短編
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梅ちゃん、佐一君、寅次君と出会ったのは転校先の小学校だった。既に仲良しグループが出来上がっていた三年の終わりに、突如として現れた私に声をかけてくれたのが梅ちゃんで、そこから幼馴染三人組に混ぜてもらうことが多くなった。引っ込み思案な私を引っ張っていってくれる梅ちゃんも、少し乱暴だけど優しい佐一君も、穏やかでやや天然な寅次君も大好きで、学校でも放課後でも、四人でいつも一緒に過ごしていた。
でもそのうち、二人とも梅ちゃんのことが好きなのだと気づいてしまった。私は邪魔なんじゃないか。みんな優しいから、私に言えないだけで。気心知れた三人の中に入れてもらっている後ろめたさも拭いきれず、中学に上がったのを機に、少しずつ三人から距離を取るようになった。それまで毎日一緒に登下校していた佐一君からも何かと理由をつけて逃げて、いつしか学校で少し会話をするだけの関係になった。そもそも、わざわざ少し遠回りをしてまで一緒に登下校してくれていた佐一君の優しさに、私は甘えすぎていたのだ。同性の梅ちゃんとはそれなりに付き合いは続いていたけど、佐一君と寅次君との付き合いは年を追うごとにどんどん減っていった。
三人に頼らなくても大丈夫なようにならなくちゃと、頑張って交友関係を広げていったお陰で自分の居場所はあったし、寂しくはなかったけど、やっぱりあの三人と過ごした時間は自分にとってかけがえのない物で、何年も経った今も鮮やかな記憶として残ったままだ。白熊 無断転載禁止
「私達ね、付き合うことになったの」
高校の時に、それはそれは幸せそうに伝えてきた梅ちゃんの隣には、照れくさそうに視線を逸らした寅次君がいた。私はてっきり梅ちゃんと佐一君が付き合うものだと思っていたから、二人の報告に喜びと同じくらい驚きを感じた。それはどうやら私以外の人達もそうだったようで、梅ちゃんという到底勝ち目のないライバルが佐一君の横からいなくなったことで女子生徒たちの間に激震が走り、それまでひっそりと人気があった佐一君の人気が表面化して、凄いことになっていった。バレンタインに、両手いっぱいに箱や袋を下げた佐一君と廊下でばったり会った時は、思わず吹き出してしまったほどだった。
「凄い、漫画みたいだね」
「食べきれないからナマエちゃんいくつか引き取ってくれない?」
「嫌だよ、私殺されちゃう」
笑いながらだったものの、口から出た言葉は心の底から思っていることだった。私は、平凡で穏やかな学校生活を送りたい。学校中の女子たちが佐一君の彼女の座を狙っているのだ。目を付けられるなんて絶対に嫌だ。梅ちゃんや寅次君と同様に、私が佐一君と小学校からの付き合いだと知られているから話すことを許されているようなもので。本来ならこうやって一緒に廊下を歩いている所を見られただけでも、あとで色んな人から詰められボコボコにされかねない。それくらい人気だということを、本人は全く自覚していないようだった。
「そんなに貰えるなんて佐一君は凄いね、モテモテだね」
「欲しい人から貰えなきゃ意味ないよ」
「……そうなの?」
うん、と前を見つめたまま返事をした佐一君の顔がやけに真剣で、かける言葉が見つからなかった。梅ちゃんは、もう佐一君にチョコ渡してないのかな。小学生の頃は私も一緒に佐一君と寅次君に渡していたけど。でも渡していたとしてもそれは友チョコだろうし、貰ったことにはならないんだろう。三人の関係性の変化を垣間見てしまった気がして、少し薄暗い気持ちになった。みんなには、ずっと仲良くしていてほしかった。あの時距離を取ったのは、大好きな三人の誰かが傷つくところを見たくなかったという理由もあったから。
