カフェ店長シリーズ
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社外での会議が終わって、取引先から「よければどうぞ」と帰り際に渡されたのは、水族館の無料券の束だった。
社に戻って鯉登さんの執務室を訪れる。チケットの束を見せても「いらない」と一言返ってきただけだった。いや、いらなくはないでしょう。4枚だけ抜き取って、あとは適当に配っておいてくれと、外を通りがかった部の人間に渡した。
手元にあるうちの2枚を鯉登さんに差し出す。鯉登さんは革張りの椅子に座ったまま、子供のように顰めっ面でむくれている。受け取る気なんてなさそうだ。
「……なんで2枚なんだ」
4枚全部よこせということか、と一瞬思ったがそういう訳でもなさそうだ。
「ミョウジさんを誘えば良いじゃないですか」
「キェッ……!?」
鯉登さんがブワワっと耳まで真っ赤になった。その隙にチケットを手にねじ込めば、慌てて振りほどいたので2枚ともヒラヒラと床に落ちてしまった。罰が悪そうに鯉登さんがチケットを拾い始めた。1枚はデスクの下に入り込んだのか、体を折り曲げて、窮屈そうにデスク下のスペースに頭を入れて手を伸ばしている。
「散々好きだの結婚してくれだの言ってるくせに、デートに誘えないのは意味が分かりません」
「でっ……?!」
ガンッと盛大に後頭部をデスク裏にぶつけて、鯉登さんが椅子から転げ落ちた。床でひとしきり悶えたあとに、よろよろと立ちあがってボスンと椅子に沈み込む。
「……断られるかも、しれないではないか」
少し乱れた髪で、項垂れながらボソボソと発せられた言葉にすべて理解した。なるほど。「好きだ、結婚してくれ」に対して最近はYESともNOとも言われないが、「水族館に一緒に行ってほしい」にはYESかNOで返ってきてしまう。NOが怖くて誘えないと。なるほど。
「面倒くさい」
「……ッ!」
ゴン!と痛々しい音とともに、鯉登さんが今度は額をデスクにぶつけた。そのまま不明瞭なことを呟きながらデスクをガリガリしている。何も言い返してこないのは、自分でも面倒だとしっかり認識しているからだろう。この人は自信に満ち溢れているようでいて、その実、自己肯定感が低くてとても人間臭いところがある。まあそんなところが良いところでもあり、悪いところでもあるのだが。未だにデスクに突っ伏してウジウジしている鯉登さんを見下ろしながら、どうしたものかと考える。
「明日行った時に誘ってみたらどうです?」
「あ、明日?!急すぎないか?!心の準備が……!」
「まだ丸一日あるでしょうが」
*
「き、今日は天気が良いな!」
「そうですね……?」
ダメだこりゃ。上司のポンコツぶりに頭を抱えそうになった。ただ水族館に一緒に行ってほしいと言うだけなのに、何をそんなに躊躇うことがあるのか。いつかミョウジさんに、鯉登さんがこれからの業界を牽引できる存在だと言ったことを死ぬほど後悔した。
カウンター越しのミョウジさんの困惑がひしひしと伝わってきて、同情の念が湧き上がってくる。助けを求めるようにこちらを見られたが、自分も加担している罪悪感からつい目を逸らしてしまった。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。もう少しお付き合いください。
鯉登さんがまた口を開いたが、そのまま何も言わないままゆっくりと口を閉じた。気まずい沈黙が訪れてしまったので、さすがに痺れを切らして助け舟を出すことにした。
「鯉登さん、これがラストチャンスです」
大の大人が一体何をしているんだ、鯉登さんも俺も。5、4、3……と、強制的に始めたカウントダウンに、鯉登さんが慌ててポケットからチケットを取り出した。
「……ナマエは水族館に興味はあるかッ?!」
「あると言えば、あります」
「そ、そうか、良かった!」
おい、なぜ1枚だけ渡した。
「ありがとうございます。今度の定休日に行ってこようと思います」
ミョウジさんの今の言葉は「一人で行きますよ、良いんですか」という確認だ。普通、目の前にチケットが2枚あればデートの誘いだと誰だって思う。俺だってそう思う。二人で行かないんですか、なんて言わないのがミョウジさんらしい。傷つくのが怖い二人は似た者同士だ。
1枚だけ渡したのは悪手だったとやっと気付いたのか、鯉登さんがまた黙り込んでしまった。全くもって手がかかる。自分でも驚くほどに素早く腕時計を確認して、またカウントダウンを始めた。
5、4、3……
「わっ、わた、私と一緒に行ってくれないだろうかッ!」
「い、いいですよ……?」
よしっ、と心の中でガッツポーズをした。情けない顔をした鯉登さんと、目元の緩んだミョウジさん二人が視界に収まる。本当にこの二人は面倒で、焦ったくて、歯痒くて、手がかかる。見ているこちらが恥ずかしくなるほどに、ほわほわと幸せそうな雰囲気を醸し出している。これで付き合っていないのだから、どうかしているとしか思えない。
