カフェ店長シリーズ
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「もう一度デートに行ってきたらどうですか?」
きっかけは、月島さんだった。それはいつもよりも少し暖かい金曜の昼下がりだった。一人で二人分の飲み物が入った紙袋を受け取ったあと、「そういえば」と本当になんでもないことのようにするっと言われたので、何か酷い聞き間違いでもしたのだろうかとしばしの間固まってしまった。
「な……え?急にどうしたんですか?」
「どうも何も、最近お二人が良い感じに見えるので」
「い、いっ、良い感じっ?!良い感じとは?!……い、いや、やっぱり良いです何も言わないで!!」
ズササッと勢いよく後ずさりながら大声で叫んでしまった。良い感じは良い感じだ。これ以上具体的に形容されてしまったら恥ずかしくて死んでしまう。
「好きなら好きと言ったらどうですか」
「は?!」
月島さんがおかしい。いつもはこんなに突っ込んでくることなんてないのに、今日はやけに直接的なことを口にしてくる。もしかして月島さんの皮を被った他の人だったりする?SF映画とか漫画とかに良くある、近しい人が気づいたら違う知的生命体に乗っ取られていたみたいな……そんなわけないか。っていうか待って、"良い感じ"とか、好きなら好きと言ったらどうかって、私が鯉登さんのことが好きだということがバレている?!衝撃の事実に一人で百面相していると「あの人のことが好きになったんでしょう、バレバレですよ」と月島さんが受け取ったばかりの袋をカウンターの上に置いた。どうやら、この件についてじっくりと話し合うつもりらしい。誰でもいいからお客さん来て!多分月島さんに加勢してしまう杉元さん以外で!と強く念じながら出入口を見つめても通行人が通り過ぎるだけで、気まずい空気が益々気まずくなるだけだった。
「で、でも、月島さんは言えるんですか……その……す、すき、とか……」
「ええまあ、心の底からそう思っているなら言えますね」
「そ、そうなんですね」
「言いたいことは言う方なので」
今まさに言いたいことを言われているだけに説得力がある。しかし真面目で日本人男子を絵に描いたような見た目なのに意外だなと思ってしまった。
「で、でも……私、その……」
「まさか振られるのが怖いとか言うんじゃないでしょうね」
「あ……はい……ちょっとだけ……」
月島さんが信じられない、とでも言いたげに眉を顰めてこちらを怪訝そうに見つめてきた。鯉登さんにはもうずっとアプローチをされている。自分でもこんな自惚れたことを思う日が来るなんて全然思っていなかったけど、鯉登さんは本当に私のことが好きなんだろう。分かるけど、なんというか、こんなに長い間言われているのだからさすがにもう私に飽きたりしているんじゃないかと、最近は別の不安を覚えるようになってきてしまった。今まで散々言ってきたから引っ込みがつかなくなっているのでは、とかも。次に会った日にはなんでこんなド庶民相手に?と思われても不思議ではないと思うのだ、だって人の心は移ろうものだから。私も最初は鯉登さんのことを変なお客さんだなとしか思っていなかったのに、今では毎朝メイクも頑張って、少しだけ落ち着かない心と共にお店に立って鯉登さんを待つ日々を過ごしている。
今日だって、月島さんの後ろに鯉登さんがいるのか無意識に確認していたらしく「私一人です」とわざわざ言われてしまったのだから、それくらい私の感情はダダ漏れなのだろう。恥ずかしすぎる。
「喜ぶことはあっても振ることは万に一つもないですよ」
「そう、ですかね……」
「あなたが思っている以上に、鯉登はあなたのことが好きです」
鯉登はあなたのことが好きです、好きです、好きです……とエコーがかかったように脳内で月島さんが言ったことが反響して、顔がみるみるうちに赤くなったのが自分でも分かった。
「前から不思議だったのですが、そもそも何故そんなに消極的なんですか」
「あー……それは……」
別に無理に話さなくても良いと月島さんが付け加えてくれたけど、少しだけこちらの言い分も聞いて欲しいと思ったのも事実で。前の職場で何度かご飯にも行って素敵な人だなと思っていた人が既婚者で、遊ぶのに手頃なチョロい女だと思われていたことをかいつまんで説明した。そして他にもパワハラなど主に人間関係で色々あって前職を辞めたことも。あれ以来、私は人と深く関わるのが怖くなっている。本当はもっと素直になりたい。鯉登さんはあの人たちとは絶対に違うと分かっている。でも信じていた人たちに裏切られ、へし折られた心は中々言うことを聞いてくれなくて、それが苦しかった。