「……ナマエちゃんはチョコくれないの?」
「私からなんてもういらないでしょ?そんなにあるんだから」
教室から注がれるクラスメイトたちの視線が痛い。これは後でみんなから根掘り葉掘り聞かれそうだ。視線に耐えられなくて、じゃあねとサッと教室に入ってしまったから、何か不満そうに口を開きかけていた佐一君が私に何を伝えようとしていたのか、分からないままだった。
あれから月日が経ち、私たちはそれぞれ別々の道を歩んでいた。梅ちゃんと寅次君は地元で、私は東京で就職して、佐一君はアイスホッケー選手として活躍していた。お互いに会うことはめっきり少なくなってしまったけど、梅ちゃんと寅次君が婚約したという嬉しいニュースをきっかけに、また四人でのやりとりが再開した。久々に顔も見たいし、ちゃんとお祝いもしたいしと、一人暮らしで地理的にも一番都合が良かった佐一君の家に、数年ぶりにみんなで集まることになったのだった。
「お、お邪魔しまーす……」
「どうぞー」
ホールケーキを片手に足を踏み入れた佐一君の部屋は、こざっぱりとした1LDKだった。築浅のマンションで、オープンキッチンでカウンターがある。その下にはカウンター用のスツールまで置いてあって、佐一君も意外とお洒落さんなんだなとちょっと失礼なことを思った。私の中の佐一君のイメージは、喧嘩っ早くて、いつも絆創膏を顔に貼っているわんぱく小僧の姿が7割を占めているから、いつの間にこんなに大人になって……とちょっと感慨深い気持ちにもなってしまった。
「寅次たちもう少しで着くって」
スマホを確認した佐一君が、手早く返信をしながら私に伝えてきた。
「冷蔵庫開けても良い?」
「うん。あ、でもその前に俺も一回ケーキ見たい」
スマホを片手に「早く開けて開けて」と、ワクワクしながら寄って来た佐一君は、子供の頃と変わらない。慎重に運んできた甲斐あって、箱を開ければ艶々の苺がふんだんに乗せられた美術品のようなショートケーキが、甘い匂いと共に現れた。「うまそー」と呟いた佐一君の声が思ったよりも近くて、心臓がどきりと大きく跳ね上がった。二人とも、ケーキの美しさに吸い込まれるように箱を覗き込んでいて、いつの間にか距離が近づき過ぎていた。動揺を隠すように「まだ食べちゃダメだからね」と慌てて箱を閉めて冷蔵庫にしまった。
「俺あっち片づけてくるからナマエちゃんは適当に寛いでて」
「あっ、でも、何か手伝うことある?」
「あー……そうだなぁ、お皿とか出しといてくれると助かるかな」
そこの上に入ってるからコップとかも適当に色々出しておいて、と言い残して佐一君が隣の部屋に消えて行った。キッチンの吊戸棚を開ければ、手が届く所に小皿とグラスが2つあった。大皿らしきものとマグカップがその上の段にあるけど、私の身長では目一杯背伸びをしても指先を掠めるだけで掴めない。佐一君だったらひょいっと取れるんだろうな。早々に頑張るのを諦めて、さっき見つけたスツールをキッチンに持ってきた。カウンター用で普通の椅子よりも高さがある分不安定だけど、脚立代わりにするには申し分ない。一度座ってから、片膝を立ててよいしょと狭い座面の上で立ち上がった時だった。
「ちょっ、何してんの?!危ないってナマエちゃん!」
「え?うわっ?!」