ほらほら、赤ちゃんアザラシで盛り上がっている場合じゃないですよ鯉登さん。早く日程を決めてください。貸切もやめましょう。初デートで二人きりになってあなたどうするんですか。緊張で死にますよ。ああ、このまま放っておいたら何も進まずに日が暮れてしまう。
「では次の定休日を仮の日程とし、詳細は後ほどご連絡ということで良いですね?」
頷いて少しして、ミョウジさんの目が泳いだ。なんとなく考えていることを察した。
「私は行きませんよ」
「当たり前だ。ついてくるな」
隣で鯉登さんが思いっきり顔を歪めてこちらを見てきた。グッと拳に力を込めて耐える。誰のおかげで誘えたと思っているんだ。スーツがミシミシと悲鳴をあげている。ミョウジさんは顔を赤くしたり青くしたりと忙しそうにしている。
ご心配なく、俺は行きません。そこまで野暮なことはしませんし、何より暇ではありません。当日は鯉登さんの分までしっかりと仕事をしておきますので、ゆっくりと楽しんできてください。そんな念を送っているうちにミョウジさんはカウンターの陰に隠れてしまった。鯉登さん、覗かないでそっとしておいてあげてください。
「では今日はこれで」
店を出れば、およそカタギには見えない男が入れ違いで入っていった。確かオープン当初から通っている客だと、昔ミョウジさんのことを調べた時の報告書にあった気がする。振り返れば店内で何度もジャンプをしていて訳が分からなかった。見なかったことにしよう。
「良いですか鯉登さん、当日は普通に振る舞ってくださいね」
前方で嬉しそうにスキップをしている鯉登さんに声をかけた。店を出てからずっとこの調子だ。ただでさえ目立つ人なのに、より一層周りの目が気になって仕方ない。
「むっ、言われなくても分かっている」
「ミョウジさんが可愛いと言った物を買い占めたり、大きな花束とか持っていってはいけませんよ」
「…………分かっている」
本当か?間がやけに気になった。
しかし全く本当に手がかかる上司だ。全部見せつけられるこちらの身にもなってほしい。今までのことが一気に頭を駆け巡って、ハアァと心の底から大きなため息が出た。足が重い。いつの間にか鯉登さんと随分と距離が開いていた。
「月島ァ!何をしている、早く来い!仕事が山積みだぞ!」
もういっそ、会社の然るべき窓口に相談してやろうか……でも一体何ハラなんだこれは?
社に戻って鯉登さんの執務室を訪れる。チケットの束を見せても「いらない」と一言返ってきただけだった。いや、いらなくはないでしょう。4枚だけ抜き取って、あとは適当に配っておいてくれと、外を通りがかった部の人間に渡した。
手元にあるうちの2枚を鯉登さんに差し出す。鯉登さんは革張りの椅子に座ったまま、子供のように顰めっ面でむくれている。受け取る気なんてなさそうだ。
「……なんで2枚なんだ」
4枚全部よこせということか、と一瞬思ったがそういう訳でもなさそうだ。
「ミョウジさんを誘えば良いじゃないですか」
「キェッ……!?」
鯉登さんがブワワっと耳まで真っ赤になった。その隙にチケットを手にねじ込めば、慌てて振りほどいたので2枚ともヒラヒラと床に落ちてしまった。罰が悪そうに鯉登さんがチケットを拾い始めた。1枚はデスクの下に入り込んだのか、体を折り曲げて、窮屈そうにデスク下のスペースに頭を入れて手を伸ばしている。
「散々好きだの結婚してくれだの言ってるくせに、デートに誘えないのは意味が分かりません」
「でっ……?!」
ガンッと盛大に後頭部をデスク裏にぶつけて、鯉登さんが椅子から転げ落ちた。床でひとしきり悶えたあとに、よろよろと立ちあがってボスンと椅子に沈み込む。
「……断られるかも、しれないではないか」
少し乱れた髪で、項垂れながらボソボソと発せられた言葉にすべて理解した。なるほど。「好きだ、結婚してくれ」に対して最近はYESともNOとも言われないが、「水族館に一緒に行ってほしい」にはYESかNOで返ってきてしまう。NOが怖くて誘えないと。なるほど。
「面倒くさい」
「……ッ!」
ゴン!と痛々しい音とともに、鯉登さんが今度は額をデスクにぶつけた。そのまま不明瞭なことを呟きながらデスクをガリガリしている。何も言い返してこないのは、自分でも面倒だとしっかり認識しているからだろう。この人は自信に満ち溢れているようでいて、その実、自己肯定感が低くてとても人間臭いところがある。まあそんなところが良いところでもあり、悪いところでもあるのだが。未だにデスクに突っ伏してウジウジしている鯉登さんを見下ろしながら、どうしたものかと考える。
「明日行った時に誘ってみたらどうです?」
