カフェ店長シリーズ
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ミョウジさん今日雰囲気違うね?」
「えっ?そうですか?」
「うん、なんかキラキラしてて可愛い〜」
キャッキャッと杉元さんがテンション高めに女子のように褒めてきたので、ついつい私も頬が緩んでいく。
「えへへ、実は昨日、自分に似合う色とかメイクの仕方をプロの人に教えてもらったんです」
「え!何それ、楽しそう」
杉元さんもやってみます?と冗談交じりで聞いてみれば「いいのぉ?」と、満更でもない返事が返ってきたので笑ってしまった。相変わらず屈強な見た目に見合わず中身は乙女だ。
「で、今日は何にしましょうか?」
「アイスキャラメルラテ、氷少なめ、ホイップとシロップマシマシで!」
そして相変わらずかなりの甘党だ。毎回甘いものを注文していくけど、アイスホッケー選手って食事制限とかないんだろうか……前に話を聞いた時はリンクに出たら4、50秒で疲れて動けなくなるから、その都度メンバーを入れ替えながら試合をすると言っていた。もしかしたらこれくらいのカロリーなんて一瞬で消費されてしまうのかもしれない。羨ましい反面、そんな激しい競技をしているなんてすごい人だなと思いながら支払用のコードをスキャンして、カウンター横でキャラメルラテの準備に取り掛かった。
「……恋だねぇ」
しみじみと呟かれた言葉に、危うく掴んでいたカップを落としそうになる。大きな体を少し屈めて、カウンターに頬杖をつきながら杉元さんがニコニコと私のことを見つめていた。手汗が噴き出してきて、プラスチック製のカップが手の中でつるつると滑る。
「な、なんですか急に……」
「だってさぁ、俺ずっとここに通ってるけど、急にこんな変わるなんて恋以外ないでしょ」
しかも水族館デートしたあとだし、と付け加えられてボンッ!と自分でも分かるほどに一気に顔が赤くなった。
「気づいてないかもしれないけど、最近のミョウジさんすげーキラキラしてるよ」
「えっ?!」
「特に今日はまた一段とキラキラしてる」
さっきの「キラキラしてて可愛い」ってそういうこと?!昨日買ったばかりのアイシャドウはラメが控えめの物だからおかしいなとは思っていたけど、まさかそういう意味で言っていたなんて。
確かに、今回わざわざプロに頼んでまでメイクを学んで、コスメを新調したのは鯉登さんの存在が大きい──というか、正直に白状すると鯉登さんを意識していたからにほかならない。今まではそんなに頑張ったところで……と思っていたのに、最近は少しでも鯉登さんと並んだ時に変ではないようにと、スキンケアを頑張ったり、不器用ながらにヘアアレンジをしたり、ちょっと気合を入れて朝の支度をするようになっていた。昨日買ったアイシャドウもリップも、自分にとっては冒険色のやや華やかな色を、似合う似合うとおだてられるがままに買ってしまったのだった。少しでも可愛いって思ってくれたら嬉しいな、なんてほのかな淡い期待を抱きながら。
それも全部バレバレだったのだと気付いて、驚きと羞恥心でカチンコチンに固まった私を杉元さんが笑った。
「好きなんだって、気づいちゃった?」
耳まで真っ赤になったまま、サーバーのボタンを押してカップの中にエスプレッソとミルクが注がれていくのを黙って見続けた。
「あれ、あれあれ?否定しない?!」
杉元さんが乗り越えるような勢いでカウンターに乗り上げて私の顔を見てくるが、何も言い返せない。だって、もう否定できないし……私の様子が今までとは違うと気づいたのか、うるさく茶化していた杉元さんが一瞬で真顔になり、大人しくまたカウンターの向こう側に戻って行った。急にしんと静まり返った店内で、出来上がったラテにキャラメルシロップを大量に投入して、蓋が閉まらないほどのありったけのホイップを上に乗せた。動揺して手が少し震えているから、ホイップの山は斜めになっているし、カップの縁からも少しはみ出してしまっていて、とても不格好だ。こんな物を売り物にして良いのかと一瞬迷ったが、杉元さんのせいでもあるのでそのまま手渡した。一瞬合った目を、ふいっとすぐに逸らした。