隣の部屋から現れた佐一君がギョッとした顔で一目散に駆けてきて、中腰だった体がぐんっと引っ張られた。ぐらっとスツールが前に傾く。落ちる。恐怖にぎゅっと目を瞑ったら、体がしっかりと佐一君に抱きとめられ、ガタンっと大きな音を立てて水平に戻ったスツールの上にどしんと尻もちをついてしまった。「危ないって!」と反射的に抗議すれば「ごめん、でも危ないから!」と何が危ないんだかもう良く分からない返事が返ってきた。ドッドッドッと心臓がうるさいのは、落ちそうになったからだけじゃない。はぁぁ、と佐一君の深いため息が首元でした。
「そこに居るんだから俺のこと呼べば良かったでしょ」
「あっ、そっか」
「いやなんで……普通呼ぶでしょ、こんな危ないことして」
「危ないことって……私いつも家でこうやって電球替えたりしてるよ?」
えぇ?と驚く佐一君に、電球くらい替えるでしょと返す。大体一人暮らしなんだから私が替えないで誰が替えるんだ。
「それより、あの……そろそろ、離してほしいんですけど……」
気まずくなってどんどん声が小さくなっていく。それでも聞こえているはずなのに、佐一君は腕を緩めてくれない。子供の頃から知っている間柄とはいえ、私よりもうんと大きくて体温が高くて、筋肉質な体に抱き込まれると落ち着かない。さっき受け止められた時の安定感も思い出して、益々鼓動が早くなっていく。
「ナマエちゃんはさ、いつも一人で何とかしようとするよね」
「そんなことは……」
あるかも、しれない。周りを頼るよりも自分でやった方が早いし、迷惑をかけるのが嫌だから。思い当たる節があって、それ以上言葉が続かなかった。
「この間、変なやつに付き纏われたって梅ちゃんから聞いた」
「えっ、なんで……?!」
つい先週のことだ。運良く近くのお店に入って上手く撒くことができたけど、残業続きでヘトヘトだったことも相まって、パニックになって家に着いてから梅ちゃんに連絡してしまったのだった。なんでそんなことを佐一君に伝えてるの、と梅ちゃんをちょっとだけ恨んだ。
「俺に言ってくれれば迎えに行ったのに」
「でもそんなに近いわけでもないし、夜遅かったから……」
「遅いからだよ」
何かあってからじゃ遅いんだよ、と正論を言われて言葉に詰まった。それは、そうなんだけど。
「でも……そこまで迷惑、かけられないし……」
「ナマエちゃんはすぐそうやって遠慮する。昔、俺たちから離れたのもそうでしょ」
図星を突かれて息を呑んだ。ずっと、バレていたんだ。それでも今まで私が望んだ形で関係を続けてくれた三人に、ぐっと目頭が熱くなった。みんなどれだけ優しいの。
「ねぇ、もっと頼って」
「……うん。これからはちゃんと周りの人に助けてもらうよ」
「違う」
佐一君らしからぬ鋭い声がすぐ耳元でして、びくっと肩が跳ねた。
「俺を頼って」
抱きしめられながらそんなことを言われたら、いくらなんでも勘違いしてしまう。顔が見えないから尚更だ。自分の良いように想像してしまう。
「佐一君さぁ……昔馴染みのよしみで言うけどさぁ……」
もごもごと口を動かしているうちに、気まずさも増していく。さっきから感情が揺さぶられっぱなしで、顔が段々と熱を帯びて来ているのが自分でも分かった。
「勘違いしちゃうからダメだよ、そういうこと言うの」
こういうことするのも、と未だに緩まる気配のない鍛え上げられた腕をぺちぺちと叩いた。
「……勘違いしてよ」
「えっ?」白熊 無断転載禁止
「早くして。今して」
「えっ、なん……えっ?」
振り返ろうにも寸分の隙間もなく抱きしめられているから、首だけで後ろを向いたら佐一君の拗ねた顔がすぐそこにあって、慌ててまた前を向いた。いよいよ息苦しさを感じるほどに心臓が波打ち始めて、汗がどっと吹き出してきた。勘違いして、ってどういうこと?今して、って何?