「それ、鯉登には絶対に言わない方が良いですね」
「そうですよね、こんな情けないこと……」
「いえ、多分地獄の果てまでその男を追い詰めて仕留めに行くと思うので」
「仕留め……?!」
「そしてそれに付き合わされるのは私です」
諦め交じりの据わった目で言われた。鯉登郵船怖い。久々にそう思った。いや、どちらかというと鯉登さんが怖いのか。鯉登郵船は多分ちゃんとした優良企業だ。その御曹司と教育係が少しばかり過激なだけで。
「とにかく、そんな男なんてさっさと忘れて次に行きましょう」
「ええ……?」
「上司とその行きつけのカフェ店長の恋愛模様をずっと見せつけられているこっちの身にもなってください」
「ぐっ……それは、申し訳ないです……」
本当に申し訳ないとは思っているけど、でもやっぱりどうしても、好きだと言うのが怖い。たまにふと、今なら言える気がすると思う時もあるけど、決まって何か邪魔が入ってしまうのだ、と言い訳交じりのことを思った。月島さんや鯉登さんのような強さが少しでも私にあったら良かったのに──いや、違う。二人ともその怖さを乗り越えているんだ。鯉登さんが何度か私の前で不安そうにしていたことを思い出して、すぐに思い直した。私も、乗り越えないと。カウンターに触れながら、ずっと心残りだったことを初めて口にした。
「……実はもう一回、水族館に行きたいなって思ってて」
「水族館?」
メニューを貼っているテープが少しだけ捲れていて、それを指先で直しながら話し始めた。
「あの時……凄く失礼なことをしてしまったので、やり直したくて……」
「なるほど」
月島さんがズボンのポケットからスマホを取り出して、何やら難しい顔をしながら操作し始めた。ちょうど来週の定休日ならなんとか調整できそうだと言われて、鯉登さんのスケジュールを確認してくれていたのだと知った。
「ほら、ミョウジさんも早く連絡してください」
「えっ、今ですか?!」
「後にしたら絶対に連絡しないでしょう、こういうのは誰かが一緒の時にした方が事が早く進むんです」
ほら早く、と手を叩いて急かされたので慌てて裏に置いていたバッグの中からスマホを取り出して、カウンターの上で鯉登さんとのチャットを開いた。最後にメッセージを交わしたのはもうずっと前だ。私が送った猫のスタンプで会話が終わっている。
「うーん……」
なんて送ろう。見られながらメッセージを打つなんて中々ない経験で、全然文面が浮かんでこない。しかも相手は月島さんの上司だ。上司が水族館に誘われるのを見ている月島さんは一体どういう気持ちなんだろう。
『良かったらもう一度水族館へ行きませんか?』
うんうんと悩んだ末に出てきたのは無難な一文だった。月島さんに監視、もとい見守られながら震える指でメッセージの送信ボタンを押した。でも断られたらどうしよう、と急に不安になって『あのアザラシの赤ちゃんがまた見たくてまた行こうかなって思ってて』と保身へと走ってしまった自分の指が憎い。鯉登さんが行かなくても私一人で行くつもりなんで、という予防線だ。本当に可愛くない。でももう送ってしまったからどうにもできない。あとは野となれ山となれ、と大きくため息をつきながらスマホから手を離したら、画面に動きがあった。
「わっ、早い」
「仕事しないで何してるんだあの人」
いつ返事が返ってくるかなとドキドキする間もなく、既読が一瞬のうちに付き、月島さんのぼやきが着信音によってかき消された。私のではない。月島さんのスマホのだった。すぐさま応答をタップして電話に出た瞬間、手の中のスマホから「月島ァッ!!」と鯉登さんの音割れした声が聞こえてきて、月島さんが顔をしかめながら慣れたようにスマホの音量を極限まで下げた。応答してすぐに耳に当てていたら多分鼓膜が破れていたんじゃないだろうか。あっ、だから月島さんは電話に出ても手に持ったままだったのかと対鯉登さんのライフハックに気がついた。
「ええ、はい……はい、その用事は夕方にずらしておきましたので……丸一日は難しいですが、ミョウジさんとデートしてきたら良いんじゃないですか」
デート、という単語にびくっと体が跳ねた。向こうからテンション高めの鯉登さんの声がひっきりなしに聞こえてくる。さっきよりかは小さい声だから何を話しているのか私には分からないけど、とても嬉しそうであることは十分に伝わって来て、湧き上がってくるムズムズとした気持ちの行き場がなくて、靴の中で足先を丸めたり広げたりして発散を試みていた。
「──もう良いですか?早く仕事に戻ってください」