「……マジかよあの野郎ッ!やりやがったッ!初デートでッ!!」
ドンッと拳が振り下ろされてバキッとカウンターが悲鳴をあげた。やめてください、壊れる。
「決め手は?!まさかイルカが指輪運んできたから?!あっ、意外とフラッシュモブとか?!」
「違います」
どれもされてないし。杉元さんのことで気まずい感じで終わってしまったので、水族館で何があったかあまり話せていない。そのせいか、杉元さんの中で私たちのデートについての想像が膨らみすぎている気がする。デート後に初めて会った時に「大丈夫だった?アイツお土産に水族館丸ごと買ったりしなかった?」と開口一番心配されたことを思い出した。さすがにそんなことをされたら千年の恋も冷めてしまう、かもしれない。いや、分からない。割ともう何でも受け入れてしまいそうな自分がいてちょっと怖い。これが恋なんだとしたら盲目どころの騒ぎではない。持て余した気持ちをどうしたら良いのか分からなくて、自分が自分でなくなっていくようなそんな恐怖まで感じるほどだ。
「別に……これという決定打があったわけではないんですよ……」
「うん、うん!」
「でもなんていうか、その……一緒にいて居心地が良かったというか……」
「一緒に居て居心地が良かったッ!!」
「声が大きい!」
ぼそぼそと、恥ずかしいからできるだけ小声で話しているというのに、外まで響き渡るほどの大声でオウム返しをされて、つい私も大声を上げてしまった。「ごめん、続けて」と杉元さんがニマニマしながらキャラメルラテをズゴゴっと物凄い勢いで啜り始めた。
「一緒に居て楽しかったし、なんか……」
「なんか?」
喉まで出かかった言葉を一度飲み込んだ。でもやっぱり堪えられなくて、誰かに聞いて欲しくて、驚くほどするりと言葉が滑り出た。
「好きだなぁ、って」
グシャッとほぼ中身が無くなっていたカップが握り潰され、カウンターと杉元さんのシャツにホイップと氷が飛び散った。
「うわぁっ!こぼれてるこぼれてる!」
「俺もう死んでも良いかも……いや、待って死ねない。結婚式には絶対行きたい」
尋常でない圧力がかかってグチャグチャに変形したカップを引き取り、慌てて布巾でカウンターを拭き始めた。杉元さんはベタベタのシャツと手のまま顔を覆って天を仰いで、何やらぶつぶつと独り言を呟き続けている。ウェットティッシュを無理やり渡せば、ハッとしたようにシャツを拭き始めたがもう結構な染みになってしまっている。
「ごめん、もったいないことしちゃった……」
「いや、それは良いんですけど、シャツ大丈夫ですか?」
「うん。替えのやつ置いてるから大丈夫」
折角作ってくれたのにごめんね、と手を拭きながらしゅんとした表情で杉元さんが謝ってきた。まるでコントロールできない強大な力を手に入れたばかりのヒーローか何かのようで、少しだけ微笑ましかった。
「新しいの作りましょうか?」
「いや……もう、お腹いっぱい……」
「珍しいですね」
「ミョウジさんのせいだよ」
様子がおかしかった杉元さんが退店してから数時間後、月島さんと来店した鯉登さんがジッと私の顔を見つめてきた。もう何度も顔を合わせているというのに、未だに鯉登さんの整った顔に見つめられると落ち着かない。圧が強い。好きだと自覚してから尚更落ち着かない。「な、なんでしょうか……」と、どもりながら身を縮こまらせれば、鯉登さんがやっと口を開いた。
「いつにも増して可愛いな」
「かっ……えぇっ?!」
「化粧か?華やかで似合っている」
いつもはもう少し落ち着いている色が多いだろう、と鯉登さんが色んな角度から嬉しそうに私の顔を観察してくる。「いつにも増して可愛いな」「似合っている」という言葉が永遠に頭の中でこだまして思考が鈍っていく。無意識に口角が上がっていたことに気づいて、急いで緩んだ表情筋を元に戻した。