「え……?えっ?!だって佐一君、梅ちゃんのこと好きでしょ?」
「はあ?いつのこと言ってるんだよ」
「しょ、小学生の頃……」
「俺たちもう大人なんですけど?」
呆れた声で言われてぐうの音も出なかった。自分から去ったくせに、私だけが未練がましくあの日々に囚われ続けている。
「全然気付いてくれないよね、チョコもくれないし。俺はナマエちゃんから欲しかったのに、『モテモテだね』『私からのなんていらないでしょ』って言われて結構傷ついたんだよ」
「あれは……!梅ちゃんから貰えなくて落ち込んでるのかなって……えっ、うそ、私からのが欲しかったの?!」
「まあ初恋はそうだったけどさ……好きじゃなきゃ遠回りして毎日一緒に登下校なんてしないでしょ、普通気づくでしょ」
流石に鈍感すぎるでしょ、と佐一君が畳み掛けてきた。えっ私が悪いの?数年分の空白なんて無かったように言葉を交わしていくうちに、考えるよりも先に言葉が口から飛び出した。
「だってそんなの、言ってくれなきゃ分からないよ!」
「そうだね、俺ずっとナマエちゃんのこと──」
「あっ、ちょっ、やっぱ良いです!」
ジタバタと不安定なスツールの上でもがけば、大人しくしろと佐一君に更に強く抱きしめられて、苦しさと驚きと恥ずかしさからカエルのような情けない声が溢れ出た。
「……好きだよ」
後ろからぎゅうぎゅうに羽交締めにされながら耳元で聞こえた声は、泣きそうになるほどに優しかった。
「まってまって、一旦落ち着こう?」
「俺は落ち着いてるよ」
「とりあえず離して?」
「返事くれるまで離さない」
「嘘でしょ?」
しかし変な所で頑固なのは小さい時から変わらず、佐一君は私のことをそれからもずっとスツールの上で抱きしめたままだった。鍵が開けっぱなしだった玄関を開けて、梅ちゃんと寅次君が部屋に入ってきた時でさえも。
「あっ……ごめんね、私たち帰るね」
「待って助けて梅ちゃんっ!帰らないで!!」
ひいひいと泣きそうになりながら助けを求めても、梅ちゃんは「あらあら」と笑うだけだった。その横では「何やってんだよ佐一……」と寅次君が若干引いている。
「佐一ちゃん、ずっとナマエちゃんのこと好きだったもんねぇ」
「拗らせすぎなんだよ佐一は」
もっと早くこうしていれば良かったのにねと笑い合う二人に、恥ずかしさで爆発しそうだった。
2024.10.13
でもそのうち、二人とも梅ちゃんのことが好きなのだと気づいてしまった。私は邪魔なんじゃないか。みんな優しいから、私に言えないだけで。気心知れた三人の中に入れてもらっている後ろめたさも拭いきれず、中学に上がったのを機に、少しずつ三人から距離を取るようになった。それまで毎日一緒に登下校していた佐一君からも何かと理由をつけて逃げて、いつしか学校で少し会話をするだけの関係になった。そもそも、わざわざ少し遠回りをしてまで一緒に登下校してくれていた佐一君の優しさに、私は甘えすぎていたのだ。同性の梅ちゃんとはそれなりに付き合いは続いていたけど、佐一君と寅次君との付き合いは年を追うごとにどんどん減っていった。
三人に頼らなくても大丈夫なようにならなくちゃと、頑張って交友関係を広げていったお陰で自分の居場所はあったし、寂しくはなかったけど、やっぱりあの三人と過ごした時間は自分にとってかけがえのない物で、何年も経った今も鮮やかな記憶として残ったままだ。白熊 無断転載禁止
「私達ね、付き合うことになったの」