「あ、明日?!急すぎないか?!心の準備が……!」
「まだ丸一日あるでしょうが」
*
「き、今日は天気が良いな!」
「そうですね……?」
ダメだこりゃ。上司のポンコツぶりに頭を抱えそうになった。ただ水族館に一緒に行ってほしいと言うだけなのに、何をそんなに躊躇うことがあるのか。いつかミョウジさんに、鯉登さんがこれからの業界を牽引できる存在だと言ったことを死ぬほど後悔した。
カウンター越しのミョウジさんの困惑がひしひしと伝わってきて、同情の念が湧き上がってくる。助けを求めるようにこちらを見られたが、自分も加担している罪悪感からつい目を逸らしてしまった。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。もう少しお付き合いください。
鯉登さんがまた口を開いたが、そのまま何も言わないままゆっくりと口を閉じた。気まずい沈黙が訪れてしまったので、さすがに痺れを切らして助け舟を出すことにした。
「鯉登さん、これがラストチャンスです」
大の大人が一体何をしているんだ、鯉登さんも俺も。5、4、3……と、強制的に始めたカウントダウンに、鯉登さんが慌ててポケットからチケットを取り出した。
「……ナマエは水族館に興味はあるかッ?!」
「あると言えば、あります」
「そ、そうか、良かった!」
おい、なぜ1枚だけ渡した。
「ありがとうございます。今度の定休日に行ってこようと思います」
ミョウジさんの今の言葉は「一人で行きますよ、良いんですか」という確認だ。普通、目の前にチケットが2枚あればデートの誘いだと誰だって思う。俺だってそう思う。二人で行かないんですか、なんて言わないのがミョウジさんらしい。傷つくのが怖い二人は似た者同士だ。
1枚だけ渡したのは悪手だったとやっと気付いたのか、鯉登さんがまた黙り込んでしまった。全くもって手がかかる。自分でも驚くほどに素早く腕時計を確認して、またカウントダウンを始めた。
5、4、3……
「わっ、わた、私と一緒に行ってくれないだろうかッ!」
「い、いいですよ……?」
よしっ、と心の中でガッツポーズをした。情けない顔をした鯉登さんと、目元の緩んだミョウジさん二人が視界に収まる。本当にこの二人は面倒で、焦ったくて、歯痒くて、手がかかる。見ているこちらが恥ずかしくなるほどに、ほわほわと幸せそうな雰囲気を醸し出している。これで付き合っていないのだから、どうかしているとしか思えない。
ほらほら、赤ちゃんアザラシで盛り上がっている場合じゃないですよ鯉登さん。早く日程を決めてください。貸切もやめましょう。初デートで二人きりになってあなたどうするんですか。緊張で死にますよ。ああ、このまま放っておいたら何も進まずに日が暮れてしまう。
「では次の定休日を仮の日程とし、詳細は後ほどご連絡ということで良いですね?」
頷いて少しして、ミョウジさんの目が泳いだ。なんとなく考えていることを察した。
「私は行きませんよ」
「当たり前だ。ついてくるな」
隣で鯉登さんが思いっきり顔を歪めてこちらを見てきた。グッと拳に力を込めて耐える。誰のおかげで誘えたと思っているんだ。スーツがミシミシと悲鳴をあげている。ミョウジさんは顔を赤くしたり青くしたりと忙しそうにしている。
ご心配なく、俺は行きません。そこまで野暮なことはしませんし、何より暇ではありません。当日は鯉登さんの分までしっかりと仕事をしておきますので、ゆっくりと楽しんできてください。そんな念を送っているうちにミョウジさんはカウンターの陰に隠れてしまった。鯉登さん、覗かないでそっとしておいてあげてください。
「では今日はこれで」
店を出れば、およそカタギには見えない男が入れ違いで入っていった。確かオープン当初から通っている客だと、昔ミョウジさんのことを調べた時の報告書にあった気がする。振り返れば店内で何度もジャンプをしていて訳が分からなかった。見なかったことにしよう。
「良いですか鯉登さん、当日は普通に振る舞ってくださいね」
前方で嬉しそうにスキップをしている鯉登さんに声をかけた。店を出てからずっとこの調子だ。ただでさえ目立つ人なのに、より一層周りの目が気になって仕方ない。
「むっ、言われなくても分かっている」
「ミョウジさんが可愛いと言った物を買い占めたり、大きな花束とか持っていってはいけませんよ」
「…………分かっている」
本当か?間がやけに気になった。
しかし全く本当に手がかかる上司だ。全部見せつけられるこちらの身にもなってほしい。今までのことが一気に頭を駆け巡って、ハアァと心の底から大きなため息が出た。足が重い。いつの間にか鯉登さんと随分と距離が開いていた。
「月島ァ!何をしている、早く来い!仕事が山積みだぞ!」
もういっそ、会社の然るべき窓口に相談してやろうか……でも一体何ハラなんだこれは?