「そ、そんなに違います……?」
鯉登さんの視線から逃げるように後ろの月島さんに問えば、無表情のまま首をかしげられた。多分、これが普通の男性の反応なんだろう。杉元さんと鯉登さんが特殊なだけで。私だって、友人のメイクが変わったかちゃんと言い当てられる自信はない。「全然違うだろう。どうしたんだ急に」と鯉登さんが聞いてきた。
「昨日プロの人に教えてもらったんです」
「誰だ?いくら払えば専属にできる」
どこの一般人に専属メイクさんがつくんですか。でも可愛いと言われたのが嬉しくて、ふわふわと浮かれる心を悟られたくなくて、慌てて小さく咳払いをした。
「ご注文はどうしましょう?」
「カフェラテのトナカイを」
「いつもので」
それぞれにお会計を済まし、ドリンクの準備を進めていく。あれから練習した甲斐あって、くっきりと綺麗にステンシルができるようになったので、最近正式にアザラシとトナカイのココアステンシルのサービスを始めたのだった。他のお客様からも評判は上々で嬉しい限りだ。水族館に行かなければ出なかったアイデアなので、鯉登さんには感謝してもしきれない。
「はい、まずはこちらカフェラテです」
「ありがとう」
受け渡しの際にぎゅっとカップごと鯉登さんに手を握られて、咄嗟に身を引いて距離を取った。手が熱い。びっくりしすぎて、一瞬心臓が体を突き破ったかと錯覚した。危ないだろう、と落ちそうになったカップを鯉登さんが器用に受け止めた。
「いっ、いきなりなんですか」
「何故逃げる」
「逃げますよ!」
こっちにも心の準備ってものがあるんですよ!声にならない声が口の中で消えていった。思い返せばことあるごとに鯉登さんに触れられているような気がする。どれだけパーソナルスペースが狭いんだ。こうやって他の女の人にも触れているのだろうか。そんなの嫌だ……じゃなくて、人誑しすぎる。とんだ修羅場製造機じゃないか。もしかして、以前私の前に現れた女性もそれで勘違いしてしまったのでは、と考えたら同情せざるを得なかった。
「だ、だめですよ、鯉登さん。そんな誰彼構わず触れちゃ……」
「ナマエにしか触れたいと思ったことはない」
「はぁ?!」
あまりベタベタされるのも好かん、と何かを思い出しているのか苦々しい顔をしながら鯉登さんが言い放った。女性に群がられている鯉登さんが容易に想像できてしまって、心が本格的にざわつく前に慌ててかき消した。その家柄と見た目だと色々大変だったんだろう。そういえば水族館でもふれあいコーナーを嫌がってたな。そんな潔癖気味な人が私には触れたいと思っていると知って、ぶわわっと耐え難い恥ずかしさと嬉しさが込み上げてくる。鯉登さんのせいで私は心身ともに散り散りになって消滅しそうだというのに、当の本人はなんでもないように「そういえば」と話を変えた。
「先日のことなんだが」
先日、というのは多分デリバリーをした時の話だろう。「私が好きなのは、杉元さんじゃないです」と声高らかに伝えてしまったことを思い出した。あんなの「私には好きな人が別にいます!」と宣言するようなものだ。誰得情報だ。穴があったら化石になるまで一生埋めておいて欲しいほどの恥ずかしい言い間違いをしてしまった。一体何を言われるのだろうと、ドキドキと緊張しながら言葉を待ち続ければ、鯉登さんがフッと不敵に笑った。
「どこの馬の骨とも分からん奴に負けるつもりはない」
「……え?」
「必ずナマエを振り向かせてみせる」
自信に満ち溢れ、内側からキラキラと光り輝く鯉登さんが直視できなくて、思わず目の前に手をかざした。眩しい。眩しすぎる。顔も良すぎる。しかし言っていることは無茶苦茶である。どこの馬の骨というか由緒正しきサラブレッドのような方なんですけどね。
「私はこれからもずっと、ナマエのことが好きだ!」
自分の言い間違いのせいとはいえ、勝手に己との戦いを始めた鯉登さんに慌てふためいているうちに告白の追撃まで受けて、とうとう耐えきれずにその場に崩れ落ちた。