この騒動の発端であるのに、さも自分は関係ないというような月島さんの冷静な言葉によって電話が切られた。そして、その後すぐに「来週の定休日に行こう」と鯉登さんからのメッセージも私に届いた。読み返すごとに、口角がどんどん上がっていく。
「良かったですね」
「はい、ありがとうございます」
月島さんには本当にお世話になってばかりだ。お礼にカウンター横に置いていたクッキーを2つ、紙袋の中に入れておいた。
「聞こえていたと思いますが、鯉登はあなたのことになると常にあんな感じです」
「そ、そうなんですね……」
私がいなくてもあんな感じなんだ、と初めて知った事実に照れて床を見つめてしまった。ガサガサと紙袋を掴む音がして顔を上げれば、帰ろうとした月島さんが動きを止めて、何か言いたげに私を見ていた。つい先ほど「言いたいことは言う方なので」と言っていた月島さんが何か悩んでいる。様子を伺っていると、一度はぁと小さく息を吐いてから月島さんが口を開いた。
「好きだと伝えられる相手がいるのは、幸せなことですよ」
ではまた、と月島さんが去っていった。好きだと伝えられる相手がいるのは、幸せなこと。一人になった店内で言われたことを反芻した。人を好きになることは幸せなこと、というようにも解釈できるけど、でももっと何か、月島さんが言っているのはそういうロマンチックなことではないような気がした。伝えられるうちに伝えた方が良い、そんな風なニュアンスだった。私を見つめていた瞳は、少し憂いを帯びていたから。だから月島さんは言いたいことを言うのだろうか。言えなくなってからでは遅いから。
鯉登さんとの日常だって、いつまで続くのか分からない。例えば転勤とかでここに通えなくなることだってあり得るし、考えたくも無いけど事故とかに会うことだってあり得る。こんなに私に真っ直ぐにぶつかってきてくれる人がすぐ隣にいるのに、好きだと伝えられないと嘆くのはとても贅沢な悩みなのだ。
「……っ、よし!」
もっと頑張ろう。もっと頑張りたい。今度こそ、あの時言えなかった気持ちを伝えるのだ。これは三回目のデート、決戦の時である。法螺貝の音まで聞こえてきそうなほどに昂った感情に任せて「デート用の服を一緒に選んで欲しい」と友人にメッセージを送って気合いを入れた。
こうして、私は鯉登さんと二度目の水族館デートへと行くこととなった。
2025.03.29
きっかけは、月島さんだった。それはいつもよりも少し暖かい金曜の昼下がりだった。一人で二人分の飲み物が入った紙袋を受け取ったあと、「そういえば」と本当になんでもないことのようにするっと言われたので、何か酷い聞き間違いでもしたのだろうかとしばしの間固まってしまった。
「な……え?急にどうしたんですか?」
「どうも何も、最近お二人が良い感じに見えるので」
「い、いっ、良い感じっ?!良い感じとは?!……い、いや、やっぱり良いです何も言わないで!!」
ズササッと勢いよく後ずさりながら大声で叫んでしまった。良い感じは良い感じだ。これ以上具体的に形容されてしまったら恥ずかしくて死んでしまう。
「好きなら好きと言ったらどうですか」
「は?!」
月島さんがおかしい。いつもはこんなに突っ込んでくることなんてないのに、今日はやけに直接的なことを口にしてくる。もしかして月島さんの皮を被った他の人だったりする?SF映画とか漫画とかに良くある、近しい人が気づいたら違う知的生命体に乗っ取られていたみたいな……そんなわけないか。っていうか待って、"良い感じ"とか、好きなら好きと言ったらどうかって、私が鯉登さんのことが好きだということがバレている?!衝撃の事実に一人で百面相していると「あの人のことが好きになったんでしょう、バレバレですよ」と月島さんが受け取ったばかりの袋をカウンターの上に置いた。どうやら、この件についてじっくりと話し合うつもりらしい。誰でもいいからお客さん来て!多分月島さんに加勢してしまう杉元さん以外で!と強く念じながら出入口を見つめても通行人が通り過ぎるだけで、気まずい空気が益々気まずくなるだけだった。
「で、でも、月島さんは言えるんですか……その……す、すき、とか……」
「ええまあ、心の底からそう思っているなら言えますね」
「そ、そうなんですね」
「言いたいことは言う方なので」
今まさに言いたいことを言われているだけに説得力がある。しかし真面目で日本人男子を絵に描いたような見た目なのに意外だなと思ってしまった。
「で、でも……私、その……」
「まさか振られるのが怖いとか言うんじゃないでしょうね」
「あ……はい……ちょっとだけ……」
