが伝わってきたし、さっき私の夢を笑わなかったことにも合点がいったからだ。
「誰も俺を追い出せないし、俺のことをずっと覚えていてくれるんだ」
「それくらい大きな会社になりたいってことですか?鯉登郵船みたいな?」
「それも良いけど、いつか俺の顔が付いた通貨を発行したい」
マジの建国じゃないか。でもこうやって人とちょっと違う視点から物事を考えるから成功するんだろうな。平凡な庶民代表のような私にはない視点だ。ほえーと情けない声を上げる私を気にすることなく、遠くでキャッチボールをしている親子を見ながら房太郎さんは話を続けた。
「国には色々な事業が必要だろ?今はそれの準備期間。まあ失敗もするけど概ね上手く行ってる」
房太郎さんが、急に私の方に向き直った。
「だからナマエちゃんもどう?俺と一緒に国を作らない?ちゃんと意見も聞くし、俺の国を良くするために働いてくれるなら絶対に悪いようにはしない」
こちらを捉えた瞳から目が離せなかった。引力でも発生してるんじゃないかっていうくらい、引き寄せられる。
「小さいカフェで一人だから慣れるまで大変かもしれないけど、裏を返せば変な人間関係はない。オフィス街でテイクアウト専門だから回転も早い」
職場でのゴタゴタで辞めたばかりの私にとっては、とても良い環境に聞こえた。それに国を作るという響きも何だかかっこよかった。かっこいいからという理由で職場を決めて良いのか、そもそも国なんて作れるわけないでしょ、騙されてるよ、と私の一部が警鐘を鳴らす。でもそれよりもワクワクが勝って、高揚感がじっくりと体を巡っていく。こんな壮大な夢を楽しそうに語る人に出会ったことはなかったし、この人が実際に国を作るところを見てみたいとさえ思い始めていた。
「飲食業は他にもやってるからノウハウはあるし、同じことやってもつまんないからナマエちゃんがやりたいようにやってくれて良いよ」
しれっと凄いことを言われた気がする。いつもだったら荷が重いです、と返すところなのに不思議とそんな気分にならなかった。
「ナマエちゃんの城だよ」
「城かぁ、良いですね。家康みたいでなんかテンション上がってきました」
「天下取る気満々だな。いいねぇ、好きだよ俺そういうの」
志はでっかくなくっちゃな!と大きな口を開けて房太郎さんが笑った。国を作るというでっかい夢を持った人に褒められたら、何でもできそうな気になってきた。それこそ天下だって取れるんじゃないだろうか……いや、カフェで天下取るってよく分からないけど。それよりも最初に言ったような、誰かの沈んだ一日をほんの少しだけ灯せるような、そんなカフェを目指したい。嫌なことは沢山あったけど、誰かを呪って生きていくのは絶対に嫌だった。
つい先ほどまでダラダラと昼下がりを過ごしていたというのに、今ではワクワクで胸がいっぱいだった。どんなメニューにしようか、内装はやっぱりナチュラルな感じがいいかな、と気が早すぎることがどんどん頭に浮かんでくる。
「夢があると楽しいよな」
房太郎さんが嬉しそうに言ったことで、自分がニマニマとした笑みを浮かべていることに気づいた。恥ずかしくて、すっかり忘れていたマフィンを大きな一口で頬張った。
すごいな、この人。よく分からないけど、こういうのをカリスマ性って言うんだろうか。人を惹きつけて、巻き込んで、まるで台風のように進んで行く。生きていると本当に何が起きるか分からない。たまたまここで出会っただけなのに、私の人生が確実に変わっていくのが分かった。
「これからよろしくね、ナマエちゃん」
「こちらこそ、房太郎さん」
あとがき
本編で出したいなぁと思いつつタイミングがなかった房太郎との出会いです。色んな事業に手を出して、ダメそうなら畳んで次に、みたいなことをしながら自分の居場所を自分で作って広げて行きそうと思ってオーナー設定にしました。参入した業界を荒らすから海賊とか言われてたら良いなとか妄想が捗ります。
まき様、今回は素敵なリクエストをありがとうございました!初房太郎で手探り感満載なのですが、お気に召していただけたら幸いです…!!
2024.06.22