「……あの、すみません。私のはまだですか」
2024.08.29
「えっ?そうですか?」
「うん、なんかキラキラしてて可愛い〜」
キャッキャッと杉元さんがテンション高めに女子のように褒めてきたので、ついつい私も頬が緩んでいく。
「えへへ、実は昨日、自分に似合う色とかメイクの仕方をプロの人に教えてもらったんです」
「え!何それ、楽しそう」
杉元さんもやってみます?と冗談交じりで聞いてみれば「いいのぉ?」と、満更でもない返事が返ってきたので笑ってしまった。相変わらず屈強な見た目に見合わず中身は乙女だ。
「で、今日は何にしましょうか?」
「アイスキャラメルラテ、氷少なめ、ホイップとシロップマシマシで!」
そして相変わらずかなりの甘党だ。毎回甘いものを注文していくけど、アイスホッケー選手って食事制限とかないんだろうか……前に話を聞いた時はリンクに出たら4、50秒で疲れて動けなくなるから、その都度メンバーを入れ替えながら試合をすると言っていた。もしかしたらこれくらいのカロリーなんて一瞬で消費されてしまうのかもしれない。羨ましい反面、そんな激しい競技をしているなんてすごい人だなと思いながら支払用のコードをスキャンして、カウンター横でキャラメルラテの準備に取り掛かった。
「……恋だねぇ」
しみじみと呟かれた言葉に、危うく掴んでいたカップを落としそうになる。大きな体を少し屈めて、カウンターに頬杖をつきながら杉元さんがニコニコと私のことを見つめていた。手汗が噴き出してきて、プラスチック製のカップが手の中でつるつると滑る。
「な、なんですか急に……」
「だってさぁ、俺ずっとここに通ってるけど、急にこんな変わるなんて恋以外ないでしょ」
しかも水族館デートしたあとだし、と付け加えられてボンッ!と自分でも分かるほどに一気に顔が赤くなった。
「気づいてないかもしれないけど、最近のミョウジさんすげーキラキラしてるよ」
「えっ?!」
「特に今日はまた一段とキラキラしてる」
さっきの「キラキラしてて可愛い」ってそういうこと?!昨日買ったばかりのアイシャドウはラメが控えめの物だからおかしいなとは思っていたけど、まさかそういう意味で言っていたなんて。
確かに、今回わざわざプロに頼んでまでメイクを学んで、コスメを新調したのは鯉登さんの存在が大きい──というか、正直に白状すると鯉登さんを意識していたからにほかならない。今まではそんなに頑張ったところで……と思っていたのに、最近は少しでも鯉登さんと並んだ時に変ではないようにと、スキンケアを頑張ったり、不器用ながらにヘアアレンジをしたり、ちょっと気合を入れて朝の支度をするようになっていた。昨日買ったアイシャドウもリップも、自分にとっては冒険色のやや華やかな色を、似合う似合うとおだてられるがままに買ってしまったのだった。少しでも可愛いって思ってくれたら嬉しいな、なんてほのかな淡い期待を抱きながら。
それも全部バレバレだったのだと気付いて、驚きと羞恥心でカチンコチンに固まった私を杉元さんが笑った。
「好きなんだって、気づいちゃった?」
耳まで真っ赤になったまま、サーバーのボタンを押してカップの中にエスプレッソとミルクが注がれていくのを黙って見続けた。
「あれ、あれあれ?否定しない?!」
杉元さんが乗り越えるような勢いでカウンターに乗り上げて私の顔を見てくるが、何も言い返せない。だって、もう否定できないし……私の様子が今までとは違うと気づいたのか、うるさく茶化していた杉元さんが一瞬で真顔になり、大人しくまたカウンターの向こう側に戻って行った。急にしんと静まり返った店内で、出来上がったラテにキャラメルシロップを大量に投入して、蓋が閉まらないほどのありったけのホイップを上に乗せた。動揺して手が少し震えているから、ホイップの山は斜めになっているし、カップの縁からも少しはみ出してしまっていて、とても不格好だ。こんな物を売り物にして良いのかと一瞬迷ったが、杉元さんのせいでもあるのでそのまま手渡した。一瞬合った目を、ふいっとすぐに逸らした。