月島さんが信じられない、とでも言いたげに眉を顰めてこちらを怪訝そうに見つめてきた。鯉登さんにはもうずっとアプローチをされている。自分でもこんな自惚れたことを思う日が来るなんて全然思っていなかったけど、鯉登さんは本当に私のことが好きなんだろう。分かるけど、なんというか、こんなに長い間言われているのだからさすがにもう私に飽きたりしているんじゃないかと、最近は別の不安を覚えるようになってきてしまった。今まで散々言ってきたから引っ込みがつかなくなっているのでは、とかも。次に会った日にはなんでこんなド庶民相手に?と思われても不思議ではないと思うのだ、だって人の心は移ろうものだから。私も最初は鯉登さんのことを変なお客さんだなとしか思っていなかったのに、今では毎朝メイクも頑張って、少しだけ落ち着かない心と共にお店に立って鯉登さんを待つ日々を過ごしている。
今日だって、月島さんの後ろに鯉登さんがいるのか無意識に確認していたらしく「私一人です」とわざわざ言われてしまったのだから、それくらい私の感情はダダ漏れなのだろう。恥ずかしすぎる。
「喜ぶことはあっても振ることは万に一つもないですよ」
「そう、ですかね……」
「あなたが思っている以上に、鯉登はあなたのことが好きです」
鯉登はあなたのことが好きです、好きです、好きです……とエコーがかかったように脳内で月島さんが言ったことが反響して、顔がみるみるうちに赤くなったのが自分でも分かった。
「前から不思議だったのですが、そもそも何故そんなに消極的なんですか」
「あー……それは……」
別に無理に話さなくても良いと月島さんが付け加えてくれたけど、少しだけこちらの言い分も聞いて欲しいと思ったのも事実で。前の職場で何度かご飯にも行って素敵な人だなと思っていた人が既婚者で、遊ぶのに手頃なチョロい女だと思われていたことをかいつまんで説明した。そして他にもパワハラなど主に人間関係で色々あって前職を辞めたことも。あれ以来、私は人と深く関わるのが怖くなっている。本当はもっと素直になりたい。鯉登さんはあの人たちとは絶対に違うと分かっている。でも信じていた人たちに裏切られ、へし折られた心は中々言うことを聞いてくれなくて、それが苦しかった。
「それ、鯉登には絶対に言わない方が良いですね」
「そうですよね、こんな情けないこと……」
「いえ、多分地獄の果てまでその男を追い詰めて仕留めに行くと思うので」
「仕留め……?!」
「そしてそれに付き合わされるのは私です」
諦め交じりの据わった目で言われた。鯉登郵船怖い。久々にそう思った。いや、どちらかというと鯉登さんが怖いのか。鯉登郵船は多分ちゃんとした優良企業だ。その御曹司と教育係が少しばかり過激なだけで。
「とにかく、そんな男なんてさっさと忘れて次に行きましょう」
「ええ……?」
「上司とその行きつけのカフェ店長の恋愛模様をずっと見せつけられているこっちの身にもなってください」
「ぐっ……それは、申し訳ないです……」
本当に申し訳ないとは思っているけど、でもやっぱりどうしても、好きだと言うのが怖い。たまにふと、今なら言える気がすると思う時もあるけど、決まって何か邪魔が入ってしまうのだ、と言い訳交じりのことを思った。月島さんや鯉登さんのような強さが少しでも私にあったら良かったのに──いや、違う。二人ともその怖さを乗り越えているんだ。鯉登さんが何度か私の前で不安そうにしていたことを思い出して、すぐに思い直した。私も、乗り越えないと。カウンターに触れながら、ずっと心残りだったことを初めて口にした。
「……実はもう一回、水族館に行きたいなって思ってて」
「水族館?」
メニューを貼っているテープが少しだけ捲れていて、それを指先で直しながら話し始めた。
「あの時……凄く失礼なことをしてしまったので、やり直したくて……」
「なるほど」
月島さんがズボンのポケットからスマホを取り出して、何やら難しい顔をしながら操作し始めた。ちょうど来週の定休日ならなんとか調整できそうだと言われて、鯉登さんのスケジュールを確認してくれていたのだと知った。
「ほら、ミョウジさんも早く連絡してください」
「えっ、今ですか?!」
「後にしたら絶対に連絡しないでしょう、こういうのは誰かが一緒の時にした方が事が早く進むんです」
ほら早く、と手を叩いて急かされたので慌てて裏に置いていたバッグの中からスマホを取り出して、カウンターの上で鯉登さんとのチャットを開いた。最後にメッセージを交わしたのはもうずっと前だ。私が送った猫のスタンプで会話が終わっている。