高校の時に、それはそれは幸せそうに伝えてきた梅ちゃんの隣には、照れくさそうに視線を逸らした寅次君がいた。私はてっきり梅ちゃんと佐一君が付き合うものだと思っていたから、二人の報告に喜びと同じくらい驚きを感じた。それはどうやら私以外の人達もそうだったようで、梅ちゃんという到底勝ち目のないライバルが佐一君の横からいなくなったことで女子生徒たちの間に激震が走り、それまでひっそりと人気があった佐一君の人気が表面化して、凄いことになっていった。バレンタインに、両手いっぱいに箱や袋を下げた佐一君と廊下でばったり会った時は、思わず吹き出してしまったほどだった。
「凄い、漫画みたいだね」
「食べきれないからナマエちゃんいくつか引き取ってくれない?」
「嫌だよ、私殺されちゃう」
笑いながらだったものの、口から出た言葉は心の底から思っていることだった。私は、平凡で穏やかな学校生活を送りたい。学校中の女子たちが佐一君の彼女の座を狙っているのだ。目を付けられるなんて絶対に嫌だ。梅ちゃんや寅次君と同様に、私が佐一君と小学校からの付き合いだと知られているから話すことを許されているようなもので。本来ならこうやって一緒に廊下を歩いている所を見られただけでも、あとで色んな人から詰められボコボコにされかねない。それくらい人気だということを、本人は全く自覚していないようだった。
「そんなに貰えるなんて佐一君は凄いね、モテモテだね」
「欲しい人から貰えなきゃ意味ないよ」
「……そうなの?」
うん、と前を見つめたまま返事をした佐一君の顔がやけに真剣で、かける言葉が見つからなかった。梅ちゃんは、もう佐一君にチョコ渡してないのかな。小学生の頃は私も一緒に佐一君と寅次君に渡していたけど。でも渡していたとしてもそれは友チョコだろうし、貰ったことにはならないんだろう。三人の関係性の変化を垣間見てしまった気がして、少し薄暗い気持ちになった。みんなには、ずっと仲良くしていてほしかった。あの時距離を取ったのは、大好きな三人の誰かが傷つくところを見たくなかったという理由もあったから。
「……ナマエちゃんはチョコくれないの?」
「私からなんてもういらないでしょ?そんなにあるんだから」
教室から注がれるクラスメイトたちの視線が痛い。これは後でみんなから根掘り葉掘り聞かれそうだ。視線に耐えられなくて、じゃあねとサッと教室に入ってしまったから、何か不満そうに口を開きかけていた佐一君が私に何を伝えようとしていたのか、分からないままだった。
あれから月日が経ち、私たちはそれぞれ別々の道を歩んでいた。梅ちゃんと寅次君は地元で、私は東京で就職して、佐一君はアイスホッケー選手として活躍していた。お互いに会うことはめっきり少なくなってしまったけど、梅ちゃんと寅次君が婚約したという嬉しいニュースをきっかけに、また四人でのやりとりが再開した。久々に顔も見たいし、ちゃんとお祝いもしたいしと、一人暮らしで地理的にも一番都合が良かった佐一君の家に、数年ぶりにみんなで集まることになったのだった。
「お、お邪魔しまーす……」
「どうぞー」
ホールケーキを片手に足を踏み入れた佐一君の部屋は、こざっぱりとした1LDKだった。築浅のマンションで、オープンキッチンでカウンターがある。その下にはカウンター用のスツールまで置いてあって、佐一君も意外とお洒落さんなんだなとちょっと失礼なことを思った。私の中の佐一君のイメージは、喧嘩っ早くて、いつも絆創膏を顔に貼っているわんぱく小僧の姿が7割を占めているから、いつの間にこんなに大人になって……とちょっと感慨深い気持ちにもなってしまった。
「寅次たちもう少しで着くって」
スマホを確認した佐一君が、手早く返信をしながら私に伝えてきた。
「冷蔵庫開けても良い?」
「うん。あ、でもその前に俺も一回ケーキ見たい」