「……マジかよあの野郎ッ!やりやがったッ!初デートでッ!!」
ドンッと拳が振り下ろされてバキッとカウンターが悲鳴をあげた。やめてください、壊れる。
「決め手は?!まさかイルカが指輪運んできたから?!あっ、意外とフラッシュモブとか?!」
「違います」
どれもされてないし。杉元さんのことで気まずい感じで終わってしまったので、水族館で何があったかあまり話せていない。そのせいか、杉元さんの中で私たちのデートについての想像が膨らみすぎている気がする。デート後に初めて会った時に「大丈夫だった?アイツお土産に水族館丸ごと買ったりしなかった?」と開口一番心配されたことを思い出した。さすがにそんなことをされたら千年の恋も冷めてしまう、かもしれない。いや、分からない。割ともう何でも受け入れてしまいそうな自分がいてちょっと怖い。これが恋なんだとしたら盲目どころの騒ぎではない。持て余した気持ちをどうしたら良いのか分からなくて、自分が自分でなくなっていくようなそんな恐怖まで感じるほどだ。
「別に……これという決定打があったわけではないんですよ……」
「うん、うん!」
「でもなんていうか、その……一緒にいて居心地が良かったというか……」
「一緒に居て居心地が良かったッ!!」
「声が大きい!」
ぼそぼそと、恥ずかしいからできるだけ小声で話しているというのに、外まで響き渡るほどの大声でオウム返しをされて、つい私も大声を上げてしまった。「ごめん、続けて」と杉元さんがニマニマしながらキャラメルラテをズゴゴっと物凄い勢いで啜り始めた。
「一緒に居て楽しかったし、なんか……」
「なんか?」
喉まで出かかった言葉を一度飲み込んだ。でもやっぱり堪えられなくて、誰かに聞いて欲しくて、驚くほどするりと言葉が滑り出た。
「好きだなぁ、って」
グシャッとほぼ中身が無くなっていたカップが握り潰され、カウンターと杉元さんのシャツにホイップと氷が飛び散った。
「うわぁっ!こぼれてるこぼれてる!」
「俺もう死んでも良いかも……いや、待って死ねない。結婚式には絶対行きたい」
尋常でない圧力がかかってグチャグチャに変形したカップを引き取り、慌てて布巾でカウンターを拭き始めた。杉元さんはベタベタのシャツと手のまま顔を覆って天を仰いで、何やらぶつぶつと独り言を呟き続けている。ウェットティッシュを無理やり渡せば、ハッとしたようにシャツを拭き始めたがもう結構な染みになってしまっている。
「ごめん、もったいないことしちゃった……」
「いや、それは良いんですけど、シャツ大丈夫ですか?」
「うん。替えのやつ置いてるから大丈夫」
折角作ってくれたのにごめんね、と手を拭きながらしゅんとした表情で杉元さんが謝ってきた。まるでコントロールできない強大な力を手に入れたばかりのヒーローか何かのようで、少しだけ微笑ましかった。
「新しいの作りましょうか?」
「いや……もう、お腹いっぱい……」
「珍しいですね」
「ミョウジさんのせいだよ」
様子がおかしかった杉元さんが退店してから数時間後、月島さんと来店した鯉登さんがジッと私の顔を見つめてきた。もう何度も顔を合わせているというのに、未だに鯉登さんの整った顔に見つめられると落ち着かない。圧が強い。好きだと自覚してから尚更落ち着かない。「な、なんでしょうか……」と、どもりながら身を縮こまらせれば、鯉登さんがやっと口を開いた。
「いつにも増して可愛いな」
「かっ……えぇっ?!」
「化粧か?華やかで似合っている」
いつもはもう少し落ち着いている色が多いだろう、と鯉登さんが色んな角度から嬉しそうに私の顔を観察してくる。「いつにも増して可愛いな」「似合っている」という言葉が永遠に頭の中でこだまして思考が鈍っていく。無意識に口角が上がっていたことに気づいて、急いで緩んだ表情筋を元に戻した。
「そ、そんなに違います……?」