「うーん……」
なんて送ろう。見られながらメッセージを打つなんて中々ない経験で、全然文面が浮かんでこない。しかも相手は月島さんの上司だ。上司が水族館に誘われるのを見ている月島さんは一体どういう気持ちなんだろう。
『良かったらもう一度水族館へ行きませんか?』
うんうんと悩んだ末に出てきたのは無難な一文だった。月島さんに監視、もとい見守られながら震える指でメッセージの送信ボタンを押した。でも断られたらどうしよう、と急に不安になって『あのアザラシの赤ちゃんがまた見たくてまた行こうかなって思ってて』と保身へと走ってしまった自分の指が憎い。鯉登さんが行かなくても私一人で行くつもりなんで、という予防線だ。本当に可愛くない。でももう送ってしまったからどうにもできない。あとは野となれ山となれ、と大きくため息をつきながらスマホから手を離したら、画面に動きがあった。
「わっ、早い」
「仕事しないで何してるんだあの人」
いつ返事が返ってくるかなとドキドキする間もなく、既読が一瞬のうちに付き、月島さんのぼやきが着信音によってかき消された。私のではない。月島さんのスマホのだった。すぐさま応答をタップして電話に出た瞬間、手の中のスマホから「月島ァッ!!」と鯉登さんの音割れした声が聞こえてきて、月島さんが顔をしかめながら慣れたようにスマホの音量を極限まで下げた。応答してすぐに耳に当てていたら多分鼓膜が破れていたんじゃないだろうか。あっ、だから月島さんは電話に出ても手に持ったままだったのかと対鯉登さんのライフハックに気がついた。
「ええ、はい……はい、その用事は夕方にずらしておきましたので……丸一日は難しいですが、ミョウジさんとデートしてきたら良いんじゃないですか」
デート、という単語にびくっと体が跳ねた。向こうからテンション高めの鯉登さんの声がひっきりなしに聞こえてくる。さっきよりかは小さい声だから何を話しているのか私には分からないけど、とても嬉しそうであることは十分に伝わって来て、湧き上がってくるムズムズとした気持ちの行き場がなくて、靴の中で足先を丸めたり広げたりして発散を試みていた。
「──もう良いですか?早く仕事に戻ってください」
この騒動の発端であるのに、さも自分は関係ないというような月島さんの冷静な言葉によって電話が切られた。そして、その後すぐに「来週の定休日に行こう」と鯉登さんからのメッセージも私に届いた。読み返すごとに、口角がどんどん上がっていく。
「良かったですね」
「はい、ありがとうございます」
月島さんには本当にお世話になってばかりだ。お礼にカウンター横に置いていたクッキーを2つ、紙袋の中に入れておいた。
「聞こえていたと思いますが、鯉登はあなたのことになると常にあんな感じです」
「そ、そうなんですね……」
私がいなくてもあんな感じなんだ、と初めて知った事実に照れて床を見つめてしまった。ガサガサと紙袋を掴む音がして顔を上げれば、帰ろうとした月島さんが動きを止めて、何か言いたげに私を見ていた。つい先ほど「言いたいことは言う方なので」と言っていた月島さんが何か悩んでいる。様子を伺っていると、一度はぁと小さく息を吐いてから月島さんが口を開いた。
「好きだと伝えられる相手がいるのは、幸せなことですよ」
ではまた、と月島さんが去っていった。好きだと伝えられる相手がいるのは、幸せなこと。一人になった店内で言われたことを反芻した。人を好きになることは幸せなこと、というようにも解釈できるけど、でももっと何か、月島さんが言っているのはそういうロマンチックなことではないような気がした。伝えられるうちに伝えた方が良い、そんな風なニュアンスだった。私を見つめていた瞳は、少し憂いを帯びていたから。だから月島さんは言いたいことを言うのだろうか。言えなくなってからでは遅いから。
鯉登さんとの日常だって、いつまで続くのか分からない。例えば転勤とかでここに通えなくなることだってあり得るし、考えたくも無いけど事故とかに会うことだってあり得る。こんなに私に真っ直ぐにぶつかってきてくれる人がすぐ隣にいるのに、好きだと伝えられないと嘆くのはとても贅沢な悩みなのだ。
「……っ、よし!」
もっと頑張ろう。もっと頑張りたい。今度こそ、あの時言えなかった気持ちを伝えるのだ。これは三回目のデート、決戦の時である。法螺貝の音まで聞こえてきそうなほどに昂った感情に任せて「デート用の服を一緒に選んで欲しい」と友人にメッセージを送って気合いを入れた。
こうして、私は鯉登さんと二度目の水族館デートへと行くこととなった。
2025.03.29