スマホを片手に「早く開けて開けて」と、ワクワクしながら寄って来た佐一君は、子供の頃と変わらない。慎重に運んできた甲斐あって、箱を開ければ艶々の苺がふんだんに乗せられた美術品のようなショートケーキが、甘い匂いと共に現れた。「うまそー」と呟いた佐一君の声が思ったよりも近くて、心臓がどきりと大きく跳ね上がった。二人とも、ケーキの美しさに吸い込まれるように箱を覗き込んでいて、いつの間にか距離が近づき過ぎていた。動揺を隠すように「まだ食べちゃダメだからね」と慌てて箱を閉めて冷蔵庫にしまった。
「俺あっち片づけてくるからナマエちゃんは適当に寛いでて」
「あっ、でも、何か手伝うことある?」
「あー……そうだなぁ、お皿とか出しといてくれると助かるかな」
そこの上に入ってるからコップとかも適当に色々出しておいて、と言い残して佐一君が隣の部屋に消えて行った。キッチンの吊戸棚を開ければ、手が届く所に小皿とグラスが2つあった。大皿らしきものとマグカップがその上の段にあるけど、私の身長では目一杯背伸びをしても指先を掠めるだけで掴めない。佐一君だったらひょいっと取れるんだろうな。早々に頑張るのを諦めて、さっき見つけたスツールをキッチンに持ってきた。カウンター用で普通の椅子よりも高さがある分不安定だけど、脚立代わりにするには申し分ない。一度座ってから、片膝を立ててよいしょと狭い座面の上で立ち上がった時だった。
「ちょっ、何してんの?!危ないってナマエちゃん!」
「え?うわっ?!」
隣の部屋から現れた佐一君がギョッとした顔で一目散に駆けてきて、中腰だった体がぐんっと引っ張られた。ぐらっとスツールが前に傾く。落ちる。恐怖にぎゅっと目を瞑ったら、体がしっかりと佐一君に抱きとめられ、ガタンっと大きな音を立てて水平に戻ったスツールの上にどしんと尻もちをついてしまった。「危ないって!」と反射的に抗議すれば「ごめん、でも危ないから!」と何が危ないんだかもう良く分からない返事が返ってきた。ドッドッドッと心臓がうるさいのは、落ちそうになったからだけじゃない。はぁぁ、と佐一君の深いため息が首元でした。
「そこに居るんだから俺のこと呼べば良かったでしょ」
「あっ、そっか」
「いやなんで……普通呼ぶでしょ、こんな危ないことして」
「危ないことって……私いつも家でこうやって電球替えたりしてるよ?」
えぇ?と驚く佐一君に、電球くらい替えるでしょと返す。大体一人暮らしなんだから私が替えないで誰が替えるんだ。
「それより、あの……そろそろ、離してほしいんですけど……」
気まずくなってどんどん声が小さくなっていく。それでも聞こえているはずなのに、佐一君は腕を緩めてくれない。子供の頃から知っている間柄とはいえ、私よりもうんと大きくて体温が高くて、筋肉質な体に抱き込まれると落ち着かない。さっき受け止められた時の安定感も思い出して、益々鼓動が早くなっていく。
「ナマエちゃんはさ、いつも一人で何とかしようとするよね」
「そんなことは……」
あるかも、しれない。周りを頼るよりも自分でやった方が早いし、迷惑をかけるのが嫌だから。思い当たる節があって、それ以上言葉が続かなかった。
「この間、変なやつに付き纏われたって梅ちゃんから聞いた」
「えっ、なんで……?!」
つい先週のことだ。運良く近くのお店に入って上手く撒くことができたけど、残業続きでヘトヘトだったことも相まって、パニックになって家に着いてから梅ちゃんに連絡してしまったのだった。なんでそんなことを佐一君に伝えてるの、と梅ちゃんをちょっとだけ恨んだ。
「俺に言ってくれれば迎えに行ったのに」
「でもそんなに近いわけでもないし、夜遅かったから……」
「遅いからだよ」
何かあってからじゃ遅いんだよ、と正論を言われて言葉に詰まった。それは、そうなんだけど。
「でも……そこまで迷惑、かけられないし……」
「ナマエちゃんはすぐそうやって遠慮する。昔、俺たちから離れたのもそうでしょ」