鯉登さんの視線から逃げるように後ろの月島さんに問えば、無表情のまま首をかしげられた。多分、これが普通の男性の反応なんだろう。杉元さんと鯉登さんが特殊なだけで。私だって、友人のメイクが変わったかちゃんと言い当てられる自信はない。「全然違うだろう。どうしたんだ急に」と鯉登さんが聞いてきた。
「昨日プロの人に教えてもらったんです」
「誰だ?いくら払えば専属にできる」
どこの一般人に専属メイクさんがつくんですか。でも可愛いと言われたのが嬉しくて、ふわふわと浮かれる心を悟られたくなくて、慌てて小さく咳払いをした。
「ご注文はどうしましょう?」
「カフェラテのトナカイを」
「いつもので」
それぞれにお会計を済まし、ドリンクの準備を進めていく。あれから練習した甲斐あって、くっきりと綺麗にステンシルができるようになったので、最近正式にアザラシとトナカイのココアステンシルのサービスを始めたのだった。他のお客様からも評判は上々で嬉しい限りだ。水族館に行かなければ出なかったアイデアなので、鯉登さんには感謝してもしきれない。
「はい、まずはこちらカフェラテです」
「ありがとう」
受け渡しの際にぎゅっとカップごと鯉登さんに手を握られて、咄嗟に身を引いて距離を取った。手が熱い。びっくりしすぎて、一瞬心臓が体を突き破ったかと錯覚した。危ないだろう、と落ちそうになったカップを鯉登さんが器用に受け止めた。
「いっ、いきなりなんですか」
「何故逃げる」
「逃げますよ!」
こっちにも心の準備ってものがあるんですよ!声にならない声が口の中で消えていった。思い返せばことあるごとに鯉登さんに触れられているような気がする。どれだけパーソナルスペースが狭いんだ。こうやって他の女の人にも触れているのだろうか。そんなの嫌だ……じゃなくて、人誑しすぎる。とんだ修羅場製造機じゃないか。もしかして、以前私の前に現れた女性もそれで勘違いしてしまったのでは、と考えたら同情せざるを得なかった。
「だ、だめですよ、鯉登さん。そんな誰彼構わず触れちゃ……」
「ナマエにしか触れたいと思ったことはない」
「はぁ?!」
あまりベタベタされるのも好かん、と何かを思い出しているのか苦々しい顔をしながら鯉登さんが言い放った。女性に群がられている鯉登さんが容易に想像できてしまって、心が本格的にざわつく前に慌ててかき消した。その家柄と見た目だと色々大変だったんだろう。そういえば水族館でもふれあいコーナーを嫌がってたな。そんな潔癖気味な人が私には触れたいと思っていると知って、ぶわわっと耐え難い恥ずかしさと嬉しさが込み上げてくる。鯉登さんのせいで私は心身ともに散り散りになって消滅しそうだというのに、当の本人はなんでもないように「そういえば」と話を変えた。
「先日のことなんだが」
先日、というのは多分デリバリーをした時の話だろう。「私が好きなのは、杉元さんじゃないです」と声高らかに伝えてしまったことを思い出した。あんなの「私には好きな人が別にいます!」と宣言するようなものだ。誰得情報だ。穴があったら化石になるまで一生埋めておいて欲しいほどの恥ずかしい言い間違いをしてしまった。一体何を言われるのだろうと、ドキドキと緊張しながら言葉を待ち続ければ、鯉登さんがフッと不敵に笑った。
「どこの馬の骨とも分からん奴に負けるつもりはない」
「……え?」
「必ずナマエを振り向かせてみせる」
自信に満ち溢れ、内側からキラキラと光り輝く鯉登さんが直視できなくて、思わず目の前に手をかざした。眩しい。眩しすぎる。顔も良すぎる。しかし言っていることは無茶苦茶である。どこの馬の骨というか由緒正しきサラブレッドのような方なんですけどね。
「私はこれからもずっと、ナマエのことが好きだ!」
自分の言い間違いのせいとはいえ、勝手に己との戦いを始めた鯉登さんに慌てふためいているうちに告白の追撃まで受けて、とうとう耐えきれずにその場に崩れ落ちた。
「……あの、すみません。私のはまだですか」
2024.08.29