図星を突かれて息を呑んだ。ずっと、バレていたんだ。それでも今まで私が望んだ形で関係を続けてくれた三人に、ぐっと目頭が熱くなった。みんなどれだけ優しいの。
「ねぇ、もっと頼って」
「……うん。これからはちゃんと周りの人に助けてもらうよ」
「違う」
佐一君らしからぬ鋭い声がすぐ耳元でして、びくっと肩が跳ねた。
「俺を頼って」
抱きしめられながらそんなことを言われたら、いくらなんでも勘違いしてしまう。顔が見えないから尚更だ。自分の良いように想像してしまう。
「佐一君さぁ……昔馴染みのよしみで言うけどさぁ……」
もごもごと口を動かしているうちに、気まずさも増していく。さっきから感情が揺さぶられっぱなしで、顔が段々と熱を帯びて来ているのが自分でも分かった。
「勘違いしちゃうからダメだよ、そういうこと言うの」
こういうことするのも、と未だに緩まる気配のない鍛え上げられた腕をぺちぺちと叩いた。
「……勘違いしてよ」
「えっ?」白熊 無断転載禁止
「早くして。今して」
「えっ、なん……えっ?」
振り返ろうにも寸分の隙間もなく抱きしめられているから、首だけで後ろを向いたら佐一君の拗ねた顔がすぐそこにあって、慌ててまた前を向いた。いよいよ息苦しさを感じるほどに心臓が波打ち始めて、汗がどっと吹き出してきた。勘違いして、ってどういうこと?今して、って何?
「え……?えっ?!だって佐一君、梅ちゃんのこと好きでしょ?」
「はあ?いつのこと言ってるんだよ」
「しょ、小学生の頃……」
「俺たちもう大人なんですけど?」
呆れた声で言われてぐうの音も出なかった。自分から去ったくせに、私だけが未練がましくあの日々に囚われ続けている。
「全然気付いてくれないよね、チョコもくれないし。俺はナマエちゃんから欲しかったのに、『モテモテだね』『私からのなんていらないでしょ』って言われて結構傷ついたんだよ」
「あれは……!梅ちゃんから貰えなくて落ち込んでるのかなって……えっ、うそ、私からのが欲しかったの?!」
「まあ初恋はそうだったけどさ……好きじゃなきゃ遠回りして毎日一緒に登下校なんてしないでしょ、普通気づくでしょ」
流石に鈍感すぎるでしょ、と佐一君が畳み掛けてきた。えっ私が悪いの?数年分の空白なんて無かったように言葉を交わしていくうちに、考えるよりも先に言葉が口から飛び出した。
「だってそんなの、言ってくれなきゃ分からないよ!」
「そうだね、俺ずっとナマエちゃんのこと──」
「あっ、ちょっ、やっぱ良いです!」
ジタバタと不安定なスツールの上でもがけば、大人しくしろと佐一君に更に強く抱きしめられて、苦しさと驚きと恥ずかしさからカエルのような情けない声が溢れ出た。
「……好きだよ」
後ろからぎゅうぎゅうに羽交締めにされながら耳元で聞こえた声は、泣きそうになるほどに優しかった。
「まってまって、一旦落ち着こう?」
「俺は落ち着いてるよ」
「とりあえず離して?」
「返事くれるまで離さない」
「嘘でしょ?」
しかし変な所で頑固なのは小さい時から変わらず、佐一君は私のことをそれからもずっとスツールの上で抱きしめたままだった。鍵が開けっぱなしだった玄関を開けて、梅ちゃんと寅次君が部屋に入ってきた時でさえも。
「あっ……ごめんね、私たち帰るね」
「待って助けて梅ちゃんっ!帰らないで!!」
ひいひいと泣きそうになりながら助けを求めても、梅ちゃんは「あらあら」と笑うだけだった。その横では「何やってんだよ佐一……」と寅次君が若干引いている。
「佐一ちゃん、ずっとナマエちゃんのこと好きだったもんねぇ」
「拗らせすぎなんだよ佐一は」
もっと早くこうしていれば良かったのにねと笑い合う二人に、恥ずかしさで爆発しそうだった。
2024.10.13
